第11話『六神戦隊★ナイトレンジャー!』修正版
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馬車は北へと進む。
クロノは荷馬車に乗り、景色を眺めていた。
去年、神聖アルゴ王国を訪れた時に荒涼とした印象を受けた。
あの時は冬で斜面の草や木が枯れ果てていたからだ。
今は違う。
波打つような丘陵は草花に覆われ、瑞々しい生命力を感じさせる。
さて、これからどうなるかな? とクロノは荷馬車を見渡した。
スーと輸送隊とは昏き森で別れているので、荷馬車に乗っているのはリオ、シオン、エレイン、神官さんとクロノを含めて五人だ。
レオンハルトは立場上、副官とシロ、ハイイロは見られてはマズいということで箱馬車に乗っている。
イグニスも一緒だ。
交易に関してはエレインさんに任せるしかない訳だけど、その辺は心配しなくても大丈夫かな? とクロノは少し楽観していた。
馬車がゴトリと揺れる。
小石でも踏んだのだろう。
クロノは荷台から身を乗り出し、息を呑んだ。
丘の上からは湖が一望できた。
小高い丘に囲まれた湖は夕日を浴びてキラキラと輝いていた。
まるで映画のワンシーンのようだ。
湖から少し離れた場所に街があった。
街は城壁ではなく、高い木々に囲まれていた。
木が街を囲んでいる理由は分からないが、街と自然は見事に調和していた。
「あの街は王都カノプスに似ていての。小王都と呼ばれているんじゃよ」
「へ~、王都の方も見てみたいな……どうして、そんな目で見るのさ」
クロノが素直に感動していると、神官さんは胡散臭そうな目でクロノを見ていた。
「お主らしくないと思っての。ほれ、お主はダメ人間じゃろ?」
「この短い付き合いでダメ人間認定とかイジメ?」
「ワシの胸をガン見しとったじゃろ」
ムフフ、と神官さんは両手で胸を押し上げた。
「そこの娘が背筋を伸ばしてた時も胸から目を逸らしていなかったしの」
「いつものことよ」
クロノは溜息交じりのエレインから顔を背け、ゲフンゲフンと咳払いした。
「……クロノ」
「違うんだよ、リオ。いや、違わない。これは男の本能なんだ」
クロノは顔を上げ、リオに弁解した。
「あまり寄らないでくれないかな?」
そう言って、リオはクロノから距離を取った。
「……り、リオ」
「時々、貴方って鈍感ね」
え? とクロノは振り返り、ある事実に気付いた。
神官さんを除いた女性陣がクロノと距離を取っていたのだ。
「いつの間に嫌われて」
「違うわよ」
え? とクロノが見つめると、エレインは深々と溜息を吐いた。
「昏き森に入ってから、体を洗えなかったでしょ?」
「そんなに臭いかな?」
クロノはマントを摘まんで臭いを嗅いだが、自分の臭いだからなのか、臭いという感じはしない。
エレインはクロノを見つめ、深々と溜息を吐いた。
「貴方の臭いを気にしてるんじゃなくて、私達が自分の臭いを気にしてるのよ」
「そんな気にしなくても」
「私達が気にするのよ!」
はい、とクロノはエレインに気圧され、荷馬車の隅っこに座り直した。
「……リオ」
「軍人が体臭を気にするのはどうかと思うんだけれど、臭いと思われるのはちょっとね」
リオは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「その点、ワシは完璧じゃ!」
「土臭い」
クロノはグイグイと体を押しつけてくる神官さんを突き飛ばした。
「つ、土臭いじゃと!」
「土じゃなければ、埃臭い」
神官さんはクンクンと服の臭いを嗅いだ。
「うむ、分からん」
「神官さんは少し身嗜みに気を遣うべきだと思う。あ、街に入るよ」
馬車が街に入る。
クロノは街の構造や生活水準を把握するために注意深く視線を巡らせた。
