第10話『キャラバン』修正版
※
練兵場では百人余りの兵士が訓練に励んでいた。
その動きはぎこちなく、戦場に連れて行ける水準に達していない。
それもそのはず。
彼らは新兵だ。
これから訓練を積み、一人前の兵士になるのだ。
イグニスは新兵の熱心さに深い満足感を抱いたが、同時に彼らや王国の将来に不安を覚えてもいた。
去年の一月……侵攻してきたケフェウス帝国を退けた直後のことだ。
イグニスは王都カノプスから南部に配置転換になった。
南部が選ばれたのはフォマルハウト家の領地があるからだ。
古巣であれば部隊を再編成するのも容易という理屈だ。
筋は通る。
表向きの理由としては十分だろう。
だが、真の目的は王都からイグニスの力を削ぐことだ。
そのために南部は最適だ。
南部は何処の国とも隣接していない。
主要な街道からも距離があり、途上にある領地の主がその気になれば物資の補給を容易に滞らせることができるからだ。
実際、物資の補給は滞っていた。
それも完全に止めるのではなく、物資の到着を遅らせたり、わずかに定数に満たなかったりと陰湿なやり口だ。
物資の補給が滞れば部隊を維持できなくなる。
イグニスは私財を切り崩して不足分の物資を補うしかなかった。
今は何とかなっているが、この状況が続けばイグニスは力を失う。
緩やかな消耗の末に力を失うか、その前に『神殿』に反旗を翻すか、どちらも明るい未来とは言い難い。
イグニスが排除された後も明るい未来は王国に訪れない。
イグニスがいなくなれば『神殿』はますます増長するだろう。
『神殿』が寄付金の増額を要求することも有り得る。
そうなれば、王国はおしまいだ。
今でさえ王国は『神殿』に税収の二割を寄付しているのだ。
税収が今以上に減れば、王国は弱体化する。
周辺諸国はここぞとばかりに王国に侵攻してくるだろう。
マグナス国王は滅亡を回避するために帝国に助力を要請した。
マグナス国王の判断は正しい、とイグニスは思う。
少なくとも理性では納得している。
イグニスは左手を見つめ、自嘲した。
本来ならば、イグニスが……この国の人間が『神殿』の暴走を止めなければならなかった。
それができず、かつての仇敵に力を借りなければならない。
それ故の自嘲だった。
ババアに見限られても仕方がないな、とイグニスは思った。
ババアがいなくなった時、イグニスは動揺しなかった。
ババアはいなくなる。
いつの頃からか、そんな予感を抱いていたのだ。
それが現実になっただけだ。
※
クロノは段差を乗り越え、周囲を見渡した。
もっとも、何処を見ても木、草、蔦……緑一色だった。
クロノも最初は山歩きを楽しんでいたのだが、三日目ともなれば楽しさは吹き飛んでいる。
クロノが交易路に選んだルートは山の専門家でなくても行き来できる程度に歩きやすい。
それでも、体を鍛えていなければ交易路の途中にある休憩所に辿り着く前に日が暮れる。
そういうルートだ。
それにしても、皆、タフだな、とクロノは素直に感心した。
案内役のスーは先行し、周囲を警戒している。
クロノは何度かスーを見失いそうになったが、スーは案内役の自覚があるらしく、キャラバンと離れすぎていないか確認するように振り返っている。
次がレオンハルトだ。
スーが案内役に徹しているため、キャラバンの実質的なリーダーはレオンハルトだ。
ミノタウルスとリザードマン二十名……背負子で背負われているエレインを含めると二十一名……がレオンハルトの後に続く。
ミノタウルスとリザードマンは背負子を使い、それぞれ三百キログラムの荷を背負っている。
ちなみに彼らはクロノの部下ではなく、『シナー貿易組合』の従業員である。
ミノタウルスとリザードマンを守るのは十人の傭兵である。
傭兵を纏めているのはシフではなく、髭面の男だ。
一見すると、背の高いドワーフのようだ。
