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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第6部

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第17話『後日談』



 帝国暦四三三年三月――アーサー・ワイズマンは教師である。

 かつては軍学校で教鞭を執っていたが、解雇され、現在はエラキス侯爵領で人材の育成に励んでいる。

 今の仕事に不満はない。

 学生は向学心に溢れ、アーサーに敬意を払ってくれる。

 二人の女性教員も敬意を払ってくれる。

 時折、軍学校を解雇されて良かったのではないかと思うことがある。

 もっとも、これは今だから言えることだ。

 軍学校を解雇された時は途方に暮れた。

 いや、ショックの方が大きかっただろうか。

 二十五年、教師補として働いた。

 仕事は落ち零れた学生に補講を行うことだったが、誇りを持って働いていた。

 解雇を宣告された時、誇りを、自負を、人生を否定されたような気がした。

 きっと、教え子も同じような苦しみを味わったに違いない。

 学生の気持ちを理解するように努めていたつもりだが、もっと心に寄り添った教育をすべきだったのではないかと思う。

 しかし、これも無事に就職が決まった今だから出てくる発想だ。

 あの時はかつての自分を省みる余裕はなかった。

 足は古傷のせいで自由に動かせず、家庭教師の仕事をしようにもコネはなく、私塾を開こうにも先立つものがなかった。

 そこで初めて自分が軍学校という堅固な城砦に守られていたことに気付いた。

 それに身一つで放り出されるまで気付かないなんて間抜けな話だ。

 気付いていればもう少し上手く立ち回れたかも知れない。

 幸い、次の就職先は旧友のお陰であっさり決まった。

 城砦の隣に知り合いの家が建っていたようなものだ。

 こうして、アーサーはエラキス侯爵領で人材育成に励むことになったのだが、獣人の兵士に懇願されて勉強を教えることになり、あれよあれよと言う間に五百人余りの教育を担当することになった。

 正直、兵士の横の繋がりを甘く見ていた。

 クロノが二人の女性を教員として採用してくれなければ過労死していただろう。

 二人の女性教員を監督しながら人材育成を行う。

 それがアーサーの仕事なのだが、最近になって鉄の茨と十字弓の研究が加わった。

 しかも、ティリア皇女直々の命令だ。

 なんという光栄。

 騎士としてこれほどの誉れがあるだろうか。

 アーサーが感動に身を震わせていると、アリデッドとデネブの姉妹は憐れむような表情を浮かべ、嫌なことは嫌と言った方が良いみたいな、とアドバイスしてきた。

 ま、まあ、彼女達に悪気がないのは分かっている。

 世代が違うのだ。

 士爵位が徐々に価値を失っていたように皇室の権威も失われつつあるのだろう。

 それでも、皇室に忠誠を捧げることが正しいと信じている。

 時代が変わったからと、信じるものを変えることはできない。

 誰に理解されなくても自分だけはティリア皇女からご下命を賜ったことを誉れとしよう。

 そんなことを考えて苦笑する。

 これでは上手く立ち回ることなど不可能だと気付いたからだ。

 アーサーは自身の役目を果たすために櫓に登る。

 櫓は急拵えとは思えないほど堅牢な造りだ。

 足が不自由なことを考慮してくれたのだろう。

 梯子ではなく、内側に螺旋階段が設けられている。


『先生、大丈夫ですかい?』(ぶも~?)

「ああ、大丈夫だよ」


 櫓から身を乗り出し、下にいるミノに手を振る。

 堅牢な櫓であるが、ミノタウルスの体重を支えるには不十分だ。

 階段を登り終え、練兵場を見下ろす。

 そこには鉄の茨を用いた柵が立っている。

 二本の縦線の間に絡み合う無数の円を描いたような柵と表現すれば良いだろうか。

 これが一番しっくりくる。

 この形に落ち着くまで試行錯誤があった。

 鉄の茨は樽に巻き付けられていたせいで歪んでいた。

 最初は鉄の茨を真っ直ぐに伸ばして作っていたが、わざわざ伸ばしてたんじゃ手間が掛かって仕方がないし! の一言で伸ばさずに使うことになった。

 すると、どうだろう。

 通り抜け困難になったばかりか、武器を振り下ろしても鉄の茨を支柱に固定している釘が抜けなくなったではないか。

 さらに鉄の茨で作った柵は魔術にも強い。

 支柱ごと吹き飛ばすような魔術か、特殊な魔術でなければ破壊できない。

 その柵を挟んで、木の棒を持った十人の獣人と十字弓を構えた五人の獣人……その背後には五人の獣人が立っている……が対峙している。


「さあ、今日こそ攻略するでありますよ!」

『うぃ~す』(が~う)


