おとつーのそれから 6 ヴィルムのそれから
今回はヴィルム殿下です。
シャロンがどんどん人たらしになっていく。
「やあ、やっと来てくれたんだ」
ヴィルムはご機嫌で、ご進講の後の休憩に応接室に入った。
秋も深まり、今日は冷たい雨が窓を叩く。厚いカーテンを閉じた応接室にも、雨音が聞こえる程に。
「ご機嫌よう、ヴィルム殿下。
お疲れ様です」
シャロンが長椅子の真ん中で、立ち上がって礼をとる。許可を得て、ちょこんと座るシャロンを愛おしそうに王子は眺める、
(また背が伸びたかな。痩せているのは相変わらずだけど、女の子らしい身体つきになってきた。
仕草が丁寧で、上品だ)
どこもかしこも、好ましい。
アンリが隣にいる以外は。
「アンリ。何故シャロンの隣に座るかな?」
「殿下の隣に座る訳にいかないからです」
……この頃、この賢い純情男は、動じない。何があったのか、からかおうが、皮肉ろうが、ことシャロンに関しては、しれっとしている。
「さて。宜しいですか。殿下が多忙になったからと、こんな所に議案を見せにいけというアルバーンもどうかと思いますが」
アンリは無表情で、シャロンが持ってきた議案書をヴィルムに手渡した。
私がアルバーンにそう命じたんだけどね。シャロンが東の対に来る口実が無かったから。
「……うん。間違いはないし、上手くまとめられている。高等部にも伝えた方がいいな」
「あ、そうですね。高等部生徒会が同様に動けば円滑ですね。流石だわ」
うん。シャロンに褒められると嬉しいね。お茶も美味しいし、軽食も美味しくなる。
「……ありがとうございました、ヴィルム殿下。明日、リーダー会議で提案します」
シャロンは、ホッとして顔を綻ばせた。可愛い。
「今の生徒会は、どちらかというと理詰めで押す性格が揃っているだろう?理屈と感情は違うからね。リーダーを動かす時には、心を動かさなきゃ」
「……そうですね。納得って最後は、好きか嫌いか、になりますものね」
おっ。こういう所が変化だよね。
背伸びしない柔らかさがいいね。
「アンリ。私の進講は今日はもう無いし、少しこちらで休みたいんだが」
「調整しましょう。私の方で管理官に願いを伝えましょう」
そう言って、アンリは立った。
シャロンと簡単な挨拶をして、出ていくアンリをじっと見て、
「アンリ、感じが変わったね」
とシャロンに話しかけた。
「そうですか?……ヴィルム殿下の帝王学が始まって、道を決めたのではないですか?」
おや。
何だか、身内意識が漏れ出るね。
妬けるね。
「シャロン、伯爵になったんだって?おめでとう」
きょん、とするシャロンが可愛いね。急に話が変わって素がでるね。
「恐縮です。
若輩者が賜爵するのは前例が無いのですが、何しろ父が頑固で。陛下にも失礼をしたと聞いています」
「あんな修羅場に娘をほうり出させたんだから、無理もないさ。鬼畜な父に私も腹が煮えた」
実は。
コールの断罪は、私が掴んでいた。
王族の極秘会議で打ち明けたところ、父はシャロンの父を呼び、断罪の場面を呑ませたそうだ。次のエルンストの断罪を円滑にするために。
伯爵は、娘の豪胆さを信じたが、相当根に持っているらしく、交換条件に自身の引退を父に承諾させたそうだ。
おかげで……
「残念だよ。君を王家に迎える事が叶わなくなって」
ヴィルムは、両手を合わせ指を組んで、ソファに背を預けた。ため息と共に。
そう。
シャロン、君を王妃にすることは、もうできない。
「君は、血筋も家格も、申し分ない。そして、品格も頭脳も、素直で愛らしいところも、人を見た目でなく判断して接するところも、みんなみんな好ましい。
未来の王太子妃に、これ程の女性はもう出てこない」
「……」
「そんな事より、私が君を欲したんだ。
君が私を求めるまで、頑張るつもりでいたのにね」
ダメだ。
軽口で収まらなくなってくる。
一度、仕切り直そう。
ヴィルムは、天井を見上げて、一つ吐息をはいた。
「殿下、私、思い出したんですよ」
今度は、シャロンがあさっての方向から話を振る。
「邸の女主人の納戸から、昔のドレスが、またどっさり出てきたんです。その中に、淡いクリーム色のドレスがあって。見た途端、思い出しました。
あの時、私は白いドレスと白い靴で、母のクリーム色のドレスの影から初めての場所に緊張していました」
「……」
「この世とは思えないお庭で、本当に人かと思うような美しい人が微笑んで下さいました。そして、その人と一緒にいた男の子が、とても嬉しそうに手を伸ばして下さいました。
三歳の私は、その子の手をとり、一緒にむせかえるような香りの中に入りました」
「君は、大きな目を見開いて、
『色がいっぱい!キラキラがいっぱい!』
と、花より愛らしく笑ってた。」
(あなたはだあれ?)
(わたしのことは、ヴィーと)
(ヴィー様?ヴィー様は、ここにすんでいるの?)
(そう。だから、シャロンがここにきたら、かならずあんないするよ。きみがまいごにならないように)
(すてき!ヴィー様、ヴィー様のおにわは、えのぐをいっぺんに出したみたい!わたし、ここがすき)
(わたしのことは?)
