第8話、お買い物②
「晴くん、おはようございます。朝ですよ」
スマホのアラームが鳴るより早く揺さぶられ、寝ぼけ眼を擦りながら目を開けるとそこにはユキの姿がある。
髪をポニーテールにまとめてエプロン姿をしたユキ、優しい微笑みを浮かべながら俺の顔を見下ろしていた。
「おはよう……ユキ。朝ご飯、作ってくれてたのか」
「晴くんとのお出かけが楽しみでつい早起きを。一緒に食べましょう」
ユキは元気いっぱいな様子で手を握り、まだ寝起きで意識がはっきりとしない俺をリビングへと連れていく。
廊下を抜けてリビングに入ると作り立ての美味しそうな朝食の香りが漂ってきて、空腹感を覚えた俺は眠気を振り払うように背伸びをした。
ユキが今日を楽しみにして早起きした一方で、俺は今日を楽しみにした結果寝不足だ。布団にくるまりながら明日は何しよう、どうしようと考えているうちに時計の針はどんどん進んでいって、ようやく眠りについたのは深夜2時に近かったと思う。一緒に水族館へ行ったり夏祭りや海水浴を楽しみにした時も、次の日に期待して興奮して眠れない性分なのはなかなか改善しないものだ。
そんな事を考えながらユキの作った朝食の並べられたテーブルに付き、向かい合って座るユキと一緒に手を合わせる。
「いただきます」
今日のメニューは白米、味噌汁、焼き魚、卵焼きといった和風の献立でどれも俺の口に合って美味しいものだ。
「うん、やっぱりユキの作るご飯が一番美味いな」
「ありがとうございます。でも晴くんだってちゃんとお料理出来てるじゃないですか。文化祭の準備期間の時にすっごい上達していました」
「まあ一応それなりには作れるようになったけどユキに比べたらまだまだだよ」
「ふふ、いつかは追い越されちゃうかもですね?」
「まさか。これから先もユキの手料理が一番だよ」
もぐもぐとユキの作った朝食を口に運びながら、今日のお出かけの予定についての話を切り出していた。俺が使う折りたたみ傘を買うだけじゃなく、これから寒くなるのでその防寒対策の品物も見て回りたい。
他にも冬服が欲しいという話なので一緒に服屋にもよって、それから久々の外食を楽しもうかと思っていた。あとはゲームセンターとか普段は行かないような場所で遊ぶのも悪くないんじゃないかと、そんな話をするとユキは笑顔で頷いてくれた。
食後、片付けは任せて欲しいと言われたのでその間に外出する為の支度を始める。ユキの方は既にある程度の支度は済んでいたし、まだ何も手を付けていない俺の事を気遣ってくれたのだろう。
顔を洗って歯を磨き、髪をとかした後に自室へと戻り、出かける為のコーディネートを考える。天気予報によれば雪はまだ降らないらしいが、最近は随分と寒くなってきたのでどこまで厚着にするべきか悩むところだ。
あとはユキの隣を歩くのに相応しいようなコーデが試されるわけで、単に寒さへの対策だけじゃなくカッコよさも求められる。
ユキに変な格好を見せたくないという気持ちもあって、いつも以上に真剣に考えながら秋物のコートに手を伸ばす。黒色のチェスターコートに茶色のブーツを合わせて、中に薄手のセーターを着てからその上に羽織った。
鏡の前で自分の姿をチェックしていると部屋の扉がノックされる。
返事をするとユキが顔を出した。
「晴くん、準備はどうですか?」
「あ、ああ。一応こんな感じなんだがどうだ?」
「そうですね、とても良くお似合いだと思いますよ」
「そうか……でも、うーん……」
ユキのファッションセンスは抜群だしよく似合っていると褒められた。しかしそれでも、どこか納得いかない自分がいる。もともと俺はあまり派手な色合いを好まない性格で服装も無難なデザインを好む。
ただその結果、少し地味過ぎるというか暗い印象を与えてしまいがちなのだ。もちろんユキが俺の服装を好きだと言ってくれているのは分かっているのだが、隣を歩くユキはいつも輝いているように見えて俺との釣り合わなさを感じてしまう。
「もし納得いかないようでしたら、今日のお出かけは髪を弄ってみるのはどうでしょう?」
「髪……か?」
ユキはふわりと笑みを浮かべながら、伸ばした手で俺の髪の毛に触れた。
俺の黒髪に指を通し、丁寧にやんわりと撫でてくれる。その心地良さに思わず目を細めてしまうと、ユキはくすっと小さく笑い声を漏らした。
「晴くんの髪質ってとっても良いと思うんです。あたしの髪とはまた違った魅力があると言いますか」
確かに俺の髪の毛は母さん譲りで黒くて艶があって、それに父さんの遺伝なのか毛量もそこそこあるのだ。
「晴くん、髪をセットするだけでも印象はかなり変わりますよ。今でもすごくかっこいいですが、やり方次第ではもっともーっとかっこよくなると思います」
「でも俺……いまだに髪を弄った事とかないんだよなあ……」
