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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第4部:助走編

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63/202

第15話『Attack on Myra』後編 修正版



 教訓を与えたつもりでしたが、あれは得難い素質かも知れません。

 まさか、あれだけ焦らしたのに、反抗的な態度を貫くとは、とマイラはクロノの執務室に向かう。

 マイラの足取りは軽い。

 セシリーが思い通りにならなかったのは残念だが、楽しみが一つ増えたと思えば足取りも軽くなる。


「クロノ様っ!」

「うげ、マイラ」


 マイラが執務室にはいると、クロノは嫌そうな顔をした。


「好きと仰ったのに、その態度はあんまりではないかと」

「マイラも大概だと思う。セシリーが抗議に来たし」


 おや? とマイラは疑問に感じた。

 あれだけ反抗的な態度を貫いたセシリーが抗議をするとは思えなかったのだ。


「ちなみにセシリーは何も言ってません。顔を真っ赤にして執務室の隅に立っていただけです」

「……」


 本当に無言の抗議を実践するとは面白い娘だ。

 だが、クロノの不興を買うのはマイラにとって面白くない事態だ。

 ここは素直に謝るべきだろう。


「反省してます」

「……マイラ。お願いだから、自重して」


 マイラが素直に謝ると、クロノは懇願するように言った。


「私は完璧なメイドとしてクロノ様にお仕えしたいと考えておりますが、やはり、私も女ですので」

「いや、普通の人はマイラみたいなことしないと思う」

「申し上げにくいのですが、クロノ様は女という生き物に幻想を抱き過ぎではないかと」

「僕は幻想を大事にしたいよ」


 クロノは溜息を吐くように言った。

 クロノは若いので、こうあって欲しいという気持ちを大事にしたいのだろう。


「申し訳ございません。誤解を招きかねない発言でした。では、改めて……私はクロノ様の寝顔を見つめながら淫らな妄想を抱くメスなので、あのようなマネをしました。是非とも、クロノ様には私が救いがたい一面を持つメスと踏まえた上で対応して頂きたく」


