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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第4部:助走編

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第13話『善意は悪意に似る』修正版



「悩み事でもあんの?」


 突然、ヴェルナに問い掛けられ、セシリーはパンを千切る手を止めた。

 使用人用の食堂はざわめきに満たされている。

 寝不足のせいか、ざわめきが遠く感じられる。

 耳栓をするか、無色透明な布を何枚も被ったら、こんな感覚になるかも知れない。


「何でも、ありませんわ」

「まあ、話して楽になることもあるからさ。いつでも相談してくれよ」

「ええ、感謝しますわ」


 おう、とヴェルナは照れ臭そうに頭を掻いた。

 相談できればどれほど楽か、とセシリーはパンを口に運んだ。


「二人とも年末年始の予定は?」

「何かあんの?」


 ヴェルナが問い返すと、アイパッチは鼻から息を吐いた。


「くふふ、今年の年末年始は連休があるんだよ。この機会に実家に帰るも良し、ダラダラ過ごすも良し、働いて年末年始の特別手当を貰うも良し」

「んなこと言ってたっけ?」


 ヴェルナが怪訝そうに眉根を寄せる。


「去年はクロノ様も忙しかったからね。けど、今年は違うんだよ。休んでもお給料を減らされないクロノ様公認の特別休暇!」

「へ~」


 ヴェルナは考え込むように腕を組んだ。

 多分、ヴェルナが選ぶのは三つ目……働いて年末年始の特別手当を貰う、だろう


「ん~、あたしは帰る家もないし、ダラダラするのも性に合わないし、働いて金を稼ぐかな。そっちはどうすんの?」

「あたしも帰る家がない派で、今年はダラダラ過ごす予定。ま、どちらかと言うと実家に帰る方が少数派だね」

「セシリーは?」

「帰れるくらいなら、ここにいませんわ」

「そうか」


 ヴェルナは嬉しそうに瞳を輝かせた。

 セシリーはヴェルナの様子を横目に眺め、溜息を吐いた。

 昨夜のメニューは何だったかしら、とセシリーは考える。

 昨夜のメニューさえ思い出せないのにクロノに囁かれた言葉は一言一句思い出せるのだ。

 セシリーは頭を振り、名状しがたい疼きを呼び起こす記憶を振り払った。

 ここは使用人用の食堂だ。

 ここで夢の内容を思い出すなんて不適切であるし、メイドにあるまじき不真面目さだ。

 ああ、ヴェルナさんに侮蔑の視線を向けられるなんて耐えられませんわ、とセシリーは溜息を吐いた。

 ヴェルナは言葉遣いが乱暴だし、喧嘩っ早い。

 おまけに犯罪者だ。

 けれど、犯罪者でありながらヴェルナは真っ直ぐな性根の持ち主なのだ。


「そう言えば、クロノ様が心配してたぜ」

「……」


 欠点は男の趣味が悪い……いや、男を見る目がない所だ。

 いやいや、クロノは見るべき所がある男なのだ。

 自分の信念を持っているし、それを貫くために努力を続けている。

 自分が好きだと感じる人々を守る。

 口で言うのは容易いが、どれほどの苦労が結果を伴わせるために必要なのか。

 平民であれば、ただの領主であれば可能かも知れない。

 だが、彼は指揮官なのだ。

