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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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第19話『宣言』その7

 帝国暦四三四年八月上旬帝都アルフィルク――不意に箱馬車の中が明るくなる。

 城門を抜けたのだ。

 ナムは窓の外に視線を向けた。

 窓の外には第十一街区の雑然とした街並みが広がっている。

 初めて帝都を訪れた者であれば半年前の内乱と結び付けるだろう。

 残念ながら内乱とは関係ない。

 元々、第十一街区は雑然としているのだ。

 ここを通るたびにどうにかならないのかしらと思ったものだ。

 だが、内乱直後のことを思い出すと、これでいいのではないかという気がしてくる。

 それほど内乱直後は酷い有様だった。

 それが見事に復興を遂げている。

 ちょっとした奇跡のように思える。

 もちろん、奇跡ではないし、神官でもあるので口にはしないが。

 反対側――隣に視線を向ける。

 そこにはドレス姿の愛娘――アイナが何処か緊張した面持ちで座っていた。


「緊張しているの?」

「い、いえ!」


 ナムが尋ねると、アイナは上擦った声で言った。

 ばつの悪そうな表情を浮かべる。


「レオンハルト様は――」

「忘れなさい」


 ナムが言葉を遮って言うと、アイナは叱責されたかのように首を窄めた。


「以前はレオンハルト様と懇意になれるように頑張りなさいと仰ってました」

「その時とは状況が違います」

「ですが――」

「アイナ、レオンハルト様のために全てを捨てる覚悟があるのならば構いませんが、その覚悟がないのであれば忘れなさい」

「…………はい」


 アイナはかなり間を置いて頷いた。

 本当に分かっているのか心配だが、全てを捨てる覚悟はないはずだ。

 レオンハルトの父親――ロムスはかつての権勢を取り戻そうと賭けに出た。

 偽帝アルフォートに与し、女帝陛下――当時は皇女だったが――に弓を引いたのだ。

 いや、弓を引こうとしたと言うべきか。

 ロムスは戦場に辿り着くことなく囚われの身となったのだから。

 ともあれ、女帝陛下に弓を引いたことに変わりはない。

 結果、ロムスは処刑され、親類縁者も同じ憂き目に遭った。

 さらに殆どの領地と財産を没収された。

 パラティウム公爵家は終わったも同然なのだ。


「でも、わずかばかりとは言え、領地は残っています。それに、『聖騎士』と謳われたレオンハルト様が健在なのです。我が家が援助すれば再興も――」

「貴方の恋路のために商業連合を巻き込むことはできないわ」


 ナムはアイナの言葉を遮って言った。

 頷いたばかりなのにこれだ。

 適当な相手を見繕って結婚させるべきではないかという気がしてくる。

 そもそも、ナムは宮廷貴族だ。

 領地はないし、自由にできる金もそれほど多くない。

 それでも、商業連合の代表を務められるのはカイ皇帝直轄領が『蒼にして生命を司る女神』の影響力が強い地であり、ここを拠点とする商会や職人が中央に影響力を持ち、中立的な立場で意見を纏めてくれる人材を求めていたからに過ぎない。

 恣意的に権力を行使すればすぐに代表の座を退くことになる。

 援助などできるはずがない。

 ましてや――。


「パラティウム公爵家が辛うじて取り潰しを逃れたのは見せしめのためよ。ここで援助なんてしたら商業連合が睨まれることになるわ」

「商業連合は女帝陛下に多大な援助をしています」

「ちゃんと見返りはあったわ。言わば対等な関係よ。いえ、本来の力関係を考えれば有り得ないくらい譲歩されてる。それなのにパラティウム公爵家を援助したら裏切ったと思われるわ。そしたら、もうおしまい。商業連合は信用を失ってしまうわ」

「……」


 アイナは押し黙った。


「もう一度、言うわ。商業連合はパラティウム公爵家に援助できない。どうしても、レオンハルト様を愛しているのならば全てを捨てる覚悟をなさい」

「それは勘当ということでしょうか?」

「いいえ、勘当はしないわ。貴方を愛しているもの。貴方に全てを捨てる覚悟があるのならば私も全てを捨てる――商業連合代表を辞めて、神殿とも距離を置く覚悟をするということよ」

