吊るされた男
ホグナー魔法学校の校庭は、広大な敷地である。草原や平地だけでなく、大森林や湖、砂漠なども存在する。そんな中、広大に広がった草原の真ん中で、課外授業は開始された。
「ところで、君たちは、魔法の矢は放てるかな?」
闇魔法使いは、生徒全員に問いかける。
「当たり前です。ほら、この通り」
生徒の1人が手を上げて、詠唱を始める。
<<水の存在を 敵に 示せ>>ーー氷の矢
印を結び放った魔法は、氷の刃となって遠くの木に突き刺さる。
「ふむ……やはり、基礎はできているようだね」
魔法の矢は、特定の属性魔法を放つ、全攻撃魔法の基本となるものだと言っていい。
「では、始めようか」
そう言って、ミラに掲げさせた紙には『属性変換』と記載されていた。
「これが今回の授業内容だ。さあ、やってみたまえ」
「あの……これって、まだ習っていないんですが」
1人の生徒がおずおずと手を挙げる。
「習っていないからこそだよ」
アシュは愉快そうに微笑む。
火、水、土、木、金。魔法には5つの属性があり、一般的に属性魔法と呼ばれている。各々、自然の力を借りることでその属性の力を引き出すことができ、属性変換は土から木など、放った魔法の性質を変える紛れもなく高等魔法だ。
通常、魔法学校を卒業して5年ほど修練した中級魔法使いがやっと覚えることのできる魔法。魔法学校の『見習い』が数時間で使えるレベルではない。
「手段や方法は問わない。属性さえ変われば経緯も問わない。例えば火から風でも、木から土でも、属性変換できればよい。聖から闇でも……な」
アシュはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、一同は戦慄を浮かべた。
「せ……先生! それは、禁忌です。取り消してください」
リリーが相変わらずまっすぐな視線をアシュに投げかける。
「探究心に禁忌など存在しない。リリー君。マイナス5点」
「ぐっ……」
納得のいかなそうに唸るリリーだが、それ以上の反論はしなかった。
一般的に聖の象徴である天使を闇に堕とす所業を『堕落』と呼び、天使が悪魔へと転ずる行為である。それは、紛れもなく神への背信行為であり人間が意図的にその行為を行うなど禁忌以外の何物でもない。
しかし、彼女は知る由もないのだろう。その行為が禁忌とされたのは、犯した者がいるからだということを。
「他に質問や意見はないか? まあ、僕は君たちの柔軟な答えに期待している。気軽にやってくれ給え」
そう言ってアシュはミラが用意した椅子に座って、注がれたカフェオレを上機嫌そうに香った。
アシュがそのカフェオレに口をつける前に、
「あの! どこで見せればいいんですか?」
リリーが遠くから睨みつけるように性悪魔法使いを見つめる。
「ここで構わないよ」
「では……いきます!」
リリーは詠唱し、印を描く。
<<氷刃よ 敵を貫きて 爆炎と化せ>>ーー水陣の反乱
数秒後、アシュの側に位置した机に氷の矢が命中したと同時に、爆発的な炎が上方に昇る。舞い上がった机は、一瞬にして消し炭になり風と共に消えた。
「……見事だ。この年で水、火の属性変換を行うとは。しかし、この机を無残に灰にする必要があったかは全くもって謎だが」
「あーら、申し訳ございません。先生には私の魔法を至近距離で見ていただきたかったものですから」
リリーが勝ち誇ったようにお辞儀をする。
「……まあ、いい。君は文句なしに満点だな」
「アシュ様。カップを持つ手が震えております」
有能執事は、カフェオレが溢れてビシャビシャになった彼の手を拭く。
「アシュ先生、私はあなたの属性変換魔法を見てみたいです。ねえ、みんな」
リリーが、満面の笑みを浮かべながら周囲に問いかけ、『待ってました』と言わんばかりの拍手に包まれた。
「……ミラ、この反応をどう思う?」
「期待2割、失敗待ち8割というところでしょうか」
「ふぅ……いつの時代も天才というのは理解されにくいようだな」
アシュは飲みかけのカフェオレを地面において立ち上がった。
