第18話『決戦・裏』その12
セシリーは馬を進めながら視線を巡らせた。
道は舗装され、石造りの建物が建ち並んでいる。
全体としては整然とした街並みと評していいだろう。
パラティウム公爵領――ミソロス。
領主であり、公爵家の当主でもあるロムス・パラティウムが住む街だ。
セシリーがいるのは街の中心部、公爵邸の近くだ。
そのせいか人気はない。
建物が古めかしいこともあって廃墟のように見える。
もちろん、そんなことを口にすれば怒りを買うか、見識の浅さを嘲笑されるだろう。
どちらの対応をされるにせよ、歴史的経緯を考えれば正当と言えるだろう。
ミソロスは二代目皇帝の時代に作られた四百年近い歴史を持つ街だ。
当然、先の内乱を経験している。
さらに言えばこの街には城壁がない。
二代目皇帝の弟――初代パラティウム公爵は叛意がないと示すために城壁を築かなかったのだ。
にもかかわらず、古い建物が残っている。
これは驚くべきことだ。
この街はパラティウム公爵家の威光、歴代当主の有能さを示しているのだ。
そんなことを考えていると――。
「セシリー、もう少し私の淑女を労ってやってくれないかな?」
「……分かりましたわ」
背後から兄の声が響き、セシリーは溜息を吐いた。
手綱を引き、馬の歩調を落とす。
すると、兄はすぐに追いついてきた。
帝国最高の騎兵だというのに情けない。
一方でこの状態でも兄には勝てないという確信がある。
馬上槍試合でも、競走でもだ。
きっと、兄は馬が疲弊しているというハンディを技術で埋めてしまうに違いない。
口惜しいが、世の中には努力だけでは埋められないことがあるのだ。
「やはり、パラティウム公爵領は古い建物が多いね」
「……お兄様」
兄が他人事のように呟き、セシリーは溜息を吐いた。
いや、他人事であることに違いはない。
だが、兄はハマル子爵家の当主だ。
家格で及ばなくても向上心を忘れるべきではない。
そんな気持ちが伝わったのだろうか。
兄は視線を向けてきた。
「どうしたんだい?」
「お兄様の態度に呆れていただけですわ。お兄様も当主ならばパラティウム公爵家から気概を学ぶべきではなくて?」
「セシリーは本当に母上そっくりだね」
「そういうお兄様はお父様そっくりですわ」
兄が溜息交じりに言い、セシリーはムッとして言い返した。
「それで、何を学べばいいんだい?」
「だから、気概ですわ」
「気概?」
横目で見ると、兄は不思議そうに首を傾げていた。
セシリーは深々と溜息を吐いた。
上り調子だった兄に対する評価が暴落した。
まったく、どうしていつもこうなのだろう。
もっとちゃんとして欲しい。
もっとちゃんと――兄としての威厳を示して欲しかった。
セシリーに凡人であることを思い知らせて欲しかった。
そうすれば長々と劣等感を抱えなくて済んだ。
ご奉仕メイドにならずに済んだのだ。
何もかも中途半端に凡人を装う兄のせいだ。
「古い建物はパラティウム公爵家の威光と歴代領主の――」
「威光も何もパラティウム公爵領は先の内乱で敵の侵入を許してるよ」
セシリーの言葉を兄は遮った。
「本当ですの?」
「ミソロスは無事だったけど、それ以外は被害が出ているよ」
「ですが、城壁もなしに――」
「城壁がないからと言って、障害がないとは限らないよ」
兄はまたしてもセシリーの言葉を遮った。
さらに言葉を続ける。
「領地の広さに比べてパラティウム公爵領は街道が整備されていないんだ。要するに進軍ルートを限定して、そこを重点的に防御したということだね。まあ、贅沢な戦略だよ」
「わたくし達はミソロスまで辿り着きましたわ」
セシリーはムッとして言い返した。
夜陰に乗じ、間道を利用したとはいえ、自分達はミソロスに辿り着いた。
それは兄の考察が間違っている証拠ではないか。
「確かに当時の人々にも私達と同じことができただろうね。けれど、当時は今よりも騎兵の確保が難しかったんだよ。きっと――」
「はいはい、分かりましたわ。わたくしの見識が浅うございました」
セシリーは兄の言葉を遮った。
結論は出ているのだ。
話を続けてもストレスが溜まるだけだ。
ならば話を切り上げてしまった方がいい。
沈黙が舞い降り、馬蹄の音が響く。
不意に兄が口を開いた。
「セシリー、お前が私にもっとちゃんとして欲しいと思っているのは分かるが、世の中にはできることとできないことがあるんだよ」