 フェイが背後から檄を飛ばしたが、木の棒を持った獣人達は全くやる気がない。

 それもそのはず、彼らは柵を突破できないことを知っているのだ。


「ふははっ! 我が力を味わえみたいな!」


 アリデッドが哄笑する。

 連勝していて調子に乗るのは分かるのだが……いや、指摘する必要はないか。


「……では、始め」


 アーサーが通信用マジックアイテムに呟くと、フェイが木剣を片手に飛び出した。


「ぎゃぁぁぁっ! 指揮官が突っ込んでくるのはルール違反だし!」

「そんなルールはないであります! ないと教えて貰ったであります! そういう重要なことは最初から教えて欲しいであります!」


 黒い光が煙のようにフェイの体から立ち上る。

 神威術だ。

 果たして鉄の茨は神威術に対しても優位性を保てるか。


「撃て撃て撃て! 近づけさせるなみたいな!」


 アリデッドが叫ぶと、五人の獣人が十字弓の引き金を引いた。

 隊列は二列横隊。

 前衛が撃ち、後衛が弦を引くという役割分担だ。

 十字弓の数が多ければもっと連射性を高められるが、十挺しかない現状では横一列に並んで撃つよりもマシ程度の効果しかない。

 フェイはジグザグに移動しながら柵に近づいていく。


「弾幕薄いし! 何やってるのみたいな!」


 アリデッドが悲鳴じみた声を上げた。

 だが、それが悪かったのだろう。

 獣人達はフェイを狙ってしまう。

 熟練者ならばフェイの行動を先読みできただろうが、十字弓を扱うようになってから一カ月経っていない彼らには難しい。

 結果、無駄に矢を放つことになった。


「神よ、我が刃に祝福を!」


 フェイが闇を纏った木剣を振り下ろすと、鉄の茨はいとも容易く両断された。


「木剣で鉄を斬るとか非常識すぎるみたいな!」

「連敗した恨み! 思い知るであります!」


 フェイは柵の内側に飛び込み、十字弓を構える獣人に襲い掛かった。

 やはりと言うべきか、新発明は神威術に及ばないらしい。


「……指揮官が突っ込んで良いのは今日だけなんだけどね」


 アーサーが櫓から下りると、ミノが声を掛けてきた。


『先生、どう思いやす?』(ぶも~?)

「鉄の茨は申し分ないね。横木が必要ないから設置する時間を省けるし、破壊する方法も限られてる」

『あっしもそう思いやす。フェイにはあっさり突破されちまいやしたが、敵の最大戦力を引き摺り出せるのは悪くありやせん』(ぶもぶも)


 練兵場を見ると、アリデッドがフェイに追いかけ回されていた。


『まあ、こっちに対抗できるヤツがいるって条件が付きやすが』(ぶも~)

「彼女を止めるには英雄が必要だろうね」

『フェイも英雄ってことですかい?』(ぶも?)

「いや、彼女は英雄候補って所だね」


 アーサーは苦笑した。


「敵の英雄は実に厄介だよ。味方にすれば……」


 アーサーは口を噤んだ。

 クロード・クロフォードは内乱期の英雄だが、頼もしいと感じていただろうか。

 頼もしさはあったが、それ以上に厄介な存在ではなかったか。


「味方なら頼もしくもなくないかな?」


 ミノは不思議そうに首を傾げた。

 無理からぬ話である。

 彼が行動を共にしたことがある英雄候補はクロードに比べてまともだ。


『敵の英雄が厄介って件は同感ですぜ。イグニス将軍が敵だった頃は何度も煮え湯を飲まされたもんでさ。もっとも、あの時は同じ土俵にすら立っていやせんでしたがね』(ぶもぶも)


 ミノはやや皮肉げな口調で言った。

 クロノが領主になる切っ掛けとなった神聖アルゴ王国の侵攻と部下を失うことになった親征については把握している。

 どちらも一時的に戦況を優位に進めたが、数の力によって劣勢に陥った。

 干戈を交える前に敗北が確定していたと言っても良いだろう。

 だからこそ、クロノは高く評価され、警戒されているのだが。


「じゃあ、次は煮え湯を飲ます側に回ろう。取り敢えず、この柵についてだけど、攻撃に転じる時のために柵と柵の間に隙間を作らねばならないね」

『クロノ様が初陣で使った柵を大規模にした感じですかい?』(ぶも~?)

