3-1.クロウのお仕事
あらかじめ書いておきますが、この章は色々と内容がきっつい感じになっています。良くも悪くも優しさが足りないシナリオになっていると思われますが、そういった話ですのでご容赦ください。
どれだけ寂しくても仕事をしなくては食べていけない。それを嫌というほど理解しているスラム住まいな少年は今日も今日とて仕事に勤しんでいた。しかし……。
──なんか、つまんない……。
よくよく考えてみれば、以前から薬草収集の仕事をそれほど楽しく感じたことはなかったような気がしていた。……いや、最初は楽しかった。覚えなければならないことが沢山あった頃は楽しかったのだと思うし、自分も楽しく仕事をしていたような気がする。
……最近はどうだったのだろう。仕事にも慣れてきて、ほとんど惰性ような感覚で、ただ指定された薬草を効率良く収集していく作業をしていたのかもしれない。少なくとも仕事中にニコニコ笑っていた記憶はなかった。かといって、今のように虚しさみたいなものを感じていた訳でもなく、特に不機嫌だった訳でもなく……。
もしかすると、単に効率良く終わらせようとセッセ、セッセと片付けていただけだったのかもしれない。それをちょっとは楽しく感じていたのだろうか。
──ひとりじゃなかったから……?
これまで特に意識しなくてもさくさくと動いて薬草の葉を半自動的に収集していたはずの手が、何故だか、いつのまにか止まってしまっていた。そして、何かが気になったのか、視線が自然に背後に向いていて。気がついた時には、そこに誰かの後ろ姿がないか探してしまっていた。だからこそ、そのことに気がつけたのかもしれない。
──ああ、そっか……。
僕はきっと彼の背中を。「なんですか?」って言いながら振り向いて微笑んでくれる、あの綺麗な笑みを。優しい、彼の声を。あのどこか温かい空気を感じる背中を探していたんだ。
それを唐突に理解したとき。理解してしまったとき、視界は次第にゆらゆらと揺れて。風景がぼやけて、肩は小さく震え出していた。
「……ひとりは、いやだよぉ」
それは掛け値なしの本心だった。
◇◆◇◆◇◆◇
今日は時間かかっちゃったなぁ……。そう、ハァと親友の癖が伝染ったかのようなタメ息をつきながら、ギルドの入り口を開けて奥に進んでいくと、いつものように依頼の用紙とギルドカード、そしてぱんぱんに膨らんだ収集袋、それらと一緒に借りていた植物図鑑をセットで窓口に出していた。
「おつかれさま。今日はちょっと時間かかっちゃったのね」
「……うん」
「まあ、たまにはそういうこともあるわよね。それじゃあ報酬の計算と、中身の確認をするから、ちょっと座って待っててね」
相手が子供(に見える亜人)だからだろう、いつもならお固く、ひたすらツンツンしてるだけの、えらく事務的なイメージの窓口のお姉さんがなんだか優しく感じられた。
今のなんとなく弱った感じのする自分には、こういう言われ方のほうが心地よく感じられるのかもしれない。なんとなくお礼を言ったほうが良いのかな、と窓口を振り返ると、そこにはいつもと変わらない、奥の方にいた職員に荷物を渡しながら指示を出している女の人の姿があって。
「……ありがと」
そう小さく口にした言葉に僅かに微笑みを浮かべるのが見えていた。そして、それからしばらくたってからのこと。
「はい、これが今日の分。それと昨日の分で納品の時に依頼主さんから『いつも頑張ってくれてるからって』理由で追加報酬を貰ったらしいから、その加算分も足しておいたわね」
ギルドカードと一緒に一枚の銀貨と数枚の大銅貨、それに細かい銅貨や鉄貨などが渡されて、そのいつもより多い報酬を財布の中に大事そうにしまいこみながら窓口を後にしようとしていたのだけれど……。
「あっ、ちょっとまってくれる?」
「……えっ?」
珍しく仕事を終えた自分を呼び止める声がした。
「今からFランクのクエストが一個発行されるんだけど、もし時間が空いてるなら、それをやってもらえないかしら」
そのクエストの内容とは『薬草の配達』。いわゆるさきほどクロウが集めてきた薬草を、依頼主へ納品するという仕事だった。
「いつもなら依頼主さんが自分で取りに来るんだけど、今日は仕事が入ったとかでいつもの時間に取りに来れないらしくてね。……かといって、受け取りを後回しにし過ぎると、それより後ろのスケジュールが全部ずれちゃうからって、ね」
