エピローグ
エルナダ大陸にパッガス政権が樹立したのは、ティッグ大佐を含むリニューカント執政軍の幹部が逮捕された二か月後だった。
この二カ月の間に本国との折衝の他、民間人や商人たちへの見舞金の確保、残党狩りが行われた。
元々は本国のルワート伯爵領で働いていたエイル指導の下、組織編制が行われ、パッガスがエルナダ大陸を総べることになった旨を公布するなど、新政権が形骸化しないように基礎も最低限整える準備期間としての意味合いもあった。
たった二カ月でこれらを終えられたのは各人の尽力とそれを計算に入れた計画立案者リピレイの功績だろう。
「パッガス様、本国より独立政府として正式に認める声明が発表されました」
エイルが報告と共に差し出した書簡を慣れない様子でもたもたと開いたパッガスは、中身を読んで椅子の背もたれに体を預けた。
「本当にここまで来ちまった……」
「名実ともに、エルナダ大陸一偉い方ですよ」
「別に目指していたわけじゃないんだけど。まぁ、ここに座ったからにはやるしかないけどさ」
まだ二十歳になったばかりというパッガスはこれからの長い人生のどれくらいの時間この座に座り続けるのかを考えて暗鬱とする。
対照的に、エイルは見るものを惑わすような艶やかな笑みを浮かべた。
「誠心誠意、お仕えさせていただきます」
「俺がこの座にある間は、だろう」
「いえ、あなたが世間から評価される人物であり私を評価し続けてくれる限りは、です」
パッガスは肩を竦める。
「そうか。なら俺が評価したくなる仕事を頼む。うかうかしてるとリピレイに抜かれるんじゃないか?」
パッガス政権は発足したばかり。リニューカント執政軍がまともに仕事をしていなかったため引継ぎなども特になく、ほとんどの政策や事業を一から企画立案しなくてはならない。
つまり、リピレイの独壇場である。
噂をすれば影が差す。部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
入室してきたのはリピレイだった。
「パッガスさん、エルナダ先住民と移民たちが農業用水路の建設でもめています。もう少し放置してもいいですか?」
「エイル、今すぐ対処してきてくれ」
「かしこまりました」
「えぇ、もったいない」
「……エイルはやっぱり右腕だよ」
パッガスはため息をついた。
※
エイルの要請を受けたミチューは教会を訪ねていた。
元は三角教の建物だったが、現在はエルナダ大陸の国教に制定される予定の新興宗教の建物に改装されている。
「レフゥさん、いますか?」
中に声を掛けると、壮年の男が現れた。
「おや、ミチューさんではないか。ティター殿は一緒ではないのか。残念だ」
「クッフスタさん、こっちに戻っていたんですか」
予想外の人物の登場にミチューは驚く。
エルナダ三角教メッティ派に所属していたクッフスタだったが、ムガジダが起こした騒動で三角教関係者が本国へ逃げ帰っていく中でエルナダ大陸に残り、残党をまとめて教会を立て直そうと奔走していた。
エルナダ先住民の宗教を取りこむ事にもためらいがなかったため、現在はレフゥが立ちあげた新興宗教に吸収される形で三角教の教えを残している。
三角教が新興宗教に吸収されるとの事に難色を示す関係各所の説得に回っていたクッフスタがここで笑顔を浮かべているのなら、説得は上手くいったのだろう。
「レフゥ様なら奥におられる。ご案内しよう」
「ありがとうございます」
クッフスタに先導されて教会の奥へと向かう。
飾られていた神像はあらかた撤去され、代わりに異形の邪神の像が祭られていた。
「まさか邪神を祭るのではなく、監視する団体を新興宗教、それも国教とするとは思わなかった。ムガジダに潰された三角教がこんな形で存続することになると、誰が想像しただろうか。人生は分からないものだね」
クッフスタは感慨深そうにいって、邪神の像を横目に見る。
レフゥが立ちあげたこの新興宗教は、レフゥの封印術を後世に伝え、邪神が暴走した際に封印する役目を持つ監視団体だ。
同時に、リニューカント執政軍との戦いに貢献した見返りである、ラフトックやムガジダに与えられた土地を聖域とし誰も近付かないよう管理する役目も持つ。いわば、邪神と人との橋渡し役でもある。
奥の部屋の扉を開けた瞬間、強烈な花の香りとカビ臭さが鼻孔を突いた。
思わず顔をそむけて鼻を覆うクッフスタの横から、ミチューはひょっこりと顔を出して部屋の中を覗く。
「ラフトックさんにムガジダさんもいらしてたんですか。手間が省けました」
「なんだ。疫病か?」
「人なら我が、草なら友が対処しようではないか」
やけに乗り気の邪神二人の前で、レフゥが本を読んでいる。
「邪神の貸し出し、金貨二枚」
本から顔を上げずに料金設定を告げたレフゥに、ミチューはエイルから渡された書類を差し出す。
「払いはパッガスさんです」
「わかった」
「いやはや、あの小僧が本当に大陸の覇者となるとはな」
楽しげに笑うムガジダの横でラフトックが肩を竦める。
「寿命を縮めている事だろう。我が贈った花が癒しとなれば良いが」
何故か個人的にパッガスの身を案じているラフトックは度々パッガスへ花を贈っていた。
「それで、我らに何の用だ?」
