第七話 ヒール(誤解)は遅れてやってくる
ミチューは森の中を歩いていた。
「切断、加速っと」
飛びかかってきた魔物をひらりと躱して付与魔法を重ね掛けした杖を一閃。魔物の肉を深く切り裂いて、ミチューは再び歩き出す。
「もう、何が何やら」
独り言をぼそりと零して、ミチューは正面を見る。
鬱蒼とした森の中のはずが、かなりの人数の集団が通り抜けた後らしく枝葉が払われて歩きやすくなっている。
この簡易的な道の先にある遺跡、そこに存在するパッガス村を目指すミチューとしては見過ごせない痕跡だった。
(とにかくあのへんてこな――ムガジダだっけ? あの邪神を封印しないとだよね)
感覚鋭敏の付与魔法で索敵をしながらミチューは歩く。
ラデン花の種を巡る騒動において、首尾よく地下水道でラデン花の種を確保したミチューだったが、その日の夜に邪神ムガジダの復活の儀式に出くわしてしまい地下水道に身を潜めていた。
ムガジダの強烈な外見を不意打ち気味に目撃した時には悲鳴を上げてしまい、復活の儀式を行っていた三角教の関係者に姿を見られてしまったが、地下水道の出口にはめ込まれていた鉄格子のおかげでどうにか捕まらずに逃げおおせたのだ。
もっとも、その後街中では金の髪の少女を探して三角教、リニューカント執政軍、Gの兄弟、サウズバロウ開拓団が動いており、ダックワイズ冒険隊までもがミチューを捜索していた。
捕まらないように身を潜めながらの情報収集はなかなかうまくいかなかったが、あの夜に見た異形が邪神の一柱だと知り、同じ邪神であるラフトックを封じたパッガス村のレフゥに話を聞こうと足を運んだのだ。
「……何があったのかな?」
ミチューは森の先に存在する半壊した砦を見て呟く。
あちこちに三角教の兵士が倒れている。ほとんどが絶命しているが中には息のある者もいるようだ。
手当てして話を聞こうとしたが、明らかに焦点の合っていない目でだらしなく、それでいて楽しそうな笑みを浮かべる常軌を逸した様子の教会兵を見て放置を決めた。
「えぇっと……」
邪神ムガジダの封印方法を聞くつもりが、とんでもない事件現場にのこのこ足を運んできてしまったらしいと今さら気付いて、ミチューは左右をきょろきょろと見回した。
戦闘音の類は聞こえない。砦の壁の裏にはパッガス村が広がっているはずだが、火の手も見えない。
物音を立てないようにこそこそと砦の外壁の亀裂を潜り抜け、そこに転がる教会兵を素通りしつつ内壁からパッガス村を覗き込む。
がらんと人気のないパッガス村の様子に息をのんだ。
「子供たちがいない」
本来なら、村の住人でもある子供たちが駆け回っているのどかな景色が広がっていたはずだ。
しかし、戦闘で破壊された様子もないのがミチューには不思議だった。
恐る恐る村の中に入ってみる。
畑が荒らされた様子もない。
家の中を覗いてみると、子供たちが作ったらしい不格好な調度品が丸々残っていた。
討伐した魔物の死骸などが保管されている倉庫の存在を思い出して、ミチューは倉庫へ向かう。
明かり取りの窓から覗きこんだ倉庫にはすぐにでも換金できそうな素材が山と積まれていた。元々この辺りには強力な魔物が多く、市場での流通量が少ない事から希少価値が上乗せされる品ばかりだ。
「村のみんなが総出で旅行って事はなさそう」
計画的な遠出ならこうも不用心に倉庫の中身を残していくはずがない。
「教会兵の襲撃を受けたのは間違いないけど、エイルさんが負けるとも思えないし、勝ったはずの教会兵の姿が村の中にないのも不自然だし、何があったんだろう」
ずっと街で隠れていたミチューには決定的に情報が足りていなかった。
金の髪の少女として追われていた事もあり情報収集の時間も碌に取れず、完全に置いてけぼりだ。
封印師であるレフゥの家や村長パッガスの家、かつての同級生リピレイの家とどうにも接し方が分からないでいるエイルの家も訪ねてみたが当然のように留守だった。
途方に暮れていると、付与魔法で鋭敏になった聴覚が森を抜けてくる集団の物音を聞きとる。
村の住人が帰ってきたのかとも思ったが、金属が擦れあう音が多く、ミチューは慌てて物陰に隠れた。
様子を窺っていると、砦の内壁を潜り抜けて完全武装の男たちが陣形を組みながら入ってきた。訓練された動きで敵の有無を確認しながら陣を広げていく。
最後に入ってきた一団に居た大男が大声を張り上げる。
「三角教過激派並びにムガジダに告ぐ。投降せよ」
勧告する大男の横に掲げられた旗にはリニューカント執政軍の意匠が染め抜かれていた。
ミチューは首を傾げる。
今も大声で投降を呼びかけている大男に見覚えがあったのだ。
(なんでダックワイズさんがこんなところでリニューカント執政軍の振りをしてるんだろう?)