報酬額は手紙の配達よりはちょっとマシ程度な銅貨五枚。はした金だからと断わられても仕方ない程度の依頼ではあったのだが……。
「いいよ。特に、この後、予定とかないし……」
受ける意思表示としてギルドカードを差し出して。それを受け取った女はにっこり笑うと、書きかけだった依頼用紙に手早く必要事項を書き込むと、大きく膨らんだ収集袋二個に一杯に詰まった薬草とセットで返していた。
「配達先は、用紙に書いてあるからね。昨日の分もあるからちょっとかさばるけど……」
「中身は葉っぱだから大丈夫だよ」
よいしょっという掛け声とともに大きく膨らんだ荷物を背負うと、片手で依頼用紙を確認して薬師エドワーズの医院が届け先だと確認する。
「エドさんの所か」
「知ってるの?」
「うん」
この配達先には、他の仕事でも何回か行ったことがあった。薬草の配達は初めてだったが、別件で雑貨などを街の入口まで受け取りに行って、そこから医院まで配達したことがあったのだ。そういった雑貨等の配達では何回かお邪魔していたし、受け取りのサインが必要になることもあって、エドにも何回も会っていた。ドワーフみたいなおじいちゃんというのがクロウの認識であり、さすがにおじいちゃんのことをエドちゃんとは呼べなかったらしかった。
「それじゃあ、いってきますー」
よいしょこらしょと元気にギルドを後にするとせっせと足を進めて。ときどきすれ違う人達の中に視線を走らせてしまうが、いつもと違って妙にキョロキョロしてしまうのは、無意識のうちに親友のことを探してしまっているからなのだろうか。……だからかもしれない。
──今、クロちゃんの臭いがした気がする。
そんな変なことを考えてしまったのは。そう自分の妙な考えというか、妄想に近い感覚に恥ずかしくなってしまったのだろうか。僅かに頬を赤くしながら、頭をフリフリ降っていると、気がついた時にはもうエドの医院の前にまでたどり着いてしまっていた。
「ついたー」
こんこん。そうクロウが扉をノックしてから十秒程度だろうか。「鍵はあいとるから、はいっていいぞー」と中から聞き覚えのある声が聞こえていた。
「おじゃましまーっす。エドさーん、ギルドから薬草を運んできたよー」
その声で分ったのだろう。奥の部屋からのっそりといった風に一人の髭の男が顔をだして、答えていた。
「おー、わざわざすまんかったな、黒いの」
「クロイノじゃなくて、僕の名前はクロウね」
「ああ、確か、そんな名前じゃったか。……まあ良い」
良くはなかったのだろうが。
「品物は、そこの入り口から入って左側の部屋に作業台があるから、そこの上に置いておいてくれるか。あと、サインするから先に依頼の用紙をくれ」
「はーい」
先に用紙を渡すとクロウは作業台のある部屋へ向かい、その間にエドは奥の診察室に引っ込んで、そこでサインをしているようだった。そんな診察室のエドに「置いておいたよ」と声をかけようと頭をのぞかせていたクロウであったのだが、その部屋には先客が居たらしく、エドの横の方には鼻の下あたりまで覆うほど深くフードを被った小柄なローブ姿の人物がいて。その人物はクロウに背を向けて窓の外を眺めているようだった。
「ん? ……だれ?」
「気にしないでくれ。ワシの患者さんだ」
「ああ、そうなんだ」
「そういうことだ。……ほら、サインしたぞ」
サインの入った依頼用紙を受け取りながらも、クロウはなんとなく背後が気になるのか、妙にチラチラ背後を見ながら医院を出て行こうとしていた。それをエドは黙って見送り、ローブ姿の人物は背を向けたままだったのだが……。
「……あっ」
扉が閉まる直前になって、その人物は急に背後を振り返って、閉まりかけた扉に向かって声を漏らすと同時に手を伸ばしてしまっていた。……もっとも、その直後にパタンと扉が閉まって、中途半端に伸ばされていた腕は力なく弛緩して、その人物にタメ息を漏らさせていたのだが……。そんな姿をみていたエドはわずかに苦笑を浮かべていた。
「なんだ、お前。やっぱり親しい友達がいたんじゃないか」
今の姿を見られて「いいえ、よく知らない人です」とは流石に言えなかったのだろう。僅かに頬を赤くすると、面白くもなさそうな声で答えていた。
「まあ、友達だってことは否定しません」
「一緒に収集の仕事をしてたら、多少は親しくはなっても、か」
「まあ、他の人よりかは仲は良いと思います」
