神の思し召し
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元々、サモンと言う男は出世欲の強い男だった。大司教と言うトップの地位に就くことができたのも、類まれな魔法の才能を持っていただけでなく、彼が権謀術数を尽くした結果であった……アセルスと言う女性と出会うまでは。
大司教と言う立場はアリストの血脈を隠すという密命が存在する。不能者である彼女が貴族から迫害を受ける姿を、黙って見守るしかできなかった。しかし、アセルスはいつも笑顔で周りを明るくする太陽のような娘だった。
「愛してる」
その地位を捨ててもいいと思った。すべてを捨てて、彼女と一緒に。
「私もよ……でも、あなたはより多くの人を救える人よ」
アセルスはそう彼を諭し、その数日後、彼女はサモンの前から消えた。
そして、一年後。一つの手紙と一人の赤ん坊がサン・リザベス聖堂の前に置かれていた。それは、紛れもなく彼女の筆跡だった。彼は、気づいていた。アセルスがすでにこの世にいないことを。だからこそ、自分にこの赤ん坊を託したということ。
その日は、皮肉にも生まれた子に祝福を与える儀式だった。その月に生まれた子の親が集まり、大司祭が神に祈りを捧げる儀式。サモンは自らの傍らに子を抱きながら、別の子に祈りを捧げる。
儀式を進めながら、不能者である我が子になにも出来ず、別の子の幸せを神に祈らなければならないことに耐えようのない哀しみが湧き上がった。そして、この子のためになにもしてやれない無力な己が許せなかった。
ある一人の子どもが差し出されたとき、一つの考えが脳裏によぎる。もしかしたら、この子に内在する物質さえ取り除けば、この子は不能者でなくなるのではないか。
その部屋にはサモンと、我が子と、名も知らぬ子の3人。彼はすぐに魔法で内在する物質を取り出した。しかし……その物質は、空気に触れると砂のように溶けだしていく。
気づけばサモンは別の子の体内にそれを埋め込んでいた。ほぼ、反射的な行為であると言ってもいい。その時、儀式の時間が長く、不審に思ったアリスト教徒がドアをノックして、慌てて我が子を隠した。
聖櫃となったその子の両親はわからない。貴族なのか、一般市民なのかも。神の下では貴賤にかかわりなく儀式を行うという名目でサモンには両親の名前は明かされない。ただ、偽善とはわかっていながらも、聖櫃となったその子の幸せを願った。
そして、すぐに我が子とも別れの時が来た。サモンとの血のつながりが発覚すれば、確実にこの子の命はない。もう、この子のことを一生忘れて生きなければいけない。大司教として、その子を秘匿院に入れた。
秘匿院は子どもができない親が、捨てられた子を極秘に養子として引き取る場所である。そこに預けることが、彼の立場で我が子にできる精一杯のことだった。
貴族に引き取られたか、一般市民に引き取られたかはわからない。しかし、不能者となった聖櫃であるこのために……そして、誰に引き取られたかもしれない我が子のためにすべてを懸けて誓おう。不能者であっても、どんな身分であっても、笑って暮らせるような国になるように。
サモンは神でなく……自らに、そして亡きアセルスにそう誓った。
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闇魔法使いに貫かれたサモンはそのまま地に崩れ落ちた。アシュはすぐにリリーとシスの元へ駆け寄る。
「アシュ先生……どうしよう……リリーが……リリーが!」
シスはリリーの傷跡から流れる血を必死に抑えながら叫ぶ。
「……落ち着きなさい、シス。あの時のことは覚えているかい?」
優しくアシュは彼女の頭を撫でる。
「あの時……」
「湖でアリスト教徒に襲われた時さ。あの時は、君が瀕死の彼を治療したんだ」
「そんな……私、なんにも……」