フェイはキャラバンの後方でシオンの護衛を務めている。
長年の農作業で鍛えられているのか、シオンは意外に健脚だ。
そして、クロノと副官、シロ、ハイイロはキャラバンの最後尾だ。
いや……、
「クロノ、手を貸してくれないのかい?」
「ワシにも手を貸してくれんかの?」
キャラバンの最後尾はリオと神官さんだ。
リオは最初からキャラバンの最後尾に陣取り、神官さんはキャラバンの先頭にいたり、中間にいたり、今回のように最後尾にいたりと一貫性がない。
「二人とも自分で登ろうよ」
「仕方がないね」
「仕方がないの」
リオと神官さんは肩を竦め、クロノが苦労して乗り越えた段差を跳び越えた。
もう少し苦労して登って欲しいな、とクロノは肩を落とした。
「ほれほれ、もう少しで休憩所じゃぞ」
「どうすれば、あの服で山道を歩けるんだろ?」
クロノは首を傾げた。
神官さんの服は山道を歩くのに適していない。
ドレスなのだ。
それなのにドレスに汚れ一つない。
「彼女はクロノ的な表現で言えば半神だからね。考えても仕方ないんじゃないかな? まあ、ボクとしてはクロノがきちんと付いて来ていることに少し驚いているのだけれどね」
『大将は何だかんだ言ってタフですぜ』(ぶも~)
「持久力には自信があります」
「持久力、ね」
クロノが胸を張って言うと、リオは薄く微笑んだ。
鼻で笑った訳ではないが、気になる反応だった。
ご満足頂けているとばかり思っていたけど、リオさんはご不満でしたか? と冷たい汗がクロノの背を伝う。
「……あの、リオ?」
「何だい?」
リオは軽く首を傾げた。
「いえ、何でもないです」
誰かに相談は? とクロノは視線を巡らせたが、近くにいるのはミノさんとシロ、ハイイロの三人だ。
ちょっと相談しにくい。
クロノが誰に相談するのか悩んでいる内にキャラバンは休憩所に到着した。
交易路に設けられた休憩所は六カ所、クロノ達がいるのは三つ目の休憩所だ。
一足先に到着した面々はしばしの休憩を楽しんでいる。
これから野営の準備をしなければならないので、あまりのんびりとしていられないのだが。
「う~ん」
クロノは休憩所を見渡して唸った。
休憩所は直径二十メートルほどの更地……円柱状の何かで空間を削り取ったような感じだ。
『天枢神楽』を使えばこんな感じになるかも知れない。
「神官さ~ん!」
「何じゃっ?」
クロノが呼ぶと、神官さんは元気よく手を挙げた。
「休憩所なんだけど、どうやって作ったの?」
「神威術で吹っ飛ばしたに決まってるじゃろ」
神官さんは当然のように言い放った。
「大丈夫かな? こう、毒物的な意味合いで」
クロノは地面を見つめた。
休憩所の地面には草一本生えていない。
いくら神威術で吹っ飛ばしたとは言え、雑草が新たに生えてこないのは如何なものか。
「大丈夫なんじゃないかの?」
神官さんは草が生えていないことを気にしていないようだ。
術者が理屈を理解していなくても術を使える点が神威術のメリットとは言え、かなり不安を覚える。
「あまり細かいことを気にしてるとハゲるぞ」
「は、ハゲ!」
クロノは側頭部を手で押さえた。
「お主、ハゲとるのか?」
「いや、ハゲてないですよ。これは古傷です。ちょっと用事を思い出したので、失礼しますよ」
クロノは側頭部を押さえつつ、神官さんから離れた。
少し離れたシオンの所に向かう。
シオンは足を伸ばして座っていた。
「シオンさん、マッサージしましょうか?」
「あら、お願いできるかしら」
エレインがシオンの代わりに答えた。
エレインが着ている服はドレスでも、事務員風の服でもなく、地味な旅装だ。
「もう、あちこち痛くて仕方がないわ」
「エレインさんって背負子に乗ってなかった?」
クロノは凝りを解そうと背筋を伸ばすエレインの胸から視線を逸らさずに尋ねた。
