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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第3部:雄飛編

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第6話『花の都』


 帝国暦四百三十一年五月……クロノはハシェルの南側にある畑を眺めていた。

 一辺が百メートルの畑が三つ、一つは木の枝が伸びていて、残る二つはビート畑だ。

 無事に種まきも終わり、可愛らしい緑の葉が地面から生えている。

 あれ? とクロノは首を傾げた。

 おかしい。

 紙の原料となる木を栽培するための畑だったのにビート畑が二つもある。


「……シオンさん?」

「どうかなさったんですか?」


 クロノが問い掛けると、シオンも不思議そうに首を傾げた。


「クローバーの栽培はどうかな?」

「はい、問題ありません。ただ、クローバーを食べさせると、家畜の育ちが良いという噂が流れているらしくて、ほ、他にも乳の出が良くなるとか。私が試した時は、そこまで確認していなくて」


 自分を責めているのか、シオンは俯いて肩を震わせた。


「理屈は分からないけど、気にする必要ないんじゃないかな」

「そうですか?」


 クロノがシオンと畑を眺めると、カチャリと小さな音が響いた。

 振り向くと、そこには完全装備のタイガが立っていた。

 防具は新調され、腰のベルトにはポーチが二つ着けられている。

 ポーチの中身は応急処置を施すための道具一式と固パンである。


『クロノ様、出発の準備が整ったでござる』(がう)

「すぐに行くよ。シオンさんは畑の管理と救貧院の経営をよろしく」


 城壁伝いに門のある場所に出ると、箱馬車が一台、幌馬車が十台、その周辺を取り囲むように騎兵が七騎並んでいた。

 七騎中六騎はフェイが率いる軽騎兵、残る一騎は弓兵から弓騎兵に華麗なジョブチェンジを果たしたレイラだ。

 レイラが装備しているのは短めの機工弓で、これはゴルディが工房の倉庫に保管していたものだ。

 弓兵が装備している機工弓に比べると、射程と破壊力に劣るが、至近距離なら鋼の鎧を貫通する威力があるらしい。

 たった一騎の弓騎兵が戦況を左右するとは思っていないが、レイラは優れた視力の持ち主なので斥候として申し分ない働きをしてくれるだろう。

 その他、タイガ率いる歩兵が四十人、エルフとハーフエルフの弓兵が十人という構成である。


「むぅ……どうして、私が留守番をしなければならないんだ」

「ティリア、自分の立場を理解してる?」


 ティリアはクロノに歩み寄ると、不満そうに唇を尖らせた。


「私が果たすべき役割は新貴族との関係強化だ」

「いや、多分、それって転地療養と同じレベルの建前だと思うんだけど。でも、暗殺されてないってことは利用価値があると思って泳がされているのかな?」

「ほ、本人を目の前に暗殺とか言うな!」


 ティリアは顔を真っ赤にして怒鳴った。


「大体、お前はデリカシーが足りない! 昨夜だって! 昨夜だって……もう少し優しくしてくれても良いじゃないか」


 ティリアは恥ずかしそうに頬を染め、不満そうに呟いた。


「早く戻って来てくれよ」


 次に声を掛けてきたのはケインだった。


「最低でも二ヶ月は戻って来れないよ」


 クロノが言うと、ケインは深々と溜息を吐いて髪を掻き毟った。


「領主代行なんざワイズマン先生か、そこの皇女様に任せりゃ良いじゃねーか」


 そんなことを言いつつ、しっかりと仕事をするのがケインなのだ。


「そんな勤勉なのに、どうして盗賊なんてやってたの?」

「俺のことは良いから、生きて戻って来いよ」

「大丈夫であります」


 ケインの台詞に反応したのはフェイだった。


「クロノ様は私がお守りするであります」

「んなこと言って、盗賊に袋叩きにあったんだろ?」

「あの時のままではないであります!」


 フェイは馬上で胸を張って言った。


「ほら、さっさと乗っちまいなよ」


 箱馬車の扉を開け、普段より露出度を抑えた女将が言った。


「気合い入ってるね?」


 クロノは箱馬車に乗り込み、女将を見つめながら言った。


「久しぶりの里帰りなもんでね」

「女将って南辺境の出身なの?」

「言ってなかったっけかね。城で働いている時に軍人だった旦那と知り合ってね。エラキス侯爵領に転属ってんで、追い掛けて強引に口説き落としたんだよ。いや、あん時はあたしも若かったね」