 彼が選んだ道は絶望的に困難な道のりだ。

 見るべき所は確かにある。

 だが、それはそれ、これはこれである。

 彼はおかしい。

 常軌を逸しているとしか思えない。

 しかし、そんな男を好い人とか思っているヴェルナにどう伝えれば良いものか。

 真実を伝えてもヴェルナは信じないのではないだろうか。

 所詮、人間は信じたいものを信じる生き物なのだから。


「おい、セシリー?」

「だ、大丈夫ですわ!」

「そうじゃねーよ」


 ヴェルナはパタパタと手を左右に振って否定する。

 見ればメイドの数が減っていた。

 今いるのはセシリーとヴェルナ、夜勤明けのメイドだけだ。


「い、急いで食べますわ」


 セシリーは握り締めて小さくしたパンを残ったスープで流し込んだ。


「お前、そんなに早く食べられるんなら普段からそうしろよ」

「こんな食べ方をしたら育ちを疑われますわ。この食べ方だって、軍で仕方なく身に付けたものですもの」


 セシリーは手早く自分とヴェルナ二人分の食器を重ね、食堂の隅に向かう。

 そこに置かれた大きな樽に二人分の食器を入れた。



 視線を感じる。

 舐めるような、邪悪な意図を含んだ視線だ。

 振り向くと、クロノと目が合った。

 すぐにクロノは気まずそうに俯いた。

 クロノの表情は数日前に比べれば穏やかだ。

 しかし、セシリーはクロノが穏やかな表情の下で何を考えているのか知っている。

 クロノは掃除をするセシリーを見ながら、常軌を逸した妄想に耽溺していたに違いないのだ。

 なんて男ですの、とセシリーは体の芯が熱くなるのを感じた。

 クロノの頭の中でセシリーは辱められているのだ。


「何か仰ったらどうですの?」

「また、この遣り取り?」


 セシリーが問い掛けると、クロノはうんざりしたように頬杖を突いた。


「……僕の記憶が定かなら、セシリーは謝罪の言葉を口にしたはずだ。あれから一週間も経ってない」

「ええ、今までのことを謝罪しましたわ」


 けれど、とセシリーはクロノに歩み寄る。

 チラリとヴェルナを見ると、彼女は山積みになった箱……ドワーフや街の職人から贈られた品物だ……を移動させていた。

 クロノは領地の発展に有益と判断すれば職人に資金を提供するらしい。

 まだ、個人として資金提供を受けた職人はいないが、もう一つの効果を狙って職人達は次々と自分の作品を贈る。

 その効果とは知名度の向上だ。

 アイパッチの話によると、クロノは領主になった際に宝物庫の中身を盛大に売り払ったらしい。

 廊下に飾られていた壺や彫刻まで売り払ったと言うから徹底している。

 通路が殺風景とでも考えたのか、最近になって、クロノは空きスペースや応接室に壺などを置くようになったらしい。

 侯爵邸には多くの客が訪れる。

 当然、その客はふと目に付いた作品の詳細をクロノに尋ねる。

 クロノは作品の詳細とそれを作った職人について説明する。

 その後、商人は自分から職人の元を訪れるという寸法だ。

 それはさておき、


「今、頭の中で私を辱めてますのね?」

「……」


 セシリーが耳元で囁くと、クロノは深々と溜息を吐き、頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てる。