「お母様……」


 アイナは感極まったように言った。

 もしかして、勘当すると思っていたのだろうか。

 だとすればちょっとショックだ。

 これでも娘を愛しているのに。

 いや、仕事にかまけた報いだろうか。


「……二人で一緒に料理を作るのも悪くないわね」

「料理を作れるのですか?」

「これでも、神官として修業を積んでいるのよ。料理くらい作れるわ」


 ナムはムッとして言った。


「それで、どうするの?」

「レオンハルト様のことは忘れます」

「そう、よかったわ」


 アイナがきっぱりとした口調で言い、ナムは内心胸を撫で下ろした。


「ですが……」

「まだ何かあるの?」

「はい、今日は女帝陛下やクロノ様とお会いするということですが……」

「普通にしていれば不興を買うことはないわよ」

「でも、大勢の貴族が処刑されています」


 アイナは胸の前で手を組んで言った。

 そこだけしか知らなければ怖いわよね、とナムは溜息を吐いた。

 アイナの言う通り、大勢の貴族が処刑されている。

 もっとも、その殆どはパラティウム家の親類縁者だ。

 アルフォートに与して私益を貪った貴族は損害を補償して処刑を免れている。

 かなり盛られて請求されたので、自力で金を用意できない者もいた。

 だが、幸いにも親切な商人や貴族が大勢いたお陰で処刑を免れた。

 悪い取引ではなかったように思う。

 クロノが立ち会ってくれたので安心してお金を貸せた。

 商業連合で独占できなかったのは不満だが、いい取引だったことに間違いはない。


「何かあったらフォローするから安心なさい」

「分かりました」


 安心したのだろう。

 アイナは胸を撫で下ろした。

 ナムは再び窓の外に視線を向けた。

 あと数年もすれば商人上がりの貴族が生まれるだろう。

 新しい時代の始まりだ。

 この時代に上手く適応して娘を幸せにしなければ。



 コールは荷馬車から荷を下ろして地面に置いた。

 空を見上げる。

 いい天気だ。

 雲が少し出ているが、これならば雨に降られることはないだろう。

 汗を拭い、視線を巡らせる。

 そこに広がっているのは第四街区の街並みだ。

 富裕層の住むエリアだが、何処か庶民的な雰囲気がある。

 井戸端会議をしている女性や走り回る子どもを見ていると心が和む。

 一方で大量の荷を積んだ馬車が通り過ぎる所を見ると、自分も頑張らねばという気になる。


「……随分、帝都も落ち着いたな」


 小さく呟く。

 半年前――内乱が終結したばかりの頃はこうじゃなかった。

 人通りは少なく、街は荒れ果てていた。

 いや、街だけではない。

 人の心も荒んでいた。

 盗賊に襲われた時のことを思い出して顔を顰める。

 まさか、キャラバンを組んでいるのに襲われるとは思わなかった。

 帝都でも何度も荷物を盗まれそうになった。

 当時のことを思い出すと、今の帝都が奇跡のように思える。

 もちろん、奇跡ではない。

 だが、どうして帝国が持ち直したのかと問われると即答できない。

 ティリア女帝がアルコル宰相の献策を後押ししたこともある。

 しかし、それだけではない。

 役人が賄賂を要求しなくなり、警備兵が職務に専念できるようになった。

 商業連合や南辺境が備蓄を解放し、領主が期間限定で通行税を免除した。

 行商人組合が物資を流通させ、商人が適正価格で物資を売るようになった。

 パッと思い付くのはこれくらいだが、もっと色々なことが行われていたに違いない。

 コールは荷馬車に寄り掛かり、再び空を見上げた。


「まあ、要するに……」


 ティリア女帝が公平なルールを敷き、それに則って皆が頑張ったということだ。

 もっとも、皆が皆、ルールに従った訳ではない。

 この機会を利用して金儲けをしようという輩もいた。

 通行税を増額した悪徳領主やベイリー商会のような悪徳商人だ。

 だが、そういう連中は報いを受けた。

 悪徳領主は領民を怒らせて代替わりを余儀なくされ、悪徳商人は身代を傾けた。

 自分以外を全て敵に回せばそうなる。

 自分のことだけを考えてはいけないのだ。


『……コール』(シュ~)

「――ッ!」


 名前を呼ばれ、声のした方を見る。

 すると、リザードマンが立っていた。

 名をドレイクという。

 行商人組合の元奴隷で以前は荷役を務めていた。

 他のリザードマンが年季が明けても同じ仕事を続ける中、彼は広い世界を知りたがった。

 だが、ドレイクを部下にしたいと思う者はなかなか現れなかった。

 リザードマンは寒さに弱い。

 防寒具を用意すれば寒くても動けるのだが、皆その手間を惜しんだのだ。

 それで養父――トマスから相談を受けた。

 当時のコールは人手を必要としていたので話に飛びついた。

 最初はやりづらいと思った。

 ドレイクは無口で、図体がでかいくせに存在感が薄いのだ。

 夜中に出くわしてびっくりしたことも一度や二度ではない。

 だが、付き合いが長くなるとそれも気にならなくなった。

 仕事の効率は上がったし、リザードマンを従えているということで舐められなくなった。

 今では大切な相棒だ。


「悪ぃ、すぐに荷を下ろすからよ」

『……終了』(シュ~)