「それで、妹をクロノ様に売りましたのね」
「我ながらいい判断だったと思うよ」
「何処がですの!?」
兄が満足そうに言い、セシリーは声を荒らげた。
一体、何がいい判断だというのか。
「皇軍が勝てばお前はクロノ殿……皇配の妾になる訳だからね。地方領主の妾で終わるよりよかっただろう?」
「悪くないと思えればいいんでしょうけれど……」
「けれど?」
「何も変わらないような気がしますわ」
セシリーは小さく溜息を吐いた。
皇配の妾になった自分が全くイメージできない。
イメージできるのは女官用の服を着て、ご奉仕している自分の姿くらいだ。
「まあ、そんなものだよ」
「何がですの!?」
「変わるのは他人の目ということさ」
「きっと、その中にはお兄様も含まれますわね」
「そうだね」
「……」
こともなげに答える兄にイラッとする。
気持ちが伝わったのか。
馬が歩調を速める。
兄とその愛馬の姿が視界から消える。
「セシリー、さっきも言った通り私の淑女はお疲れなんだ」
「分かってますわ」
セシリーは手綱を引き、兄の愛馬にスピードを合わせる。
腰のポーチに触れると、歪んでいるのが分かった。
筒状に丸めた羊皮紙――パラティウム公爵への書簡を入れているためだ。
「そんなに馬が疲れているのなら代理に届けさせるべきだったのではなくて?」
「最初はそうしようと考えたのだけれどね」
兄は軽く肩を竦めた。
「何故、考えを改められたんですの?」
「こっちの方が成功率が高そうだと思ってね」
「成功率も何も書簡を渡すだけの簡単なお仕事ですわ」
セシリーは道中の出来事を思い出しながら言った。
といっても思い出すことはあまりない。
精々、兄の方が自分より美味く料理を作れる程度だ。
くッ、と小さく呻く。
自分はメイドなのだ。
料理の練習もしている。
初期に比べて腕が上がっていると自負している。
だというのに兄に負けた。
もちろん、セシリーにも言い分はある。
自分は野外で料理を作ったことが殆どない。
機会がなかった。
いや、機会はあったが、自分からやろうとしなかった。
だからだ。経験を積めば兄より美味く料理を作れる。
そのはずだ。
「どうしたんだい?」
「な、何でもありませんわ!」
「そうかい?」
沈黙が舞い降り、馬蹄の音だけが響く。
規則正しい音を聞いていると穏やかな気分になる。
この戦いが終わったら――。
「私はてっきり料理の腕に嫉妬しているのかと思ったよ」
「料理の腕に嫉妬? 何を仰ってますの? そもそも、わたくしはお兄様に負けただなんて思っていませんわ。これでも、わたくしはメイドですのよ。そのわたくしがお兄様に負けるなんてありえませんわ」
「……そうか」
「どうして、間を空けるんですの?」
「いや、お前の本心は何処にあるのかと思ってね」
「わたくしの本心はここにありますわ」
「ああ、見えてきた。パラティウム公爵邸だ」
セシリーは胸を叩いたが、兄は呑気にパラティウム公爵邸を見上げている。
ぐッ、と呻き、公爵邸に視線を向ける。
当たり前といえば当たり前だが、以前見た時と変わりなかった。
自然石で作られた四階建ての建物だ。
外観は城だが、居住性に重きを置いているので防御力はないに等しい。
周囲を取り囲む高い塀も破城槌で一、二撃すれば破壊できるはずだ。
塀沿いに進むと、門が見えてきた。
門の前には槍を構えた二人の兵士――門番がいる。
「任せたよ」
「お兄様が対応すればよろしいのではなくて?」
「任せたよ」
「……分かりましたわ」
セシリーは溜息交じりに頷いた。
前回は兄が対応した。
それなのに、どうして自分が対応しなければならないのだろう。
兄なりの思惑があるのは分かるが、面白くない。
昔からこういう所が嫌いなのだ。
とはいえ、前言を撤回させるにはそれなりに材料が必要だ。
残念ながら使えそうな材料がない。
小さく溜息を吐き、馬をそのまま進める。
門まで十メートルという所で門番が動いた。
こちらを向き、槍を構える。
止まれということか。
だが、セシリーは構わずに馬を進ませた。
九メートル、八メートル、七メートル、六メートル――。
「と、止まれ! ここはパラティウム公爵の邸宅だぞッ!」
門番が声を張り上げ、セシリーは手綱を引いた。
馬が歩みを止める。
すると、門番はホッと息を吐いた。
恐らく、実戦経験がないのだろう。
それだけ治安がいいということだが、正直にいえばがっかりした。