「それから、何度やっても君は魔法を唱えることすらできなかった。その時、思ったんだ。『ああ、もしかしたら君の力は光属性の者にのみ反応するものなんじゃないか』ってね」
アシュは、シスという器に神の子の適性を見出していた。
「先生! そんな事より、リリーを」
「シス……君の手を見てごらん?」
そう優しく微笑みながらアシュはシスに促した。
「手って……光って……る?」
その光はみるみるうちにリリーの傷跡を消し去った。そして、リリーの血色は良くなっていき、やがて彼女は何事もなかったかのように目を覚ました。
「……シス……と……げっ、アシュ先生」
「……口の悪さだけは、治癒できなかったようだね」
そう言って、アシュは振り返ってサモンの方に近づく。
「なぜ……貴様が……」
サモンは純粋な疑問を口にする。アシュのダメージは自然治癒では数日はかかるほどのものだ。とてもではないが、この短時間で回復するものでない。
「僕の人形をなめてもらっては困るな。首がなくなったぐらいでは彼女は動かなくなったりしない。彼女の献身的な治癒魔法で、なんとかここまで来ることができたよ……首のない彼女に治療されるのはいささか気味が悪かったがね」
「……そうか。私は……なにもできずに……死んでいくのだな」
サモンの指先が、段々と灰に変わっていく。契約魔法を駆使した代償は、すでにサモンの命を奪い始めていた。
「……シス、リリー。こちらへ来なさい」
アシュは静かに2人をサモンの近くへ来させた。
「……なんですか! こんな人、顔も見たくない」
リリーが不機嫌そうに答える。
そんな彼女の顔をサモンはマジマジと見つめる。
「ふふっ……アシュ=ダール。すっかり騙されたよ。私も動揺してしまった」
こんなところに都合良くいるなんてあり得ない。たまたま、彼女の面影を持った少女がいただけに過ぎない。
「……リリー、シス。よく、聞きなさい。彼は他人のために命を懸けた正真正銘の聖者だった。しかし……道を間違えたまま、止まれずにここまで来てしまった。その憐れな男の末路を……最期まで見届けなさい」
「「……」」
「君たちは彼から学びなさい。最期の瞬間まで、その瞳に焼きつけなさい」
シスとリリーは、アシュの言われた通りサモンを見つめた。
サモンもまた、朦朧と薄れゆく意識の中、再び彼女を見つめる。
「アシュ=ダール……いくらなんでも……あり得ないだろう」
「さあ……僕には真偽はよくわからんね。しかし、僕の考えだと器と中身は惹かれ合うものだと思っているよ。それに……君たちはこんな時こう言うんじゃなかったかな? 『すべては神の思し召し』とね」
「……」
サモンはそれ以上なにも言わずに、彼女をまっすぐに見つめた。
大きく……なった……
神よ……やはり……あなたは意地悪だ……死にゆく……私に……こんな光景を……
・・・
サモンの身体は全て灰になって消えていった。
「……リリー、どうしたの?」
シスが視線をやると、リリーの頬に涙がつたっていた。
「……え? あっ……やだ、なんで……止まんない」
「リリー……」
「……なんで……あの人を見てたら……急に……」
その時、アシュがリリーの頭をポンポン叩く。
「……どんな人でも、生涯を生ききった人が亡くなった時はそんな想いを抱くものさ」
「アシュ先生……」
「さて、ミラを回収しないと。疑似体液がほとんど抜かれてしまって、ほとんど動けない状態だ。アレでは、ただの首なし人形だ」
「あ……んたねぇ! もうちょっと言い方があるでしょうが!」
バシッ!
リリーが全力でアシュの背中を叩き、そのまま闇魔法使いは崩れ落ちて倒れた。
「……」
「……おーい。アシュ先生……アシュ先生!?」
何度揺り動かしても一向に動かない闇魔法使い。
「リリー……ちょっとやり過ぎじゃ……」
「ち、違うわよ! ただ、背中を叩いただけで……ちょっと起きなさいよ! 演技してるのよね!? いつもの性悪演技なのよね!? ちょっと――――――」
リリーの叫び声が、空に響いた。