 ドレイクがぼそっと呟き、コールは荷台に向き直った。

 すると、荷物がなくなっていた。


「……悪ぃ」

『……無問題』(シュ~)


 コールが謝罪すると、ドレイクは舌を出し入れさせながら言った。


「じゃ、移動するか」

『……承知』(シュ~)


 コールが御者席に乗ると、ドレイクは荷台によじ登った。

 荷馬車が沈む。

 ドレイクが重いからではない。

 足回りを強化しているからだ。

 手綱を操ると、馬が一拍置いて動き出した。

 当然、荷馬車も動く。


『……予定』(シュ~)

「――ッ!」


 ドレイクに耳元で囁かれ、びくっとしてしまう。

 いつの間に移動していたのだろう。

 いや、気が付いたら移動しているのはいつものことだが、心臓に悪い。


『……予定』(シュ~)

「組合の支店に寄ってシルバニアに戻るついでにこなせる仕事をもらうって感じだな」


 持ち直したとはいえ物資が不足している所はまだまだ沢山ある。

 こういう時にこそ、バリバリ仕事をこなすべきだ。

 そうすれば金を稼げるし、人脈も広がる。

 人に感謝もされる。

 いいこと尽くめだ。

 それに、シェラタン子爵領と言うか、ティナのこともある。

 いや、ティナはあまり関係ないのだが――。

 そんなことを考えていると、ドレイクに肩を叩かれた。


『……休憩』(シュ~)

「なんだ? 休みたいのか?」

『……コール、過労』(シュ~)

「は!? 俺が働きすぎだって? 馬鹿を言うな。今働かなくて……」


 コールは口を噤んだ。

 ドレイクが休むように言うなんて初めてのことだ。

 働きすぎているという実感はない。

 むしろ、全く働けてないとすら思う。

 だが、ドレイクに言われるとそうかなという気がしてくる。


『……休憩』(シュ~)

「分かったよ。今日はのんびりするよ」


 コールが肩を竦めたその時、正面から荷馬車が近づいてきた。

 警備兵を乗せた荷馬車だ。

 擦れ違う瞬間、警備兵が荷馬車から飛び下りた。

 木の棒を持っている。

 先端に透明な球体が付けられた棒だ。

 警備兵は道の端に寄り――。


「女帝陛下から通達があるぞ! 傾聴せよッ!」

「ふ~ん、何かあったのかな?」

『……コール』(シュ~)

