第五十二話
浮き上がる巨大な艦影。
それは一見すれば百の竜が集まって形を成すような姿。透明な球体を核として、内側から長い首だけの竜が生み出され、全体を荒縄で縛るように覆っていく。
「おのれ、なんという禍々しさ」
アイガイオンの言葉に同意せざるを得ない。こいつはもはや竜とか幻獣とかいう言葉も適当ではない。悪夢の中で見る名状しがたい怪物のようだ。
「射掛けろ!」
「火球を撃て!」
怒号のような声が飛び交い、衛竜の何体かが口腔を開く。コックピットに高熱源反応の警告音が響く。
竜が射ち出すのは灼熱の火球。空気を焼きながらマエストロの船に迫る。
「炎の厄災は盾の前に散る」
マエストロの声が響く。百竜のすべてが光に包まれ、迫りくる火球が消滅。油脂の塊のようなものが竜にぶちあたるが、それは透明な薄片とともに落下していく。
「火が消えただと……!」
「巨人のまじないだ」
僕が言う。
「炎を打ち消すまじない。巨人の盾によって増幅できる。盾を持たないと片腕だけに効果があるが、盾を持っているときは自分の周囲、広範囲の燃焼現象を打ち消す」
あれは冷却ではない。まさに分子一つ一つに干渉するような即効性、あのまじないの前には火球は意味を持たない。
「リヴァイアサン」
マエストロの声、岩のビル群にこだまする。
「古き神話にありき、海から来た怪物の名だ。それは国家権力に例えられ、無数の人間が集まった姿で描かれることもある」
「……吹き上がるなマエストロ。図体がでかいぐらいで勝てると思っているのか、的がでかくなっただけの話だ」
やつの戦力を分析してみる。あの巨体は巨人の鎧、つまり紋様のバターンによって統率される無機物の群体だ。シールは鎧として使っていたが、あれほどに巨大な構造体をも生み出せるのか。
そして盾も持っている。僕たちにはすべて名前があるから、兜を持っているかどうかは関係ない。
あとは剣を持っているかどうか、だが……。
「攻撃の手を休めるな! 撃ち続けろ!」
アイガイオンが全体を指揮している。何体かが地上から火球を撃ち、他の個体はリヴァイアサンに飛びかかり、その外周を覆う水晶の竜を斬り剥がす。
あの紋様はCエナジーを集めるような効果を持つ。あれだけの規模ならば、中心にいるはずのマエストロは大量のCエナジーを集めているはず、それがやつの強みか。
「さあ、怪獣映画はここまでだな」
リヴァイアサンが浮上していく。
熱圏を引き連れビル群を抜け、さらに上に。僕たちに巨大な影がかかる。
「次は天災から逃げまどうパニック映画と行こう」
何を――。
「ナオ! こっちだ!」
首にウィルビウスの腕がかかり、ラリアートの要領で連れ去られる。首が締まるわけもないが、一瞬だけ自分の位置を見失って混乱する。
「ココ、どうし」
た、と言う前に背後に青の光。急激な空気の膨張と衝撃波、高熱、ビルの側面が削られる。
「うおっ……」
だがウィルビウスは止まっていない、僕を連れ去るのは影の中。岩のビルが倒れかかって屋根になっている部分だ。そこに滑り込む。
「あいつ、上空から攻撃を!」
さらに連続して光が降りる。網膜の奥まで浸潤するような青の威光。衛竜の何体かが巻き込まれて消滅する。
全方位モニターにシャッポが現れる。
「危険です! 二人ともそこから離脱を!」
「残念ながら無理だねえ」
ココのウインドウが割り込む。彼女は怯えは見せていないが、緊張は見て取れた。
「この熱圏から出たら雪原だ。上空から狙われたら丘の影に入ることも出来ない。ここだって安全じゃないが、出ていくのは危険すぎるね」
……いたぶられている。
そう感じる。あえて長射程の狙撃に隙を作り、衛竜たちを集めたのか。彼らを一網打尽にするために。
あるいは、僕とココも……。
「ナオ様、ではこちらの艦も向かわせましょう。いくつかの装備は使用できます。同じ大きさの艦ならば戦えます」
「だめだ来るな! 真っ向からやつと打ち合うのは無謀だ!」
青の閃光。柱状の岩を丸ごと包み込み、ゼリーのように砕く。
光条竜とかいう竜のレーザー砲は凄まじい威力だ。ユピテル級巡洋艦の装甲を難なく破損せしめるだろう。
補修部品もドックもないこの星で、船が破損すればもう飛べない。それどころか全員がこの雪原に放り出される。
「どうすればいい、やつを倒す方法、あるいは離脱の方法を……」
衛竜たちは果敢に戦っている。上空のリヴァイアサンに対して矢を放ち、槍を投げ、あるいは火球を撃つ。いくらかは船体を覆う首を破壊するが、すぐ次のものが生えてくる。
そしてリヴァイアサンの狙撃は一撃必殺。見てから回避する余地はほとんどない。ある竜は半身をもがれ、ある竜は構えた金属盾ごと蒸発する。
ばかん、という音がする。ウィルビウスが胸部ハッチを開けたのだ。
僕はすぐに察し、ベーシックの通信システムをダウンさせてハッチを開いた。すべてのベーシックが隊長機とリンクしていると言うなら、会話を聞かれないためにはこうするしか無い。
「ココ、どうしたんだ」
「ようはあいつの内側に斬り込めばいいんだろ。光条竜が膜を通って出てくる時がチャンスだ。その時に周囲の膜は消えてるはず。総攻撃を受けてる今なら斬り込む隙があるよ」
それは……そうかも知れないが。
ココは上空を見る。青の光は連続しており、そのたびに耳がえぐられるような轟音と、吹き飛ばされそうな衝撃波が襲う。