「では見せてやろうか、ミラ」
「はい」
ミラが先ほどリリーが魔法を放った場所まで移動し魔法の詠唱を開始する。
<<氷刃よ 烈風で舞い 雷嵐と化せ>> ーー三精霊の暴虐
瞬間、極小規模の暴風が発生し、中で無数の鋭利な雹と雷が入り混じりながらアシュが座っていた椅子を破壊し貫通して行った。
「さ……三属性変換……」
大陸でも、行えるのは100人もいないと言われる超高等魔法である。それを、事もなげに、いとも簡単に実行してしまう超有能執事。
「どうかな? 君たちのお眼鏡には叶ったかな」
アシュはその場に座り込んで足を組む。
「……凄いわ! ええ、凄いわよ! でも、なんで魔法を放つのがミラさんなのよ!?」
リリーは噛み付くようにかアシュに叫ぶ。
「彼女は僕の最高傑作だ。僕の創った人形が、放ったものは僕が放ったと同義だろう? まあ、ミラが僕の側にあった椅子を粉々に打ちくだく理由があったかは全くもって謎だったが」
アシュはそう言って、地面にあったカップのコーヒーに口をつける。
「彼女と同じことをすることによって、いい比較になると思いまして。さっ、アシュ様。こちらに代わりの椅子を用意してあります。どうぞ、いらしてください」
「いや、いい。もう少し久々の大地の感触を楽しむことにするよ」
「……素直に腰が抜けたと言えばよろしいのに」
ミラが淡々と椅子をアシュの側に持っていく。
「あなた……何を言ってるの? ミラさんが人形だなんて失礼じゃない!」
リリーの語気が荒くなる。
「そうか、君には……いや、みんなには説明していなかったかな。彼女は僕が人形に魂を錬成して創った意思のある人形だ。喜怒哀楽の感情はないがね」
・・・
沈黙が周りを支配した。
「フッ……今頃、天才の価値を理解したか」
「皆様、あなたの狂気に対して全身でひきまくっているようですよ」
ミラが淡々と答えながら、腰が抜けたキチガイ魔法使いに肩を貸して代わりの椅子に座らせる。
「そんな……」
リリーが青ざめた表情をしながら、怯えたような顔でミラを眺める。
「……さっ、余興は終わりだ。みんな、授業を再開したまえ。彼女が人形であろうとなかろうと、君たちの生活には関わりのない話だ」
アシュがそう言って手を叩く。
生徒たちは、怯えながらも各地へ散らばって指示された通り属性変換に取り組み始めた。
「リリー様……顔色が優れません。大丈夫ですか?」
「ミラさん、私は……その……ごめんなさい」
取り乱したように、リリーはミラに向かって頭を下げる。
「なにを謝る必要がある。君は、彼女に得体の知れない感情を抱いた。不気味だ……気持ちが悪い……怖い……当然の感情だ」
アシュは頬杖をつきながらリリーを眺める。その歪んだ表情……たまらない。これから、もっとこの表情が見れると思うと心が湧き立つロリ変態魔法使いである。
「違う! 私は――」
「いい加減認めたまえ。君は聖女ではない。得体の知れないものに抱く感情は止められない。その感情を受け入れることこそが、重要なことなのだ」
「……」
リリーは何も言わずに立ち上がって、アシュに背を向けて歩き出す。
「……大丈夫でしょうか?」
ミラがリリーを眺めながらつぶやく。
「さあ。頑固そうな性格だからな。今まで『聖』のことしか教わっていなかったのだから、衝撃は大きいだろう。己の『闇』を見るのは苦痛だろうからな。もしかしたら、辞退なんてことも――」
「さあ、みんな! 属性魔法をやりましょう。あんな、なんにも教えてくれない人なんて放っておいて」
大声で、リリーが生徒たちに熱血指導を始める。
「……つまらんな。もっと苦しんで落ち込むと思っていたのに……ミラ、なんだ?」
「いえ……随分、嬉しそうな顔をされているなと」
アシュを見つめながら、ミラは答えた。
「おお、嬉しいといえばシス=クローゼはどこかな? あんな将来かわいそうな胸に育ちそうな女の子に構っている場合ではなかった」
「……誤魔化すのが下手すぎて見ていられません」
ミラはそうつぶやいてコーヒーにおかわりを注いだ。