中学の頃から俺の髪型は今と変わらない短めのもので、ワックスなどを使って髪を跳ねさせたりした事はない。せいぜい寝癖がついた時に直す程度だ。
「ではあたしに晴くんの髪をいじらせてもらえませんか?」
ユキは俺の髪を触りながら上目遣いで問いかけてくる。
「晴くんが嫌でなければですが……だめ、ですか?」
そんな風にユキから可愛らしくお願いされて断れるはずもなく俺は首を縦に振っていた。
「それでは晴くん、鏡の前で椅子に座りましょう。整髪料は普段から晴くんが使っているものをお借りしても良いですか?」
「ああ。いっぱい余ってるから好きなだけ使ってくれ」
取り出したワックスをユキに手渡すと俺は言われた通り鏡の前で椅子に座った。ユキはにこにことしながらどのように俺の髪をセットしているのか考えているようで、手を動かしては俺の髪型を確認する。
「晴くんの髪、以前からこうしてセットしてあげたいと思っていたんです。ようやく夢が叶いました」
「そんな大げさなものなのか?」
「もちろんです。だって晴くんを、自分の好きなように出来るんですよ? こんな幸せな事はありません」
「そ、そうなんだ……」
そんな事を言われて照れ臭くなり頬を掻く。すると彼女は俺の顔を覗き込むようにして見つめてきて、目が合うと嬉しそうにはにかんでみせた。
「ふふ、照れてますね?」
「そりゃあ、まあ……」
「かわいいですよ、晴くん」
嬉しそうに笑うユキに俺は何も言い返せない。鏡にはそれはもうだらしない表情をした俺の顔が映っていた。
「では早速始めますね」
ユキは俺の後ろに立ち、ワックスを手で伸ばしていく。そして俺の頭頂部辺りに触れ、ゆっくりと動かし始めた。
まずは全体的に少しずつ手櫛で髪をとかしていく。それがある程度終わったところでユキは手に取ったワックスを揉むようにして指先で髪全体に馴染ませた。
それから今度は前の方へ手を移動させて毛先を中心に軽く撫でていく。その手つきは優しくまるで壊れ物を扱うような繊細さだ。
こうしてじっくりとユキから髪の毛を触られるのは初めてで、慣れていないせいもあってくすぐったい。それでつい身を捩ってしまうのだが、鏡越しに見えるユキの真剣な顔は美しくて、俺の為に頑張ってくれているのが伝わってきていた。
どうにかしてくすぐったいのを我慢しながら正面を向き、ユキが髪をいじりやすい体勢を取ろうとし続けた。
そのまましばらくの間ユキは黙々と俺の髪を弄っていたが、やがて満足そうに微笑んでから手を離す。
「さあ、晴くん。どうでしょう?」
鏡に映る俺の姿はいつもと違っていて、思わず目を丸くしてしまうほど驚いた。
いつもの髪型だと全体的にぺたっとした感じなのだが、今はユキの手によってボリュームが増して立体感が生まれている。さらに毛先が整えられていて、爽やかさが感じられるようになっていた。
それに髪型一つ変えただけで、先程までの『暗めなで地味』という印象から『大人っぽい好青年』へと変わっていて、自分で言うのもなんだがこれはなかなか悪くないんじゃないかと思った。
「ユキ、凄いよ。髪型一つでこんなに印象変わるなんてさ」
「そうですね。さっきもかっこ良かったですが、今の晴くんはもーっとかっこいいです。でも……」
「でも?」
ユキは鏡越しの俺を見て何とも言えない表情をしていた。
気に入らなかっただろうかと思ったのだが、どうもそういうわけではないらしい。ただ俺の姿をまじまじと見つめてから小さく息を吐き、困ったように眉尻を下げてしまった。
「こんなにかっこいいと他の女性が放っておきませんよね。困りました、周りの人達が晴くんの魅力に気付いちゃわないかって心配です」
俺は鏡の前で苦笑しつつ眉尻を下げて心配するユキを見つめる。どうやらユキは今日のお出かけで俺が他の女性から声をかけられないかと心配に思っているらしい。今までそういう経験があった事もないしその心配は杞憂で終わると思うけれど、ユキの方は冗談ではなく本気で心配しているようだった。
「大丈夫だって。そんな事今まで一度もなかったし。万が一誘われたりしても断るから」
「本当に?」
「本当だよ。絶対に大丈夫」
小学生の頃から大切に想っていて今もずっと傍に居てくれるユキを放って、知らない他の女性についていくような事は絶対にない。
安心させる為に笑いかけるとユキも分かってくれたのかふわりと笑みを返した。
「ありがとうございます、晴くん。そう言ってもらえて安心しました。あたしも支度を済ませにいってきます。しばらく待っていてくださいね」
「ああ。俺はリビングで待ってるからさ」
ユキは自分の部屋へ戻り、俺はリビングのソファーに腰を下ろす。今日のユキとのお出かけを楽しみにしながら、彼女の支度が終わるのを待つのだった。