道路は未舗装、建物は木造が多い。
少し悪臭がしているので、ゴミや糞尿の処理が上手くいっていないのかも知れない。
しばらく進むと、露店が道に沿って並んでいた。
時間帯のせいか、営業している露店の数は少ない。
店舗型の店は数えるほどだ。
イグニスの施策によるものか、浮浪者の姿は見えない。
「神官さん、神聖アルゴ王国って売春はどうなってるの?」
「お主も好きじゃのう」
「違うから」
クロノはすぐに否定した。
「うむ、そういうことにしてやるか。まあ、基本的に食堂兼酒場の女給が売春婦を兼ねてることが多いの」
「あら、この国って売春をタブー視してるんじゃなかったの?」
「う~む、ややこしい問題でな」
エレインが尋ねると、神官さんは難しそうな顔で唸った。
「『純白神殿』は売春をすべきではないとしておる。『黄土神殿』も子作りを目的としない性交はすべきでないという立場じゃな。他の『神殿』はさして否定的ではないの」
「その街か、領地で影響力のある『神殿』によって状況が変わるという理解で良いのかしら?」
「見て見ぬふりと言うか、黙認と言うか、そんな感じじゃな」
「娼館の経営は大っぴらにできない訳ね」
『神殿』のカラーが街のカラーになるのはどうなんだろ? いや、まあ、だから、問題なんだろうけど、とクロノは頬杖を突いた。
「どうして、神聖アルゴ王国はこんな感じなの?」
「話せば長くなるんじゃが」
「手短に」
「王国の黎明期、神が国王に国を治める権利を与えたという理屈で色々な問題を解決しておってな」
「あ~、なるほど」
クロノは頷いた。
「王権の正当性を示すための方便が方便で済まなくなっちゃったのか」
「神が国王の上にいるという理屈じゃし、その理屈で国を治めている訳じゃから、『神殿』に強く出られない構図が出来上がってしまってのう」
神官さんはしみじみと言った。
「そういう話を聞かされると、帝国の初代皇帝は先見の明があったのかなって感じるね」
「他の『神殿』が自分の立場を弁えてくれれば良かったんじゃが」
神官さんは力なく肩を落とした。
皆、神官さんほど気長じゃないんだよ、とクロノは思ったが、あえて口にしなかった。
神官さんの感覚は人間のそれとズレているのだ。
人間は神官さんほど長期的な視点を持てないし、神官さんが信じてるほど善良でもない。
いや、神官さんから見た人間は善良なのかも知れない。
例えば、クロノがいた世界の歴史……魔女狩りや奴隷貿易が行われていた時代と二十一世紀の価値観を比較したら、人間は種族的に善性を備え、より良くなろうとしているという見方もできるだろう。
だが、それは大きな視点から見た場合だ。
小さな視点……クロノ個人から見た人間は善人もいれば、悪人もいる。
長期的に物事を考える人間もいれば、目先の欲求を満たすことしか考えていないような人間もいる。
だから、神官さんは国を変えられなかったんだろうけど、とクロノは溜息を吐いた。
※
クロノは馬車から降り、イグニスの屋敷を見上げた。
イグニスの屋敷は通りの突き当たりにあった。
屋敷は平らな石を積んだ塀に囲まれ、その内側には植物が繁茂している。
植物が勝手に生えたのか、こういうタイプの庭園なのか、判断に迷う所だ。
屋敷の外観は城そのもの。
屋敷として使っていることを考えると、城としての機能は期待しない方が良いだろう。
クロノが庭園で突っ立っていると、イグニスが箱馬車から降りた。
レオンハルトがイグニスの後に続く。
更に布を被った副官、シロ、ハイイロが続いた。
「ここが俺の屋敷だ。部屋は既に準備させている」
「……っ!」
クロノは飛び上がった。
エレインがクロノの脇腹を突いたのだ。
何をすんの? とクロノが睨み付けると、エレインは自分の服を摘まんだ。
どうやら、エレインはクロノに湯浴みしたいと言わせたいようだ。