 そこから苦労して二人で店を建てたのか、とクロノは照れ臭そうにする女将を見つめた。


「……旦那さんに申し訳ないことしちゃったな」

「どうして、アンタが申し訳なく思うんだい?」

「そんな熱愛の末に結ばれたのに寝取っちゃったから」


 クロノが見つめて言うと、女将は顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。


「な、なな、何を言ってるんだい!」


 女将はクロノから顔を背けた。


「さあ、出発だ」


 箱馬車の扉を閉め、クロノは右目を撫でながら呟いた。



 ケフェウス帝国の東北、ベテル山脈と海に挟まれた地域に存在する十の都市国家は自由都市国家群と総称されている。

 自由都市国家群の成立は帝国暦四百年にまで遡る。

 当時、ケフェウス帝国は皇兄派と皇弟派に分かれて内戦を繰り広げていたが、帝国北東部の領地を治めていた十人の貴族はどちらの陣営にも加わろうとしなかった。

 彼らが動いたのは蛮族が帝国に侵入し、混乱に拍車が掛かってからだ。

 いや、それ以前から彼らは自分達の目的を果たすために水面下で準備を進めていたのだ。

 その目的とは帝国からの独立だった。

 だが、彼らとて馬鹿ではない。

 交通の要地を抑え、莫大な財産を有していても、それを守る力がなければ何の意味もないと理解していた。

 まず、彼らは駐留していた軍を懐柔した。

 もっとも、当時の軍は領主の私費で維持されていたから、帝国に寝返らないように雇用条件を引き上げ、裏切りそうな人物を排除したくらいだろう。

 次に自衛の名目でベテル山脈に住んでいた蛮族を傭兵として雇い入れ、戦力の増強を図った。

 ケフェウス帝国黎明期にベテル山脈に追いやられた歴史的経緯から反発する者も少なくなかったらしいが、貧困から逃れるために傭兵として生きる道を選んだ。

 そして、彼らは独立を宣言した。

 経済・軍事同盟を結び、自由都市国家群と呼ばれる勢力を築き上げたのである。

 その後、十人の貴族の内、ある者は商人として栄華を極め、ある者は商人の娘を妻として迎え、ある者は没落して、その地位を奪われた。

 どの貴族も商人と浅からぬ縁を持っていた点を鑑みれば本当に独立を欲していたのが誰なのか察しが付く。

 以上の経緯を踏まえると、経済・軍事同盟の影響が及ぶ範囲……勢力圏こそが自由都市国家群であると言える。

 まあ、この連中は自分達こそ自由都市国家群って言いかねないけど、とエレインは穏やかな笑みを浮かべて十一対の視線を受け止めた。

 自由都市国家群東端の都市・イーメイは香辛料や絹などの交易で古くから栄えた街である。

 エレインがいるのはイーメイの中心部にある館の一室だ。

 その館はケフェウス帝国の元貴族であり、イーメイの商人ギルドを支配するソークの住居でもある。

 目眩を起こしそうなほど高い天井と寒々しささえ感じさせる広い室内……中心に馬蹄型の机が置かれ、ソークは自由都市国家群の中央に、十人の男が左右を固めるように座している。