「良いこと? この間、耳元で囁いたことを私にしようとしたら、舌を噛んで死にますわよ? もちろん、ヴェルナさんに同じことをしようとしても」

「僕がヴェルナに手を出したら、セシリーが舌を噛んで死ぬの?」

「決して許さないという意味ですわ」


 ヴェルナさんを守って差し上げなければ、とセシリーは吐息が掛かるほどの距離でクロノを睨み付けた。


「折角、良好な関係を築けたと思ったのに」

「私だって、そう思っていましたわ」

「どうして、波風を立てるようなマネをするのかな?」


 クロノが薄く笑う。

 まだ、クロノはこちらを侮っている。

 本気ではない。

 本気ならば笑わないはずだ、とそう考えながらもセシリーは身構えていた。


「な、何ですの?」

「ヴェルナが怖い顔で見てるな~、と」


 セシリーは飛び退り、ヴェルナの方を見る。

 すると、ヴェルナは不満そうな表情を浮かべてセシリーを見ていた。


「サボるなよ」

「分かってますわ!」


 セシリーは元の位置に戻り、掃き掃除を再開した。

 肩越しに背後を見ると、クロノが薄い笑みを浮かべていた。



 メイドの役割は屋敷の維持である。

 メイド長であるアリッサが求める水準は不意の来客があっても主人であるクロノに恥を掻かせない程度である。

 突き詰めればキリがないが、無難に仕事をこなしていれば問題ない

 。メイドの役割は屋敷の維持であり、その仕事とは終わらないワルツのようなものだ。

 セシリーの実感としては、と但し書きが付く。

 まず、クロノの執務室を掃除する。

 その後は風呂の掃除を無難にこなし、厨房の掃除をこれまた無難にこなし、事務室のゴミを侯爵邸の庭にある紙工房に移す。

 最後に地獄の水運びだ。

 セシリーが水を運び終えると、いつもの場所にヴェルナの姿はなかった。

 胸騒ぎを覚えて視線を巡らせると、ヴェルナがクロノと楽しそうに何かを話していた。

 セシリーに気づいたのか、クロノは薄い笑みを浮かべてヴェルナの頭を撫でた。

 ヴェルナは嬉しそうな、恥ずかしそうな、微妙な表情だ。

 好きな男に子ども扱いされたら、あんな顔をするかも知れない。

 クロノはヴェルナに軽く手を振り、セシリーに近づいてくる。

 クロノは薄く笑みを浮かべ、擦れ違い様にセシリーの肩を軽く叩いた。

 私をバカにしてますの? それとも、別の意図が? と考えを巡らせていると、ヴェルナは気まずそうにセシリーの前に立った。


「は、早かったじゃん」

「何を話してましたの?」


 え? えへへ、とヴェルナは誤魔化すように笑った。


「いや、大したことは話してねーよ。仕事の様子とか、セシリーの様子とか、色々と質問されただけ。あ、飴も貰ったからやるよ」

「いりませんわ。ヴェルナさんがお食べなさい」

わりぃな」


 ヴェルナは申し訳なさそうだ。

 こんな素直な良い娘を飴一つで誑かそうなんて、とセシリーはクロノに対して怒りを覚えた。

 ここは嫌われても忠告すべきですわ。

 何もせずにヴェルナさんが食い物にされたら、自分で自分を許せなくなってしまいますもの。


「ヴェルナさん、これは友人としての忠告なのですけれど」

「え?」

「何ですの?」


 今の台詞に聞き返す部分はなかったはずだ。

 ヴェルナの反応に納得できず、セシリーは問い掛けた。


「あたし達、友達なのか?」

「と、と友達ですわ、友達! 同じ部屋で暮らして、口喧嘩したり、殴り合ったり、仲直りしたり、友達と言わずして何と言いますの?」


 セシリーはムキになって叫んだ。

 この関係を友達と言わなかったら、何を友達と言うのか。


「……同僚?」

「と、も、だ、ち、ですわ!」


 しばらく沈黙した後、ヴェルナが自信なさそうに小首を傾げたので、セシリーは大声で叫んだ。


「じゃあ、友達で良いよ」

「何ですの、その面倒臭そうな口調は? ちゃ、ちゃんと友達って言って下さらないと泣きますわよ!」

「いや、もう涙目じゃん」


 セシリーは心が挫けそうだった。


「百歩譲って友達だとして」

「百歩も譲る気ですの、百歩も!」

「じゃ、十歩で」

「普通に認めれば良いじゃありませんの!」

「仕方がねーな。じゃあ、友達だ」