 マイラは真正面からクロノを見据え、淡々と言った。


「マイラ、わざとやってない?」

「概ね、事実ですが?」


 クロノは半眼で呻いた。


「事実だとしても、貞淑さが欲しいよ」

「それは、クロノ様専用という意味で?」

「まあ、そんな感じ」


 ドキッと胸が高鳴る。


「つまり、クロノ様は私を独り占めしたいと?」

「そりゃあ、まあ……と言うか、僕以外の男にも手を出すつもりだったの?」

「いえ、そのようなことは決して」


 クロノが呆れたように言ったので、マイラは慌てて否定した。

 独り占めしたい、とそんな言葉が新鮮に響く。

 今まで独り占めしたいと言ってくれた男が何人いたことか。

 クロードはマイラの所有者だったので、独り占めしたいと言わなかったし、その場限りの関係も多かった。


「……貞操帯を付けた方が宜しいですか?」

「いや、そこまでは」

「残念です。私の貞淑さを示す良い機会だと思ったのですが」

「いやいや、貞操帯を付ける時点で貞淑さが感じられないから。むしろ、信頼度と貞操観念のなさを全力で示してるから」


 マイラが肩を落とすと、クロノは突っ込んだ。


「それならばクロノ様が貞操帯の鍵を見つめながら、身悶えする私を想像するというのは?」

「古いんだか、新しいんだか、分からないんだけど……って、貞操帯から離れて。その話は終わり!」

「……」

「そんな拗ねた顔をしてもダメ」


 マイラが身を捩って唇を尖らせても、クロノは取りあってくれなかった。



 遅めの朝食を終え、マイラは食後の香茶を楽しむ。

 この状態に慣れたらダメになりそうですが、とマイラはカップを置いた。


「あんた、何をしたんだい?」

「何のことでしょう?」


 前エクロン男爵の長女……クロノは女将と呼んでいるが……シェーラ・エクロンに聞かれ、マイラは首を傾げた。

 マイラの記憶が確かならばシェーラは三十歳を越えているはずである。

 それなのに胸元が大きく開いたメイド服を着ているのは頑張りすぎではないだろうか。

 しかし、胸の大きく開いたメイド服を着用している点は評価できる。

 正しく自分の武器を理解していると言えるだろう。


「ほら、セシリーだよ、セシリー。怖い顔をしてアンタを睨んでいるじゃないか」

「二人で夜伽をこなし、浴室で教訓を与えましたが?」

「そりゃあ、睨むってもんだよ」


 ふと気になって、マイラは肩越しにセシリーを見る。

 なるほど、セシリーは真っ赤な顔でマイラを睨んでいた。

 怖い顔と言うよりも癇癪を起こす寸前の子どものようで可愛らしい。


「気にする必要はないかと」

「うちの父親もそうだったけど、動乱期を乗り越えた連中ってのは心臓に毛でも生えてるのかね」

「一概にそうとも言い切れませんが」


 南辺境を領地として与えられた時、誰もが不安を覚えたはずだ。

 シェーラが父親を図太いと思っているのならば、それはシェーラの父親が自分が見られていると意識していたからだろう。


「シェーラ様は、どのような経緯でクロノ様の愛人に?」

「その場の勢いって所かね」

「一度きりのつもりで深みに嵌ったと。分かります」


 マイラの指摘は正しかったらしく、シェーラは頬を引き攣らせた。

 マイラは香茶を飲み干し、カップをテーブルに置いた。


「ところで、どのように夜伽の順番を決めているのでしょう?」

「基本的に会議だね。仕事や体調の兼ね合いもあるから、その辺は臨機応変に対処って感じかね。ま、ティリア皇女とケイロン伯爵は自分の順番を賭けて決闘してるけどね」


 なるほど、とマイラは頷いた。



 マイラが練兵場に着いた直後、ティリア皇女はリオ・ケイロン伯爵の一撃を受けて吹っ飛ばされた。

 一撃……いや、一矢と呼ぶべきだろうか。

 もっとも、リオ・ケイロン伯爵の攻撃は一矢などという生易しいものではない。

 リオ・ケイロン伯爵の弓から放たれた翠の奔流……そうとしか形容できないものにティリア皇女は吹っ飛ばされたのだ。

 二人を囲む兵士達から悲鳴が上がる。

 それも当然、ティリア皇女は頭から固い地面に叩きつけられたのだ。