今は二つの陣営に分かれて争っている最中だ。
だというのに――。
いや、そんなものか。
人間はなかなか覚悟を決められない生き物なのだ。
「な、何の用だ?」
「公爵閣下にお目通り願いますわ」
ふん、とセシリーは鼻を鳴らした。
すると、門番は顔を見合わせた。
改めてこちらを見て、口を開く。
「何のために?」
「何故、わたくしが説明をしなければなりませんの?」
「お、俺達は門番だ。不審者を通す訳にはいかない」
「不審者ですって? わたくしはセシリー・ハマル! ハマル子爵家当主の妹にしてティリア皇女麾下の騎兵隊員ですわッ!」
セシリーは思わず声を荒らげた。
「そのわたくしが会いたいと言っているのですからお伺いを立てるべきではなくて?」
「公爵閣下は忙しい」
「そうだ。それに、何の用事かも分からず取り次げる訳がないだろう」
「貴方達は馬鹿ですの?」
「「――ッ!」」
溜息交じりに言うと、門番は鼻白んだ。
本当に嫌になる。
もう少し察しがよくてもいいだろうに。
「わたくしは軍務で来ているんですのよ、軍務で。それなのに、軍務の内容をぺらぺらと口にできると思いますの?」
「そ、それは……」
「それでも、用件も分からないのに取り次ぐことはできない」
門番の一人は口籠もったが、もう一人はきっぱりと言い放った。
なかなか骨があるようだ。
しかし、この場に置いては苛立ちしか感じない。
こっちは急いでいるのだ。
もう少し融通を利かせてくれてもいいだろうに。
「貴方、名前は?」
「アイザックだ」
「覚えておきますわ」
ふん、と鼻を鳴らす。すると、アイザックの目尻が震えた。
槍を握る手に力が入る。
やる気だろうか。
そっと手綱から手を放し、唇を舐める。
次の瞬間――。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
兄が割って入った。
今までの遣り取りを見ていなかったのかと思うほど呑気な声だった。
イラッとするが、苛立ちをぶつける訳にはいかない。
一応、上司なのだ。
無闇に逆らえない。
「こんな御時世ですからね。得体の知れない人間と接触したくない気持ちは分かります」
「ご理解頂き、感謝します」
アイザックがホッと息を吐き、兄が目配せをする。
書簡を渡せと言いたいのだろう。
すっとぼけたかったが、察しの悪い女だと思われたくない。
せめてもの抵抗に小さく息を吐き、書簡を差し出す。
兄は書簡を手に取り、アイザックに差し出した。
「では、こちらの書簡をパラティウム公爵にお渡し下さい」
「承知しました」
アイザックは恭しく書簡を受け取った。
自分の時と態度が違う。
そのことに苛立ちを覚える。
文句を言ってやろうと口を開くが――。
「セシリー、出直そう」
そう言って、兄は馬首を巡らせた。
セシリーは口を閉じ、アイザックを睨み付けた。
こちらを見ている。
いや、睨んでいる。
やはり、文句を言ってやりたい。
だが――。
「セシリー、出直すよ」
「……分かりましたわ」
上官の命令には逆らえない。
そう自分に言い聞かせ、兄の後に続く。
無言で進み――。
「あの門番は何ですの!? まったく、良識を疑いますわ! わたくしは軍務で来たんですのよ? 軍務で! だというのに……。所詮、一般兵ですわね! 自分の軽はずみな行動が戦況にどんな影響を与えるか分かっていないんですわ!」
「……」
セシリーは怒りをぶちまけたが、兄は無言だ。
軽く肩を竦めている。
苛立ちが増す。
愚痴に付き合ってくれてもいいではないか。
「お兄様! 聞いてますの!?」
「聞いてるよ。うん、聞いている」
「聞いているとは思えませんわ!」
セシリーは声を荒らげ、息を吐いた。
「……それで、いつ出直しますの?」
「いや、出直さないよ。用件はこれで終わりだ」
「何ですって?」
「だから、用件は終わりなんだ」
思わず問い返すと、兄は言い含めるように言った。
「どういうことですの?」
「セシリー、私達の目的は何だい?」
「パラティウム公爵に揺さぶりを掛けることではありませんの?」
「覚えていたか。安心したよ」
「お兄様、わたくしは馬鹿ではなくてよ」
兄がホッと息を吐き、セシリーはムッとして言い返した。
「そりゃ、まあ、確かに書簡を書いた時はパラティウム公爵を皇軍に引き入れるつもりかと思いましたけれど……」