「分かってるよ」


 ドレイクがぼそっと言い、コールは手綱を引いた。

 荷馬車を路肩に寄せて止める。

 今日はのんびりすると言ったばかりだ。

 だったら、ティリア女帝の話を聞くべきだろう。


「新しい商売を思い付くかも知れないしな」


 そう言って、コールは空を見上げた。



 エルザは階段を上る。

 帝都の第十一街区にある漆黒神殿 (仮)の階段だ。

 階段を上り、廊下を抜け、一番奥にある部屋に向かう。

 扉の前で立ち止まり、ノックをする。

 返事はない。

 小さく溜息を吐く。

 この部屋の主がどんな状態か予想が付いたからだ。

 扉を開ける。

 すると、この部屋の主――神官さんは机に向かっていた。

 ただし、酒瓶を抱いて。

 さらにイスの背もたれに寄り掛かって前後に揺れている。

 真っ昼間からお酒を飲んで眠っているのだ。

 失敗したかな、と溜息を吐く。

 神官さんが帝都で布教活動をすると言い出し、クロノは大隊から護衛を募った。

 エルザは『漆黒にして混沌を司る女神』の数少ない信徒だったので名乗りを上げた。

 神官さんは基本的に駄目人間だ。

 だから、サポートする人間が必要だと思った。

 それに、軍に籍を置きながら人の役に立てる――人の心を救えることに魅力を感じた。

 だが、エルザの心は一週間と保たずに折れた。

 神官さんは布教活動をすると言いながら何もしないのだ。

 食べて、呑んで、寝る。

 その繰り返しだ。

 予想以上の駄目人間っぷりだった。

 浅はかだった、とつくづく思う。

 よくよく考えてみれば神官さんは高位の神威術士だ。

 しかも、不老不死らしい。

 そんな人物に護衛が必要だろうか。

 いや、必要ない。

 では、どうして護衛を募ったのか。

 きっと、クロノは神官さんがこうなると分かっていたのだ。

 だから、護衛の名目で監視を付けた。

 本人に聞いたわけではないが、大きく外してはいないと思う。

 ちょっと考えれば分かることだ。

 それなのに――。

 本当に浅はかだった。

 とはいえ、実害は少ない。

 元々、食い詰めて軍に入隊した。

 同僚――シャウラのようにクロノの役に立ちたいなんて気持ちはない。

 出世欲もあまりない。

 いい人がいて結婚を申し込まれたら二つ返事でOKして軍を退役する。

 その程度しか仕事に愛着がない。

 だから、これが原因でキャリアに傷が付いてもどうということはない。

 我ながら碌でもないと思う。

 だが、誰もが目的意識を以て仕事に取り組んでいる訳ではない。

 むしろ、自分が普通だと思う。

 それはさておき――。


「……らしくないことを考えたわよね」


 エルザは小さく溜息を吐いた。

 人の心を救いたい――自分で言うのも何だが、立派な志だと思う。

 だが、今にして思えば傲慢の一言だ。

 思い上がりも甚だしいとさえ思う。

 きっと、皇軍が勝って浮かれていたのだ。

 今からでも異動を申し出るべきだろうか。

 エルザは神官さんを見つめた。

 幸せそうに寝転けている。

 そんな神官さんを見ていると、これくらいで異動を申し出るのは――という気分になる。

 一方でこれから何年も神官さんの世話をすると考えるとちょっと憂鬱になる。

 だが、人の心を救うよりも身の丈に合っている。

 そんな気がする。


「神官さん、起きて下さい」

「……」


 声を掛けるが、神官さんは眠ったままだ。

 そこで――。


「神官さん!」

「――ッ!」


 やや語気を強めて言うと、神官さんはびくっとした。

 体を起こし、手の甲で目元を擦る。


「おお、エルザか。飯はまだか?」

「さっき食べたばかりでしょ?」

「いや、食べとらんし」


 神官さんがすかさず突っ込みを入れる。


「なんだ、ちゃんと覚えてるのね」

「ワシはそこまで耄碌しとらんぞ」

「……」


 ムッとしたような表情を浮かべる神官さんをエルザは無言で見つめた。


「ん? ワシの顔に何か付いとるか?」

「いえ、別に……」

「ふぁぁぁ、それにしても眠いのぅ」


 神官さんは背筋を逸らし、大きな欠伸をした。


「さて、寝起きの一杯を……」


 神官さんは酒瓶を机に置き、目を細める。


「空じゃな。エルザ、ひとっ走りして――」

「駄目です」


 エルザは神官さんの言葉を遮って言った。


「いや、一杯くらい――」

「駄目です」

「なら、自分で――」

「だから、駄目です。しばらく断酒して下さい」

「――ッ!」


 神官さんはぎょっとエルザを見た。

 信じられないと言わんばかりの顔だ。

 何故、そんな顔をするのだろう。

 むしろ、今まで断酒しろと口にしなかった方が驚きだ。

 神官さんは手を組み、えへへと笑った。


「そんな顔をしても駄目です」

「だって、断酒しろって言うんじゃもの」

「当たり前です」

「酒が飲めないなら何をすればいいんじゃ」

「布教活動をして下さい」


 神官さんが嘆くように言い、エルザは溜息交じりに応えた。


「具体的には?」

「黄土神殿みたいに炊き出しをしたらどうです?」

「ワシ、食べ専じゃし」

「不老不死なんですよね?」