 そのままティリア皇女は二転、三転……ズザーッ! と地面を滑りながら、体勢を立て直そうとする。

 信じられないような頑丈さと執念であるが、体勢を立て直す途中でティリア皇女は力尽きた。

 地面に倒れたまま、ティリア皇女は歯軋りした。


「ぐぬぬぬっ、またしても!」

「いや、うん、もうボクの負けで良いかなと思うよ」


 リオ・ケイロン伯爵は額の汗を拭い、困惑したように手にした弓を見つめた。

 リオ・ケイロン伯爵が手にした弓は神器に違いない。

 神威術『神器召喚』……神の力を宿す武器を召喚する術である。

 個人で扱える大きさでありながら攻城兵器以上の破壊力を持つという洒落にならない兵器だ。

 その神器の攻撃を受けながら、元気に喚いているティリア皇女は城塞よりも頑丈と言えるのではないだろうか。


「勝ちを譲られて、私が喜ぶと思ったか!」

「かなり本気で攻撃したのだけれどね。正直、ここから先は命の奪い合いになるよ」


 リオ・ケイロン伯爵は弓を持つ腕を一振り……神威術によって召喚された弓は翠の光を撒き散らして消えた。


「ティリア皇女が勝負に固執するなら、夜伽の権利はボクが頂くけれど」

「精々、勝ち誇っていろ。この悔しさをバネに私は更なる高みを目指す」


 勝ち誇ると言うよりもリオ・ケイロン伯爵は困った顔をしていた。


「では、次は私が挑戦します」


 マイラは兵士達を擦り抜け、リオ・ケイロン伯爵の前に立つ。


「ボクには戦う理由がないのだけれど?」

「私にはありますが?」

「メリットがないと言っているのさ」

「私にはありますが?」


 マイラが繰り返すと、リオ・ケイロン伯爵は諦めたように溜息を吐き、地面に落ちていた木剣を拾い上げた。


「分かったよ」

「助かります。貴方はとても良い……男性です」


 本当に男でしょうか? とマイラは目を細めた。

 今更ながら、リオ・ケイロン伯爵の骨格や歩き方は普通の男性と違うような気がした。

 今は戦いに集中しなければ、とマイラは好奇心に蓋をしてリオ・ケイロン伯爵と距離を取った。


「じゃあ、始めるよ」

「……ええ」


 マイラは頷き、メイド服に触れた。

 手を離し、もう一度、触り、ポケットを探り、ポーチを探る。

 ポーチから出てきたのは無色透明のクズ宝石である。


「……武器を、忘れました」

「伝説の暗殺者が鈍ったんじゃないのかな?」


 マイラが視線を彷徨わせると、リオ・ケイロン伯爵は呆れたように言って木剣を肩に担いだ。

 その隙を見逃さず、マイラは手にしたクズ宝石を指で弾いた。

 指弾と呼ばれる技だ。

 達人であれば弾いた石で木の板をぶち抜けるらしいが、マイラのそれは当たると少し痛いくらいの威力しかない。

 それも近距離の話だ。

 マイラの弾いたクズ宝石は放物線を描き、リオ・ケイロン伯爵の胸元に向かう。

 そして、クズ宝石は閃光を放った。

 視界が白く塗り潰されるほどの強烈な光だ。

 光を直視した兵士達が悲鳴を上げ、その場に跪いた。

 クズ宝石はマジック・アイテムだ。

 使い捨てタイプの割に値段はそこそこ。

 主な用途は目眩ましだ。

 リオ・ケイロン伯爵はその場に立ったままだが、閃光を直視したのは間違いない。

 マイラは全力で間合いを詰め、撹乱のために投擲用のダガーを放り投げる。

 マイラはリオ・ケイロン伯爵の背後に回り、全力で跳び退った。

 一瞬、いや、半瞬前までマイラがいた場所をリオ・ケイロン伯爵の木剣が通り過ぎる。


「見えているのですか?」

「見えていないさ」


 改めて距離を取ると、リオ・ケイロン伯爵はマイラに向き直る。


「では、何故?」

「一度、背後を取られているからね。空気の流れを読めるように訓練を積んだのさ」


 空気の流れを読んだくらいでマイラを追えるはずがない。


「クロノが言うには物質はとても小さな粒からできているそうだよ。空気も例外じゃないとか。だから、神威術で空気を構成する粒の動きを読んだのさ」

「その状態で何処まで戦えるのか、確かめてみようかと」


