クロの戦記ifその1「リオ・エンド」
霊和四年二月上旬夕方――黒野久光は風の音で目を覚ました。
女性の悲鳴を連想させる風の音だ。
体を起こして机の上を見ると、そこは高校の図書館だった。
いや、正しくは図書館内に設けられた自習室だ。
わずかに人の気配のようなものを感じるし、遠くから掛け声のようなものも聞こえる。
だが、自習室には誰もいない。
当然といえば当然か。
久光の通う高校はそこそこの――中の上か、上の下というレベルだ。
もちろん、寸暇を惜しんで勉強する生徒がいない訳ではない。
だが、そういうガチ勢はとっとと家に帰るか、予備校に行くかしている。
ガチ勢が来ないのだから普通の生徒はまず来ないと言っていい。
要するに自習室は適当に時間を潰したい時にはうってつけの場所なのだ。
ふぁ~、と欠伸をして近くの窓に視線を向ける。
窓の外は斜陽に染まっている。
何処か物憂げで、気怠ささえ感じさせる。
多分、この感覚は寝起きだからという訳ではないだろう。
そんなことを考えていると、背後から足音が響いた。
悪いことをしている訳ではないのにびくっとしてしまう。
くすッという音が聞こえ――。
「驚かせちゃったかい?」
少女が通路の向こうにある机に寄り掛かった。
彼女の名前はリオ・ケイロンという。
欧州にあるケフェウスからの留学生だ。
ケフェウスは永世中立国として有名で世界史――特に近世以降にちょくちょく名前が出てくる。
あとは倫理か。
世界で初めて人権宣言をした国ということになっている。
この国の教科書にも出てくるくらいだから欧州ではもっと有名なのだろう。
ケフェウスのことはさておき、彼女はブレザーに身を包んでいる。
外国人だからか、それともスタイルがいいからか、違和感を覚える。
何というか、コスプレをしているように見えてしまうのだ。
リオは久光を見つめ、可愛らしく小首を傾げた。
そこで彼女が返事を求めていることに気付く。
「……ちょっとだけ」
「それは悪かったね」
久光が人差し指と親指で隙間を作って言うと、リオはくすくすと笑った。
実に可愛らしい。
無邪気な笑みだ。
「図書委員の仕事は終わったの?」
「うん、数冊の本を棚に戻して、時間が来るまで座っているだけの仕事だからね」
「リオはすごいね」
「藪から棒にどうしたんだい?」
久光が素直な感想を口にすると、リオは問いかけてきた。
二度びっくりだ。
「いや、リオってこっちに来て一年ちょっとなんでしょ? それなのによく日ノ本語の本を本棚に戻りしたり、藪から棒なんて言葉を使ったりできるなって」
「前々から日ノ本に興味があったからね。けど、日ノ本に来てから一ヶ月くらいは言葉を聞き取れなくて大変だったよ」
「たった一ヶ月で日ノ本語をマスターしたの?」
「う~ん、何というのかな? 耳が慣れたって感じだね」
「それにしてもたった一ヶ月で……」
「ふふ、すごいって言ってもらえるのは嬉しいけどね。一ヶ月もあれば誰だって耳が慣れるんじゃないかな」
リオは困ったような笑みを浮かべ、片膝を抱えた。
スカートが捲れ上がり、真っ白な太股が露わになる。
パンツが見えそうとか思ったが、そっと視線を外す。
それが面白かったのだろう。
リオはくすくすと笑った。
彼女はいつもこうだ。
無防備な姿を曝して久光の反応を見て笑うのだ。
馬鹿にして、と思う。
だが、その一方で開き直ってガン見するくらいの度胸があればなとも思う。
「付き合って何ヶ月も経つんだから慣れればいいのに。これだから童貞は」
「悪かったね」
「まあ、ボクは処女だけれど」
リオは胸に手を当てて言い――。
「処女だけど」
「なんで、二度も言うの?」
「大切なことだから繰り返したのさ」
そう言って、リオは微笑んだ。
楽しくて仕方がないという感じだ。
そこがまた可愛いのだが、どうしてこんな可愛い娘が自分の彼女をしているのだろうと疑問に思う。
いや、からかっているだけなんじゃないかと疑っている。
「さて、行こうか?」
「分かったよ」
リオが机から離れ、久光はイスから立ち上がった。
床に置いていたリュックを背負い、どちらからともなく歩き出す。
これから放課後デートだ。
といっても近くの本屋で時間を潰して自販機のジュースを飲むくらいだが――。
誰もいない図書館を通り、図書館の下駄箱で靴を履き替える。
外に出ると、風が吹き寄せてきた。
冷たく、凍てついた風だ。
ぶるりと身を震わせ、正門に向かって歩き出す。
全てが斜陽に染まり、何処からか声が聞こえる。
「そういえば、どうしてリオは僕に告白してきたの?」
「自分から告白したかったのかい?」
「そういう訳じゃないんだけど……」
久光が口籠もると、リオが歩調を速めた。
彼女は数メートルほど離れた所でこちらに向き直り――。
「前世からの因縁さ」
はにかむような笑みを浮かべて言った。
耳まで赤くなっているように見えるのは気のせいではないだろう。




