絶望
「……で、あんたはどうするの?」
「ひっ……」
リリーは、裏切り者のセナをチラリと眺める。
ハッキリ言って、アシュ以上に聖闇魔法をぶっ放したい男だが、それは、なお命がけで守ろうとしているテスラの手前できない。彼女がなぜそこまでの慈愛を捧げるのか、1ミリたりとも理解できなかったが、その信念は尊敬に値する。
「ククク……無駄だよ。その男は苦しむことを望んでいるんだ。もっと、自分を傷つけて、痛めつけて、罪の意識に苛まれることを欲している……ねえ?」
「……ひっ、ひいいいいいいいいいっつ、ひひひひひひひひっ、ひひひひひひひひひひひひひっ、ひいいいいいいいい」
セナが笑ったような泣いたような表情で歪む。リリーは「ちっ」と舌打ちをしてあきらめた。今は一人で味方が欲しい状況。セナに手を出せない状況なら、味方にするのが得策だが、完全にイッちゃってる。最低ゲス魔法使いがそれを許さない。
セナは耳を塞いでうずくまった。脳裏に響くのは、あの低い声。あの、薄暗く絶望めいた、地を這うような深い声。深淵へ、奈落へ……闇へと誘おうとするあの声。
「ひっ……ひっ……ひっ……」
もっともっと苦しめ。もっと……もっと……もっと……もっと…… もっと……もっと……もっと……もっと…… もっと……もっと……もっと……もっと…… 苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ苦しめ。
ああ、またあの声が聴こえてくる。
セナは正気だった。正気で狂っていたがゆえに、その罪の意識はなおも深かった。四六時中アシュの低い声が、確実に彼の脳裏にこびりついて、離れない。自殺しようとも考えた。
しかし、そのたびにテスラの声が響く。
あなたは何も悪くない。弱いことは罪ではない。サモン大司教はあなたに託したのだ。あなたは、もうあなたを許してもいい。あなたは悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない許してもいい許してもいい許してもいい許してもいい。
「ひっ……ひいいいいいいいーーーーーー!」
傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され、傷つき、癒され。
もう、彼の心はわからなくなった。なにがどうなっているのか。自分が何を望んでいるのか。
どちらかの声を止めたいと思った。どちらかの声を止めたいと願った。
残り少ない正気を震えるように抱えながら、セナはテスラを解放し、アシュの消滅に動いた。彼の気持ちは軽くなり、勇気が湧いてきた。
しかし、闇魔法使いの微笑みを見た瞬間。彼の蝕まれた心がジワジワとドス黒く浸食し始めた。
「……いいのよ。セナ」
「ひっ……」
セナはテスラの瞳を見た。大聖女の澄んだ瞳は、なお慈しみに溢れていた。こんな罪深い自分を彼女はどこまでも許してくれる。こんな自分がどんな罪を犯しても、彼女はどこまでも許してくれる。
「よくないだろう……まだ、苦しみが足りない」
「ひっ……」
セナはアシュの表情を見た。彼の表情はどこまでも憎らしかった。サモン大司教を殺した男の言うことに、自分は従った。これほどまでに罪を犯した自分が、やはり許されるはずがない。許された言い訳がない。
「セナ……耳を貸してはいけません」
「セナ君。彼女はもう死ぬよ。君のおかげで」
セナは交互に二人を眺める。その正反対の瞳を。どこまでも優しく包み込むような瞳と。どこまでも罪を責めたてるような瞳を。
「ひっ……ひいいぃ……見るな……見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るなあああああああああああ!」
セナは、髪の毛を掻き毟る。
そして、交互にその瞳を確認する。
彼女の憐憫の瞳を。
彼の軽蔑の眼差しを。
堕落と救済。
見るな。
こんな私を。
罪深い私を。
弱く臆病な私を。
そんな責めるような瞳で。
そんな優しい瞳で。
私を。
見ないでくれ。
「……落ち着いて、セナ。自分を……しっかり……」
「苦しめ……苦しめ……苦しめ……僕に力を貸して……もっと……もっと……」
「……嫌だーーーーーーーーーーーー!」
瞬間、
咆哮の先に魔法陣刻まれた。黒い光が周囲を包み、1人の悪魔が姿を現わす。
「……」
息を飲むほど美しい彼女を、一瞬にしてアシュは悪魔と見なした。
「……これは面白い。久しぶりだね、魅悪魔オエイレット」
闇魔法使いは、歪んだ笑顔でつぶやいた。