大男の正体はダックワイズ冒険隊のトップ、ダックワイズその人だった。
ミチューもダックワイズ冒険隊に入隊する直前の最終面接であっただけの人物だが、流石に大物だけあって顔は記憶していた。
ダックワイズ冒険隊とリニューカント執政軍は対立こそしていないが協力関係でもないはずだ。ダックワイズ冒険隊は腐敗したリニューカント執政軍が魔物の討伐などを行わなかったために立ちあげられた民間組織であり、その成立過程から互いにいい感情を抱いていない。
それが表だって共闘している光景が奇異に映った。
ダックワイズは蝋で針金のように尖らせた赤毛を手で撫でつけながら鋭い眼光で周りを見回し、敵性勢力がいないと見ると部下に進軍とパッガス村の制圧を命じた。
ダックワイズの部下たちが散っていくと、後からリニューカント執政軍が乗り込んでくる。煙草をふかして偉そうにしているリニューカント執政軍の指揮官は階級章から見るに大佐だろう。
「ティッグ大佐、どうやら三角教の連中も邪神もいないようだ」
「遅かったか。まぁ良い。それよりも、この村には邪神ラフトックが封印されているとの情報もある。確認を急いでくれ。こちらは教会兵どもの死因調査がある。おそらくは麻薬だから、ラデン花の種とやらは無関係だろうがな」
やはり共闘しているのは間違いなさそうだ。
不思議に思いながらも、ミチューには早急に確認すべきことがあった。
(ラフトックの封印、どうなってるだろう)
以前封印の現場に居合わせた事もあり、ミチューは村の建物が作る死角を縫って封印の扉へと急いだ。
「うわぁ……」
ミチューは封印の扉前の惨状を見て思わず呟く。
地下室への扉が開かれていた。扉は血塗れで帯状の魔法陣が浮かび上がっている。近くには顔面を削り取られた無残な男の死体が転がっていた。
地下室から数種類の花を煮詰めたような強烈な臭いがあがってきていた。
明らかに封印が解かれている。しかし、そばに邪神の姿も気配もない。
流石にこの惨状と先のダックワイズの勧告を合わせて考えれば、何が起きたのかは推測できる。
(けど、これはこれで、楽しい事になったのでは?)
顔面の判別がつかない男の死体の横でこれから起こるだろう状況を予想してミチューはニタニタと笑うが、気を引き締めて手鏡を取り出した。
この状況でニタニタ笑うのは巻き込まれただけの無実の少女という自分の立場を考えるとふさわしくない。もっと困ったように、悲しそうに、哀れを誘うように、それでいて見た者に一抹の疑心を抱かせる表情でなくてはならない。
手鏡に向かって百面相をしてこれだと思う表情を選び抜き、ミチューは手鏡をしまう。
ちょうど聞こえてきた複数の足音に向かって振り返った。
ダックワイズ冒険隊の隊員が七名、完全武装の上に警戒感も露わにミチューを見ている。
「貴様、金の髪の少女!」
「あの遠征の打ち上げを台無しにしたウエイトレスだな!」
「まさか、ラフトックまでも復活させたというのか!?」
どうやら、ミチューの顔を見知っている者が何人か混じっているらしい。
しかし、問答無用で飛びかかってくる様子ではない。
邪神の影がちらつく怪しい少女を警戒しているのもあるだろうが、ミチューが人畜無害に怯えたような表情で身体を縮こまらせているのも理由の一つだろう。
「わ、私は無実なんです!」
それだけ言って、ミチューはひらりと身を翻し駆け出した。
ダックワイズ冒険隊も慌てて後を追おうとするが、完全武装の彼らと付与魔法の使い手であるミチューでは身軽さが違う。
あっという間に追手を引き離したミチューはそのままの勢いで砦を脱出しようと地下道の入り口へ向かい、足を止めた。
「……封鎖されてる」
予想外の状況に一瞬頭が真っ白になったが、追手が仲間に呼びかける「金の髪の少女が出たぞ!」との声を聞きつけて、ミチューは青い顔をした。
「なんか最近こんなのばっかり!」
ちょっと涙目になりながら、ミチューは大急ぎで近くの荷車に浮遊、硬化の付与魔法をかけて持ち手を握り、砦の壁にほど近い屋根の上に持ち上げる。
屋根の角度と砦の内壁、外壁までの距離をざっと目測して、ミチューは荷車を押してすぐに飛び乗った。
「加速、加速、加速、加速――」
加速の付与魔法を重ね掛けすると荷車の速度が一気に増して屋根の上を疾走し、勢いよく大空に飛びあがった。
しかし、いくら浮遊の付与魔法をかけてあるとはいえ重力から完全に解放されるわけでもない。浮遊は地面に対して一定の高さに浮き上がる付与魔法であり、何メートルもの壁を簡単に越えられるわけではないのだ。
空を飛ぶ荷車は地面に引き寄せられるが、着地点はミチューの目論見通り内壁の上部だった。
「弾性付与!」
荷車の木製タイヤに弾性付与魔法を重ね掛けする。
内壁上部に着地すると同時に荷車の木製タイヤはゴム毬のように跳ねあがった。
「いっけぇえ!」
ミチューの叫びに応えたわけでもないだろうが、荷車は再び空を駆ける。
外壁を跳び越えた荷車は地面に向かって加速し付与魔法の効果が表れる高度に達すると空気の塊を押し潰したように急速に減速する。
固定器具もないためミチューの身体は激しく揺さぶられ、荷車が地面に着地すると同時に投げ出された。
ごろりと転がったミチューはふらふらと立ち上がって口を押さえ、木の根元にしゃがみ込んだ。
「――こっちから女の声が聞こえたぞ!」
「壁の向こうかもしれん。回り込め!」
砦の中から声が聞こえるが、ミチューは描写してはならない乙女の秘密を木陰で展開してから立ち上がった。
「もう空は飛ばない」
決意を固めて、ミチューは森の中へと消えた。