「その通りだよ」


 アーサーは静かに頷いた。


「まあ、私としてはもう一工夫したいけれどね」

『どんな工夫をするつもりなんで?』(ぶも~?)


 ミノが興味津々という風に尋ねてきた。


「魔術を防ぐ工夫をしたいね。たとえば塹壕……身を隠す堀を掘ったりね。穴を掘れば土塁を作れるから一石二鳥だ」

『……』(ぶもぶも)


 ミノは何か言いたそうに口をモゴモゴさせている。


「どうしたんだい?」

『いや、流石は大将の先生だと思ったんでさ』(ぶも~)

「クロノ君は最初からクロノ君だったよ」


 今ほど女たらしではなかったけどね、アーサーは苦笑した。


『大将はブレやせんね』(ぶも)

「ああ。だから、もう一工夫と言ったのは教師としての見栄だよ。教え子の真似をするだけじゃ格好が悪い」


 アーサーが肩を竦めると、ミノは愉快そうに肩を揺らした。


「十字弓の運用についても工夫は必要だね」

『確かに、普通の弓と比べても射程が短すぎでさ』(ぶも)


 十字弓は普通の弓と比べても射程が短く、連射性が低い。

 弓兵と共に運用すべきだと思うが、ティリア皇女の命令には十字弓を主力とした戦闘方法の確立も含まれている。


「敵に射程で負けてるんじゃ話にならない」

『撃ち合いになる前に弓兵を何とかする方法を考えた方が良いかも知れやせんね』(ぶもぶも)


 そうだね、とアーサーは頷いた。

 十字弓の数が揃えばアリデッドのやり方で連射性を高められるが、射程はどうにもならない。


「敵地浸透撹乱、輜重襲撃、奇襲で徹底的に弓兵と矢の数を削る」

『敵地浸透となると、騎兵が必要になりやすね』(ぶも)

「ティリア皇女は騎兵隊の拡充を考えているから、その点は心配しなくても大丈夫さ。私も足が自由に動けば教官として名乗りを上げるんだけれど」


 いや、多少は躊躇うか。

 軍学校の教師補だった頃、毎日のようにクロノの補講を行っていた。

 それなのに彼は馬に乗ることさえ覚束ないのだ。

 教師としての自信がかなり揺らいでいる。


『働き過ぎで倒れちまいますぜ』(ぶも~)


 槍働きできないのが歯がゆくてね、とそんな言葉を辛うじて呑み込む。

 考えてみれば騎士になるために修業していた頃から自分に足りない部分を補う方法を考えてばかりいたように思う。


「……忙しくなりそうだ」


 ティリア皇女は領民を短期間で兵士にする方法を確立させたいようだ。

 どんな状況を想定しているのか分からないが、領民の被害は最小限に抑えなければならない。



 シフは読み終えた書簡を机の上に置いた。

 執務室の天井を見上げて溜息を吐き、そのまま目を閉じて眼球をマッサージする。


「……溜息を吐くと、幸福が逃げるぞ」


 目を開けると、ベアが部屋の中央に立っていた。


「ノックという習慣を知っているか?」

「おいおい、俺は文明人だぞ。ノックくらい知っているさ」


 ベアは戯けるように肩を竦め、机に寄り掛かった。

 広げた書簡が机の上にあるのだが、一瞥しただけだ。


「こいつは何だ?」

「長老会からの書簡だ」

「今度はどんな文句を言ってきたんだ? 移民は成功させた。開拓だって順調だ。長老会に文句を言われる筋合いはないはずだ」


 ベアはうんざりしたような口調で言った。

 それだけで長老会のやり方に不満を感じているのだろう。

 豊かな土地に移住することは先祖代々の悲願だった。

 もちろん、一足飛びにとはいかない。

 力尽くで土地を奪えば奪い返されるのは目に見えている。

 遠回りでも移住する許可を得なければならない。

 しかし、許可は得られなかった。

 移民の帰属意識が何処に向けられているのか見定めなければ侵略を許すことになる。

 そういう意味では自由都市国家群のギルドマスター達は賢かった。

 何しろ、彼らは移住の許可を餌として使うだけで実際に許可を出すことはなかったのだから。

 良いように利用されていると分かっても従うしかなかった。

 そうしなければ生きることさえできなかったからだ。

 命を懸けて戦っても本当に欲しいものは得られない。

 都合の良いように利用されて終わる。

 そんな気持ちに囚われていた。

 きっと、部下も同じだったはずだ。


「いつも通りの妄言だ」

「シルバニアを橋頭堡として土地を奪い返せってか? 馬鹿なことを。そんなことをしたら俺達はおしまいだ。移住のチャンスを永遠に失うだけじゃない。傭兵としての評価も地に墜ちる。長老会は何を考えているんだ」


