2-5.大人が怖い…
昔から何度も顔をあわせたり仕事を一緒にしたりしていれば自然と互いのことを友人に近い感覚でとらえるようになるものなのかもしれない。少なくとも種族を超えた知り合い、顔見知り以上親友未満の友達同士程度にはなれるものではあるのだろう。
そんな、いわゆる戦友に近い関係を作った相手を呼び出したのは浅黒い顔に憂いを浮かべた一人の青年であり、その格好を見れば青年が司祭と呼ばれる立場にある人物であることは一目で見て取れていた。そんな青年、黒エルフのエルクに呼ばれて夜の治療院に訪れた男の名はアーノルドといった。
「お久しぶりですね」
「ああ。半年ぶりくらいか」
アーノルドが居るのは教会の居住区の一角にあるエルクの個室であり、周囲には誰も居なかった。客人のためのお茶をエルク自らが準備しているところを見るに、おそらくは内密の話なのであろうことが見て取れていたからなのだろう。
「それで? 俺なんかに相談したい事ってのは何なんだ?」
そう軽い口調とだらけた態度で尋ねるのは、あまり深刻な話でないのだろうと当たりをつけていたからなのかもしれない。
「……それが、どう話したらいいのか」
そう「ちょっと難しい問題が起きているのです」とばかりに表情を歪めるエルクに、アーノルドも珍しいものを見たような不思議そうな顔を向けていたのだが。
「貴方が面倒をみてくれている、ウチの“彼”に関する事なのですが……」
その言葉にすこしだけ眉の傾きが鋭くなっていた。笑みが深くなって面白がってる表情を浮かべたという意味であり、若干警戒色も強めたという意味でもあった。
「お嬢がどうかしたのか?」
「……オジョウ?」
「ん? ああ。俺たちの間での、あのボウヤのアダ名だよ」
本人には内緒なんだけどな。そう平然とウッシッシと笑うアーノルドに、思わずエルクも表情を緩めていた。
「……彼が聞いたら怒りますよ」
「知ってるよぉ。女に間違われてマジギレしてやがったしな」
しかも、自分と大して顔の作りの変わらない馬鹿に間違われたモンだから、益々いきりたってやがった。……お陰で、その日からアイツのアダ名は『お嬢』に決定だ。
そう「自分が嫌なことは◯◯です」といった隙を見せたヤツが悪いんだといった言い方をするアーノルドに、エルクも「程々にしておいてやってくださいよ」程度にしか言えなかったのかもしれない。
「わーってるよ。美人を怒らせるとオッカネーからな。そんなヘマはシネェさ」
そんな適当な軽口の応酬の後には本題が待っているものなのかもしれない。
「で?」
「……それがですね……」
両手を机の上で組んで、少しだけ体を前に乗り出しながら。
「……最近、彼、何かおかしくないですか?」
「おかしいって、何が?」
自分が見ている分には、という但し書きはつくものの、至って普通に過ごしているように見えているのだが。そう考えながらもエルクの言葉に耳を傾ける。
「何か前と変わっている所があるはずなんですが」
「それじゃ意味がわからん。もっと具体的にないのか?」
そう表情を怪訝そうなものに変えながら問いただしてみると……。
「……その……。彼に、避けられているような気がするのです」
ツイッと視線を外しながら。酷く言いづらそうに口にしていた。
「……お嬢が? ……お前を?」
「はい」
「……修士が上司である司祭を避けるってありうるのか?」
最初の頃なら、多少は身に覚えはなかったわけではない。
未だ若い身でありながらも極めて優秀な治療魔法の使い手にして、優れた胆力と高い医療に関するセンスも併せ持っている逸材であることから、このまま東の教区に置いたままにしておくのは勿体ないと判断されたことで王都への推薦を受けたということは聞き及んでいた。
それに加えて、東の教区から事前に届けられていた推薦時の報告書には、かなり自分を追い込む性格でもあると記されていたし、周囲に対して強い疎外感を感じているらしい事も報告が記されていた。
特に強い疎外感と孤立しがちな性格という点については、過去に大きな問題を引き起こした直接的な原因にもなった要素であったらしいので、特に周囲との衝突などには注意を払うようにと但し書きもついていた。
その結果、エルクは書類上の情報などから、クロスは腕は良いらしいが性格に問題有りな人物なのだろう判断していた。特に周囲と壁を作りたがり、他人からの干渉を邪魔に感じやすい自分勝手な部分がある人物。あるいは他人の助言や注意を受け付けない性格をしているのではないかと判断していたのだろう。
そういった事情があったため「最初が肝心です」とばかりに“多少”キツ目の態度で接していたのは自覚していたのだが……。