「……セシリー」
「だって、仕方がないじゃありませんの」
兄が溜息を吐くように言い、セシリーは唇を尖らせた。
書簡を書いたのはセシリーだが、文面を考えたのは兄だ。
その内容はどう考えても味方に引き入れようとしているようにしか思えなかった。
レオンハルトを動かすためと分かっていてもだ。
「もし、パラティウム公爵が皇軍に付いたらどうしますの?」
「パラティウム公爵は新貴族の風下に立たないと言ったのはお前だろうに」
「万が一ですわ、万が一」
「億が一もないだろうけどね」
兄は小さく息を吐いた。
パラティウム公爵家が味方にならないと確信しているかのような口調だ。
何故、そんな風に考えられるのだろう。
一体、何を根拠に――。
「不思議かい?」
ええ、とセシリーは頷いた。
「お前はもう少し自分を理解した方がいいね」
「自分を?」
鸚鵡返しに呟くが、兄は苦笑するだけだった。
※
パラティウム公爵――ロムス・パラティウムは執務室で報告書を読んでいた。
ロムスの領地は広大だ。
とても一人では管理できない。
だから、各地に代官を置いて報告書を送らせている。
なかなか骨の折れる作業だ。
だが、報告書に目を通していると不思議な高揚感を覚える。
領主としての責を果たさなければという使命感が湧き上がってくる。
報告書を読み終え、報告書の束の上に重ねる。
その拍子に手紙が見えた。
レオンハルト――息子からの手紙だ。
少し前に届いたが、まだ目を通していない。
まあ、こんな御時世だ。
どんな内容かおおよそ察しが付く。
アルフォート皇帝とティリア皇女の権力争いに関することだろう。
戦いの趨勢が明らかになるまで中立を保つべきと遠回しに書いているに違いない。
意見があるのならばはっきり言えばいい。
それが正直な気持ちだ。
だというのに遠回しな表現を用い、紙を使って正式な文書ではないとアピールする。
一体、何を考えているのか。
いや、ロムスの体面を慮っていることは分かる。
だが、息子の心底が分からない。
もっとも、それは今に始まったことではない。
昔からそうだった。
せめて、分かりやすく何かに執着してくれていればと思う。
金でも、権力でも、女でもいい。
何に執着しているのか分かれば息子を理解できた。
息子を理解していると思うことができた。
錯覚だとしても今よりマシな気分に違いない。
そんなことを考えていると、トントンという音が響いた。
扉を叩く音だ。
「……入れ」
ロムスは居住まいを正し、入室を許可した。
静かに扉が開く。
扉を開けたのは家令のアルフレッドだった。
髪は真っ白だが、背筋はしゃんと伸びている。
軽く目を見開く。
書簡――筒状に丸めた羊皮紙を載せた銀のトレイを持っていたからだ。
アルフレッドが恭しく一礼する。
「旦那様、失礼いたします」
「……うむ」
ロムスが鷹揚に頷くと、アルフレッドは足を踏み出した。
静かに歩み寄り、立ち止まる。
「よろしいですか?」
「……うむ」
アルフレッドは静かにトレイを机に置いた。
ロムスは封蝋を見つめた。
馬の紋章――ハマル子爵家の家紋だ。
「なんだ、また来たのか」
「……はぁ」
アルフレッドは間を置いて頷いた。
気の抜けた返事だ。
他の者であれば叱責しているが、彼ならば話は別だ。
何かあったに違いない。
「何かあったのか?」
「どうもトラブルがあったようです」
「ふむ、どんなトラブルだ」
「何でも使者……セシリー・ハマルを名乗る女性と門番が押し問答になったと」
「大方、その門番が居丈高な態度を取ったのだろう」
ふん、とロムスは鼻を鳴らした。
門番は帝国の兵士だ。
指揮権は自分にない。
だというのに門番はパラティウム家に仕えているかのような顔をする。
他の兵士もそうだ。
余計な軋轢を生みたくないから帝国軍を受け入れてやっているのに――。
それさえなければ追い出して自分の兵士を配置している。
「いえ、聞いた限りではどうも使者の態度が悪かったらしく……」
「門番の話だけでは判断できんな」
ロムスは書簡を手に取り、紐を解いた。
内容に目を通し、頭の中が真っ白になった。
「閣下!」
「――ッ!」
アルフレッドの声でロムスは我に返った。
思わず周囲を見回す。
いつの間にかイスから立ち上がっていたようだ。
「どうかなされましたか?」
「……何でもない」
平静を装って答え、顔を顰める。
今更、取り繕ってどうするというのか。