「背負われているだけでも意外に体力を消耗するのよ?」
「そんな無理しなくても」
「私もそうしたいんだけど、代役を務められる部下がいないのよ」
エレインは深々と溜息を吐いた。
何処も人材不足は変わらないようだ。
「で、マッサージはお願いできるのかしら?」
「マッサージなら、私がするであります!」
エレインは横から割って入ったフェイを胡散臭そうに見つめた。
「大丈夫なの?」
「大丈夫であります! クロノ様からも大好評であります!」
「……じゃあ、お願いしようかしら? あまり痛くしちゃ嫌よ」
マッサージくらいなら大事に至らない、とエレインは判断したようだ。
「僕は小便に」
『俺も』(がう)
『俺も行く』(がう)
クロノがシロとハイイロを連れて休憩所から離れた直後、ぴぎぃぃぃぃっ! と屠殺される豚のような悲鳴が聞こえた。
クロノが茂みに隠れて用を足し終えると、ガサガサと茂みが揺れた。
ピョコンと顔を出したのは狼の頭……狼にしては頭の位置が高いので、ハイイロだろう。
「あれ? ハイイロ、あっちに行かなかった?」
『俺、ここ』(がう)
クロノが振り返ると、ハイイロはクロノの後ろに立っていた。
クロノが首を傾げていると、再び茂みが揺れ、狼の頭が現れた。
「シロじゃないよね?」
『呼ばれた』(がーう)
シロは嬉しそうに尻尾を振りながら、クロノの背後の茂みから出てきた。
「シロとハイイロはここにいる。すると、この方々は?」
クロノが視線を戻すと、二匹の狼が立ち上がった。
ポカンと口を開け、二匹の狼を見上げた。
狼の身長は二メートル以上、ミノタウルスやリザードマンよりも体が大きい。
何よりも特徴的なのが腕の長さだ。
「ば、蛮刀狼!」
『クロノ様、逃げる』(がう)
『殿、する』(がう)
「二人とも待つんだ! 僕の知識が確かなら、猛獣は逃げる相手を本能的に襲ってくるらしい。猛獣と遭遇した時はじっと相手を睨み……」
クロノは蹌踉めいた。
シロとハイイロがクロノの肩を引っ張ったのだ。
直後、蛮刀狼の爪がクロノの目の前を通り過ぎた。
「て、撤退!」
『逃げる、逃げる』(がうがう)
『クロノ様、担ぐ』(がーう)
クロノが叫ぶと、シロとハイイロはクロノを担ぎ上げ、撤退を開始した。
「何気に速い!」
『俺達、鍛えてる!』(がう!)
『スピード、自信ある!』(が~う!)
「そうじゃなくて! 蛮刀狼! 蛮刀狼の方!」
シロとハイイロがクロノを担いでいるとは言え、蛮刀狼はシロとハイイロに匹敵するスピードで追い掛けてくるのだ。
「ひぃぃぃぃっ! 数が増えた!」
『『急ぐ、急ぐ!』』((がう!))
三匹目、四匹目の蛮刀狼が茂みから姿を現し、クロノ達を追い掛けてきた。
蛮刀狼は五匹、六匹と数を増し、最終的に十匹にまで数を増やした。
「敵襲! 敵襲!」
シロとハイイロは休憩所に到着するなり、クロノを放り投げた。
クロノは既視感を覚えながら、ごろごろと地面を転がった。
クロノはすぐに立ち上がり、剣を構えた。
だが、そんなクロノの両脇を上下に分断された蛮刀狼が通り過ぎた。
レオンハルトが先陣を切っていた蛮刀狼を両断したのだ。
クロノは周囲を見渡した。
副官は雄叫びを上げてポールアクスを振り回し、フェイは流麗な体捌きと剣術で蛮刀狼を圧倒していた。
シロとハイイロは見事な連携で蛮刀狼に対抗している。
スーの戦いも見事だった。
刻印を浮かび上がらせたスーは緩急のある動きで蛮刀狼を翻弄している。
スーは蝶のように軽やかに舞い、攻撃に優位な位置につくと一転して鋭い一撃を放った。
傭兵隊は非戦闘員を守るように円陣を組んでいた。
傭兵達が『場』を展開している影響で空気が揺らいでいるように見える。
蛮刀狼が非戦闘員に襲い掛かる。
だが、蛮刀狼は円陣の内側に踏み込むことさえできなかった。