「……以前は、確かに互いに苦手意識みたいなものはあったんです。でも、最近になって、ようやく互いに打ち解けてきたと感じていたのですが」
つい先日、自分の故郷の森に関する話をしたときには、二人の心にあった溝がある程度は埋まって、前よりも互いの立ち位置が近づいたような気がしていたのに……。
それなのに、あの日から妙にクロスはエルクのことを避けるようになっていた。
「お前に心当たりは?」
「それがあるならここまで悩んでいませんよ……」
特に厳しい事を口にした覚えはなかったのだが。それとも、あの日、忠告した治療師が患いやすい精神的な気負いみたいなものに関する話をしたことで、忌避感か何かを抱かれてしまったのだろうか。そんな思い悩んでいるエルクにアーノルドは首を傾げながら答えていた。
「お嬢は意味もなく人を嫌ったりするような奴じゃないはずなんだがなぁ……」
「ええ、そのはずなんですが……」
多少とっつきにくい部分はあるが、一度親しくなった相手を意味もなく嫌ったりするような人物ではない事はエルクにも分かっていたのだろう。だからこそ、ここ最近のクロスのよそよそしい態度や、あからさまに自分のことを避ける姿に違和感を感じてしまっていたのかもしれない。
「……お前、お嬢に気が付かない内に“何か”やらかしたんじゃないのか?」
「そうなんでしょうか……」
「俺たちにとっては何でもないようなことでも、案外、お嬢にとっては重要なことだったのかもしれないからなぁ」
世の中には、極稀に、そういったこともある事を二人はよく承知していた。特に何十年も王都で過ごしているエルクには、そうったことも在るということは分かっていたのだろう。
「……問題は、何が気に入らなかったのか、だな」
「そうですね」
「つまり、それを俺がこっそり探ってくれば良い訳か」
「……お願いできますか?」
「戦友の頼みは断りにくいな」
ただし報酬の方は規定通りでしっかり頼むぜ。そうウッシッシと笑うアーノルドに、エルクも苦笑を返して頷いて見せていたのだった。
◆◇◆◇◆
さて。そんな大人たちの困惑の原因となっているクロスであるが、今日も今日とて日々の生活費のために、周囲から半ば相棒と見られつつあるクロウと二人で薬草集めに勤しんでいた。
「ねえ、クロちゃん」
「はい?」
良い加減、何度も薬草集めの仕事をしていれば慣れてきてもいたのだろう。二人は手分けして、背中合わせに座り込んで薬草の葉を収集していたのだが、そんなクロスにクロウは背中越しに声をかけていた。
「……アーちゃんと何かあったの?」
「アーノルドさんと? ……いえ、特には、何もありませんよ」
「ホントに?」
「ええ」
そう怪訝そうに答えたクロスに、クロウはおずおずと質問を投げかけてくる。
「……じゃあ、なんでアーちゃんのこと、そんなに怖がってるの?」
その言葉にクロスの手の動きが止まっていた。
「怖がっていませんよ?」
「……でも、最近、ア-ちゃんが近づいた時に、いつも緊張してるみたいだし、それに……。よく、僕の後ろに隠れてるよね?」
さりげなくではあったが、それとなくアーノルドと距離をとったり、クロウを盾にするような位置に移動したりしていることはバレていたらしい。
「……よく見ていますね」
そんな細かいこと。そう言いたげなクロスの苦笑混じりの言葉に、クロウも苦笑混じりに答えを返していた。
「そりゃクロちゃんのことだもん」
大事な友達のことなんだから、それくらい気がついて当然でしょ。そう言いたげなクロウに、クロスも白旗を上げるしかなかったのかもしれない。
「それに苦手なんだろうなぁって、そぶりとかみていれば分かるから」
そう答えて、何となくといった口調で話を続ける。
「……僕の知り合いの小さな子に、犬が嫌いな子が居てね。その子は野良犬が近づいてくると、そろーって逃げたりして距離をとったり、僕の背に隠れたりしてたから。それと同じだなーって分っちゃったんだよ」
そうなんでしょ? そう言いたげなクロウに、クロスも小さく苦笑を浮かべていた。
「でも、その子は昔から犬のこと嫌ってたけど、クロちゃんは違うよね。……前は、アーちゃんのこと、そんなに怖がってなかったんじゃないの?」
そんな言葉にクロスはタメ息混じりに答えていた。
「……いつの間にか大人の人が怖く感じるようになったみたいなんです」
つい先日、衆人環視の中で裸に剥かれて全身を舐めまわされた上に唇まで奪われるという酷い辱めを受けたせいで、大人の男が大嫌いになりました。特にエルク司祭のような背格好をした男性は苦手を通り越して、恐怖すら感じていますから近づきたくもありません!