 ソークを含めた十人の男は各都市国家の元首であり、都市国家の全商人を支配するギルドマスターだ。

 取り扱っている商品に違いはあっても、やっていることは基本的に変わらない。

 職人を囲い込み、商人を支配して共存共栄の名の下に商品の価格を設定し、逆らった職人と商人をあらゆる手段を講じて排斥する。

 商人ギルドのギルドマスターとはそういうものなのだ。

 ちなみにエレインの席はない。

 エレインは都市国家を治める元首ではないし、ギルドマスターと言っても娼婦という限られた職業を纏めているだけに過ぎないという理屈らしい。

 その理屈通りならば傭兵ギルドのギルドマスターも席に座る資格はないはずだが、娼婦と傭兵では自由都市国家群に対する貢献度が違うそうだ。

 娼婦が自分達と肩を並べるのが気に食わないって言えば良いのに、と考えながらもエレインは穏やかな笑みを崩さなかった。

 自分の立場を弁えていると思われていた方が今は都合が良いし、些細な情報でも海千山千の爺さんどもに与えるつもりはない。

 情報は金と同等の価値を持つ。

 ベッドの上で漏らす一言、情事の前、その後で男達と交わす他愛もない遣り取り……そんな言葉に価値があると気づき、それらを利用してエレインはのし上がってきた。

 今も規模が大きくなっただけでやっていることは一介の娼婦だった頃と変わらない。

 自由都市国家群やケフェウス帝国にある息の掛かった娼館から情報を集め、高く買ってくれる相手に売る。


「……エラキス侯爵領の様子はどうだった?」

「あまり前と変わらないわよ」


 労いの言葉の一つも掛けて欲しいわね、とエレインはソークに答えた。


「そのようなことを聞いているのではない! 紙はどうだったかを聞いているのだ!」


 机の端に座っていた老人が顔を真っ赤にして叫んだ。

 老人……トロワ・クラフトはケフェウス帝国に紙を輸出している。

 紙だけを扱っている訳ではないのだが、クロノを商売敵として認識しているのだ。


「心配する必要はないんじゃないかしら? 紙を造っていると言っても、侯爵邸の庭に小さな工房を構えているだけだもの」


 今はね、とエレインは心の中で付け加えた。

 クロノの紙工房は生産量が限られているが、今よりも大きな工房を構えたり、製法が公開されて帝国各地で紙を生産するようになったりすれば、トロワの紙など誰も買わなくなるだろう。


「……砂糖も作っていると聞いたが?」


 ソークが言うと、ガタッ! と誰かが体を震わせた。


「ええ、作っているみたいね。マイルズから聞いた話によれば黄土神殿の神官を囲い込んだみたいよ」


 それだけじゃなくて塩も作っているのよね、とエレインは心の中で付け加える。

 どちらも今は問題ないが、砂糖の原料となる野菜を作る畑の面積が増えれば砂糖を取り扱っているギルドは大打撃を受けるし、神聖アルゴ王国に塩を輸出するようになれば塩を取り扱っているギルドも大打撃を受ける。

 つまり、クロノが領地を繁栄させればさせるほど自由都市国家群のギルドは衰退していくのである。


「……エラキス侯爵は女好きと聞いたが?」

「ええ、エロガキよ」


 誘っても寄ってこないけど、胸とか、太股とか見てるのよね、とエレインはソークに答えた。


「でも、一応、分別はあるみたいよ?」

「……厄介な男だ」


 ええ、あの子は奴隷も躾けられないほど甘いけれど、何を背負っているか理解しているし、そのためになら何でもする悪魔みたいな子よ。あのゾッとするほど冷たい目を一度でも見ていたら、そんな所で安穏としていられないわよ、とエレインは穏やかな笑みを維持した。

 痛々しいほどの沈黙が舞い降りる。


「まあ、まあ、そんな深刻な顔をせずとも良いではありませんか」


 沈黙を破ったのはでっぷりと肥え太った中年男だった。

 布を頭に巻いた男は奴隷商人……奴隷だけを取り扱っている訳ではなく、金貸しも営んでいる。

 ある意味で、この男こそ自由都市国家群の象徴かも知れない。

 一介の商人から自分の才覚と幾ばくかの幸運に恵まれ、ギルドマスターの地位にまで成り上がったのだから。

 他のギルドマスターと違い、この男はクロノの領地が発展すれば自分の利益に繋がると考えているのだろう。


「ここでエラキス侯爵の処遇について話し合っても意味がない。エレイン、下がれ」

「ええ、そうするわ」


 労いの言葉一つ掛けてくれてもバチは当たらないでしょうに、とエレインは穏やかな笑みを浮かべたまま部屋を後にした。

 白い、ただ白いだけで生活感のない廊下をエレインは穏やかな笑みを維持したまま歩いていた。

 エレインは立ち止まり、


「……私に何か用かしら?」

「ああ、エラキス侯爵領について話を聞きたい」


 振り向くと、傭兵ギルドのギルドマスター……シフはエレインと肩を並べて囁くような声音で言った。

 傭兵ギルド……身も蓋もない表現をすれば荒事専門の口入れ屋である。

 元々はベテル山脈の諸部族によって構成されていたが、傭兵団や流れ者、失業者を取り込み、ギルドに所属する傭兵に仕事を斡旋して仲介料を取るようになった。

 ギルドマスターであるシフは三十代半ば、肌は日に焼けていて引き締まった体つきをしている。

 首から素焼きの板を提げ、右頬に魔除けの刺青をしているため、いかにも蛮族の戦士という姿だが、瞳に宿る光は極めて理性的だ。


「ここで話せるような内容じゃないわ」

「ならば、出直そう」

「ええ、お店で待ってるわ」


 ここから街に戻るのって一苦労なのよね、とエレインは心の中でボヤいた。



 自由都市国家群では、どんな身分の者でも金さえあれば贅沢な生活ができ、どんな身分の者でも才能さえあれば出世できるとされているが、農民は不作でも税を取り立てられるし、生活が困窮すれば口減らしを迫られる。