傭兵達が展開している『場』に触れた瞬間、蛮刀狼は炎に包まれたのだ。
視界が不意に翳り、クロノは全力で地面を蹴った。
蛮刀狼が地面に着地する。
そして、次の瞬間、蛮刀狼の頭は血煙と化した。
蛮刀狼の頭を吹き飛ばしたのはリオの放った矢だ。
クロノは改めて周囲を見渡した。
蛮刀狼は全滅している。
クロノは無言で剣を鞘に収めた。
※
クロノ達は蛮刀狼の死体を始末した後、野営の準備に取りかかった。
傭兵達は交替で歩哨に立ち、ミノタウルスとリザードマンは慣れない手つきでテントを張る。
食事の準備はシオンが担当した。
もっとも、今回の休憩所は水場が近くにないため、保存食……固パンや干し肉がメインだ。
固パンは何気に役に立ってるよね、とクロノはぼんやりと焚き火を眺めた。
役に立つと言えば養父から貰ったマントも何気に役に立っている。
クロノは目を細め……、
「ハッ、領地を出てから全く役に立っていない」
驚きの新事実に顔を上げた。
クロノは領地を出るまで仕事をしていた。
領主として付き合いのある人達にしばらく留守にする旨を伝え、シッターにティリアの面倒を見るようにお願いし、ティリアに仕事を引き継いだ。
もちろん、寸劇の脚本も書いた。
だが、領地を出てからはどうだろうか。
案内役はスーに、キャラバンのリーダーはレオンハルトにお任せだ。
クロノはミノタウルスやリザードマンに命令する資格がないし、野営の準備にも貢献していない。
戦闘に至っては言わずもがな。
「これじゃ、神官さんと一緒だ」
「ワシ、役に立っとるし!」
クロノが呟くと、神官さんはすかさず突っ込んできた。
「蛮刀狼の死体を片付けたのワシじゃし」
「あれは怖い光景だった」
クロノは神官さんが蛮刀狼の死体を片付けた時のことを思い出し、身震いした。
神官さんの影が広がり、蛮刀狼の死体が飲み込まれていった。
それだけならまだしも何かを噛み砕くような音が影から聞こえたのだ。
状況的に考えれば蛮刀狼の死体が噛み砕かれていたのだろうが、何が神官さんの影に潜んでいるのか非常に気になる所だ。
「いや、物は考えようだ。ゴミや屎尿の処理に使えるんじゃ? けど、何処に消えてるのか分からないのに迂闊なマネはできないか」
「全く、お主は……いや、お主は六柱神をシステムと考えているんじゃったな。それでは畏敬の念なんぞ抱きようがないの」
神官さんは力なく頭を振った。
神官さんもクロノと同じように六柱神をシステムと考えているはずだが、抱いている想いは異なるようだ。
「やっぱり、信仰心がないと神威術は使えないの?」
「いきなり何を言っとるんじゃ?」
神官さんは胡散臭そうな目でクロノを見た。
「どうなの?」
「う~む、六柱神と交感する才能があっても信仰心がなければ交感できんし、信仰心があっても交感する才能がなければ交感できんとしか言いようがないの」
「信仰心と言われてもなあ」
「納得いかんか? う~む、何と言えば分かり易いかの」
神官さんは考え込むように腕を組んだ。
「注意、いや、意識みたいなもんじゃな」
「意識?」
クロノが問い返すと、神官さんは鷹揚に頷いた。
「信仰は、まあ、切っ掛けと言えなくもない。信仰が切っ掛けとなり、神を意識する。その時に才能があれば神の存在に触れられると言う感じかの」
「神威術が使えなくなることは?」
「当然ある。まあ、ワシくらいになると常に交感状態じゃが」
う~ん、とクロノは唸った。
ラジオや無線の周波数が合わないようなものなのか、楽器の調律が上手くいっていないようなものなのか、今一つ判断が付かない。
「対処方法は?」
「さっぱり分からん」
神官さんはきっぱりと言い切った。
「あの娘っ子の場合、問題は解決しているんじゃろ?」
「気付いてたんだ」
神官さんはシオンの事情を知っていたようだ。
