第2話、風邪③
ユキが風邪で倒れて二日程経った後。
ユキの具合は無事に良くなっていた。熱も下がってぼーっとした様子はなくなって、いつものようにユキが俺を起こしにやってくる。その挨拶も元気なもので、鈴の音のような声を聞いて安心していた。
ただユキが回復した一方で、俺はユキの挨拶に鼻をすすりながら答えていた。ずるずるとつまった鼻をティッシュでかんで、その様子をユキは心配そうに見つめる。
「晴くん……大丈夫ですか?」
「具合はそんな悪くないんだ。鼻がつまってて、少し喉が痛いくらいで」
「あたしの風邪がうつっちゃったのかもしれません……ごめんなさい、晴くん」
「いやユキの風邪は俺とは違う症状だったろ。別の風邪だよ、気にしないでくれ」
「でも……あたしみたいに途中から具合が悪化するかもしれません。今日はこのまま寝ていた方が良いです」
「そうだな。今日はこのまま寝ておくよ、始業式まで引きずるのはやばそうだ」
俺はユキから体温計を手渡される。計ってみると37.6℃でユキのように高熱という程じゃない。けれど俺の身を案じてユキは朝からお粥を作って看病してくれる。昨日とは立場がまるで逆転していて不思議な感じがある。
おでこに冷感シートを貼られた俺はベッドの上でユキ特製お粥を食べさせてもらう。昨日俺が作ったのは卵粥だけど、ユキの作ったのは梅干しを使ったお粥だ。ペースト状にされた梅干しと火の通った鶏肉がお粥の中に散りばめられていて、緑の小ネギが中央に添えられていた。
「はい、晴くん。あーん」
「あーん」
以前にもこうやって食べさせてもらう事はあったけれど、俺が風邪をひいているせいかユキはまるで赤子をあやすようで、こうやって優しく微笑まれると恥ずかしく感じてしまう。お粥の方も体に優しい味わいで、しっとりした鶏肉とまろやかな酸味が効いた梅干しの相性が良く白出汁も効いている。小ねぎがさっぱりとした味のアクセントになっていて俺好みの美味しさだった。
「美味しいよ、ユキ。こうやって食べてるだけで力が湧いてくる気がする」
「晴くんが昨日作ってくれた卵粥もすごく美味しかったですよ。お味噌汁もとっても」
「良かった。お粥を作るのは初めてだったから、母さんが作っているのを真似してみたんだけど」
「優しい味がしました。心まで温かくなるような……」
「そっか。なら嬉しいな。ユキのお粥も心がぽかぽかするよ」
「えへへ。ありがとうございます」
笑顔でお粥を食べさせてくれるユキ。
お粥の入ったお椀は空になって彼女は食器を片付けに行く。
その間に用意してもらった家庭薬を飲んでベッドに横たわる。その後、ユキは昨日買っておいたスポーツドリンクとコップ、俺の着替えや水の入った洗面器とタオルを持ってくる為に何度か部屋を往復する。
「今日は安静にしていてくださいね。あたしがついていますから」
「ああ。昨日まで具合悪かったユキに、今度は俺のほうが世話をかけて申し訳ないよ」
「申し訳なくないです。晴くんもあたしを心配してくれました。次はあたしの番です。ほらスポーツドリンクを飲んでください、きっと寝ている間にいっぱい汗もかいているはずなので」
ユキは冷えたスポーツドリンクをコップに注いでいく。それを俺はゆっくりと飲み干した。乾いた喉を潤す冷たいスポーツドリンクが全身に駆け巡っていくような気持ち良さがある。空になったコップを手渡すとユキはにこりと微笑んで、洗面器でタオルを濡らしてそれを良く絞り始めた。
「それじゃあお顔の方を拭きますね」
「ありがとう、あー冷たくて気持ちいい」
「ふふっ。良かったです。それじゃあお洋服も脱ぎましょうね」
「え?」
「お着替えですよ。体も綺麗に拭いてあげないと」
「いや自分でやるって……! 大丈夫!」
熱はあるが昨日のユキのように頭がぼーっとして、ふらりと倒れる程ではない。意識だってしっかりしているし、なんなら朝からお風呂に入ってさっぱりする事だって出来るはず。もちろん着替えだってユキの手を借りる必要はなかった。
「だめですよ。晴くんは具合が悪いので、大人しく言うことを聞いてくださいね」
ユキは俺に何かをしてあげたくて仕方がない様子で、青い瞳を輝かせながらじっとこちらを見つめていた。そして俺はその瞳に逆らう事は出来ず、ユキの望むがままにされてしまう。彼女はてきぱきと俺の上着を脱がせていって、その恥ずかしさから顔を背ける事しか出来なかった。
「それじゃあ拭いていきますね。後ろを向いてください」
「あ、ああ……」
ユキは濡れタオルで背中を優しく撫でるように拭いて、それから首筋や胸元も同じように拭かれていく。肌の上を滑るタオルの感触が冷たくてくすぐったい。腕を上げさせられて腋の下まで丁寧に拭かれてそれが妙に恥ずかしくて変な気分になってしまう。
昨日とは真逆の立場だ。
体を拭く俺と拭かれるユキ、今日は体を拭くユキと拭かれる俺。
なら昨日俺が感じた事を今のユキは感じていて、
昨日ユキが感じていた事を今の俺が感じているとするなら。
俺は逸らしていた視線をユキの方へと向けた。
顔を赤くしながら俺の体を拭くユキ、それが風邪の火照りでない事は見て分かる。その顔には恥じらいがあって、呼吸も僅かに荒いようだった。そして小さく咳払いした後に、顔を見上げて目と目が合う。
潤んだ瞳と艶めく表情を見て確信した。
やっぱりユキは昨日俺が感じたものと同じものを感じていると。それが何だか嬉しく思えて、同時にユキへの愛おしさがこみ上げてくる。
幸せな時も、辛い時も、傍に居てくれて寄り添ってくれるユキ。
心の底から大切に思ってくれる彼女の心。昨日のユキの気持ちを追体験して理解する。どうしてユキが昨日、俺に幸せだとその想いを言葉にしてくれたのか、あの時の気持ちを俺は感じていた。その気持ちを俺も言葉にしようと思った。
「ユキ、今すごく幸せだよ」
「晴くん……」
「この前言った事、覚えてる?」
ユキは恥ずかしさを隠すように顔を下に向けて、頬を真っ赤にして耳まで朱色に染めながら、それでもこくりと頷いた。
「お、覚えています……。でも朝起きたら夢かと思って、あの時は本当にぼーっとしていたから……」
「夢じゃないよ、ユキ」
「あ……」
小さくなっている可愛らしいユキを昨日のように俺は抱き寄せる。俺の胸にすっぽりと収まるほど小さなユキ、胸に顔を埋めるユキが愛おしくして仕方がない。そしてそんな可愛らしい彼女の耳元で再び想いを言葉にする。
「ユキ、ずっと一緒に居ような」
「晴くん、あたしも……あたしも晴くんとこのままずっと、ずっと一緒が良いです」
ユキはぎゅっと俺を抱きしめ返して胸の中で小さく笑った。
俺はユキを見下ろすとユキは微笑みながら上目遣いで俺を見つめて、俺も微笑んで彼女を見つめ返す。
風邪を引いて身体が熱で茹でる以上に、抱きしめた彼女の温もりを感じていた。