我を忘れて立ち上がるなどという真似をした後なのだ。
これでは恥の上塗りだ。
どっかりとイスに腰を下ろす。
イスから立ち上がり、座っただけ。
だというのに疲労感を覚えた。
怒りとはこれほど疲れるものだっただろうか。
「……旦那様?」
「下がれ」
気遣わしげに声を掛けてきたアルフレッドから顔を背ける。
「承知いたしました」
アルフレッドの気配が遠ざかる。
扉の閉まる音が響き――。
「旦那様、どうか冷静に……」
「――ッ!」
口を開いた瞬間、扉が閉まった。
怒りの捌け口を失い、唇を噛み締める。
ここが執務室でなければ大声で喚き散らすか、何かを殴りつけている所だ。
ロムスは再び書簡に目を通す。
再び怒りが込み上げる。
その内容は皇軍の指揮下に入れというものだ。
それはクロノ――新貴族の下に付けと言われているに等しい。
一体、何様のつもりか。
パラティウム公爵家は皇室から分かれた家なのだ。
この身には初代皇帝の血が流れている。
だというのに何処の馬の骨とも分からぬ者の下に付けという。
ふざけている。
腸が煮えくりかえるとはまさにこのことだ。
下に付けと言われただけでこれほどの怒りを感じている。
非公式なものであれば一笑に付せただろう。
だが、これは正式な文書だ。
正式な文書で命令されたのだ。
さらに流麗な筆致と教養を感じさせる文体が怒りを煽る。
こんなものを見せられて、誰が味方になるものか。
鉄臭い味が口内に広がる。
噛み締めた唇が切れたのだ。
血の味で幾ばくかの冷静さが戻り、疑問が湧き上がる。
この内容を鵜呑みにしていいのだろうかと。
冷静に考えてみればおかしい。
パラティウム公爵家を味方に引き入れたいのなら礼を尽くすべきだ。
だというのに怒りを煽るような真似をしたのは何故か。
怒らせること自体が目的なのではないか。
そんな気がする。
前回ハマル子爵と会った時、ロムスは大して話しもせずに追い返した。
だが、相手が釈明しに来たら話だけでも聞こうとするのではないか。
ふざけた真似をする。
とはいえ冷静さを失っていたのも事実だ。
幸い、自分は冷静さを取り戻せたが――。
「……何故、こんなことをしてまで」
ロムスは自問し、帝都から送られてきた書簡を思い出した。
檄文といえば聞こえはいいが、要は助けを求める書簡だ。
あの時はアルフォートに与するべきではないと判断した。
理由は単純だ。負け戦に付き合いたくなかった。
「……だが、考えを改めるべきかも知れん」
ロムスは小さく呟く。
ハマル子爵ともあろう者があんな書簡を寄越したのだ。
それは仲間に引き入れたい、最悪でも足止めしたいという意思の表れではないか。
だとすれば帝国軍と皇軍は互角の戦いを繰り広げていると考えられる。
どうする? とロムスは自問する。
今の立場――中立を貫く。
これが最もリスクが少ない。
息子もそう言っている。
だが、息子の言葉に従っていいのだろうか。
確かに息子は有能だ。
若輩の身でありながら幾つも戦功を立て、近衛騎士団の団長を務めている。
ロムスは――、いや、止そう。
三十年以上前のことを思い出しても仕方がない。
別に構わないではないか。
あの内乱で戦功を立てられなかったとしても。
そもそも、自分は戦う機会さえ与えられなかった。
戦えなかったのだ。
自分と息子を比べても仕方がない。
しかし、これは正しい選択なのか。
リスクを意識しすぎてリターンを無視していないか。
もし、帝国の勝利に貢献することができれば公爵家は今以上の繁栄を手にできる。
分かたれた血統を再び一つにすることも不可能ではない。
軍を率いて帝国を勝利に導き、新たな皇室を作る。
ロムスは小さく頭を振った。
あまりに都合よく考えすぎだ。
それに、自分が動いたら息子はどう思うだろう。
きっと、落胆するに違いない。
「……落胆か」
ロムスは息子からの手紙を見つめた。
今回の件も息子ならば中立を選ぶだろう。
中立を保てば現状を維持できる。
だが、それでは繁栄など望めない。
それに、ティリア皇女が勝ったら新貴族の風下に立つことになる。
あの野蛮な連中が自分の上に立つ。
想像しただけで口の中に苦いものが広がる。
矜持――貴族の誇りを踏みにじられる。
最後まで決断のできなかった腰抜けと嘲られる。
現状維持か、飛躍か。
ロムスは手を組み、思案を巡らせた。
そして――。