「で、お主はあの娘っ子が神威術を使えなくて可哀想とか思ってる訳じゃな」
「まあ、そんな感じ」
クロノは曖昧に肯定した。
「お主はお節介じゃな。本人は意外に気にしていないかも知れんぞ?」
「シオンさんは気にするタイプだと思うんだけどな~」
「お主が相談に乗ったくらいで解決するのなら、自分で解決しとるじゃろ」
神官さんって意外にドライ、とクロノは思ったが、今回は神官さんに従うことにした。
※
蛮刀狼の襲撃から三日後、
「そろそろ、森を抜けるぞ」
「それは何となく分かるよ」
クロノは神官さんの言葉に頷いた。
平坦な道が続き、植物の密度も心なしか薄くなっているのだ。
山歩きに不慣れなクロノでも目的地が近いと分かる。
「お主、口数が減ったの?」
「そりゃ、まあ、因縁の相手と協力しなくちゃいけないからね」
神聖アルゴ王国の協力者はあのイグニス将軍だ。
「それほど心配しなくても良いぞ。イグニスは融通の利かない所もあるが、国のためともなれば過去の因縁一つや二つ堪えるはずじゃ」
「そうかな?」
「そんなに気になるのなら、ワシが取りなしてやろう。ワシとイグニスは長い付き合いじゃからな」
神官さんは得意げに言った。
「で、どんな因縁があるんじゃ?」
「あ、いや、大したことないよ。初陣の時にイグニス将軍の右腕を吹っ飛ばして、親征の時に不意打ちして脇腹に根元まで短剣を刺したくらい」
『大将、イグニス将軍の部下を嬲り殺した件が抜けてますぜ』(ぶもぶも)
「誰じゃ、こんなヤツを呼んだのは!」
神官さんは責任者を呼んだ。
「クロノ殿を選んだのは私だが?」
「人選ミスじゃ!」
レオンハルトが名乗りを上げると、神官さんは至極真っ当なことを言った。
「クロノ殿は今回の作戦に欠かせない人物だよ。それにクロノ殿とて片目と部下を失っているのだよ」
むぅ、と神官さんは押し黙った。
「お主はどうなんじゃ?」
「かなり複雑かな」
どうと言われても困る。
もちろん、イグニスに対して思う所はある。
部下を殺されているのだ。
だが、イグニスがクロノと部下の命を救ったのも事実だ。
※
その日の昼過ぎ、クロノ達は昏き森を抜けたが、そこから先は割とグダグダだ。
合流の日時と場所を決めていなかったため、クロノ達は立ち往生してしまったのである。
神官さんがイグニスの屋敷の場所を知っていたので、移動しようと思えば移動できたのが、ミノタウルスとリザードマンを置いていく訳にもいかない。
そこで神官さんがイグニスを呼びに行くことになった。
指揮官であるレオンハルトが行くのが筋なのだろうが、そこはクロノの戦力の分断は下策という主張が勝った。
夕方、イグニスが馬車に乗ってやって来た。
荷を運搬するための荷馬車を十台引き連れてだ。
イグニスは馬車から降りるなり、鬼のような形相でクロノを睨んだ。
『大将?』(ぶも?)
「大丈夫だよ」
クロノは薄ら笑いを浮かべて副官に答えた。
もちろん、『刻印』はいつでも起動できる状態だ。
ついでに言うと、マントの下で短剣を握り締めていたりする。
イグニスが足を踏み出すと、レオンハルトはイグニスを牽制するようにクロノの前に立った。
「イグニス・フォマルハウト将軍、こうして言葉を交わすのは初めてか。私はレオンハルト、第一近衛騎士団の団長だ。後ろにいるのは第十三近衛騎士団の団長クロノだ」
そう言って、レオンハルトは左手を差し出した。
イグニスは無言でレオンハルトの手を握り返した。
「クロノ殿から聞いている。イグニス・フォマルハウトは理想的な軍人であると」
イグニスは怪訝そうな表情を浮かべた。
それもそのはず。
クロノとイグニスは一度しか言葉を交わしていない。
「私の友から理想的な軍人と評されたイグニス殿ならば、不必要な争いを避けてくれると信じているよ」
「……協力に感謝する」
イグニスはドスの利いた声で言った。




