事件の後 それぞれの思惑
BOOKMARK、星、ありがとうございます!
さあて、ここら辺からギアを入れ直し、です。
アンリにしがみついたシャロンは、その指をアンリのジャケットから離さない。
「シャロン。保健室へ行くよ」
「嫌っ」
「シャロン。大丈夫、顔が見えないように運ぶから」
「いや、いや、嫌っ!アンリ!アンリ!」
ふう、と、ため息を付くアンリに、ヴィルム王子は
「役得だなあ。殴ったのは私なのに」
と、いつもの調子に戻った様にからかった。
「殿下。お怪我を」
ヴィルムの拳は、余程強く殴ったせいで、血が滲んでいる。
あれ程の王子の激情を見たのは、初めての事だった。
「構わん。護衛を二人置いていくから、お前はシャロンの介抱を頼む。
アンリ、私は動くよ」
普段に戻ったように見えた王子は、深い所で激しい感情を押さえ込んでいたらしい。紅の眼の奥に昏い焔が揺れている。
「……殿下」
ヴィルムは、ニヤリと嗤って、
「彼奴の相手が相手だけに迷っていたが、どうもね……これ程シャロンが大切だと想っていたとは、自分の事なのに、知らなかったな」
「……」
「シャロンを任せた。
アンリ。お前は覚悟しておいてくれ」
「……御心のままに」
ヴィルムは踵を返し、
「王宮へ」
と、護衛に指示を出して、足早に去って行った。
(動く。か)
殿下が動けば、この国は動く。
けれど、アンリの心は静かだった。
(シャロン、君が泣いている方が動揺するよ)
出会った時には、既に約束した人がいる身だった。
マルグリットの一人娘。
自分は、フラット家の嫡男。
シャロンが北を切り盛りしなければならないのと同様に、アンリも、代々王に仕え宮廷で重い役割を担ってきたフラット家を受け継ぐ立場である。
どうあっても、二人が重なることはない。
それでも、心は自由だ。
シャロンと過ごす、静謐な、なのに甘い時間を大事にしたい。まだ互いに15歳。ゆっくりと熟していく過程をシャロンと共有したい。
シャロンにとって、居てくれるだけでよい存在。そんな立ち位置に潜り込んでいたい。
せめて学園では……。
アンリはまだひくひく泣いているシャロンの指をそっと外し、護衛にお姫様抱っこしてもらい、シャロンの手をそのまま握って、誘導する。
「すみません、馬車まで」
こんな時、幼い身体が情けない。
早く大きくなって、シャロンを抱っこできるくらいになりたいなと、事態に合わない呑気な事を思い浮かべるアンリだった。
「落ち着かれましたか」
シャロンの寝室に、ロイはスープを運ばせた。口の中が切れているので、硬い物は食べられないからだ。
「ロイ。……ごめんなさい」
サーブしていたユーナがガバッと頭を上げて、
「お嬢様が謝る事ではございません!こんなお怪我を」
「ユーナ」
ロイは怒るユーナをたしなめて、
「主人のお立場に踏み込んではいけないよ」
「あ……申し訳ございません」
ユーナは赤くなって、再び手を動かした。
シャロンは大きな湿布を顔に貼って、右目に眼帯をしているため、物凄い重体に見えるが、首から下はピンピンしている。
気持ちは充分、重病だけれど。
「ユーナいいのよ。お医者と一緒に全て整えてくれてありがとう。
貴女のお陰で、少し落ち着いたから」
「お嬢様……っ」
シャロンは予備の黒縁眼鏡をかけた。レンズの面積が大きいので顔の半分が眼鏡だ。
「しばらくはベッドで過ごされませ。ですがお嬢様」
ロイはコホンと咳払いをして、
「落ち着かれましたら、フラット様にお礼を。アンリ様のジャケットは、お嬢様が握りしめて、シワがくっきりでございましたよ」
「え、うわ、あ……」
シャロンは、やつと落ち着いた頭で自分のやらかしを思い出した。
(アンリの名前を連呼して
手を握ってもらって
警護さんに、お姫様抱っこ……)
ベッドの上掛けを引っ張って潜り込む。穴があったら、の通りである。
「フラット様がいらしてよろしゅうございました。医者がいらしたのを見届けて、ご挨拶は遠慮なさってお帰りになったのですよ」
ロイは生真面目な少年を思い浮かべる。
寝室にお嬢様が運ばれたのを見届けて、丁寧な経緯と、お嬢様の恥にならないよう極秘密裏に行動した事を説明して下さった。
(あの方であったら……)
そう思いながらも、それを口に出来る立場では無いことはユーナと同じである。
「……今すぐ書くわ。ロイ、何かお詫びの品を」
「かしこまりました」
ロイが一礼して部屋を出ようとした時、
ドスドスドスッ!という足音がして、
「娘ぇ!無事かっ!」
という大声がドアが開く前から響いた。
伯爵である。
ふーふー肩で息をしていて、
(走っていらした?)
と、ロイとユーナが同時に思う。
「お父様」
「……!」
「旦那様。見た目程ではございません」
あの医者はいつも、やりすぎる程手当するのだ。
伯爵が呆然と立ちすくむ間に、再び、カツカツカツカツ!という足音が響いて、
「シャロン!大丈夫っ?うわっ!」
と、伯爵と扉の間から、若い女が飛び込んできた。
(え)
「シャロン〜っ!どうしたの、誰にやられたのぉぉぉ〜!」
「ザビーネ……」
何で?
何でザビーネ。
何でお父様と?
ミリアの『別宅』では、コールが手当を受けていた。
「……そう。
ヴィルム殿下にね……」
ミリアの侍女が濡れたタオルで腫れを冷やす。骨は折れていない様で、痣にはなるだろうが時間が経てば綺麗に治るだろう。
「不味いわね……コール、貴方、破談のきっかけを作ってしまった」
「……別に良いじゃないか」
コールは不満げに言う。
「王子に睨まれるのは、そりゃいい事じゃないけど、マルグリットと手を切るのは元々予定していたんだから」
「それじゃダメなの!」
ミリアは、苛ついてキツく言う。
「貴方があの女に三行半を突きつける。あの女にとって、思っても見なかった貴方からの指摘に、打ちひしがれる……そんな姿を衆目にさらす……そうでなければ意味がないじゃない!」
要は縁を切る事ではない。
シャロンが絶望感を持つこと。そしてマルグリットが貴族社会で恥をさらすことなのだから。
「急ぎましょう。
……その腫れは一週間で引くかしら……」
「何、するの?」
ミリアはニヤ、と、応える。
「戴冠前夜祭。
先触れの祝賀パーティは、国中の貴族が出席するわ。その場を使いましょう……」
「君……一体……」
そして。
その夜のうちにダンブルグ公爵の指示で、ローラン家はコールを蟄居させ、マルグリットに詫び状を出す事となる。頭を下げ、当分『話』を保留にする為に。
当分。
傷が癒えて、美しい姿で、出ていらっしゃい、シャロン!
そして同じ夜、
ヴィルムは、北の対をお忍びで訪ねた。
同時に、王妃の名で呼び出しの知らせを二人に出す。
ジュディッド王太子妃と
エルンスト王子である。