「不老不死だからと言って、料理が得意とは限らん。自慢ではないが、手伝おうとしたらお願いだから邪魔しないで下さいと言われる始末じゃ」


 何故か、神官さんは胸を張って言った。

 ちょっとだけ呆れた。

 これでどうやって生きてきたのだろう。

 と言うか、食べて、呑んで、寝るだけの生活でよく体型が維持できるものだ。

 普通の人間ならば太るか、体を壊している。


「ああ、不老不死だからズボラなんですね。納得しました」

「これでもワシは大神官なんじゃけど……」

「『神聖アルゴ王国では』が抜けています。ケフェウス帝国では神官一人、信徒一人の吹けば飛ぶような勢力です。で、何かできることはないんですか?」

「人生相談くらいじゃな」

「……そうですか」


 長生きしても役立つ知識を得られる訳ではないのだな、と思う。

 当然か。長生きしただけで知識や技術が身に付くのならば苦労はない。

 ちょっと身につまされる話だ。


「気長にやりましょう。継続は力なりです」

「まあ、時間は腐るほどあるしの」

「前言撤回です。少し焦って下さい」

「何でじゃ?」

「神官さんに付き合っていたら私の寿命が尽きます」

「それは……。分かった。善処する」

「よろしくお願いします」


 神官さんが呻くように言い、エルザはぺこりと頭を下げた。

 無理だろうなと思う。

 ここ何ヶ月も食って、呑んで、寝るを繰り返してきたのだ。

 善処できる人間ならばもっとマシな時間の使い方をするだろう。

 一日、保って二日か。

 そんなことを考えていると、外から声が聞こえた。


「何だか騒がしいの?」


 神官さんは立ち上がると窓に歩み寄った。

 窓を開け、身を乗り出す。

 エルザは神官さんの隣に立ち、通りを見下ろした。

 棒を掲げた兵士の周りに人垣ができている。


「何をしとるんじゃ?」

「女帝陛下から通達があるらしいです」

「――ッ!」


 神官さんはハッと振り返った。


「ワシ、何も聞いてないんじゃけど?」

「私も詳しくは――」

「いやいや、ワシは重要人物じゃろ? 最終決戦では雲霞の如く押し寄せてくる帝国兵を千切っては投げ、千切っては投げ、大活躍じゃったし! しかも、戴冠式で神器までプレゼントしたんじゃぞ!?」


 神官さんはエルザの言葉を遮って捲し立てた。


「私は留守番組だったから」

「くぅぅ、利用するだけ利用してあんまりじゃ!」

「結構、厚遇されてると思うけど……」


 エルザは視線を巡らせた。

 この建物は無料で貸し出されているし、生活の面倒だって見てもらっている。

 しかも、護衛という名の世話役までいる。

 十分過ぎるほどの報酬だと思うが――。


「そういうことじゃないんじゃ!」


 神官さんは声を荒らげた。


「じゃあ、どういうことなんですか?」

「いや、ほら、ワシって戦友な訳じゃし。皆まで言わずとも分かるじゃろ?」

「仲間扱いして欲しい?」

「うむ、そういうことじゃ」


 エルザが小首を傾げつつ問い返すと、神官さんは照れ臭そうに言った。


「それなら自分から遊びに行けばいいんじゃないですか?」

「それも考えたが、気軽に遊びに行ける雰囲気ではなくてな」

「まあ、そうで――」

『臣民諸君、聞こえているだろうか?』


 エルザが頷こうとした時、女性――女帝陛下の声が響く。

 ややあって、おおッという声が響く。

 兵士が掲げた棒の先端を見つめ、目を細める。

 棒の先端には透明な球体――通信用マジックアイテムがあった。

 なるほど、女帝陛下は直接話し掛けることにしたのだ。

 いいアイディアだと思う。

 帝国の識字率は低い。

 立て札を立てるよりも話し掛けた方が分かりやすい。


『ケフェウス帝国女帝ティリアである』


 おおッ、と人々がどよめく。

 皆、興奮した面持ちをしている。

 当然か。本来ならば声を聞くこともできない雲上人の声を聞いているのだから。

 棒を掲げる兵士も誇らしげだ。

 雲上人の声を届けているのだからこれもまた当然と言える。


『まず、私は臣民諸君に詫びなければならない。偽帝アルフォートの奸計により私は皇位継承権を奪われ、エラキス侯爵領へと放逐された。結果、帝国は混乱し、諸君らに痛苦を与えることになった。全て、私の力不足によるものだ。すまなかった』


 人々がまたしてもどよめく。

 気持ちは分かる。

 というかエルザも同じ気持ちだ。

 まさか女帝ともあろう者が詫びるとは――。


「追及される前に謝ってしまおうという腹じゃな。くく、策士じゃな」

「私の感動を返せ」


 神官さんがニヤリと笑い、エルザは呻いた。

 いい感じで酔っている時に冷水をぶっ掛けられたような気分だ。

 人々に視線を向ける。

 その中には涙を流している者も、その場に蹲っている者もいる。

 だが、安堵しているかのような表情を浮かべている者も少なくない。

 女帝陛下の言葉で内乱が終わったと実感したのだろう。


『現在、帝国はかつての落ち着きを取り戻しつつある。だが、ここに至るまで多くの犠牲を積み重ねたのも事実だ。多くの者は私が皇位に居続けることを納得すまい。よって私は禅譲することに決めた』

