第百十五話 ツバキの家系
港町バレスカを出港し、はや数週間。
海流に乗ったクイール・ホワイト号は、順調に航海を続けていた。
船長の話によれば、あと一週間ほどで目的地である東の海域につくらしい。
海帝獣の住む海、果たしてどのような場所なのだろうか?
俺は船縁から遥か水平線を眺めながら、思いを馳せる。
「んー、やっぱ海風は気持ちいいわねえ」
俺がぼんやりとしていると、シェイルさんが船室から出てきた。
彼女はそのまま俺の隣へと移動すると、グーッと大きく伸びをする。
「何だか眠そうですね、シェイルさん」
「まあね。船に乗ってからは平和そのものだし、あくびの一つもしたくなるわよ。持ってきた本も全部読みつくしちゃったしね」
「そうですね。船に乗ってからは、本当に順調ですよね」
そう言うと、俺は改めて船の外を見やった。
どこまでも続く凪いだ海と晴れ渡った空。
異変が起きていることなど嘘のような穏やか過ぎる光景である。
実際、出港してからは何のトラブルもなく、俺たちは暇を持て余し気味だった。
「この調子で、海帝獣の一件もあっさり片付くといいんだけどねえ」
「なかなかそうもいきませんよ。海の主の傷を見る限り、とんでもない強敵です」
「そうよねえ……」
海の主の腹に刻まれた、巨大な傷跡。
それを思い出したシェイルさんは、たまらずふうっと息をついた。
あの強大な海の主にあれだけの傷をつけたのだ。
断じて弱いわけがない。
「ところで、ツバキの居場所知らない? 魔法の練習相手をしてもらおうと思ったんだけど、見つからなくって」
「さあ……?」
俺も昼食を食べて以降、ツバキさんの顔は見ていなかった。
彼女が行く場所にも、特に心当たりはない。
「そう言えばツバキさん、最近様子が変ですよね。何かあったのかな……?」
「国に帰るからじゃない? 里帰りとか全然してなかったみたいだし」
「うーーん、そういう雰囲気でもなかったような」
久々に国に帰るのならば、嬉しいのが普通である。
でもここ最近のツバキさんは、それほど明るい様子ではなかった。
むしろ、遠くを見ては物憂げな顔をしていたぐらいである。
「ま、国でいろいろあったんじゃない? 実は、親と喧嘩して家出同然に出て来たとかさ」
「あー、なるほど。それなら帰るとき憂鬱ですよね」
「……誰が親と喧嘩したって?」
「わッ!」
いつの間にか、ツバキさんが俺たちの後ろに立っていた。
俺とシェイルさんは、驚きのあまり揃って肩をビクッとさせる。
どうやら、波の音に紛れて足音が聞こえなかったらしい。
「やれやれ。噂話は感心せんぞ?」
「あはは……別に大したことじゃないのよ。アンタが憂鬱そうにしてるから、何かあったのかなって」
「別に、憂鬱なわけではないぞ。少し思うところがあるだけでな」
そう言うと、ツバキさんはゆっくりと前に進み出た。
そして船縁に身を乗り出すと、頬杖を突きながらぽつぽつと語りだす。
「私の家は、秋津島でも有数の剣術道場でな。私が魔導師になったのも、もとはと言えば流派を継ぐための武者修行の一環だったのだ」
「そんなこと、前に言ってたわね」
「だが、私はまだまだ未熟者。理由があるとはいえ、一人前になる前に家へ帰るのは気が重い」
「未熟って……」
冴えない顔をするツバキさんに、俺とシェイルさんは顔を見合わせた。
仮にもSランク魔導師である彼女が未熟だとしたら、いったい誰が一人前なのか。
するとツバキさんは、俺たちの言いたいことを察したのか軽く肩をすくめる。
「私は十分強い、と言いたいのだろう?」
「ええ」
「そうではないのだな、これが。私など父に比べればまだまだだ」
「そ、そんなに強いんですか?」
「ああ、それはもう。国でも最強と言われている」
自慢げに語るツバキさんに、思わず息を呑む。
ツバキさんよりも最強の剣士か……そりゃ、ぜひあって見たいな。
これでも、魔導師になる前はずっと戦士をやっていた身だ。
剣技の方にも人並み以上の興味はある。
「ぜひ一度、お会いしたいものですね」
「そうだな。父上と一戦交えるのは、ラースにとってもいい経験になるだろう」
「一戦って、そんなことしませんって!」
「そうか? 戦いを生業とする者同士がまみえれば、戦うのは自然の流れだと思うが」
「いやいや、どこのバトルマニアですか……」
俺はたまらず苦笑すると、首を横に振った。
するとツバキさんは、肩をすくめて残念そうな顔をする。
「ふむ、その気はないか。ラースと父上の戦い、面白いと思ったのだがな」
「面白いってアンタねえ……」
「まあ、いずれにせよ父上とは会わねばなるまい。あの方に会うためには、父上の取次が必要だろうからな」
「あの方? 誰のことです?」
思わず聞き返してしまう。
「あの方」なる人物に、全く思い当たる節がなかったからだ。
シェイルさんの方も、予想外だったのかきょとんと眼を丸くしている。
するとツバキさんは、髪をかき上げながら答える。
「我が秋津島の将軍様だ。あの方ならば、海帝獣の居場所も知っておられるだろう」
「将軍様って……確か、東の国で一番偉い人じゃありませんでした?」
「ああ、そうだ」
「それと会うって、そんなことできるわけ?」
「おそらく可能だ。父上は上様の剣術指南役だからな」
「ぶっ!?」
予想外の返答に、たまらず噴き出してしまった。
将軍様の剣術指南役って……それ、かなり偉いんじゃないか?
王国で王に剣術を教えるのは、代々騎士団長の仕事だったはずだ。
そう考えると……。
「ツバキ、アンタってもしかして貴族?」
「え? 言われてみれば……そうなのか?」
シェイルさんの問いかけに、改めて考えこむツバキさん。
そうしている間にも、船は快調に進むのであった――。