クロノは救いを求めてリオとシオンを見つめた。
リオは宜しくと言わんばかり、シオンは申し訳なさそうにしている。
「イグニス将軍!」
「何だ」
クロノが手を挙げると、イグニスはドスの利いた声で言った。
「湯浴みがしたいんだけど?」
「ああ、すまない。すぐに用意させる」
イグニスは女性がいることに気付いたらしく謝罪の言葉を口にした。
「ワシの服も用意してくれんかの」
「……ババア」
イグニスは左手で顔を覆った。
「開口一番それか。俺はババアが二度と戻ってこないと覚悟していたんだが」
「ちょっくら隣の国までエルフ達を送り届けてきただけじゃ」
「ちょっくら? 大事だろう、それは」
「それだけではないぞ。移民として亜人を受け入れる約定を取り付けてきた」
神官さんは自慢気に胸を張った。
「ババア、騙されているんじゃないか? 自国ならまだしも、他国の亜人を受け入れるお人好しなんているはずないだろう」
「ここにおるぞ」
「どうも、他国の亜人を受け入れるお人好しです」
クロノは神官さんにイグニスの前に引きずり出され、ぺこりと頭を下げた。
「亜人を受け入れて、お前に何の得がある?」
「開拓や神聖アルゴ王国との交易に役立って貰おうと思って」
交易が軌道に乗ればミノタウルスとリザードマンの需要は増えるはずだ。
「結果的に亜人がいなくなれば問題ないじゃろ」
神官さんはドヤ顔で言った。
※
ナイトレンジャーは六柱神の加護を受けた六人の戦士だ。
神の力と信仰心を武器に戦え、ナイトレンジャー!
※
その日もいつもと変わらない穏やかな朝がファルスの村に訪れた。
ファルスは神聖アルゴ王国南部の丘陵地帯にある村だ。
村人は緩やかに波打つ斜面で羊を飼い、日々の糧を得ている。
村人は勤勉な者が多かったが、村は貧しかった。
それでも、村には平和があった。
村人は昨日と変わらない今日、今日と変わらない明日が続くのだと信じていた。
だが、村人が抱いていた幻想は打ち砕かれた。
突如、発生した轟音が村全体を揺らしたのだ。
村人は慌てふためき、家から飛び出した。
『ぐへへ、慌てて人間どもが出てきやし……出てきやがったぜぇ!』(ぶも~!)
『飯、出す! 俺達、腹減った!』(がうがう!)
『女、出す! 高く売る!』(がーう!)
村人を待ち受けていたのは凶悪なミノタウルスと子分と思しき二匹の人狼だった。
村人は恐怖を抑えられなかった。
ミノタウルスは分厚い筋肉の鎧で覆われ、丸太のような棍棒を片手で軽々と振り回していたのだ。
二匹の人狼からは三下っぽい雰囲気が漂っていたが、引き締まった体が二匹が単なる三下でないことを物語っていた。
「お、おおっ! 食べ物は差し上げます! どうか、どうか、村の者に手を出さないで下さい!」
枯れ木のように痩せ衰えた村長は跪き、ミノタウルスに慈悲を請うた。
村にも武器はある。
だが、ミノタウルス達は戦う気力を奪うだけの空気を纏っていたのだ。
『だったら、早く食料を出せ!』(ぶも~!)
『全部、出す!』(がう!)
『村の中央に積む!』(がう!)
「お許し下さい。この村は貧しいのです。食料を全て奪われたら、生きていけません」
どうか、どうか、と村長は額を地面に擦りつけた。
『あっし……俺らの知ったこっちゃねぇんだよ!』(ぶ、ぶも~!)
『俺達、知らない!』(がう!)
『飯、飯!』(がう!)
おお、神よ。我らをお救い下さい、と村長は祈った。
だが、村長は知っていた。
神が救いの手を差し伸べてくれたことなど一度もなかったことを。
神の代行者である『神殿』も自分達に救いの手を差し伸べるつもりがないことを。
諦念が村長の心を支配しようとしたその時、
「そこまでであります!」
女性の声が響き渡った。
『ど、何処だ!』(ぶも~!)