 口減らし……そんな何処にでも転がってそうな理由でエレインは十五歳の時に住んでいた村を出た。

 その時、奴隷商人に売らずに幾ばくかの金を渡してくれたのは親心だったのか、子どもを捨てたんじゃないと言い聞かせたかっただけなのか、今でも分からないが、渡された金が行動の基準になったのは間違いない。

 お金がなくならない内に、とエレインは村から二番目に近い距離にあったヴィオラの街を選んだ。

 ヴィオラはそこそこに発展した港街で、エレインは場末の安宿を当面の住居に決めて職を探した。

 だが、コネもない、学もない、誇れるような特技もないような田舎娘が職にありつくのは難しかった。

 あっという間に金を使い果たして物乞いになるか、奴隷になるか、娼婦になるかの選択を迫られ、娼婦になることを選んだ。

 せめてもの救いはそれなりに真っ当な娼館に勤められたことだろう。

 きちんと給料は支払われていたし、何の理由もなく暴力を振るわれたことはなかった。

 初めての客は処女好きの金持ち……悪趣味と思わなくもないが、大金を払っているのだから、文句を言うのは筋違いだろう。

 最初の数ヶ月は辛かった。

 何度も泣いたし、何度も帰りたいと思ったけれど、帰る場所なんてないんだと覚悟を決めた。

 それから先輩娼婦を注意深く観察し、上客を掴むためには教養が必要だと学んだ。

 羽振りが良くて乱暴じゃない客は一定以上の教養を身に付けているから、彼らに近づくためには同じだけの教養が必要だったのだ。

 教養を身に付けるために少なくない金額が必要だったが、この投資がなければ情報が価値を持つと気づきもしなかっただろう。

 教養のある娼婦として権力者や有力な商人に近づき、ちょっとした情報を無償で提供した。

 これも投資の一環だった。

 情報通の娼婦という評判が立ってからは彼らの集いに顔を出す機会が増えた。

 きちんと後輩の面倒も見た。

 もちろん、善意からじゃない。

 より広範囲の情報を手に入れるために手駒が必要だったのだ。

 そんなことを繰り返して財産を築き、後輩達と店を辞めて、自分で娼館を経営するようになった。

 経営者になってから自分で客を取る機会は減ったが、他の店で働く娼婦や街娼から相談を受ける機会が増えた。

 邪険にすることもできずに相談に乗っている内に代表者的な立場に祭り上げられ、後輩の独立を援助したり、右も左も分からずに途方に暮れている田舎娘の世話をしたり、情報を売ったり、十年が経つ頃、ヴィオラの街を掌握していた。

 マイルズと出会い、ギルドマスター達が接触してきたのはこの頃だ。

 ギルドマスターからの依頼は気に食わない仕事ばかりだったが、そのお陰でヴィオラ以外の街にも自分の店を構えられたのだから、割の良い仕事だったと言えなくもない。


「……ことあるごとに娼婦だって見下されなけりゃね」


 ドアがノックされたのはエレインが愛用の机に頬杖を突いてボヤいた時だった。


「どうぞ」

「失礼する」


 シフは部屋の中央に立ち、チラリと視線を隣の部屋にあるベッドに向けた。


「仕事部屋の隣にベッドがあるのは理解に苦しむかしら?」

「返答しかねる。嫌みとして受け取られてエラキス侯爵の情報を売ってくれなくなったら困る」


 エレインが尋ねると、シフはあまり困ってなさそうな口調で言った。


「で、何が聞きたいの?」

「エラキス侯爵と彼の領地についてだ」


 シフは歩み寄り、机の上に袋を置いた。

 袋の中を確認するようなマネはしない。


「どんな男だ?」

「エロガキよ」


 即答すると、シフは不愉快そうに顔を顰めた。


「軽口を楽しむくらいの余裕がないと、足下を掬われるわよ」

「真摯に受け止めよう」


 シフは口元を抑えて言った。


「エロガキってのは事実よ。だけど、それなりに分別はあるし、若い割に駆け引きも心得てる。時々、ゾッとするほど冷たい目をするわ」

「『隻眼の悪魔』の異名に恥じぬ男と言う訳か」

「今一つなネーミングセンスよね」


 父親が『殺戮鬼スローター』で、息子が『隻眼の悪魔』。

 きっと、孫は『魔王』で決まりね。


「領民に対してはどうだ?」

「それなりに善政を敷いてるんじゃないかしらね。目に見えて浮浪者の数は減ったし、治安も向上しているみたいよ。開拓や産業の育成にも力を入れてるみたいだし……もしかして、売り込みでもするつもり?」


