第8話、席替え①
今日の教室は朝から騒がしい雰囲気だった。
特にクラスの男子生徒達はそわそわとした様子を見せていて、そしてその視線の先には清楚な笑みを浮かべて女子生徒と話すユキの姿があった。
どうして男子生徒達が浮ついているのか、その理由は単純なものだった。
今日はクラスの席替えが行われる。
席替えはくじ引きで行われるが、一体誰がユキの隣の席を勝ち取るのか、その話題を熱く語っている男子生徒達を朝から何度も見た。小学生の頃はユキと隣の席になりたいなんて、声を大にして言う男子は俺くらいだった。
そんな彼女が包帯を外してからはクラスの人気者になったのを嬉しく思って、そんな事を考えながらクラスの様子をのんびり眺めていると隣の席から声をかけられる。
「遂に席替えだね、晴の隣とも今日でお別れだ。寂しくなるよ」
「教科書とか忘れた時は助かったぞ、秋奈」
俺の隣の席に座る分厚いメガネをかけたおさげの女の子。
黒鳳秋奈。
人見知りをする性格なのか、初めて会った時は特に何も喋る事はないような関係だったが、ある日を境に良く話すようになり今はもう良い友達だ。教科書を忘れた時や板書を逃した時など、彼女は俺を気遣って色々としてくれる。優しくて頼りがいのある人物なのだ。
秋奈は分厚いメガネの向こうで微笑んでいた。
「気にしなくて良い。こういうのはお互い様だろう」
「お互い様って言っても秋奈が忘れ物した事は一度もなかったけどな」
「ボクは万事に備えるタイプだからね」
「万事に備える、か。秋奈のその考えは俺も参考にしないとな」
秋奈と席が離れてしまうなら、今までのように隣の相手から気軽に教科書を見せてもらう、という事は出来なくなるだろう。今度からは忘れ物をしないよう気をつけないといけない。
秋奈は黒縁メガネをかけ直す仕草を見せると、クラスの喧騒へと視線を移した。
「それにしても……今日はクラスメイトがそわそわしている感じが見れて面白いよ」
「ユキの近くの席になりたいって話が聞こえてくるよな」
「晴はどうだい? 白鳩さんの近くの席になりたいって思ってる?」
「それは俺もそうなんだけどさ……」
俺も出来ればユキの隣の席が良いなと思っていたのだが、同じ屋根の下で過ごしていて毎日一緒にいるのに席まで隣り合わせになるのは、流石に贅沢すぎるかなと遠慮した気持ちになってしまう。
「遠慮する事なんてない。人は常に自分にとって一番の理想を願うべきさ」
「自分にとって一番の理想、か。秋奈はどうなんだ?」
「そうだねえ。正直言って席替えなんて必要ないと思っているのが今のボク、かな」
「席替えが必要ないって、この席が気に入ってるのか? まあ席も後ろの方だし、居心地は悪くないけど」
「ボクにとって一番の理想は場所ではないかな。何処かよりも、誰といるか、が大切でね」
「それじゃあやっぱりユキの近くの席か?」
「はあ。キミは鈍感くんだねえ」
そう言ってわざとらしくため息をつく秋奈。
分厚い眼鏡のレンズの向こうで、秋奈はまるで呆れているようなジト目になって、その真紅の瞳がじっとこちらを見つめている。
「どうして忘れ物をしないようボクが万事に備えているのか。その意図をキミにも汲み取ってもらいたいものだけど、それはどうにも無理そうだ」
「え……忘れ物をすると、怒られるから?」
俺の返答に秋奈は再び大きなため息をつき、やれやれと額に手を当てて首を横に振る。どうやら俺の解答は間違いだったらしい。
「全くキミは」
「すまん、他に思い付かなくて……」
「でもキミのそういう所がなおさらボクは……いや、この話はここで止めておこう」
何かを言いかけて止めた秋奈は、クラスの話題の中心となっているユキの方を眺め始めた。
「まあ白鳩さんの近くの席、というのも悪くはない。クラスは違うがボクの古くからの友人がね、白鳩さんと友達になりたいと言っていた。ボクも席が近くなって白鳩さんと仲良くなれれば、あの子に白鳩さんを紹介するきっかけになるかもしれないし」
「他のクラスの友達か、いつからの付き合いなんだ?」
「小学生の頃からさ。ボクとは性格が真逆でね、水と油のようなものかと思っていたんだけど、その水と油が仲良くなって関係も乳化してしまったらしい」
「秋奈とは真逆の性格ねえ。男子なのか?」
「いや男性の友人はキミ一人さ。その友人は女の子だよ。そんな彼女が白鳩さんと仲良くなりたいと言っているからさ。今度、晴から協力してもらえないだろうか? キミは白鳩さんと一番仲良いだろうし」
「今度聞いてみる。ユキももっとたくさん友達が欲しいだろうしな」
包帯を巻いていた頃のユキには俺以外の友達はいなかった。包帯を外して高校生になってからのユキは憧れの的、学校のアイドル的なポジションではあるが、それゆえに友達という関係にまで発展している人は少ないように思える。ユキが尊すぎて距離を縮められないのだ。
秋奈の小学生の頃からの友達がユキと仲良くなりたいと言うのなら、それは良いきっかけになるかもしれないなと、かなり前向きにその話を聞いていた。