「農業指導をしてほしいんです。エルナダの民の集落なんですが、農業用水の確保でもめています。ただ、リピレイさんが立てた計画によると集落に供給されている水は十分で、畑の拡張も可能な量だと資料も添えてあって、ラフトックさんから集落の方に説明し、ついでに農業指導をお願いしたいな、と」
「よかろう。現地に赴こうではないか」
立ち上がったラフトックにムガジダが手を振る。
「きちんと貢献してくるのだぞ。また封印されてはたまらんからな。我はマルハスの奴から呼ばれている故、出かけてくる」
「マルハスさんに? どんな用事ですか?」
「遺跡の保全と修復がしたいとの事でな。当時を知る我らの知恵を借りたいそうだ」
「そういう事ですか。エイルさんも本国からの観光客を呼び込めるように力を入れたいって言ってましたね」
納得しつつ、ミチューはラフトックと共に部屋を後にした。
廊下を歩いていると、ラフトックがミチューをちらちらと見てくる。
「なんですか?」
「お前も相当におかしな種類の人間だったはずだが、どうにも大人しいと思ってな」
「私がこうしてラフトックさんと連れ立って歩いていると、色々と邪推してくれる人が居るんですよ?」
「あぁ、邪推してくれるのか……」
我が目に狂いはなかった、この目で見た者は確かに狂っていた、とラフトックは呟いて床に愚痴をこぼす。
「我らより封印すべき輩がいる気がするのだが、それが国の上層部ではな……」
※
港町の外れにある小屋で、ティターは正面に座る人物の取り繕った笑みを眺めていた。
「ティター先生、あんたなら分かるだろう。俺達にも食わせていかなくちゃならない部下と維持しなきゃならない組織があるんだ」
「えぇ、重々承知していますよ。ですが、Gの兄弟にいま動かれると面白くないので、大人しくしていてくれないのでしたら潰します」
交渉の余地はないと告げるティターに、正面に座るGの兄弟幹部ミズスーラは舌打ちする。
本国から取り寄せた武器弾薬の類はどういった手続きを経たのかティターがすべて接収し、Gの兄弟が企てたパッガス、エイルを始めとする政府要人暗殺計画は水泡に帰した。
だが、どういうわけかティターはGの兄弟の企てを外部に漏らすことなく、武器弾薬の類はパッガス政権に売り払って、ミズスーラの前に現れたのだ。
「……ティター先生、あんたは何考えてるんだ? 俺らの敵に回るって様子でもないが、味方するわけでもない。何がしたいんだ?」
「何時だって私の目的はただ一つ――人生を楽しみたい。それだけです」
煙に巻くつもりだと思ったのか、ミズスーラは眉を顰める。
「俺たちから武器を掠め取るのが人生を楽しむコツってか?」
「いえいえ、エルナダ大陸が混乱するのは面白くないって話ですよ。では、話を最初に戻しましょう。大人しくしていてくれますか?」
「ティター先生の事だ。こちらが拒否した時に備えて何か仕掛けてあるんだろう。当分は大人しくしといてやるよ」
つまらなそうに言って、ミズスーラは出ていけとばかり、いい加減に手を振る。
ティターは立ち上がり、小屋を出た。
付いて来ていたンナチャヤが街道脇の木の枝に留まっていた鳥に石を投げつけて落とし、手早く血抜きを始める。今夜は鳥料理らしい。
「……早くどっか行けよ、出て行きにくいだろうが」
声が聞こえてきて振り返ってみると、小屋の窓から身を乗り出して面倒臭そうに煙草の煙をふかすミズスーラがいた。
「ティター先生よ、個人的な質問だが、あんたは新政権をどう思ってんだ?」
「上手くやっていると思いますよ」
「上手くやられちゃ、俺達みたいな日陰者は困るんだがね」
盛大に煙草の煙を吐き出したミズスーラに、ティターは笑う。
「別に、私の目的はGの兄弟への嫌がらせではありません。本国の新聞をご覧になったでしょう?」
「学のない浮浪者上がりのパッガスが新大陸での政権運営などできるはずがないと高をくくってたな。本国政府も似たような意見だろう。本当にやばいのはパッガスじゃなく、その下についている連中だ。ティター先生とかな」
「おや、誤解があるようです。私はパッガス君に協力した事はあっても部下にはなっていませんよ」
「なら何で今回邪魔したんだよ」
「個人的な質問との事だったはずですが、先ほど聞いた質問と被りますね」
血抜きを終えたンナチャヤが鳥の足を縛って持ち上げる。
世話になっているエルナダ先住民の集落へ歩き出しながら、ティターはミズスーラに答えた。
「すぐに行き詰ると予想されたパッガス政権が安定した長期政権となれば、本国の世論が変遷する様を見ることができるでしょう?」
「ティター先生の事は一生理解できないそうにねぇな」
ぼやくミズスーラを置きざりに、ティターはンナチャヤを見る。
「かなり黒い所を見せてきたはずですが、まだ愛想を尽かしませんか?」
「良い男が人を動かすのは当たり前。むしろ愛が深まる」
「その場合の動かすは指示を出したり指揮を執ったりするって意味だと思いますがね」
間違いを指摘してもどこ吹く風といった様子でンナチャヤが手を繋いでくる。
ティターは抵抗せずに手を握り返してため息交じりに呟いた。
「まったく、あなたとは長い付き合いになりそうです……」
「末永くよろしく」
本作はこれにて完結です。
最後までお付き合いありがとうございました。