 ふぅぅ、とシフは鼻で息を吐いた。


「傭兵ギルドはともかく、諸部族連合としてはそういう選択も考えている」


 ベテル山脈の諸部族は傭兵として働くようになってから豊かになったが、今以上の豊かさを求めるのは難しい。

 パイが限られている以上、組織が大きくなればなるほど個々に分配される利益は少なくなるのは当然の理屈だ。

 パイを増やせないのならば、傭兵ギルドは所属する傭兵に十分な利益を配分するために自由都市国家群の外に仕事を求めなければならない。


「諸部族連合として? 規模が小さくなってるじゃない」

「開拓や産業の育成には人手が必要なはずだ」

「まあ、確かに慢性的な人手不足に陥ってるみたいね」

「我々は豊かな土地に移り住みたいと考えている。その仲介を頼みたい」

「今、さらりと凄いことを言ったわね」


 エレインは表情を保つのに必死だった。


「狩猟採集で生活するのには限界がある。だが、畑を耕そうにもベテル山脈には農業に適した土地が少ない」


 この様子だと、爺さん連中には断られているわね。

 まあ、自分達で食糧を生産できるようになれば傭兵として働く理由がなくなるから当然と言えば当然か、とエレインはシフを見上げた。

 でも、私が知らないってことは爺さん連中にしか話してないってことよね? 私を陥れるつもりなのか、共犯にでもしたいのか。

 ああ、でも、どっちにしろ、声を掛けるつもりだったのよね。

 あの子が私を高く評価してくれるようになってからじゃないと……う~ん、まあ、ここで恨まれるよりも恩を売っておくべきかしらね、とエレインは決断した。


「仲介の件は引き受けたわ。ただし、貴方に協力して欲しいことがあるのよ」

「金以外でか?」

「そう、お金以外で」


 エレインは背もたれに体重を預けた。


「……あの子はカブシキガイシャとか言ってたけど、組合で良いわね。組合で。実はエラキス侯爵から組合の経営者になって欲しいって頼まれたのよ。組合の権利を抵当にエラキス侯爵が出資するみたいな方法でね」

「初めて聞く方法だ」

「ええ、私も初めて聞いたわ。組合の権利を買い戻すまで利益の三割を支払い続けなくちゃならないし、経営やら人事やらに口を出されたりするけど、領主様公認で商売できるのは旨味があるわ」


 カブシキガイシャの話を聞かされた日に証券は作ったし、雇用契約も交わした。

 営業の許可も受けている。


「今、あの子は港を造っていて、ヴィオラは曲がりなりにも港街よ」

「その話は初耳だ」

「そう? 奴隷商人は五十人のリザードマンを売りつけてたし、きっと、他の爺さん達も情報を掴んでるわよ」


 共存共栄と嘯きながら、爺さん連中は自分達の利益しか考えてないのだ。


「私はカド伯爵領とドラド王国、自由都市国家群の三カ所を繋ぐ貿易をするつもり」

「だが、香辛料はソークが抑えている」

「イーメイの手前で買えば済む話でしょ」


 ふむ、とシフは思案するように口元を抑えた。


「気になることでも?」

「何を協力すればいいのかが分からない」

「貴方の部下に元職人は何人いるの?」

「そういうことか」


 シフはようやく合点がいったように頷いた。

 爺さん連中は自分に刃向かう商人や職人を排斥したが、排斥された彼らはいなくなった訳ではない。

 殺された者も、自殺した者もいるだろうが、物乞いに、奴隷に、傭兵に、娼婦になって生きているのだ。


「元職人を堅気に戻せば傭兵一人当たりに分配される利益は増えるし、私は職人を囲い込める。カド伯爵領の港が完成すれば物資を運ぶのに護衛は必要になるでしょうし、真面目に働いていれば……当然、お願いするチャンスはあるわよね」

