執着
約200年前、当時は、田舎町であるジーゼマクシリアに広がる麦畑のある家。平凡な平民の農民の家に生まれ落ちたのがアシュ=ダールだった。
母は美しくて明るい女性だったが、アシュが生まれた8年後の夏に流行り病で死んだ。父親は、大層妻を愛していたらしく、それから酒の量が増え酔っぱらって川に落ちて死んだ。
身寄りのいなくなったアシュは、当時大陸一の魔法使いと謳われていたへーゼン=ハイムの元へ押しかけた。彼に弟子入りを希望する者は山ほどいたが、アシュの才能を見抜いたへーゼンは彼を嬉々として迎え入れた。
アシュが10歳になった時に、当時の名門レッサーム魔法学校に通うようになった。大陸一の魔法使いの推薦で、平民出身の最年少魔法使い。無邪気で残酷な生徒たちに迫害を受けるのは、当然の流れであった。
その時に、アシュが出会ったのが彼より3歳年上のリアナと言う女の子だった。彼が受けたいじめは相当のモノであったが、彼女だけは違った。泣いている彼を守り、叱り、笑いあった。そんな彼女をアシュは愛した。
やがて、彼女は不治の病に侵される。へーゼンの治癒魔法でも治せない病に。アシュの魔法属性は闇。光属性であり、その中でも高位とされる治癒魔法は使えなかった。しかし、アシュは彼女を愛していた。だから、どうしても彼女を助けたかった。
それは、奇跡と呼べるのだろうか。アシュの才能が、己のすべてを賭けて費やした魔法。へーゼンのそれすら、遥かに凌駕した魔法。一生を費やしてもなお到達しない領域に、この時のアシュは辿りついた。
そして……地獄が始まった。
*
「……ああ、おはよう」
アシュが目を開けると、アリスト教徒の信者たちが青ざめた表情をして息をきらしていた。
「ば……化け物め」
「ああ、この身体のことかい?」
黒い灰となった腕の先から骨が形成されて肉ができていく。やがて、それを覆うようにみるみる肌が再生される。アリスト教徒たちは、昨晩何度アシュを殺しただろうか。跡形もなく、何度も何度も。
「……君たちの行動でジュリアは無駄死にだ。もしも、僕を殺さずに封じようと考えていれば或いは目的は達していたのかもしれなかったのにね」
やがて、再生を完了した体を動かしながら、ジュリアを眺めて低く笑う。
その指先には、闇の光が覆っていた。
<<冥府の死人よ 生者の魂を 喰らえ>>ーー死者の舞踏
禍々しく描いた象徴から発生した黒い光は、突如として彼女の目を大きく見開かせた。死体をまるで生きているかのように動かす闇魔法。詠唱者のレベルによって幅は異なるが、その対象者が生前保有していた能力を引き出すことができる。
「ば、バカな……じゅ、ジュリア!?」
アリスト教徒の一人が駆け寄って肩を抱く。先ほど彼女の死に涙を流していた男だ。何度も何度も彼女を揺り動かすが、その瞳は虚ろなままだった。
「で、あったものだよ。僕ら死者使いは、死者の怨念を聞くとされているが、それは間違っている。死者が残した残存思念のエネルギーを具体化し活用しているに過ぎない。だから、彼女はすでに彼女ではない……こんな風にね」
グサッ。
グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。グサッ。
ジュリアが仕込んでいた懐のナイフを男の心臓に何度も何度も突き刺した。
「……ぐわあああああああっ」
「ふふふふ……こんなジュリア先生がしなさそうな無慈悲な行動も、この死体は躊躇なく実行してくれるのだよ」
アシュはそう笑いながら、他のアリスト教徒の方を見る。
「……くっ、闇の亡者め」
「僕に言わせれば、君たちも似たようなものに思えるが?」
「な、なんだとっ!?」
「ジュリアは……最後の最後までアリスト教徒であり続けた。殺したいほど憎い僕に対しても魔法を封じるだけで、その生涯を終えた。そして……君たちは? 己の信じる教義に外れ、躊躇なく何人の者を殺してきたのだ?」
「……だ、黙れ」
「闇の魔法使いを殺したいのだろう? 君たちが正しいと信じる光が何より優先すべきで、それに外れるものは容赦はしない。君たちは美しくないな。まったく醜い……そんな君たちに僕から最高のプレゼントを贈ろうと思うんだ」
アシュは倒れている男に印を放つ。それは、ジュリアに放ったものと同様の印だった。闇の光は男を包み、その皮膚に入り込む。やがて、何事もなかったかのように男は起き上がり、虚ろな瞳でアリスト教徒たちを眺める。
「……」
「そんなに怯えなくてもいい。君たちには、今、僕が思いつく限り、最高のやり方で殺してあげるから」
闇の魔法使いは唇をゆがめて笑った。