 ゆるりとマイラがダガーを構えると、リオ・ケイロン伯爵は降参と言わんばかりに木剣を投げ捨て、諸手を挙げた。


「……降参。ああ、これは演技ではないよ」

「理由を伺いたいのですが?」

「ボクはクロノに嫌われたくないんだよ。形振り構わなければ勝てると思うけれどね。それが理由さ」

「私も形振り構わなければ勝利を収められるかと。もちろん、正々堂々と戦うつもりは毛頭ありませんが」


 そう言って、マイラはダガーを収めた。


「宜しければ」

「遠慮しておくよ。せめて、ベッドの上ではクロノを独り占めしたいからね」


 リオ・ケイロン伯爵は肩を竦めた。



「ぐぬぬぬ、またしても、またしても!」

「……」


 テーブルに突っ伏し、髪を掻き毟るティリア皇女を横目に見ながら、マイラはカップを口に運んだ。

 ティリア皇女の髪は掻き毟る前からボサボサだし、白かった軍服は土で汚れている。

 そんな格好で食堂に入ったものだから、シェーラは嫌な顔をした。


「ティリア皇女、首は大丈夫ですか?」

「ん、少し痛いぞ」


 マイラがカップをテーブルに置いて尋ねると、ティリア皇女は顔を上げて言った。

 普通なら死んでいるはずだが、神威術はかくも偉大だ。


「……今日こそ、勝てると思ったんだが。ぐぬぬ、会議で勝ち取った権利を失ってしまった」


 ティリア皇女が期待に満ちた視線を向けてきたが、マイラは気づかないふりをした。

 それにしても、何処かで見たような? とマイラは首を傾げ、ティリア皇女の姿が賭け事で大枚をスッた傭兵達に酷似していることに気づいた。

 まあ、あえて指摘しようとは思わないが。


「ティリア皇女はクロノ様の何処が気に入ったので?」

「……何処と言われても」


 ティリア皇女は天井を見上げ、


「何処だろう?」


 上半身を捻るように首を傾げた。


「クロノはあまり良い所がないからな。弱いし、臆病だし、女癖が悪いし……」


 ティリア皇女は女癖が悪いの所で柳眉を逆立てた。


「クロノは優しくない。ぐぬ、優しい言葉を掛けてくれないし、わ、私の努力を認めてくれない」


 縛るし、駄乳……、とティリア皇女は消え入りそうな声で言った。

 そうですか、とマイラはティリア皇女から視線を逸らした。


「お前の教育が悪かったんじゃないか?」

「そっち方面の教育はしておりません」


 マイラは否定すると、ティリア皇女は訝しげに眉根を寄せた。


「おかしいじゃないか。こっちに来た時は内向的だったんだろう?」

「過酷な経験を積み、成長したのでは?」


 むぅぅぅぅ、とティリア皇女は唸った。


「成長してないぞ。ダメになっている」

「いえ、私から見れば素晴らしい成長ぶりです」

「過酷な経験は人間性を損なうんだな」

「その点は同意します」


 マイラはカップを口元に運んだ。

 過酷な経験が人間性を磨くのならば世の中はもっと平和だろう。

 むふぅぅぅぅ、とティリア皇女はテーブルに突っ伏した。


「けど、好きなんだ」

「……」


 痒い。背中がむず痒くなるような台詞だ。


「ティリア皇女はいつからクロノ様に好意を?」

「軍学校の演習で負けた後……いや、あの時は、と、と友達だと思っていたんだ」


 青い。ティリア皇女は恥ずかしそうに頬を朱に染めているが、あまりの青臭さにマイラは悶絶しそうだった。


「クロノに好意を抱いていると気づいたのは……レイラがクロノの愛人になった時だ。もの凄い衝撃を受けた」

「……」


 我が弟子よ、素晴らしい寝取りっぷりです、とマイラは見られないようにテーブルの下で拳を握り締めた。


「次に女将、その次は誰だ? 奴隷か、デネブとアリデッドか? ケイロン伯爵の方が先か? ぐぬぬ、私への当てつけか!」

「ティリア皇女は第一皇位継承者だったので、クロノ様は自重されたのでは?」


 成長したと言ってもクロノは根っこの所でヘタレ……一応、後先を考えて行動するタイプである。

 ティリア皇女がクロノを友達だと思っていたように、クロノもティリア皇女を友達だと思っていた可能性も否定できない。


「だが、私が皇位継承権を失って、エラキス侯爵領に来た時、クロノは襲い掛かって来なかったぞ」