「ああ、素晴らしい考えだ」


 さて、爺さん連中はどんな手を打ってくるかしら? とエレインは優雅に足を組んだ。



 新しく船を造るべきか、コネをフルに活用して中古の船を買うべきか……悩みに悩んだ末、エレインは中古の船を五隻買った。

 新しく建造すれば一隻で金貨千枚が吹っ飛ぶ、それだったら金貨七百枚で中古の船を五隻買った方がお得だと考えたのだ。

 エレインはヴィオラの港に停泊する五隻の船を眺めた。

 五隻の船は樽をちょっとスマートにしたような形状で、全長二十五メートル、幅八メートル、荷を積める量が多く、少人数で扱えるのが特徴で、船首と船の真ん中にマストが立っている。

 今は畳んでいるが、マストに張るのは三角形の帆だ。

 元々はドラド王国よりも南にある国の技術で、風向きに合わせて帆の角度を調節することで、向かい風の中でも進めるらしい。


「……船についても勉強すべきだったかしらね」


 エレインは欠伸を噛み殺しながらヴィオラの街を歩いた。

 その気になれば明け方まで飲み歩けるが、ヴィオラの街が活気づくのは夕方から深夜にかけてだ。

 少なくともエレインの記憶ではそうだった。

 だが、今のヴィオラの街は昼も活気づき始めている。

 傭兵や娼婦が堅気……職人として働き始めたためだ。

 今更と吐き捨てる者もいた、腕が鈍っていると嘆く者もいた、堅気に戻れると噎び泣く者もいたけれど、かつての技量を取り戻そうと、彼らは必死の努力をしている。

 そんな彼らを見ていると、とんでもない悪女になったような気がする。

 今まで何人も破滅に追いやったり、その片棒を担いできたりしたので、今更のような気もするのだが、居心地の悪さは拭いきれない。


「……エレイン様」

「どうしたの?」


 生活のリズムを切り替えたばかりで慣れていないのか、青白い顔の娼婦は目元を擦りながらエレインに歩み寄った。

 彼女の名前はシアナ……エレインが前の娼館を辞めた時に付いてきてくれた娼婦の一人だ。


「材料の仕入れが滞り始めています。現在、注文した七割しか届いていません。料金を上乗せすれば注文通り納めると言ってますが?」

「突っぱねなさい」


 はい、と短く言ってシアナはエレインに背を向けた。

 分かり易い爺さん連中ね。これだけ露骨な嫌がらせをしてくるってことは港や組合の件まで情報を掴んでるってことかしら。商品を供給できないようにして私の後釜に座ろうって魂胆なんでしょうけど、とエレインは髪を掻き上げた。

 組合が商品を供給できない状態で、爺さん連中が売り込みを掛けたら……あの子は私を切り捨てるかも知れないわね。あの子の目的って領地を豊かにすることだから、金と物が入ってきて、雇用が創出されれば良い訳だし、とエレインは舌で軽く唇を湿らせた。

 なるほどね。私以外の人間でも良いけれど、自分の息の掛かっている人間の方が望ましいってことね。そのためのカブシキガイシャ……ここまで見越してたんなら、最高に嫌なヤツね、とエレインはクロノの評価を改めた。


「……この調子だと、爺さん連中の思い通りになりそうね」


 エレインが自分の娼館に戻ると、でっぷりと肥え太った中年男……奴隷商人が扉の前で待っていた。


「お待ちしておりましたぞ」

「まだ、開店前なんだけど」


 嘆息しつつ、エレインは奴隷商人を店に入れた。

 エレインの娼館は三階建て……一階が落ち着いた雰囲気の酒場になっていて、二階が客を取る部屋、三階がエレインの仕事部屋兼住居になっている。

 娼館で働いている娼婦は自分で近くに部屋を借りるか、エレインの名義で借りた部屋から通っている。


「水を頂けませんかな」


 ふぅ、とエレインは溜息を吐いてカウンターに入り、ぬるい水を差し出した。


「それで、どんな用かしら?」

「いやはや、エレイン殿が難儀していると聞きまして……材料を届けに来た次第で。いやいや、迷惑は重々承知。次回から注文を頂くと言うことで、ここは特別価格でご奉仕させて頂こうかと」


