第三十三話
「なぜベーシックには名前がないんだろうね」
変わった男だった。
僕と同じ生産兵だというのに、穏やかでのんびりしていて活力がない。ミッションの遂行は丁寧だったが、こなせる数は傭兵たちの半分もなかった。ついでに言うならば甘いもの好きで、体型も少しだらしなかった。
「名前? 識別名ならあるだろう。僕の機体はE-2876、スモーカー機はE-2011、ベアのものはE-3150だ」
「そういうことじゃなくて、親しみを込めて呼べるような名前は無いのかなあ、って思うんだ」
「識別名が数字と記号以外である必要はない」
「そんなことないよ、僕たちにだって名前はあるじゃないか」
確かにある。僕の名はナオ=マーズ。この男の名はレオ=メルクリウス。
綿毛のように細く、軽やかな茶色の髪、彼の中で獅子と呼べそうなのはそこぐらいだ。
「僕たちの名は数列的に命名されてるから番号と差がない。僕の一つ前はネイ、僕の後にはニア、ニュー、ナイア、ノウと続くはずだ」
「そうかなあ、きっと星皇陛下は、僕たち一人一人に願いを込めて名付けられたはずだよ」
……星皇陛下が全員の名付けをするはずがないし、生産兵のデジタライズされた命名法則は整然としてる、誰かの意図が入る余地はない。
というより星皇陛下の御心を推察するような発言は控えるべきなのだが。
「ナオ、君の名前について調べたこともあるよ。ナオとは真っすぐな、とかまじめな、あるいは壊れたものを修復するという意味があるそうだ。他の言語だと高名な船の名前だとかもある。その名前が多い国では、親しみを込めて呼ばれるらしいよ。あと、その、言語によっては拒絶とか否定なんて意味もあるらしいけど」
ネガティブな意味など言わなくてもいいのに、正直者というか嘘のつけない男なのか。
少し会話が止まる。眼の前の人物のレオという名前と実像がそぐわない気がしたが、さすがにそれを指摘するのはためらわれた。
「名前ならもうある」
僕は断定的に言う。今この場で交わされた会話を地に埋めるかのように。
「僕たちを呼ぶ名は『ベーシックのパイロット』それだけで十分だ。ナオというのは識別記号だ」
その返答は、レオという男の中で奇妙な化学反応を起こしたらしい。
レオは複雑に顔を歪ませる。泣くような、無理に笑うような顔のあと、何とか絞り出すように言った。
「それは、悲しいね」
なぜだ。
僕たちは星皇軍の軍人であり、ベーシックのパイロット。僕たちにとってそれが全て。それ以外の呼称など不純物だ。
名前など。僕を特定する記号など要らない。
僕は、一兵卒でいいのに。
特定の何かになど、なりたくもないのに――。
※
「鳥の羽根を持つ方々が報せてくださいました」
デル・レイオ渓谷に築かれた基地。
帰り着いた僕らを出迎えたのはシャッポだ、基地全体に緊迫した空気が流れている。
「遠目から見ただけ、とのことですが甲竜が50、火蛇竜が10、他にもさまざまな竜がいたそうです。我々からも偵察隊を出しました」
「この基地は光を操る竜で隠されてるんだろう? 正確な位置が漏れてるのかな」
「分かりません、しかし方向的にはまっすぐこちらに」
「どのぐらいでここに来る?」
「甲竜の進軍速度に合わせるなら50時間程度でしょうか。徒歩で行軍してる歩兵がいるならもう少し遅くなります」
基地は複数の建物からできており、人の行き来が激しくなっている。荷物をまとめて一時的に避難する者もいる。
「なあなあシャッポ姉ちゃん、ウチらな、あの石の剣を手に入れたんやで。それだけやのうてな、地下の奥深くに別のベーシックも」
「キャペリン、その話はたいへん興味深いです。だから口頭で伝えるだけではいけない。皆に報告できるように急ぎ文書にまとめなさい」
「はーい」
以前から落ち着いた雰囲気のシャッポだけど、キャペリンの前だとさらに年長者の威厳が出てくる。