「それはクロノ様が真人間だったことの証左では?」


 ティリア皇女はマイラを見つめ、それから顔を背け、再びマイラを見つめた。


「え?」

「何故、そんな不思議そうな顔を? 地位を失ったからと、憎んでもいない相手を襲うのは単なる外道です」


 ティリア皇女は驚いたように目を見開き、打ちのめされたように肩を落とした。


「何か、失敗でも?」

「……クロノに襲い掛かった」


 ピュ~ルリと凍てついた風がマイラとティリア皇女の間を吹き抜けた。


「最初はクロノが襲い掛かってくると思っていたんだ」

「クロノ様が襲い掛かってこなかったので、自分から襲い掛かったと?」

「その通りだ」


 ティリア皇女は耳まで真っ赤にして俯いた。


「……黙るな。何か言え」

「ティリア皇女が羨ましい」

「嘘を吐くな!」


 ティリア皇女は立ち上がり、バンバン! とテーブルを叩いた。

 マイラは香茶が零れないようにカップを持ち上げる。


「経緯はともかく、好きという感情で意中の相手と結ばれたのは素晴らしいことではないかと。私はそういうのありませんでしたので」

「……そ、そうか?」

「そうです」


 マイラが言うと、ティリア皇女は大人しくイスに座った。

 ティリア皇女は打算や駆け引き抜きでクロノと結ばれたのだ。

 その経緯を考えると、マイラは笑い転げてしまいそうになるが、羨ましいと思ったのも嘘ではない。


「そう言われると、照れるな」


 ティリア皇女のやり方を賞賛したつもりはありませんが、とマイラは心の中で付け足した。

 マイラはティリア皇女を羨ましいと感じ、多少の共感を抱きながらも、潔すぎる生き様を肯定できない。

 様子見なしの全額賭けなど考えただけで腸が切れそうだ。

 せめて、リスクを分散したい。


「ティリア皇女、湯浴みの準備が整いました」

「すぐに行く」


 アリッサに呼ばれ、ティリア皇女は立ち上がった。


「また、話そう」

「はい、いつでも声を掛けて下さい」


 すっかり冷めた香茶を飲み干し、


「まったり茶会を楽しんで、どうすると!」


 我に返り、マイラは立ち上がった。

 ティリア皇女から夜伽の順番を聞き出すつもりだったのだ。

 マイラが振り返ると、アリッサが食堂の出入り口の近くに佇んでいた。

 まるでマイラの行く手を阻もうとするかのように。

 アリッサはゆっくりとマイラに歩み寄り、空になったカップに香茶を注いだ。


「……申し訳ありませんが」

「浴室の扉はヴェルナとセシリーが守っています。それから、ティリア皇女は一人での湯浴みを好んでいます」


 アリッサに言われ、マイラは大人しく座った。

 小賢しいやり方だが、情報を与えられた以上、知らなかったは通じない。


「仕方がありません。交渉は後にします」

「そうして下さると、助かります」


 そう言って、アリッサはマイラの対面に座った。


「アリッサさんは」

「アリッサで結構です」


 マイラは頬杖を突き、足を組んだ。

 メイドにあるまじき態度だが、ここは南辺境ではないし、今のマイラは休暇中だ。

 それに腹を割って話そうという姿勢を示す時に礼儀正しさは仇となる。


「アリッサはクロノ様と?」

「旦那様は分別のある方です。相手にその気がないのに……失礼しました。少なくとも私に手を出そうとしたことはありません」

「その気はないと?」

「娘がいます。決して望んだ妊娠ではありませんでしたが、愛しく思っています」


 なるほど、とマイラはアリッサの娘の父親が誰なのか分かったような気がした。


「……アリッサは、どのような経緯で?」

「体調を崩して、お屋敷を解雇され、困窮している所をクロノ様に拾われました」

「ひどい男もいるものですね?」


 アリッサは答えない。

 恐らく、アリッサはクロノの前任者……前エラキス侯爵に乱暴されたか、弄ばれた末に妊娠したのだろう。

 体調を崩した理由もその辺に理由があるんじゃないか、とマイラは邪推する。


「だから、その気はないと?」

「……」