「初めから、そう言えば良いじゃありませんの」


 仕方がないという言葉が凄く気になったが、セシリーはひとまず胸を撫で下ろした。

 チン、とヴェルナが親指で何かを弾く。

 反射的に受け取ったそれは真鍮貨だった。


「パンを買ってきてくれよ、友達」

「それは使いっ走りですわ!」


 ヴェルナはセシリーの肩を叩いた。


「ノリが良くて助かったぜ」

「少し、実家に帰りたくなりましたわ」

「で、忠告ってなんだよ?」


 見捨てても良いような気がしてきましたわ、とセシリーは深々と溜息を吐いた。


「あ、あの、クロノ様はヴェルナさんに相応しくないと思いますの」


 おう、とヴェルナは頷いた。


「クロノ様は……ちょっと耳を貸して下さらない?」


 セシリーはヴェルナの耳元でクロノに囁かれた言葉を口にした。


「マジで半端ねーな」

「そうでしょう」


 セシリーは今度こそ安堵した。

 そういうのも興味がない訳じゃねーし、とヴェルナに言われたらどうしようかと思っていたのだ。



 その夜、セシリーは久しぶりに夕食を堪能した。

 あの悪夢は続くだろうが、セシリーは友人であるヴェルナを守れたのだ。

 セシリーは晴れやかな気分でベッドに横になった。

 ふと横を見ると、エプロンドレス姿のヴェルナがいた。

 湯浴みもして寝るばかりという状況なのに明らかに不自然だ。


「ヴェルナさん、寝ませんの?」

「ん、クロノ様に呼ばれてるから」


 ぬあっ! とセシリーは飛び起きた。


「な、なんで、呼ばれてますの?」

「さあ?」


 この前は夜更けに男の部屋を訪ねることに危機感を覚えると仰ってましたのに、とセシリーはヴェルナの変わりように不自然さを覚える。

 いえ、これは……あの男に騙されているんですわ。幾ら過酷な人生を歩んでいるとは言え、ヴェルナさんは子どもですもの。クロノ様ならば赤子の手を捻るようにヴェルナさんを騙せるはず。もう一度、ガツンと言ってやる必要がありますわね、とセシリーは使命感に燃えて立ち上がった。


「ヴェルナさん、私が行きますわ」

「え?」

「私が、行きますわ」


 セシリーはヴェルナの両肩を叩いた。

 かつてないほど気力が充実している。

 人は守る者を得た時、真の強さを手に入れるのだ。

 エプロンドレスに着替え、セシリーはクロノの部屋に向かった。



「ん、トイレ?」

「おう」


 ヴェルナが使用人用のトイレから出ると、眼帯をしたエルフに声を掛けられた。

 セシリーがアイパッチと呼んでいたので、それに倣ってアイパッチと呼ぶことにする。


「アンタは?」

「ちょいと寝付けなかったから歩いてるだけ。そう言えば、セシリーが上に行く所を見たけど?」

「苦労したんだぜ」


 ヴェルナは胸を張った。

 最近、セシリーは様子が変だった。

 夜中に奇声を上げて目を覚まし、時々、クロノ様と熱っぽく呟くのだ。

 ベッドが揺れているのを見て……まあ、んなことをされたら、バカでも分かる。


「セシリーはクロノ様に惚れてるな」

「おお、嫌い嫌いも好きの内ってヤツね」

「クロノ様もセシリーのことを心配してたから、一肌脱いでやったんだよ。まあ、面と向かってクロノ様にあたしが相応しくないって言われた時はムッとしたけどさ」


 それほどクロノに執着しているのだろう。


「へ~、ヴェルナはクロノ様のことを好きじゃないの?」

「好きだぜ。何と言うか、人間的に好ましいって意味で」


 最初は愛人になってとか考えてもいたが、ティリア皇女に言われて反省したのだ。

 クロノが何をしてくれるかじゃなく、クロノに何をしてやれるかを考えるべきだ、と。


「でも、クロノ様も大変だな」

「何が?」

「いや、こっちの話」


 まさか、あんな性癖をセシリーが持っているなんて、とヴェルナは耳元で囁かれた言葉を思い出した。

 まあ、半分くらい聞き流していたが、セシリーの名誉のためにも言うべきじゃない。


「ヴェルナって良いヤツ」

「これでも、あたしはセシリーの友達だからな」


 ヴェルナは自分の友達っぷりに満足して笑った。

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