ミノタウルスと二匹の人狼はキョロキョロと辺りを見回した。
「無辜の民への乱暴狼藉はそこまでであります!」
『親分、屋根の上!』(がう!)
『人、いる!』(がう!)
二匹の人狼が指で指し示した先には一人の女性が立っていた。
女性は漆黒の衣装に身を包み、正体を隠すためか、漆黒のマスクで顔の上半分を覆っていた。
『な、何もんだ!』(ぶもぉぉ!)
「お前に名乗る名前はないであります! トォォォッ!」
女性は見事な跳躍で地面に降り立った。
すると、四人の男女が建物の影から女性に駆け寄った。
四人の男女はそれぞれ赤、白、緑、黄の衣装に身を包んでいる。
赤い衣装に身を包んだ男は隻腕だった。
『な、何もんだ!』(ぶもぉぉ!)
ミノタウルスが再び尋ねると、赤い衣装に身を包んだ男は怯んだように後退り、救いを求めるように仲間達に目配せした。
名乗り、名乗り、と四人の仲間が赤い衣装の男を急かした。
「わ、我が、我が名は、その、レッドナイト」
赤い衣装の男……レッドナイトの声は尻窄みに小さくなった。
その時、小さな小石がレッドナイトの足下に飛んできた。
レッドナイトは建物の影を睨み、
「お、俺は炎の騎士! レッドナイト!」
レッドナイトは自暴自棄としか思えない大声で名乗りを上げ、左腕を突き上げた。
シュゴーーッ、と赤い光がレッドナイトから立ち上る。
「私は光の騎士! ホワイトナイト!」
「風の騎士! グリーンナイト!」
「だ、大地の神官……イエロープリーストです」
白、緑、黄土の衣装に身を包んだ三人が次々と名乗りを上げ、レッドナイトを中心にポージング。
白、緑の光は立ち上ったが、黄の光は立ち上らなかった。
「闇の騎士! ダークナイトであります! 六神戦隊! ナイトレンジャー!であります!」
ダークナイトが名乗りを上げると、赤、白、緑が一層強く輝いた。
ダークナイトから立ち上っているのは粘着質な闇だったが。
『な、ナイトレンジャーだと?』(ぶも?)
「ナイトレンジャーは六柱神の加護を受けた騎士であります! 『神殿』の枠を越え、自警団的な活動をするのが主な任務であります! という訳で、レェェェッド! ナイトバズーカであります!」
「何?」
そう言って、レッドナイトは紙の束を取り出した。
レッドナイトは片手で器用にページを捲り、ダークナイトにページの一部分を示した。
「こういうのは勢いが大事であります!」
「……分かった。準備しよう」
ホワイトナイトが大八車で筒状の何かを運んできた。
レッドナイト以外の四人がゴテゴテと装飾のされたそれを担ぎ上げる。
「神よ、我に力を」
赤、白、緑の光と粘着質な闇が立ち上る。
「ナイトバズーカ、シュートであります!」
赤、白、緑の光と粘着質な闇がナイトバズーカから放たれた。
『ぐひゃ~~~~っ!』(ぶも~!)
ミノタウルスは光と闇がぶつかる遙か手前で絶叫した。
赤、白、緑、青、闇、黄……六色の光がミノタウルスの体から吹き出した。
ミノタウルスは倒れ伏した。
『親分!』(がう!)
『お前ら、覚えてる!』(がう!)
二匹の人狼はミノタウルスを担ぎ上げ、よろよろと村から出て行った。
「撤収だ。すぐに帰るぞ」
「あ、貴方はイグニス将軍では?」
村長はレッドナイトに声を掛けた。
隻腕、『真紅にして破壊を司る神』の加護を受けた男となればイグニスしか村長には考えられなかった。
「違う! 俺はレッドナイト! イグニスなどではない!」
レッドナイトは逃げ出すように駆け出した。
※
クロノは箱馬車に戻ってきた副官、シロ、ハイイロを笑顔で迎えた。
「いや~、ミノさん、シロ、ハイイロ、最高の演技だったよ!」
『あんな感じ良いんで?』(ぶも?)