 つきましては、と奴隷商人は言葉を句切った。


「エラキス侯爵との仲介なら、貴方の同業者に頼んだ方が良いんじゃないかしら?」

「もちろん、それも頼みたいのですが……ヴィオラの港を使わせて頂きたいのですよ」


 奴隷商人は汗を拭うフリをしながら人の良さそうな笑みを浮かべていった。

 そうよね、とエレインは頷いた。

 奴隷商人が根拠地とするのは内陸……ベテル山脈に近い都市国家だ。

 当然、港などないし、港を使わせて貰おうにも他の爺さん連中は奴隷商人を快く思っていない。

 そのため奴隷商人は陸路を使った交易を強いられているのである。


「ただじゃ嫌よ?」

「港を使わせて貰うからには常識的な範囲内で使用料を、材料も……私が治める都市国家だけでなく、神聖アルゴ王国から仕入れることは可能で」

「良いわ。ただし、きちんと交渉した上でよ」


 エレインは奴隷商人と見つめ合った。



 湯浴みを終え、商売用のネグリジェに着替えると、エレインは疲労困憊でベッドに倒れ込んだ。

 奴隷商人との交渉は数時間に及んだ。

 それは交渉と言うよりも利益調整に等しい内容だったが、落とし所の見極めには慎重さを求められた。


「……取り敢えず、これで組合は活動できると」


 問題はシフと奴隷商人が何処まで信用できるかよね、とエレインは俯せになったまま呟いた。


「愛人に収まっていれば、もう少し安心できたんだけど」


 貴族に意見を言えるのは大きな強みであるし、愛人のお願いを無碍にしないだろうと他人は勝手に思い込む。

 どれだけ自分が恩恵を受けているのか理解していない奴隷もいたけど、とエレインは仰向けになり、腹を押さえるように手を組んだ。

 『娼婦のくせに気安いわよ』ね、とエレインは奴隷の台詞を思い出しながら唇を吊り上げる。

 あの奴隷の台詞は真っ当だ。

 極々当たり前の価値観の持ち主であれば娼婦という職業に良い感情を抱かないと理解もできる。

 けれど、金も、服も、教養も、コネも、財産と呼べる物は何一つ持たない田舎娘に何ができたと言うのか。

 娼館の女主人に平手で、下働きの男に薪で思い切りぶん殴られたこともある。

 愛想が悪いからと客に殴られたこともだ。

 ちょっと優しくしてくれた男に惚れて手酷く振られたことも、それ以外にも……嫌な思い出を数え上げたらキリがない。

 それでも、必死に生きてきた。

 歯を食い縛って、涙を堪えて、普通の幸せが自分には縁がないものだと諦めたフリをして……最初は祭り上げられたにしろ、ギルドマスターになったのだ。

 だから、エレインは娼婦であることに誇りを持っていると胸を張る。

 そうでなければ自分が犠牲にしてきたもの、こんな自分に付いてきてくれた後輩達に申し訳ない。


「ちょっと、疲れてるわね」


 ベッドに横になったせいか、疲労感が押し寄せて目を開けているのも億劫になる。

 ある程度、組合の枠組みが出来上がれば楽になるのだろうが、今は資材調達の目処が付いたばかりだ。

 ベッドに潜り込み、エレインは目を閉じた。

 バタバタと下の階で音がしてエレインは一瞬だけ身を強張らせたが、すぐに静かになった。



 翌日、エレインが身だしなみを整えて階段を下りると、下働き……まだ、客を取らせていない見習い娼婦だ……の少女が丹念に床を掃除していた。

 窓を開け放っても残る鉄臭さと青ざめた少女の顔から何が起きたのか、エレインはすぐに理解した。


「……ご苦労様」


 短く告げ、エレインは一階へ、更に地下へと降りた。

 マジック・アイテムの白い光が地下室の壁を照らしているが、全体的に薄暗く、肌寒く感じられる。

 一番奥の部屋に近づくにつれ、濃厚な血の匂いが鼻腔を、くぐもった悲鳴が耳朶を刺激する。

 被虐趣味や加虐趣味の客が変態行為に及んでいる訳ではない。

 エレインが部屋に入ると、猿轡をされた男は安堵したように息を吐いた。

 男は金属製の板のような物で拘束されていた。

 板の両端にある小さな穴から左右の手、中央にある穴からは頭を出している。

 足は足首と膝の二カ所で固定され、股を開くような格好だ。


「続けて良いわよ」

「あまり長く苦痛を味わわせると、感覚が麻痺します」


 シアナは血塗れの道具を机に置き、眠たそうに目を擦った。

 机の上には爪が何枚か、歯も何本かあった。