「禅譲だって!?」

「禅譲って何だ?」

「馬鹿、禅譲ってのは皇位を他のヤツに譲ることだ」

「またアルフォートみたいなヤツが皇帝になるんじゃないだろうな」

「兵隊さん、どうなんだ?」

「黙って聞け」


 人々がどよめく。

 詰め寄る者もいたが、兵士は答えなかった。


『次の皇帝となるのは私の夫――クロノ・クロフォードだ』

「クロノ!? クロノって誰だ?」

「皇軍の指揮官だった男だよ」

「クロフォード? 殺戮者クロード・クロフォードと関係があるのか?」

「ああ、息子って話だ」

「だがよ、クロード様は平民上がりだろ?」

「ってぇことは平民が皇帝になったってことか」


 新皇帝の名を聞き、人々はそんな言葉を口にする。


「……ワシ、戴冠式の依頼を受けてないんじゃけど?」

「あとで遣いが来るんじゃないですか?」

「そうかの?」


 神官さんは腕を組み、首を傾げた。



『次の皇帝となるのは私の夫――クロノ・クロフォードだ』


 詰め所に設置された通信用マジックアイテムから女帝陛下の声が響く。

 ファルノスはイスの背もたれに寄り掛かって息を吐いた。

 意外だとは思わなかった。

 やはり、こうなったかという思いがある。

 偽帝アルフォートが討伐されて半年が経過した。

 帝国はかつての秩序を取り戻しつつある。

 この間にパラティウム公爵家を始めとする多くの貴族が没落した。

 仕方のないことだと思う。

 パラティウム公爵は女帝陛下に弓を引き、その他の貴族は偽帝に与して私益を貪った。

 自業自得――自分で蒔いた種だ。

 報いは受けなければならない。

 そう考えながら割り切れずにいる自分もいる。

 女帝陛下に弓を引いたというのならばファルノスもそうだ。

 皇軍が帝都に侵攻してきた時、バリケードを築いて侵攻を阻もうとした。

 にもかかわらずファルノスはもちろん、同僚も、部下も処罰されなかった。

 それどころか、自身の任務を遂行したことに労いの言葉を掛けられた。

 処罰されたい訳ではないが、何とも釈然としない。

 もやもやするのだ。

 恐らく、同じ立場でありながら処罰を免れた疚しさに起因しているのだろう。

 それはさておき、女帝陛下は多くの貴族を没落させた。

 さらに強引にいくつもの施策を推し進めた。

 これによって大小様々な恨みを買ったことは間違いない。

 今はまだいい。

 だが、帝国が落ち着きを取り戻せば不満を口にする者が現れるだろう。

 それを考えると禅譲して責任を取ったことにしてしまった方がいいと思う。

 しかし、この脱力感はどうだろう。

 まるで戦闘を終えた後のようだ。

 そんなことを考え、はたと気付く。

 戦闘を終えた――そうだ、終わりだ。

 今、一つの時代が終わったのだ。

 だからこその脱力感だ。

 部下はどうだろう? と視線を巡らせる。

 生憎、部下の多くは出払っていて若い女性の事務官が一人いるだけだ。

 机に向かって黙々と仕事をしている。

 視線に気付いたのだろう。

 事務官は手を止めると、こちらに視線を向けた。


「どうかなさったんですか?」

「ああ、いや、君は何も感じなかったのかと思ってね」

「何も?」


 事務官は不思議そうに首を傾げる。


「女帝陛下が皇位を夫に譲ることについてだよ」

「いえ、別に……」

「そうか」


 ファルノスは小さく溜息を吐いた。

 若者と話すと価値観の相違にびっくりすることがある。

 それにしても女帝陛下が禅譲するというのに『いえ、別に……』はないだろうと思う。


「ただ……」

「ただ?」

「忙しくならなければいいなと思います」


 ファルノスが鸚鵡返しに尋ねると、事務官は困ったように眉根を寄せて言った。


「そうか。確かに忙しくならなければいいな」

「はい、できるだけのんびりと過ごしたいです」

「そうだな」

「そうです」


 何が楽しいのか、事務官はくすくすと笑った。

 ああ、そういうことか。

 ようやく合点がいった。

 彼女にとって女帝陛下の退位は終わりではないのだ。

 いや、と思い直す。

 確かに女帝陛下の退位は一つの終わりだ。

 だが、ファルノスの人生はまだ続くのだ。

 ゴホ、ゴホッという音が響く。

 誰かが咳き込んでいるのだ。

 音のした方を見ると、通信用マジックアイテムがあった。


『……皆さん、初めましてクロノ・クロフォードです』


 ややあって通信用マジックアイテムから声が響く。