「それと、今日の白鳩さん、とてもそわそわしてるよね」
「秋奈も気付いてたか。朝からずっとそうなんだよ」
秋奈の言うように今日のユキは朝から落ち着かない様子だった。朝食を一緒にしている時、彼女はテーブルの向こう側で箸を止めて俺を見つめていた。
『ねえ晴くん。今日は席替えですよね』
『あーそういえばそうだったっけ』
『晴くんは何処の席が良いですか?』
『そうだなあ。隅っこならどこでも良いけど……いや強いて言うなら窓際の一番隅かなあ。あそこって一番居心地が良さそうじゃないか? 授業中も休み時間もさ』
『そうですね。外の景色も一望できますし、日当たりも良いですよね。窓を開ければ爽やかな風を浴びれます』
『いやそういうのじゃなくてさ。クラスでも先生から一番目立たないような席だと思って。ちなみにさ。ユキはどの席が良いんだ? 授業に集中出来るから前の席とか? それとも今みたいに真ん中がベストなのか?』
『あたしは……内緒です。晴くんに期待させて違う席になってしまったら悲しいので』
『俺に期待? まあお互い、良い席を取れたら良いな』
『はい。そうなるのを願っています』
そんな会話を朝にしてから、学校に来てからもちらりと俺の事を良く見る事があって、どうしていつもと感じが違うのか不思議に思っていた。
「ボクもそうだけど、みんなそれぞれ一番の理想を願っている、という事か。そろそろホームルームも始まる。お互い、良い席が取れるのを願っていよう」
「ああ、秋奈も達者でな。席が離れても仲良くしような」
「……うん」
俺の言葉を聞いた後、秋奈は机に視線を落として俯いた。
結局、秋奈の一番の席を聞けないまま、朝のホームルームが始まるチャイムが鳴る。
朝の連絡が一通り終わると、今日のメインイベントでありクラス待望の席替えが始まった。担任は黒板に座席表を書いて、数字をランダムに振っていく。後は用意された箱の中からくじを引いて、そのくじと書かれた同じ番号の席に移動するシンプルな方法だ。
幸いにも俺はかなり早い段階でくじを引ける事になった。早く引ければ引けるだけ、空いている良い席を取れるチャンスがある。俺は窓際の一番後ろの席を取れる事を願ってくじを引く。
「あ!」
思わず声が出た。奇跡だ、こんな幸運があるとは思ってもいなかった。
担任にその紙を渡すと、俺の名前が窓際の最後尾の席に記される。
大満足だった。希望通りの席を引けるなんて嬉しすぎる。次の席替えが始まるまで安寧を得たようなものだ。そうやって俺が喜ぶ一方で他の生徒達の関心は別の事に集まっていた。
男子も女子もユキの近くの席になれる事を願ってくじを引いている。
ユキがくじを引く順番はかなり後。自分の引いた席の近くにユキが居る事を祈りながら、生徒達はくじを引いていく。自分の前後左右がユキでない事が確定した生徒からは悲しげな声が聞こえた。
隣の席に座っている秋奈の順番も来た。
ずっと俯いていたままの彼女は静かにくじを引いた後、花が咲いたような笑顔を浮かべて、それを担任へと手渡した。
「秋奈、何処だった?」
「どうやらキミとの付き合いはもう少し続いてくれるらしい」
分厚いレンズの下で優しい笑みを浮かべる秋奈。
彼女の名前が黒板に書かれる、その席は俺の前の席だった。
「なるほど。秋奈も窓際が良かったのか」
「晴、言っただろう。何処かじゃない、誰といるか、さ」
それからの秋奈はずっと上機嫌な様子でくじ引きを見守っていた。
何処かではなく誰といるか。もしかすると秋奈はまた俺と近くの席になりたいと、ずっとそう願っていたのかもしれない。理由は分からない、教科書を忘れて何度も秋奈には迷惑をかけていたはずだ。でも俺の席と近くになれて笑顔を浮かべてくれるというのなら、きっとあれも嫌な事ではなかったんだろう。そう思うと俺も嬉しくなってくる。
そしてユキの順番が来る。
クラスメイトの視線が一点に集まる中、ユキはくじを引く直前に俺の事をちらりと見て、祈るようにぎゅっと瞼を閉じた後に箱の中のくじを取り出した。
「あ……」
ユキは小さな紙に書かれた数字を見つめながら声を漏らす。微笑みながらその紙を担任へと手渡した。一体どこの席に決まったのか、クラスメイト一同固唾を呑んで黒板を見つめる。
驚いた。
ユキがくじで引いたのは俺の隣の席――。
こうして無事に席替えは済み、今までの場所に別れを告げて生徒達は移動を始める。
隣の席に座るユキは俺を見つめながら小さな声で囁いた。
「晴くん。あたしも一番の席、取れましたよ」
ユキはそう言って笑顔を輝かせる。
朝から落ち着かない感じで、ちらりと俺を見る事があった理由はこれだった。もし違う席だったら悲しいからと彼女が内緒にしていた一番の席、それは俺の隣の席だった。
俺はユキと隣り合わせになるなんて贅沢だからと遠慮していたけれど、彼女はそうじゃなかった。もっともっと俺と仲良くなりたいと、俺の隣の席になる事をずっと願っていたのだ。
ホームルームが終わり、新しい席での授業が始まる。
ユキは教科書を取り出しながら俺を見つめて優しく微笑んだ。