 ベアは吐き捨てるように言った。


「今回はそれに女の件が加わった」

「ティリア皇女の提案のことか? 人質としての側面があるとは言え、あれは関係を強化するために必要なことだろ?」


 ティリア皇女は異民族であっても役に立つのであれば領民と同様に扱うとアピールしたいのだろう。

 だから、諸部族連合の民をメイドとして雇うと言ったのだ。

 ベアの言う通り、人質としての側面があることは否定できないが、諸部族連合の長としては旨みがある。


「長老会はそう考えていない」

「女を差し出して媚びを売るつもりかとでも言い出したか?」

「……」


 シフは答えなかった。

 書簡の内容を要約すればベアの言った通りになる。


「なんてこった。一体、誰が情報を漏らしたんだ?」

「関係者の誰かだろう。元々、それなりに地位のある者を送り込むつもりだったんだ。どうしたって、情報は漏れる」


 シフはイスの背もたれに寄り掛かり、脚を組んだ。


「いつも通り、長老会を相手にするつもりはないんだろ?」

「俺はそのつもりだが、他の族長はそうじゃない」


 長老会は実権を持たない名目だけの組織だが、そんなヤツらでも忌ま忌ましいことに口があるのだ。


「俺の父親も含め、長老会の連中は血筋だけは立派だ」


 中弛みの世代とでも言えば良いのか。

 祖父、曾祖父の世代は何人も優れた戦士を輩出していたのに父の代はそうでもない。


「実績も、能力もない連中でもデカい声で喚いていれば影響を受けるヤツが出てくるということだ」

「どんなに喚かれても俺達は影響されないぞ」


 ベアはムッとしたような表情を浮かべた。

 俺達とは開拓村の住人のことだろう。


「どんな馬鹿げた話でも信じてしまう者は一定数いる。だから、詐欺はなくならない」

「身内に足を引っ張られるのか。うんざりだな」


 何を今更、とシフは笑った。


「で、どうするつもりだ? まさか、ティリア皇女の申し出を断るつもりじゃないだろうな?」

「それこそ、まさかだ。ムー族はカリスを、フー族はリュカを推してきた」

「……カリスか」


 ベアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 彼はムー族の出身だ。

 カリスが石女と見なされ、離縁されたことを知っているのだ。

 フー族のリュカも同じ境遇だ。

 恐らく、ムー族とフー族の族長は長老会が文句を言ってきたら、石女は女ではないと言うつもりだろう。

 そして、長老会が反論してきたら、石女は女ではないと言ったのは貴方達ではないですか? と切り返す。


「気に食わないな」

「俺だって同じ気持ちだが、これが政治というものだ」


 たとえ、言い掛かりでも対処しなければ命取りになる。


「だからと言って」

「候補を立てなければヌー族が得するだけだ」


 ヌー族は諸部族連合の中で最も地位が低く、何かを決める時には遠慮を強いられる。

 この状況を改善したいと考えてはいるが、諸部族連合に対する貢献度が低い部族と高い部族を同列に扱えば不和の元になる。


「シフ、お前の部族は候補を立てないのか?」

「クアントの件がある」

「勘当しただろ?」

「周りはそう思わない」


 ただでさえ多くの権限を有しているのだ。

 反感を持たれないように注意を払わなければならない。


「移住を成功させたんだ。お前に文句を言うヤツなんていないさ」

「長老会は文句を言っているがな」


 シフは頬杖を突き、溜息を吐いた。

 面倒なことばかりだが、責任を投げ出す訳にもいかない。



 ギィー、シャー、トントン……そんな音が織物工房に規則正しく響いている。

 エレインは片手で口元を覆いながら職人の仕事ぶりを眺めていた。

 エラキス侯爵邸の工房で働いているドワーフが派遣されてきたのは一カ月前のことになる。

 何日も休業しなければならないと心配していたのだが、彼らは二日で機織り機の改良を終わらせたばかりか、工房の内側に小部屋を作った。

 エレインが持つ知識の中で最も近しい物を挙げるとしたら、それは風除室だ。

 通常は建物の外に作られるのだが、工房が道に面しているので、内側に作ったのだろう。

 最初は驚いた。