副官は服に仕込んだマジック・アイテムを取り出した。
マジック・アイテムは六色の閃光を放つだけの物だ。
『『……』』
副官は満更でもなさそうだが、シロとハイイロは無言だった。
二人とも意外にナイーブな所があるので、フォローが必要だ。
「シロ、ハイイロ、良かったよ」
『俺達、敵役』(がう)
『悲しい』(きゅーん)
「いや、敵役は大事だよ。超大事だよ。お話に欠かせない存在だよ。敵役がいてくれないと話にならないよ」
クロノは項垂れるシロとハイイロを励ました。
イグニス達が戻ってきたのはそんな時だった。
イグニスは馬車に乗るなり、どっかりと座席に腰を下ろした。
イグニスは疲れ果てた様子でマスクを外す気力もないようだ。
「楽しかったでありますね!」
「フェイはノリノリだったからね。ボクは気疲れしたよ」
「私も疲れました」
フェイは無駄に元気だ。
リオとシオンは慣れない寸劇に戸惑っているようだが、イグニスほど消耗はしていないようだ。
「クロノ殿?」
「何でしょう?」
クロノはレオンハルトに声を掛けられ、背筋を伸ばした。
「……六神戦隊と名乗るのならば六人いるべきではないだろうか?」
「六人目は後で合流予定です」
ふむ、とレオンハルトは頷き、紙の束……脚本を取り出した。
「チーム名がナイトレンジャーなのにプリーストがいるのは?」
「ナイトレンジャー自体ノリで考えたので、深い意味はございません」
「それから、主題歌『GO! GO! ナイト★レンジャー』についてだが……地球のピンチだ! GO! GO! げふ、ん、ンハーッ! エフンエフン! と咳払いの後、空白になっているのは何故だね?」
「それっぽい歌詞を書こうとして途中でダレました」
クロノは歌詞を淡々と読み上げるレオンハルトに答えた。
「それからナイトバズーカを大八車で運ぶのはどうだろうか?」
「ナイトバズーカを分解式に改造するのは?」
「それも悪くないと思うが、すぐに改造できないだろう。素人が下手に手を出して壊したら申し訳ない。ここは剣戟をメインに据えるべきではないだろうか?」
レオンハルトは腰から提げた剣の鞘を叩いた。
レオンハルトの武器は……と言うか、ナイトレンジャーの武器は刃を潰したなまくらだ。
副官が手にしていた丸太も中身をくり抜いたハリボテである。
「改善点は夜に話し合うとして……さあ、次の村に行くよ!」
「まだ、やるのか」
イグニスはうんざりしたように言った。
「これは民衆を味方に付けるための地盤固めだよ。寸劇と炊き出しで民衆を味方に付けつつ、交易で周辺の商人と領主を味方に付けるんだ」
それだけじゃないけどね、とクロノは心の中で付け加えた。
「利益で転ぶ連中が役に立つのか?」
「それなりに役に立つよ、きっと。こっちの味方にならなくても、中立になってくれるだけで十分だし」
イグニスは面白くなさそうな顔をしている。
まあ、気持ちは分からなくもない。
限られた手札で戦わざるを得なかったイグニスにしてみれば、自分の領地から手札を引っ張ってくるクロノはチート野郎である。
「で、周辺の商人と領主に手紙は?」
「ああ、言われた通りに懇意にしている連中に書いた」
「イグニス将軍と仲良くしていると市場で取引ができますよって宣伝してくれると嬉しいな~」
クロノは満面の笑みで浮かべると、イグニスは溜息を吐いた。
※
イグニスは屋敷に戻ると、湯浴みも、食事もせずに自分の部屋に引き籠もった。
机に突っ伏して頭を抱える。
あの後、三回も寸劇をする羽目になった。
どうして、ダークナイ……いや、フェイは恥ずかしげもなく、あんな演技を出来るのか。