僕たちは早足で格納庫に向かう。僕のベーシックは基地に着く直前でエナジー切れを起こしたので、家畜化された甲竜に回収を頼んでいた。ついでにレプリカのパイロットスーツも新しいのが渡される。ドワーフたちは常に何でも用意してる。
格納庫で、ベーシックが僕らを出迎えた。
白亜の巨人。まるでオーバーホール明けのような美しい姿。その装甲に傷一つない。
鎚妖精たちが格納庫の片隅で騒いでいた。山のような燻製肉とビスケットを持ち寄って酒盛りの構えだ。
「Cエナジーというものの充填部分を見つけました。それをコックピット部分が無事だった機体につないでおります」
シャッポが説明してくれる。修理したのはドワーフと草兎族らしい。
「そして回復のまじないを使いました」
「使用者は無事だったの?」
「はい、念のためコックピットに6人で入って詠唱いたしました。全員がかなりの疲労を感じたようですが、意識を失うほどではありませんでした」
つまり、まじないの負担は複数人で等分できるのか。
重要なことだ、試すことのすべてが貴重なデータになる。
「確かに直ってるな、この機体は……」
ベーシックには個体差がない。
太い手足、ダミー人形のような簡素なデザイン。頭部には顔があるが、抽象化されてシンプルな造形。手指のメカニカルはあらゆる兵装を使用できる繊細さ。すべて共通している。
認識番号を見てみる。F-0182。
「レオの機体か……」
だが、複数のベーシックが合わさっているこの機体、果たしてレオのものと言えるだろうか。
僕は奇妙な感慨に囚われる。レオという男がここにいるようで、実はどこにもいないような。
「ナオ様、この機体は何と名付けましょう」
「名付け……?」
僕はきょとんとしてシャッポを見る。僕と彼女の間を奇妙な生き物がよぎるような感覚。
「ええ、ベーシックが二体になったことですし、名前が必要でしょう」
「ええと……認識番号がF-0182だからそう呼べばいいさ。僕の機体番号はE-2876、いや違った、今はベアの機体に乗ってるからE-3150……」
「ださいんだよ!」
「うわびっくりした」
いつの間にかドワーフたちが集まってきてる。何人かは顔が赤い。ドワーフはあまり酔わないと聞いているが、それは普段から酔っていて、ほろ酔い状態が自然になってる、とも聞いている。
「名前ないのはかわいそうなんだよ!」
「番号はひどいんだよ!」
「ぼく考えたんだよ、シェンブドレア・エクレア・トワナク・メロンリキュール・ベレルシェト……」
彼らなりにベーシックに思い入れが出来てるのか、目を平たくしてる。
「名前なんか……じゃあ、これに乗ってたのはレオという男だから、レオにしようか」
「名前負けしてるんだよ!」
「レオって感じじゃないんだよ!」
「オーブイセン・ホランド・フィレステーキ・タンバザール・ディアドルサム・カッテージチーズ……」
「ナオ、あんたの軍の機体だろ、名前の付け方とかないのかい」
ココはといえば、いくつかの塗料の容器を持ってきて機体の迷彩を始めている。見たところ緑と黒、森林迷彩をやるのだろうか。
「僕たち生産兵には命名規則があるが、ベーシックにはない、認識番号だけだ」
「ふうん?」
「それより、ここは渓谷だから森林迷彩は効果が薄い。砂漠迷彩や流水環境迷彩のほうがいい」
「ん? これは化粧さ。あたしら鬼人の流儀だよ。気に入ったろ、ウィルビウス」
最後の単語は機体に投げかけたように見えた、僕は首を傾げる。
「ウィルビウス?」
「どっかの種族に伝わる古い神話さ。森に住む神様だよ。ナオが名付けないならあたしが付ける。こいつはウィルビウスだ」
まだ浸透してこない。森の神? それはベーシックだ、それ以外の名なんて……。
「名前がないならナオがつけてやりなよ。あんたの機体にもさ」
「いや、僕は……」
なぜだろう。
僕は少しだけ自分を客観視できてるように思う。
なぜ、僕はベーシックに名をつけていないのか? なぜ、名付けを不自然なことのように感じるのか?