……そう、素直に言うことが出来ればどれだけ楽なのだろう。しかし、クロスには、自分の身に起きた悲劇……。自称クロスの父親と名乗っていた男に言わせれば喜劇なのだろうが、あの出来事を誰かに説明できるはずもなかったし、誰にも言うつもりもなかった。
「……彼らが近づいてくると怖気が走るんですから仕方ありません」
原因不明だけど大人の男が怖くなったから。だからアーノルドのことを苦手に感じてしまって避けてしまっている。そう押し切るしかなかったのだろう。
「でもクロちゃん、子供も苦手って言ってなかったっけ?」
「……そうですね」
大人の男が怖くて、小さな子供は大嫌いで。大人の女性はもっと苦手だし、同世代の少年たちのことも心の何処かで苦手意識を感じていた。
「……私が何も感じないで済むのは、もしかすると老人だけなのかもしれません」
そういえば前の教区の指導者の人達はみんな老人だったなぁと。そう振り返っていたクロスであったが、そんなクロスにクロウは静かに問いかけていた。
「……僕は?」
その問いは、自分も駄目なのか。自分のことも怖いのかと聞いていたのだろう。その言葉の意味を理解した上で、クロスは小さく笑みを浮かべて見せていた。
「どうでしょうか。……今、こうして一緒にいても何も感じていませんから。……多分、苦手には感じていないんでしょう」
そんな言葉にクロウも何処かホッとした表情で笑みを浮かべて見せていた。
「よかったぁ~。僕の事まで怖がられていたらどうしようかと思ってたんだよ~」
「……貴方の事まで怖がっていたら、背中に隠れたりしていませんよ」
「そういえばそうだね」
そう互いに笑みを浮かべた二人であったが、クロウが本当に言いたかったことはもっと別にあったのかもしれない。
「クロちゃん、頑張ってるよね」
クロスロードの教区に移動して来て、はや一月以上が過ぎてようとしていた。それだけの時間を治療院での無償奉仕に捧げてきながら、こうして日々の生活が成り立っているのは別にクロスの努力の賜物という訳ではなく、むしろクロウの協力のお陰というべきだったのだろう。
「私は、貴方のお陰だと思っていますよ。こうしてクエストの報酬を分けてくれているから……。貴方には本当に頭が上がりませんね」
そうニッコリ笑って答えるクロスに僅かに頬を赤く染めながらクロウは「それじゃあ」と言葉をモゴモゴと続けていた。
「……どうしました?」
「あ、あのぉ。……そのぉ……。できればっていうか、もし良かったらで良いんだけどぉ」
モジモジと、珍しく歯に物が挟まったような言い方で。
「……僕とさ。チーム、くまない?」
そうクロウが切り出してきたのは正式なチーム編成に関する申し出だった。
「チームですか」
「う、うん。……その、出来れば、でいいんだけど……。どうかな?」
クロウの説明によると、ギルドに申請して正式にチームさえ組んでしまえば、二人は一組として、今後は個人単位でなくチーム単位で扱われるようになる。そうなればクロスの代わりにクロウが「チームのために」という理由で依頼を確保出来るようになる。その代償といっては何だが、二人で常に同じクエストを処理する事になってしまうのだが、それは別に今と大差ない状態のはずだし、クロスの側から見た場合には特に問題もないはずだと判断できる内容だった。
「……どうせ、最近は貴方としか組んでいないのですから、一番重要な部分が変わらないのなら、今の段階では特に大きな問題ないのではないでしょうか。それに貴方がクエストを確保しやすくなるというのなら、私としては大歓迎というべきなのかも知れませんし……」
でも、本当に自分なんかをパートナーにして良いのか? そう反対にクロウに尋ねたクロスであったが、そんなクロスにクロウは嬉しそうに微笑んで頷いて見せていた。
「Zランクの僕なんかでいいのなら。……僕のこと、もらってくれたら嬉しいかな~って」
「それはこちらの台詞ですよ。……こんな役立たずな私なんかで良いのなら、喜んでチームを組ませてもらいます」
よろしくお願いしますね。
そう頭を下げたクロスにクロウも同じように頭を下げたのだった。