あれでは道化だ。
騎士としての誇りはないのか、とイグニスは呻いた。
ケフェウス帝国の力を借りることは我慢できる。
かつての敵の力を借りることも、礼節を以て接することにも耐えられる。
だが、道化のリーダー格として振る舞うことに苦痛を覚えるのだ。
「おおう、荒れとるの?」
「……ババア」
イグニスは顔を上げ、ババア……クロノは神官さんと呼んでいるが……を睨んだ。
ババアはイグニスが用意したドレスを着ている。
「ほれほれ、悩みがあるのなら聞いてやるぞ」
「……実は」
「『俺は炎の騎士、レッドナイト!』じゃったか?」
ぶひゃひゃ、とババアは下品な笑い声を上げた。
イグニスは歯を食い縛った。
何が恥ずかしいかと言えば、道化のリーダーとして振る舞っていた所を知り合いに見られていたことが恥ずかしい。
「何故、こんな恥ずかしいことを喜んでやるのか理解できん」
「愚かじゃな」
イグニスがフェイを非難すると、ババアは憐れむような笑みを浮かべた。
「愚かだと?」
「何故、お主はあの小僧にそれだけの器量があると考えんのだ」
「何?」
イグニスはイスから立ち上がりかけ、辛うじて自制した。
深呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻す。
確かにババアの言う通りだ、とイグニスは思い直した。
考えてみれば、イグニスはクロノに何度も煮え湯を飲まされているのだ。
まず、エレインという女だ。
彼女は教養があり、交渉術に長けている。
そんな彼女が付き従っているのだから、クロノは相応の能力があると考えるべきだ。
それだけではない。
レオンハルトも、リオもクロノを立てているようだった。
『黄土神殿』の神官もクロノに気を遣っているようだった。
俺はバカだ。何故、俺はフェイが騎士の誇りよりもクロノの命令を優先するほど心酔していると考えられなかったのだ、とイグニスは自らの浅はかさを恥じた。
「そうだな、ババア。俺が愚かだった」
「まあ、フェイの突き抜けぶりは素じゃが」
「ババア!」
イグニスは立ち上がり、左手を机に振り下ろした。
「おおう。そんなに声を荒げて、どうしたんじゃ? 茶でも飲んで落ち着け」
流石に大人げなかったか、とイグニスはイスに座った。
「イグニス、茶がないぞ」
「お前が淹れろ、ババア!」
イグニスは再び叫んだ。
「もう良い。ババアから見て、クロノはどんな男だ」
「情熱的に抱かれて、もうメロメロじゃ」
ババアは自分の体を抱き締め、体を扇情的にクネらせた。
「ババア、帰れ」
「何処に帰れと言うんじゃ、お前は!」
「自分の神殿だ!」
「ワシは神殿に帰りたくないんじゃ!」
チッ、とイグニスは舌打ちした。
「その反応、傷付くのう。まあ、冗談はこれくらいにして……あの小僧は概ね善人なんじゃないかの?」
「善人? 俺の部下を嬲り殺しにしたのにか?」
「そりゃあ、敵だったからじゃろ。大体、この国が亜人にしていることの方がよっぽど質が悪いわい」
イグニスは押し黙った。
言われてみれば敵同士なのだ。
こちらも情報を得るために捕虜を拷問したので、クロノばかりを責めるのは筋が通らない。
「善人という評価が気に喰わんのなら、そこそこに善良で、そこそこに悪人、そこそこに誠実で、そこそこに打算的、非凡な発想はポコポコでてくるが、それを実現するための能力と経験がない。要するに凡庸な若造じゃ」
「ひどい評価だ」
そんな男に負けたのだから、俺も相当なものだな、とイグニスは苦笑した。