「で、何人だったの?」

「三人でした。一人いれば十分だと思ったので、二人は始末しました」


 エレインはイスに座り、優雅に足を組んだ。


「誰に依頼されたのかしら?」

「存外、口が堅く」


 エレインが視線を向けると、男は否定するように首を振った。

 反応を見る限り、男は素直に情報を吐いたのだろう。

 黒幕が実行犯に素性を知られるような間抜けなら苦労はないのだ。


「仕事もあるので、始末しようと思います」

「そうね。やり方は貴方に任せるわ」


 エレインが外に出ると、水を壁にぶち撒いた音とくぐもった悲鳴が聞こえた。

 楽にしてやるという発想はなかったようだ。


「……十中八九爺さん連中だと思うけど、内輪揉めでもしているのかしらね」


 シフと奴隷商人が寝返り、残ったギルドマスターは強硬派と穏健派に分かれたのかも知れない。


「組合が利益を出せば、爺さん連中もカド伯爵領で商売しようと思うだろうし」


 ふとエレインは足を止めた。


「あの子、本当に悪魔かも知れないわね」


 爺さん連中が参入したらエレインは商品の値を下げるつもりだ。そうすれば爺さん連中も値を下げざるを得ない訳で……価格競争が原因でギルドマスター同士の内輪揉めが始まりかねない。

 もしかしたら、凄く厄介な男に捕まったのかも知れないわね、とエレインは一歩を踏み出した。



 帝国暦四百三十一年六月……クロード・クロフォードは切り株に腰を下ろして自分の領地を見下ろした。

 切り立った崖から見えるのは麦畑だ。

 去年の十一月に蒔いた冬麦は無事に成長して穂を実らせている。

 風が吹き、麦の穂が揺れる。

 麦の穂が波打つように揺れ、ザーッと潮騒のような音が耳朶を優しく刺激する。

 黄昏時、終わりを表象する色に染め上げられた世界は何処か物憂げで、倦怠感すら覚える。

 この光景を不安や焦燥ではなく、安堵と共に受け容れられるようになったのはいつからだっただろうか。

 南辺境を領地として与えられた時、部下は不安そうな表情を浮かべていた。

 あのマイラですらそうだった。

 まあ、当たり前だ。

 見渡す限り、原生林が広がっていたのだ。

 開拓する労力を考えただけで気が遠くなったし、クロードも、部下も何かを育む術は身に付けていなかった。

 だから、クロードは崖に生えた木を切った。

 がむしゃらに何度も斧を木に叩きつけて斬り倒した。

 びびってんじゃねーよ。

 木なんざ幾らでも斬り倒してやる、みたいな台詞を言い放ったような気がする。

 アストレア皇后の護衛を務めていた女騎士……エルアが嫁いできたのはしばらくしてからだった。

 粗末な掘っ立て小屋に、豚の餌のような飯、遅々として進まない開拓、すぐにでも逃げ出すと思ったが、私は貧乏に慣れているんだ、とエルアは率先して働いた。

 森を切り開き、畑を作り、家畜を増やして、貴族らしい生活ができるようになるまで二十年も掛かった。

 自分の力と自惚れるつもりはない。

 動乱期に知り合ったアルコルは開拓に必要な金を用立ててくれたし、傭兵団の参謀役だったオルトは速やかにトラブルを解決してくれた。

 マイラは作物を可能な限り高く売ってくれた。

 屋敷を新しくした。

 帝都に別宅も購入した。

 美味い飯を、美味い酒を、綺麗な服を、たった五年だけじゃなくて、死ぬまで贅沢な生活をさせてやりたかった。

 たった五年の贅沢じゃ、今までの苦労に見合わない。

 せめて、この世界にクロノが来るまで生きていてくれれば……死に際に泣かせてしまうこともなかっただろう。


「……父さん、こんな所に座って何をしてるの?」

「ここで自分の領地を見下ろして悦に入ってたんだよ」


 振り向くと、箱馬車から息子……クロノが降りる所だった。


「また、足を挫いたりしないでね」

「一生に一度の不覚だったな」


 あの時、足を挫いていなければクロノを屋敷に連れて行こうなんて思わなかっただろうし、面倒を見てやろうと思わなかっただろう。


「……人生ってヤツは面白いな」

「僕は穏やかな人生を送りたいけど」


 そんなことを言っているが、こいつほどぶっ飛んだ人生を送っているヤツはいないだろう。

 クロードは獰猛な笑みを浮かべた。

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