 やはり、アリッサは答えない。

 母親だから、ひどい男に弄ばれたから、アリッサは女らしさを隠そうとする。


「アリッサの意思は尊重しますが、私の生き方も尊重して頂きたいのですが?」

「貴方の生き方が他人に害を及ぼさない限りは」


 アリッサの答えにマイラは笑みを浮かべた。



 昼食を終え、マイラは深々と溜息を吐いた。

 雑談をしながら夜伽の順番を聞き出そうと思っていたのだが、マイラの目論見は外れた。

 湯浴みを終えたティリア皇女は街に遊びに行ったきり、侯爵邸に戻って来なかったのだ。

 子どもですか、貴方は! とマイラは突っ込みを入れたかったが、当のティリア皇女はいない。

 探しに行くという選択をマイラは大して悩みもせずに捨てた。

 それなりに時間を掛ければ見つけられるだろうが、夜伽の順番を聞くのは夕方でも、ティリア皇女でなくても良いのだ。

 マイラは客室のイスに腰を下ろし、本のページを捲った。

 ふと気になって視線を傾けると、セシリーとヴェルナが扉付近に立っていた。

 セシリーとヴェルナはマイラの世話係になっていたはずだが、何故か、二人とも武装していた。

 セシリーの防具は金属で補強した胸当てだ。

 腰から尻までを覆う幅の広い剣帯には長剣と短剣を一振りずつ提げられている。

 ヴェルナは武器を持っていない。

 防具も金属で補強された手甲と長靴だけだ。

 まあ、思い切り殴られたら骨ぐらい折れるだろうし、転倒した所を踏み付けられたら、死にかねない。


「何故、武装を?」

「貴方から身を守るためですわ!」


 マイラが尋ねると、セシリーは顔を真っ赤にして叫んだ。

 今にも剣を抜いて襲い掛かって来そうだ。


「あたしは、まあ、付き合いで」

「そんな薄情なことを仰らないで! これは身を守るための戦いですのよ! 我が国の興廃はこの一戦にありですわ!」

「あたしは関係ねーじゃん」


 セシリーに比べ、ヴェルナは今一つやる気がなさそうだ。


「か、関係ありますわ! 友達、友達ですわよ、私達は! 友達ですわよね?」

「そりゃあ、友達だから、こんな格好して一緒に笑い物になってんじゃねーか」


 ヴェルナは髪を掻き上げ、顔を顰めた。


「笑い物? 私は必死ですわ! 昨日、今日と私がどれほど屈辱的な目に遭ったか!」

「犬に噛まれたと思って諦めろよ」

「犬はあんなマネしませんわ!」

「どちらかと言えば犬はセシリーさんだったのでは? キャンキャン啼いて、実に犬らしかったかと」


 マイラが指摘すると、セシリーは打ち上げられた魚のように口を開けたり、閉じたりした。


「事情は分かったけど、そういうことは戦ってもしたくないって示すだけで十分じゃねーの?」

「他人事のように言いますわね」

「ちゃんと親身になって考えてるだろ。まさか、本気で戦うつもりじゃねーよな? 万が一、勝っても得るものなんてねーぞ。あたしは嫌だぜ、今の安定を手放すのは」


 うぐぐぐ、とセシリーは呻いた。


「セシリーさん、夜伽の順番を教えて頂きたいのですが?」

「どうして、私が教えなくちゃいけませんの!」

「あたしが教えるから良いよ」


 ヴェルナは面倒臭そうに言って、マイラに歩み寄った。


「秘密になっているのでは?」

「次の日のことを考えると、秘密にするのは無理だろ。着替えの件もあるし、料理長が夜伽を務める時は代役を立てなきゃなんねーしさ。じゃ、言うぜ? まず、今夜は……」


 マイラは机の上に置かれていた紙に夜伽の順番を書く。

 紙を客室の机に置くという発想はエラキス侯爵領ならではのものだろう。


「今日の夜伽は我が弟子ですか。練兵場にはいなかったと思うのですが?」

「あの人は街道の警備をしてるからさ。最近は少し遠出してるっぽい。代わりにケイン隊長が近場を警備することが多くなったかな?」


 さて、我が弟子は交渉に応じてくれるでしょうか? とマイラは考える。

 交渉に応じてくれるか分からない。

 立場を笠に着るのは難しいだろうし、舌先三寸で丸め込むのも難しそうだ。


「ここは誠実にお願いすべきではないかと」

「……師匠なんじゃねーの?」