(ヴィー様、わたし、ヴィー様がだいすき)
大好きだと、そう言って、握った手に力をこめてくれたんだよ……
「その後、私は一家そろって、領地の城に移りました。
北は短い秋があっという間に終わると、灰色の雲が景色を無彩色にする所でした。
夏は春といちどきに来ます。北は色彩にまみれます。私はマルグリットの夏が好きです。
多分、あの庭を心の何処かで焦がれていたのかもしれません」
シャロン。
それ以上言わないで。
どうかしてしまう。
こんな激情を抑えられる程、私はゆとりがない。
「ヴィルム殿下」
シャロンは、回想から戻り、改まった声を出した。
「伯爵位を賜って、私は改めて私の変化を感じました。
以前の私は、経営とは数字であると思っていました。だから、学び続ければ、必ずよい領主となれると信じていました。
ところが、乙女通信の三人に出会い、アンリに出会い、そしてヴィルム殿下に出会って、私は」
シャロンはそこで、少し目頭を押えた。声も少し掠れる。
「私は人間こそが、最も優先されるのだと分かりました。
みんな、私を受け入れて下さいました。そこに何の損得もありません。次第に私は、人に求めるのではなく、惜しみなく与える事が出来る方こそ、手を離してはいけない方だと分かりました」
そして、宝石の様な涙を頬に残したまま、シャロンは立ち上がり、スカートを持ち上げ、ヴィルムの傍に跪いた。床に、スミレ色の傘が開く。
「くにを統べるとは、人と繋がること。私は私を愛し、私の手をとって下さった殿下とは、一生その手を離したくはございません」
……シャロン、君は、何を……
「人には、分がございます。私は北の伯爵として、殿下を敬愛し、お慕いし、お守りいたします。
殿下。例え恋心を互いにもっても、いつかは消え、家族となるもの。
私は殿下の家族にはなれません。
ならば、恋愛ではなく、友愛を殿下と結びたく思います」
「シャロン……」
シャロンは、中腰を浮かせ、狼狽えるヴィルムに、跪いたまま、手を差し出す。
「あの日、私は王家に預けられるやもしれないと聞きました。母の病を耳にして、王族の姫が王家は欲しかった。
けれど、ヴィルム殿下。わずか4歳の貴方が、
『シャロンはお母様と一緒でなければ、幸せじゃない』
と意見して下さったと父が……」
差し出された手を指を、ヴィルムは思わずとる。
(手をはなしちゃだめだよ)
(はなさないわ。ヴィー様)
「ヴィルム殿下。私に故郷で過ごす人生を下さってありがとうございました。短いながらも、母との思い出を沢山下さってありがとうございました。
この先、殿下は気高くも茨の道を歩まれます。私は殿下をお支えする一人となれますよう努めます。
ヴィルム殿下、だから、どうか、……泣かないで下さい」
ヴィルムは静かに静かに、泣いていた。
シャロンを求めたのは、4歳の自分だが、シャロンを見守るという意識が母国での自分を支えてきたのだ。
シャロンという少女を愛する自分が、王家に生まれた辛さを支えてくれていたのだ。
「君も、泣いているじゃないか」
「そう、ですね。でも、何だか、殿下を失うような気がして」
「ヴィー」
「えっ?」
ヴィルムはルビーの瞳を涙で揺らして微笑んだ。
「一度でいい。ヴィーと、呼んで」
あの庭のように。
一度だけ。
それを一生抱えて、私は王の道を進む。
君の友愛宣言を心の奥底に棲む、初恋とすり替える為に。
シャロンは、得心した顔で、頷いた。そして、宝石眼を柔らかく細めて、
「ヴィー様」
と、呼んだ。
ノックが4回。
「殿下、宜しいですか。シャロン、君もう帰る……あれ?」
アンリが見たのは、クッションを抱きかかえ顔を覆っているヴィルムと、向かい側で、しあさってを見て茶を飲んでいるシャロン。
「……アンリ。貴方っていつも、間が悪いって、言われません?」
何故彼女にツンケンされるのか分からないアンリだった。
夕食後、久しぶりに北の対を訪問した。
「ヴィルム。昼間、シャロンが来たのですって?必ず私に通せと言ったのに」
「超多忙な王妃が何を言ってるんですか」
「シャロンは別!……所で、何?」
ヴィルムは、柔らかい表情で母に向き合った。
「貴方、何か、あった?
何だか違う人みたいよ」
「……エラント国王妃殿下」
ヴィルムは、胸に手を当て、礼をとる。
「サマルカンドの姫との婚約。
進めて下さい」
ジュディッド妃は、静かな息子の決心に、何かを感じ取った。
「承知しました。
……ヴィルム、貴方……いいの?」
ヴィルムはにっこりと母の愛情を感じながら、答えた。
「母上。私の少年期が、今日終わったのです」
皮肉な膜が剥がれ、何か初々しい空気をまとう息子は、確かに大人への道に立っているようだ。
それが、多分、昼間のシャロンの来訪に関係しているのだろうと、母は察した。
恋はいっとき。
友愛は一生。
奪う人間より与える人間となる。
シャロン、君の覚悟を支えに、私は王の道を歩む。
再び礼をとり、踵を返し、戻るヴィルムの顔は、清々しい気概に満ちていた。
次回は、ちゃぶ台返しのキャロラインをどけなせんといかん!(古いな)