 ドワーフが何も言わずに訳の分からない物を作り始めたのだ。

 驚くなと言う方が無理だ。

 大体の形ができてきた所でようやく覗き防止のために小部屋を作っているのだと分かった。

 ともあれ、機織り機は無事に改良され、問題なく稼働している。

 できれば色々と話を聞きたかったのだが、彼らはさっさと帰ってしまった。

 折角、酒と食材を用意したのにせわしい連中だ。

 彼らにはコミュニケーション能力と柔軟な思考が必要な気がする。

 まあ、エレインが心配することではないのだが。

 良いわねぇ、とエレインは口角を吊り上げた。

 飛び杼のお陰で機織りのスピードが上がったばかりか、余剰人員を糸紡ぎに割り振ることができた。

 その上、従業員が十分な休息を取れるようにシフトを組み直せた。

 何よりライバルを突き放している感じが素晴らしい。

 ライバルが非効率な方法で布を織っている姿を想像するだけで得も言われぬ快感が全身を駆け巡る。


「……くふ」

「エレイン様、笑いたければ笑えば良いと思います」


 思わず声が漏れる。

 すると、シアナが鈴の鳴るような声で突っ込んできた。

 昼型の生活に切り替えてからかなりの時間が過ぎているにもかかわらず、相変わらず、眠そうな目をしている。


「トップに立つ者は泰然自若としているべきよ」

「……はぁ」


 気のない返事だった。

 ドワーフだけではなく、シアナにもコミュニケーション能力と柔軟な思考が必要なようだ。


「怖いくらいに順調ね」


 メサルティム男爵、ボサイン男爵、トレイス男爵に対する工作も成功した。

 接点がなければ長い時間を必要としただろうが、三人は『シナー貿易組合』の顧客だった。

 取引相手としては今一つだったが、娼館の客としては申し分なかった。

 三人が交易に興味を持つように誘導するのは簡単だった。

 自分の口説いている娼婦が高価な宝石を幾つも所有していれば疑問に思い、詮索する。

 娼館以外にも目を向け、シルバニアが商人の街だと理解する。

 クロノがそうなるように街を作ったことも。

 平民が才覚一つでのし上がる。

 見下してきた者に上に立たれる。

 それはとてつもない恐怖だ。

 何もしなければ追い落とされるが、成り上がり者の新貴族の下には付きたくない。

 幸いと言うべきか、言い訳は用意されていた。

 ティリア皇女の手紙だ。

 三人は自分に言い聞かせる。

 自分はティリア皇女に従うのだ、と。

 もしかしたら、エラキス侯爵領とカド伯爵領の発展はティリア皇女が企図したものとさえ考えているかも知れない。


「ケイン様の件も順調ですか?」

「どうして、ケインが出てくるのよ?」


 エレインが睨み付けてもシアナは動じない。

 眠たそうな目で見返してくるだけだ。


「アプローチを掛けているように見えます」

「仕事よ。それに虫除け」


 代官と懇意にすることは会合で主導権を握る役に立つ。

 強引に口説いてくる相手も減らせるのだから良いことずくめだ。


「不調に見えます」

「順調ではないわね」


 エレインが誘ってもケインはヘラヘラ笑って逃げるのだ。

 ようやく店に来たかと思えば水を飲んで帰る始末だ。

 不能なの? と聞きたくなる。


「それは止めた方が良いと思います」

「私の心が読めるの?」

「眉間に皺が寄っていました」


 シアナは自分の眉間を指差した。

 そんなはずがない。

 感情を簡単に表に出していたら娼婦など務まらない。

 だが、問い詰めてもシアナは否定するだろう。

 やたらと腕っ節が強かったり、顔色一つ変えずに拷問したりする娘だ。

 読心術を使えても不思議ではない。


「納得して頂ければ幸いです」


 本当に心が読めるのではないだろうか。


「ま、私を裏切らないのであれば貴方が何者であっても構わないわ」

「ありがとうございます」


 シアナはペコリと頭を下げた。


「じゃ、秘密が漏れないようによろしくね」

「承知しました」


 何もないのが一番だけれどね、とエレインは優しくシアナの肩を叩き、織物工房を後にした。

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