「師匠である前に女ですので」


 マイラは胸を張って答えた。

 威厳や矜持というものは自分の都合の良い時に使うものなのだ。



 夕刻……侯爵邸の厩舎を足を運ぶ。

 厩舎には三十頭くらい馬がいた。

 ここにいない分も含めれば五十頭ほどいるのではないだろうか。

 兵士の姿はない。

 三人の子どもが馬の世話をしているだけ……いや、厩舎には兵士が一人いた。

 我が弟子……レイラである。


「教官?」

「久しぶりですね、我が弟子」


 マイラが呼びかけると、レイラは驚いたように目を見開いた。

 と言っても、注意しなければ判らない程度の変化だが。

 マイラはレイラに歩み寄った。

 ヴェルナから遠出をするようになったと聞かされていたが、なるほど、近づくと土埃の臭いがした。

 大体、二日から三日くらい水浴びをしていない感じだろうか。

 マイラはレイラを見つめた。

 南辺境で出会った頃よりも良い空気を身に纏っている。

 端的に言えば自信だろうか。

 女として求められ、兵士として認められている。

 高い教養を身に付け、実践的に使いこなしていることも無関係ではないだろう。


「良い顔をするようになりました。我がメイド道の後継にと考えていましたが、それも必要ないかも知れません」

「いえ、教官のお陰です。頂いた服は……時々、役に立ってます」


 夜伽の時に着ていると? 分かります、とマイラは心の中で答えた。


「何故、教官がエラキス侯爵領に?」

「クロノ様に会うために休暇を頂きました。聞けば我が弟子……今晩は貴方が夜伽を務めると聞いていますが」


 マイラはレイラの両肩に優しく手を置いた。


「代わって下さい。もちろん、私がリオ・ケイロン伯爵と決闘の末、勝ち取ったティリア皇女の権利と交換です」

「……」


 レイラは無言だった。

 貴方も疲れているでしょう。

 そんな汗と埃に塗れた姿で夜伽を務めるなど……、とそんな台詞の数々が喉元まで迫り上がる。

 だがしかし、そんな薄っぺらい言葉で、自分さえ信じられない言葉で他人の心を動かせるだろうか。

 否、断じて否である。

 今までクロフォード男爵領の発展に尽力した。

 マイラが働いている間に知り合いは次々と結婚して家庭を築いた。

 おまけにクロードは結婚して以来、マイラに手を出そうともしない。


「……そろそろ、私も自分の幸せを追い求めても良い時期ではないかと。正直、独り寝の夜は寂しいのです」


 レイラは無言だった。



 暇を持て余しつつ、あっと言う間に二週間が過ぎた。

 ティリア皇女と香茶を飲み、弟子のレイラと話し、逃げるデネブとアリデッドを追い掛け……過ぎてみれば一瞬だが、賑やかで楽しい休暇だった。

 本当に楽しい休暇でした、とマイラは侯爵邸を見上げた。

 振り向けば二週間前よりも精悍さを増したジョニーが馬車の御者席で待機していた。

 ジョニーは男らしくなった。

 技量が向上した訳ではない。

 きっと、ジョニーは理解したのだ。

 才能に恵まれない以上、人よりも多く無様を晒さなければならないと。


「……クロノ様、名残惜しいですが」

「マイラ、息遣いが荒くて怖いよ」


 マイラが抱き締めると、クロノは震える声で言った。


「クロノ様の一言は何気に心を抉ります」

「ごめん」


 マイラが離れると、クロノはゆっくりと手を差し出した。


「……握手」


 はい、とマイラは頷き、クロノの手を握り返した。


「またね」

「また、お会いしましょう」


 もう来なくて結構ですわ! とセシリーが叫んでいたが、無視した。

 マイラが馬車に乗ると、ジョニーはゆっくりと馬車を進ませた。

 マイラは二週間の出来事……正確には夜伽の記憶を反芻する。

 正直、恋人のように振る舞っていた記憶はかなり恥ずかしい。

 しかし、その前段階……ベッドでクロノに膝枕したのは悪くない。

 我が弟子は満たされた日々を送っているようです、とマイラは頷いた。

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