 クロノの声だ。

 緊張しているのだろう。

 声が震えている。

 頑張れ、と心の中で声援を送る。


『このたび、皇位を継承することとなりました。さて、突然ですが、皆さんは自身の出自に苦しめられたことはありませんか?』


 本当に突然だな、とファルノスは苦笑した。



『このたび、皇位を継承することとなりました。さて、突然ですが、皆さんは自身の出自に苦しめられたことはありませんか?』


 ニコルは通信用マジックアイテムを握り締めながらかつてスラムだった場所を見つめた。

 かつて、スラムだった場所――そう、過去形だ。

 今は廃墟だ。帝国の治安回復作戦によって住人は殺され、家は焼き払われた。


「ボウティーズ男爵、登城はなさらないのですか?」


 背後から声が響く。

 いつもなら驚いて息を呑むところだが、今日は驚かなかった。

 多分、感傷的な気分になっているからだろう。

 ネージュが隣に立つ。

 正面に向き直り、廃墟――いや、廃墟に佇む少女を見つめる。

 義勇軍で雑用をしていた少女だ。

 いつ頃、仲間になったのかは覚えていない。

 気が付いたらいたという印象だ。

 珍しいことではない。

 組織が大きくなると、そういうことはままあるものだ。


「お前こそ、城に行かなくていいのかよ?」

「僕はアルコル宰相に嫌われてますからね。居心地が悪いんですよ」

「三十年以上前とはいえ、皇帝を殺そうとしたんだ。嫌われて当然だろ」

「いや、耳が痛い」


 ははッ、とネージュは声を上げて笑った。

 何ともわざとらしい。


「……俺も同じだ」

「同じ? 一度も登城したことがないのにですか?」

「揚げ足を取るんじゃねーよ」


 ニコルは小さく吐き捨てた。


「曲がりなりにもボウティーズ男爵領を治めているんです」

「曲がりなりにもは余計だ」


 ニコルはイラッとして返す。


「ったく、前任者の尻拭いで時間と金を使っちまった。いい迷惑だぜ」

「そのお陰でかなり安全に大理石を切り出せるようになりましたけどね」

「ったりめぇだ。これで何も成果が上がらなかったら尻を捲って逃げてら」


 ニコルはボウティーズ男爵になってからの苦労を思い出して顔を顰めた。

 前任者は本当に碌でもないヤツだ。

 端金で知識――先祖代々、石切場で働いていたミノタウロスを売り飛ばしてしまった。

 戻ってもらおうにも今の生活があるのでと断られる始末だ。

 協力してくれてもいいじゃねーかと思ったが、納得している自分もいた。

 連中はシルバニアで安全に金を稼げるのだ。

 危険な石切場に戻りたがる訳がない。

 仕方がなく、伝手を辿って技術者を雇った。

 現役を退いて何年も経つドワーフの爺さんだ。

 正直に言えば不満だ。

 頭を下げ、大金を支払い、ようやく雇えたのがこれかよと思った。

 しかも、口が悪い。

 前任者の不始末でどれだけ罵倒されたことか。

 これで仕事ができなければ殺している所だ。

 マズい。爺さんのことを思い出して苛々してきた。

 その時――。


『理不尽に受けた痛みに涙を流したことはありませんか? 無力さを嘆いたことや希望が欲しいと思ったことはありませんか? 今を変えたいと思ったことはありませんか?』


 通信用マジックアイテムからクロノの声が聞こえてきた。

 それで少しだけ冷静になれた。

 いや、ナーバスな気分になったと言うべきだろうか。


「…………ああ、あるぜ」

「藪から棒にどうしたんです?」

「独り言だ。いちいち反応するんじゃねぇ」

「分かりました」


 そう言って、ネージュは黙り込んだ。

 沈黙が舞い降りる。

 居心地の悪い沈黙だ。


「……俺はスラム出身でよ」

「……」


 沈黙に耐えられなくなって呟くが、ネージュは反応しない。


「このクソみたいな環境から抜け出そうと悪さをしたもんだ」

「……」


 やはり、ネージュは反応しない。

 それでいいと思う。

 恐らく、こいつは自分なんかよりよほど碌でもない人生を送っている。

 しかも、過酷な経験を積んできたせいか情緒がぶっ壊れている。

 共感なんぞ望めない相手だ。

 だから、黙って聞いてくれるだけでありがたい。


「治安維持作戦が行われるって話を聞いた時も自分の部下を守るだけで何もしなかった」

「廃墟になった故郷を見た感想はどうです?」

「嫌なことを聞きやがるな」


 ニコルは顔を顰めた。