それを聞いたエドは「ほうほう、そうかそうか」などとうなづきながらカルテを手に取って何やら書こうとしていたのだが、目の前にドスンと音を立てて座り直した患者の視線による無言の抗議……。それは書かないでくれませんかといった抗議行動を前に、早々に記録に残すことを断念させられてしまっていた。
「あの子には愚痴れないか?」
「そこまで親しい間柄じゃありませんよ」
「そうなのか?」
それにしては随分と思い入れがある風だったが。そう暗に仄めかしながら。
「……知り合って、まだ数ヶ月です。最近はちょっと疎遠でしたし……」
「そうか」
本人がそう言ってる以上、コレ以上は野暮かとでも考えたのだろうか。あるいは、藪を突いて虎を出すこともないとでも考えたのかもしれない。エドは、それを聞くとあっさりと引き下がり、話の内容を本題へと移してしまっていた。
「調子の方はどうだ?」
「おかげ様で良くなりました。……胃の痛みも殆ど感じなくなりましたし」
「治療魔法は便利だな」
「薬のおかげですよ」
「そう言って貰えると嬉しいんだが……」
苦笑に僅かに憤りを混ぜ込みながら。
「最近は治療魔法があるからって薬のことを馬鹿にしている愚か者もいるからな」
「理解できませんね。ケガと病気は別物なのに」
「そうなんだがな。……だが、それを理解出来ておらん患者が多すぎる」
教会などの治療院で紹介されて病気の治療に来て、診察を受けて薬を受け取った時の言葉が「えー? 薬なんか飲まなきゃいけないのー? いつもみたいに、魔法でパパッと治してよ」であったり、診察室に入ってくるなり開口一番で「なあ、これくらいすぐ治るんだろ?」なのだから、エドがブチ切れるのも無理もなかったのかもしれない。
「治療師の無理やり治す“強引なやり方”はありがたい反面、お手軽過ぎる。その弊害なのかもしれんな。……いや、お前に愚痴っても仕方なかった。悪かったな。忘れてくれ」
「……いえ」
エドの苦労が忍ばれるやり取りだったせいもあるのだろう。クロスの顔にもわずかに笑みが浮かんでいた。
「体調のほうはどうだ?」
「疲れが抜け切ってくれないのが辛いといえば辛いです」
「アレを飲んで、まだ眠れないのか?」
「いえ。……眠れてはいるのでしょうが……」
クロスの場合には特殊事情として淫夢の中で自称父親が面倒くさい薬を飲みやがってと怒りだして、毎回、薬の効果を綺麗さっぱり中和してくれるので、淫夢対策では飲む意味が薄い気もしていたのだろうが……。
──げに恐ろしきは色魔の力ですか。
もっとも、その前に見る赤い方の悪夢は中身が妙にぼんやりして曖昧になってくれているので、ソッチの方には効果はあったのかもしれないのだが……。そんなことを考え込んでいたクロスの鼻にエドの煙草の臭いが感じられたせいもあったのだろう。視線を上げると、そこにはいつものようにカルテを閉じてパイプをくゆらせているエドの姿があって。
「前に話した件だが」
「まえ?」
「泣ける場所を探せってアドバイスした件だ」
「……ああ」
確か、そんな話をしたなぁ程度には覚えていた。
「ちょっとは真面目に考えてみたか?」
「……いえ」
ツイッと視線を逸らして逃げたクロスに苦笑を浮かべながらも。
「なんでだ?」
「そんな気になれません」
「それじゃ駄目だって教えただろう?」
コン、と煙草の葉っぱを落としながら。
「女は嫌いか?」
「苦手です」
たまに女に化けた父親に襲われたり、たまに女にされて父親に弄ばれたり、たまに女にされた状態で女に化けた父親に襲われるという、実に頭の悪い地獄に叩き落されるという異常事態が何度もあったせいもあったのだろう。クロスは色々な意味でトラウマだらけになってしまっていた。
「それに、人に言えるような内容ではないですから……」
言えるはずがない。聖職者が悪魔に(性的な意味で)玩具にされているだなどと。ましてや、その悪魔が父親を名乗っているとあっては尚更だった。……せめてもの救いは、それらが全て夢の中での出来事であるという事であったのかもしれないのだが……。
──時々、夢なのか現実なのか分からない時があるのが恐ろしい所ですが……。
そういえば初めて襲われた時には頬を殴られたダメージだけが、なぜか現実になっていたなぁ程度には恐怖を感じていて。だからこそ現実と悪夢の境界線が分からなくなっていて、それが底なしの恐怖を感じさせてもいたのかもしれないのだが……。




