第35話 激辛にしてやる
エレベーターに乗っている間に、大地からは急にお邪魔して大丈夫なのか心配された。お父さんは亡くなっているし母も仕事で遅いというと、大地は神妙な顔をしつつも一応の納得はしたみたいだった。
「覗きにくる? 」
「ちょっとお姉ちゃん! ホントやめて! 」
「ひーこわいこわい」
制服を着替えてくると言う時にお姉ちゃんが大地をからかったのを本気で怒ってしまった。 大地には、水出しで冷蔵庫に入ってる紅茶を飲んでもらうことにして、あたしも着替えに部屋へ向かう。
リビングには、あたしが持って帰ってきた4Seasonzのグッズが少し置いてあるけど、これくらいならきっとバレやしない。けれども、実際にあたしの部屋に入ってくるのは非常にまずい。 ここには千春としての痕跡がありすぎる。 一番見つかってはいけないのは、本棚にいるコツメカワウソのコメちゃんだよね。
こないだ高尾山や水族館に行く時に着ていった服もクローゼットの中に入っているし、間違っても同じ服を選ばないように気をつけながら、パーカーと長めのゆったりスカートに着替えてリビングに戻った。
ざっと、冷蔵庫の中をのぞいてみると、野菜が少ない。 玉ねぎとキャベツ。 冷凍庫には、こないだ買ったふりそでがあった。 ふりそでは、鶏肉の中でもムネ肉に近い食感だけどジューシーで上品な味わい。 それでいて低カロリーらしい。
よし、今日はふりそでと卵、玉ねぎで親子丼かな。 簡単だけど、ささっと作っちゃいたいし。
「ご飯、親子丼にしようと思ってるんだけど、いいかな? 好き嫌いとかアレルギーとか平気? 」
「親子丼大好き。 実は大葉が苦手なんだけど、親子丼なら出番はなさそうだよな」
「そうだね」
「なんか手伝おうか? 」
「ううん、お客さまは座ってて」
キッチンにかけてあるエメラルドグリーンのエプロンを身にまとって準備を始める。 この辺はいつもやっていることだから、体が勝手に動いてくれる。
汁物は、舞茸のすまし汁にして、あとは確かお漬物が冷蔵庫に残ってたはず。
いつのまにかお姉ちゃんも着替えを終えて、大地の横で何やら話をしているみたいだった。 なんだかちょっとおもしろくない。
「そろそろご飯できるよ。 お姉ちゃんテーブルの上拭いて」
あたしは、そう言って台拭きをお姉ちゃんに手渡す。 お姉ちゃんが立って台拭きを始めると同時に、大地もカップを持って席を立った。 そして、不自然に大地の動きが止まった。
目線の先には、台拭きのために屈んだお姉ちゃんの胸の谷間があった。
もう! 大地ったら! なに凝視してんのよっ!
むー!! 思わず奥歯を噛みしめる。
「――大地のえっち」
「あ、いや、み、美咲、あれは事故というか僥倖というか」
僥倖って! 幸せだと思ってるんじゃん!
「喜んでるんじゃん」
「喜んでるわけじゃなくて、ラッキーというか」
やっぱり喜んでるじゃん! どうせあたしはお姉ちゃんみたいに大きくないもん。
「お姉ちゃん、おっきいもんねえ? 」
「あ、うー」
もう! 大地のスケベ! エッチ! フンだ!
大地のだけ激辛にしてやる!
冷蔵庫からタバスコを取って大地に見せたら、顔をぷるぷると横に振り、ペコペコと謝るそぶりを見せた。
仕方がないから激辛は勘弁してあげる。
親子鍋を揺すりながら箸で具材と卵をかき回す。 火を通しすぎないのがとろとろ卵のコツだね。
三人分の親子丼ができあがったところで、汁物やお漬物、昨日ちょっと残った高菜の炒め物ももってくれば、本日の夕飯のできあがり。
「簡単でごめんね。 さ、用意もできたし食べよ? 」
普段、お姉ちゃんと二人で食べることが多いから、大地がいるだけでなんだか食卓が賑やかになった気がする。
「それでは」
「いただきまーす」
三人で声を揃えて唱和した。 さ、今日のご飯はおいしくできたかな? 大地はどんな反応かな?
「んまい! 」
その賞賛の言葉に心底ホッとした。 高尾山のお弁当とか文化祭のドーナツとか、食べてもらう機会は何度かあったけど、こうやって本格的な食事となるとやっぱり緊張する。 どうしても菊野家の食事と比べられてしまうだろうし。
「これは金取れるな」
「置いてっていいよ」
「先輩にじゃないっす」
お姉ちゃんのボケに冷静なツッコミを入れる大地。
それを傍目に、あたしはお料理を教えてくれたお母さんに感謝していた。
「人数が多い方が食事も楽しいね」
「やっぱりそうだよなー」
あれ、大地ってなんかあるの? 一人暮らしとかじゃないよね。
「なんか実感こもってるけど、菊野君とこもなんかあったん?」
「いえ、これからそうなる予定というか。 来月から妹としばらく二人暮らしになるんですよ」
「へー、そりゃまた何で」
「親父の単身赴任があって、それについていくオカン、ということで。 単身で行けっつーの」
ええっ、それって結構大変だよね。 しかも妹さんとでしょ? 思わずお姉ちゃんと顔を見合わせてしまった。
「異性の兄妹だから気を遣う部分もあるよね」
「まぁな。 でもなんとかなるさ。 飯さえ食えれば死にはしない」
そりゃ死にはしないかもしれないけど、大変なのには変わりないんじゃ……。 心配そうにしていたのが顔に出ててのか、大地があたしを見て言った。
「美咲、今度ご飯の作り方教えてくれよ」
「うん、あたしでいいならいつでも 」
「ホントか!? 助かる。 今日はホントにご馳走さまでした」
デザートになるようなものはなかったから、リンゴだけむいて大地とお姉ちゃんの前に出した。 二人で話してる間に食器も片付けてしまおう。
今日は丼ものだから食器も少ないし、あっという間に終わった。
「手伝いもせずにごめんな。 ありがとう」
「ううん、大丈夫だよ。 大地も帰る時間だよね? 」
「お!? もうこんな時間か。 長居しちゃったな」
「じゃ、忘れ物ないようにしてね」
「おう、大丈夫だと思う。 お邪魔しました。 それにごちそうさまでした」
「はーい、気をつけて帰んなよー」
「あたしは下のエントランスまで行ってくるね」
エントランスまで降りて行くまでの間、なんとなく会話はなかった。 でも不思議と居心地は悪くなかった。
「んじゃ、はる……美咲、ありがとな。 また明日」
「うん、よくできました。 おやすみなさい」
ふふ。 大地も少しずつ慣れてきたみたいね。
駅に向かって歩く大地の姿が見えなくなるまで、エントランスで見守っていた。
「美咲のお目当てが菊野君だったとはね」
「なによ。いいでしょ別に」
「悪いだなんて言ってないじゃない。 意外だっただけよ。 部活も真面目だし、お似合いだと思うよ」
「そうかな。 でも大地はあたしに興味なさそうだから」
「そんなことないと思うけど。 でもま、本人たちの問題だしね。 なんかあったら相談しなよ」
「うん、ありがとお姉ちゃん」
エントランスから帰ってきたあたしに、かけられた言葉はからかうようなものではなかった。 お姉ちゃんが味方でいてくれるなら、なんでもうまくいくような気がした。