「清々すると思ったんだが、どうも俺は自分で思ってたほどここが嫌いじゃなかったみてぇだ。だからつって、心が痛むわけでもねぇけどな。ただ、まあ――」

『自分の子どもに幸せになって欲しいと願ったことはありませんか?』


 ニコルの言葉はクロノの声によって遮られた。

 タイミングが悪ぃと思う。

 だが、それでいいような気もした。

 何もかも他人に打ち明ける必要はないのだ。



『自分の子どもに幸せになって欲しいと願ったことはありませんか?』


 何処からかクロノの声が響き、タウルは足を止めた。

 ふと息子――ガウルのことを思い出す。

 小さい頃の息子は素直ないい子だった。

 息子が立派な騎士となり、帝国を守る姿を夢想していたものだ。

 それなのに何処でボタンを掛け違えてしまったのだろうか。

 いや、考えるまでもない。

 タウルが厳しく接したからだ。

 今にして思えば息子は常にベストを尽くしていた。

 にもかかわらず、それ以上を望んでしまった。

 それだけではない。

 クロードの息子――クロノと比べてしまった。

 それが息子を追い詰めることになると考えもしなかった。

 どうして、あんなことをしてしまったのだろう。

 クロードを超えたいという思いが未だに燻っていたのだろうか。

 だとしたら、なんと愚かなことをしてしまったのか。

 だが、今更だ。

 息子は死んでしまった。

 仲間のために命を懸けて道を切り開いた。

 誇るべきなのだろう。

 誉めるべきなのだろう。

 だが、どうしてか誇ることも、誉めることもできなかった。

 今更のように思う。

 英雄になんてならなくていい。

 ただ、幸せになって欲しかったと。


「……あなた」


 背後から声が響く。

 妻の声だ。

 振り返って妻を見つめる。

 老けたと思う。

 記憶にある姿よりも十歳は老けて見える。

 その原因が息子の死にあるのは間違いない。

 無理もない。

 そう思う一方で、どうして孫の誕生を祝福してやれなかったのかとも思う。


「もう行かれるのですか?」

「ああ……」


 妻の言葉にタウルは頷いた。

 頷くことしかできない。


「ゆっくりなさってからでも罰は当たらないと思いますが……」

「もう決めたことだ。ガウルの任を引き継ぐ。そして、ガウルの子を守る」

「ガウルの子などとおぞましい。蛮族の子ではありませんか」

「違う。ガウルの子だ」


 妻が吐き捨てるように言い、タウルは小さく頭を振った。

 途方もない疲労感を覚える。

 何度も同じ遣り取りをした。

 言葉を尽くした。

 情にも訴えた。

 それでも、妻はガウルの子を蛮族の子と言い張った。

 何故、と思う。

 何故、ガウルは自分に相談してくれなかったのか。

 自分ならば祝福した。

 それなのに――。

 ああ、いや、分かっている。

 全て、自分が悪いのだ。

 厳しく接して相談できないようにしてしまった。

 自分達は夫婦なのだと痛感する。


「私は認めていませんよ。蛮族の子に家督を継がせるなど……」

「もう決めたことだ」

「皆が黙っていません」


 タウルは苦笑した。

 皆――皆とは誰のことだろう。

 親戚のことか。

 付き合いのある貴族のことか。

 あるいは妻自身のことか。


「女帝陛下はガウルの子が家督を継ぐことを承知して下さった。新たに皇帝となるクロノ殿もだ。それでも、いかんのか?」

「それは……」


 妻は口籠もった。

 目が忙しく動く。

 そこに――。


『僕は、いえ、私は誓います。全ての人々が自身の境遇に苦しまずに済み、理不尽に涙することも無力さに嘆くこともない、希望を抱ける国を目指すことを……。そして、帝国に忠誠を誓う限りにおいて、貴族も、平民も、亜人も、異民族も、奴隷も等しく扱うとッ!』


 クロノの声が響く。


「クロノ殿の言葉を聞いただろう?」

「ただの言葉です。ましてや彼は傭兵の息子です」

「時代は変わる。もし、ガウルの死に責任を感じているのならば――」

「私は貴族の女なのです」


 妻はガウルの言葉を遮って言った。


「そうか」

「そうです」

「分かった」


 タウルは妻に背を向け、ゆっくりと歩き出した。

 もう屋敷に戻ることはない。

 そんな予感がする。

 だが、いつの日か妻も分かってくれるのではないか。

 そんな淡い期待を抱いてもいる。

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