「いま測った。リヴァイアサンってのは7秒おきに光を吐いてる。この子のスラスターを全開放させれば12秒であの高さまで行ける」
確かに、ベーシックのおおよその運動性能は座学で叩き込まれている。高さ1000メートルなら薬圧サスペンションとイオンスラスターの併用でおおよそ12秒だ。
もしロケットでやれば人体が挽き肉になる加速度、それは慣性レジストの限界でもある。
「だが、それでは狙撃を受ける」
「あたしが先に行く」
ココが己を親指で指し示す。
「たぶん、あたしを先に狙うだろう。その隙にナオが敵まで到達しな」
「なっ……」
周囲に冷気が立ち込める。リヴァイアサンが1キロ近くまで上昇しているために熱圏が大地から離れつつあるのだ。僕は息を白くしながら叫ぶ。
「だめだ! どちらかが犠牲になる作戦なんて!」
「それしかないんだよ。ナオ、あたしらは戦士だろう?」
それは、僕だって犠牲の伴う作戦は理解するが、それでも……。
「リヴァイアサンにはこちらの位置がバレてる。今はただ後回しにされてるだけさ。覚悟を決めな」
くっ……。
やるしかないのか、そんな作戦を。
それによって僕たちのどちらかが、おそらくはココが犠牲に。
光が。
「ん……」
周囲にきらきらと光るものが舞っている。熱圏が上方に移動し、寒風が吹き付ける状況になっているが、その風に何かが混ざっているのだ。
「これは……アルミ箔」
見れば、それは僕の機体から出ている。ベーシックの肩部増弾槽、レーザーの余波で破損していたが、そこからだ。
「ナオ、20秒後に出る。遅れんじゃないよ」
と、ウィルビウスはハッチを閉じてしまう。地面にかがみ込み、薬圧サスペンションの反動を最大にする構えだ。
「これって……」
僕はコックピットに戻り、通信回線を開く。
「シャッポ、ベーシックに何か積んだのか」
「ああ! ナオ様、回線を開いてくれましたか!」
シャッポは勢い込んで言う。僕に何か伝えることがあったのか。
「シャッポ、肩の増弾槽に」
「ナオ様、何も言わずに」
僕は黙る。マエストロの隊長機と探求者が結びついているのはシャッポにも伝わってる。だから黙ってくれとの指示か。
「ナオ様、本当は開発が終わっていないのです。ですが、今は本番で試すしかありません」
「……」
そう言えば何か言っていた、新しい装備を開発していると。
このアルミ箔がそうだろうか。だけど、これは……。
「ココ様の作戦は推測できています。ナオ様、どうか」
「……」
「ココ様よりも先に跳んでください」
「わかった」
それはココの薬圧サスペンションが発動する1秒前。
僕は機体を沈ませ、刹那の迷いもなく薬圧サスペンションに点火する。
爆発のような衝撃。瞬時にイオンスラスターを全開に。ミリ秒の世界で次々と展開していくスラスターが連続的な加速をもたらす。これは元々はベア機だが、まじないの力で修復されている機体は最高出力を出せている。
下方にココの森の神。やはり飛翔しているが、僕に向かって腕を伸ばすかに見える。焦っているのか、あの鋼鉄のようなココが。
シャッポの狙いは分かっている。このアルミ箔は光線撹乱剤だ。
高反射物質を撒くことでレーザーを減衰させる装備。金属パウダーやアクリル球が用いられるが、アルミ箔でも効果が得られる。
そして展開。肩部から、背面から、各部薬室から火薬の力でチャフが射出される。ベーシックを銀色の光が包む眺めとなる。
だが、対艦砲が相手なら数百メートルの範囲に撒かねば効果はない。この厚さではせいぜいレーダー波を撹乱する程度だ。
だが、まあいい。
ココの作戦は大筋では違っていない。僕が落とされても、ココがリヴァイアサンに到達する。
「ナオ様、私はCエナジーの正体について考えていました」
シャッポの声が遠く聞こえる。圧縮された時間の中で、リヴァイアサンを覆う竜が動くのが見える。
「まさに人知を超えたエネルギーです。正体はまだ掴めません。しかし船にあったベーシックの兵装データ。KBハドロンレーザー。それだけはジェネレータにほぼ直結していることに気づきました」
ガラス細工のような竜。この世のものとも思えぬほど美しい。それが顎を開き、喉の奥に光を蓄えるかに思える。
「あの光条竜を見て確信を深めました。Cエナジーとは光ではない光。肉眼では分からず、観測することもできない空間の波長。深い思惟だけがその光をとらえる。ある種の紋様パターンはその光を捉えるプリズムのようなもの」
何だって。
何を言っているんだ、シャッポ。
竜の光が。
青き閃光が、僕の機体を。
そしてアルミ箔の薄片が。
極限状態で加速する感覚の中、その薄片の表面が見えた気がした。
波のような縞模様が、あの石版と、同じものが。
光に包まれる。
全方位モニターを埋め尽くす光。だが分かる。光が機体表面を滑っている。
「これは……!」
そしてCエナジーが、一瞬で100%に!
――剣を抜け。
本能が叫ぶ。
――敵を斬り裂け。
この星に満ちる声が。巨人の意思が。
――光を我がものとせよ。
剣を抜き放ち、そして力ある言葉を。
「あらゆる竜を断つ光を!」
視界が閃く染まる。
空を両断するような白刃の輝き、リヴァイアサンの巨体を、数十もの光条竜を斬り裂いて。
雲を、大地を、目に見えるすべてのものを斬り裂く光の波紋が。
青空が。蒼穹が見える。
分厚い雲すらも斬り裂いたのか。
これが巨人のまじない、その真の力なのか――。