理由は浮かぶ。ベーシックは星皇陛下から下賜された兵器であり、僕の所有物ではないこと。
認識番号と異なる固有名を使っていると作戦行動に支障が出ること。
だけど、それだけじゃない気がする。
それはもっと根源的、ベーシックとは何なのかに関わる認識の問題。僕は生産兵として圧縮教育を受けた際に、どのような認識を教え込まれたのか……。
「……今は思いつかない。そのうちに」
どうにか、そのようにごまかす。
「そうかい? まあ焦るこたないさ」
「名前のことより、敵が迫ってるんじゃないのか。作戦会議とかしなくていいのか」
「あたしらは仲間外れみたいだね」
ココは肩をすくめる。
「種族の代表らが話し合ってるけど、あたしは参加させてもらえない。あたしはゴードランの族長じゃあないし、親父はここに来てないからね」
ココの父親、ドド・ゴードランは鬼人の中でも名のある氏族の長だ。
かつて、竜との戦いで大火傷を負ったが、その後の二年で傷は癒えて、今は西方辺境で開拓を行ってる。
「……戦いの指揮は誰が執るんだろう」
「獅子頭の爺さまだろ、ライオンの頭を持つ獣人さ。あれが一番の武闘派だからねえ」
「見たことがあるな、あの人物が指揮するのか」
「ナオどの」
と、そこへやってくるのは耳長だ。後からは獣人がぞろぞろとついてきている。
「ナオどの、いかがでしょう、修復されたベーシックは」
「ああ……起動は問題ない。本来は格闘戦を覚えるまで日数がかかるけど、半自動操作を使えば何とかなるだろう」
「ふん、伝説の巨人のまがいものだろう」
と、前に出てくるのはライオンの獣人。彼は他の獣人よりひときわ大きく、見事な黄金のたてがみを持っている。
「獅子頭の大首長、レオだ。お前はヒト族か」
「レオ……」
「どうした」
「いや何でもない、そうだ、ヒト族のナオだ」
レオは僕のベーシックを見上げ、右腕に握っていた石の巨剣に視線を移す。
「あれは巨人の剣のようだな、各地で暴れまわっている巨人が持つものと同じか」
シールの乗るベーシックのことだろう。僕は首肯する。
「そうだ、紛れもなく本物だ。この星の科学技術では傷つけられないほど頑健な素材でできている」
「ふん、だがどんな竜でも倒せるほど強くはない、そうだな?」
その視線が格納庫の端に向く。そこには部品を抜かれたベーシックの残り二体。傷つき焼け焦げ、あるいは上半身だけになっていた機体が無惨な姿を晒している。
「……そうだ。竜には負けることもある。あれはあまりに深淵な怪物。どんな竜がいるかも分からないし……」
「ならば戦術に組み込むわけにはいかん。かといって捨て駒にもできぬ。まったく、扱いにくい存在だ」
僕に言うというより、周りの多様な種族たちとの共通認識を作るかのように言う。
「お前たちには後衛を手伝ってもらう。ヒト族のナオは非戦闘員を集めた建物を、オーガの娘は食料庫を守れ、いいな」
「おい、あたしらなら竜を倒せる……」
「分かった」
僕が答え、ココは言いかけた言葉を飲み込む。
「我らは竜皇の軍と戦う、けして独自に動こうなどと思うな、話はそれだけだ」
そして獅子頭の獣人は去っていく。
耳長は僕に申し訳なさげな視線を送ったが、他の獣人たちは最初から最後まで気配を消していた。僕たちと接点を作るのを恐れるかのように。
「何だよナオ、言われっぱなしじゃないか」
「指揮官が彼なら彼に従う。それが軍人としての僕だ」
レオ……彼は正しい。ベーシックが竜に対してどの程度戦えるかは分からないのだ。ココもこれから操縦を学ぶ身だ。近接戦闘が中心になるだろうし、練度不足の兵士を前線に出すべきではない。
ベーシックは確かに強いが絶対ではない。僕らの戦果によって勝敗が左右されるような位置に置くべきではないのだ。
「申し訳ありません。レオ様はもともと、他種族と距離を置きたがる方ですので」
シャッポはそう言ってるが、そもそも竜皇の圧政はヒト族だけの問題という意見もあるらしい。
そんな中で多くの種族を率いて竜皇と
戦おうというのだ。尊敬こそすれ文句などあるはずもない。
「ココ、ベーシック乗りだからって特別な権力を持つわけじゃない。作戦に意見することは控えたい」
「……ま、ナオがそう言うなら」
「ナオやん、なんかイキイキしてるなあ」
そうだろうか。そうかも知れない。
僕は軍人としての本分に帰ろうとしているのか。
戦いの予感を前に、つとめて冷静になろうとしているのか……。




