2-3.現実は厳しい
やはり無理は良くない。
クロウに叱られて説教までされた事が多少なりとも堪えたのか、そう考えを改めて無茶なスケジュールで働くことをやめて、数日おき、あるいは前日の仕事が辛かった日の翌日にはちゃんと休息を取ることにしたクロスであったが、それはおそらくは正解であったのだろう。
無理し過ぎたら周囲を無駄に心配させてしまうし、仕事仲間……。クロウやアーノルドにも迷惑になってしまっているだろうし、なによりも治療師仲間が「修士、少しは休んで下さい」だの「酷い顔色ですが、本当に大丈夫なんですか」などと、やたらと大げさに心配してくる事がありがたくもあるのだが少々堪えていたのかも知れない。
……とはいえ、本職の治療師の仕事の方は基本待ったなしな状況であり、突発的かつ日常的に発生し続けている大量の重傷者達は、基本的にこちらの勤務スケジュール表など気にしてはくれないので、原則一日置きの現在の勤務スケジュールを変えることなど出来なかったし、自分としても治療師としての仕事で手を抜く事はできなかった。
そうなれば必然として副業の方の冒険者として働く日を減らさざる得ない訳だが……。
──問題はやはり収入ですか。
昨日の夜の時点で冒険者ギルドに預けてある預金の残高は、僅かに銀貨一五枚。同ギルドの職員の一ヶ月分の給与に満たない程度と心許ないにも程がある残高であり、数ヶ月程度なら食べていく位は出来そうではあるが、徐々に目減りしていく残高はじわじわとプレッシャーとなってのしかかってきていた。
「やれやれ。誰が考えたのか知りませんが、余計な機能をつけてくれたものです」
冒険者ギルドに限らないのだろうが、大陸で使われている各種ギルドカード(一般人用の市民カードも含む)は全て王家の定めた共通規格に従って作られており、魔導師ギルドの全面協力によって作られたお陰もあってか、カードそのものが簡単なマジックアイテムとなっており、カード内に簡単な情報を記録しておける様になっていた。
その中身は外部から魔力を込める事で感じ取れるようになっており、そこに登録された名前や外見的特徴、顔のイメージ映像、性別といった基本的な個人情報が登録されているお陰もあって、本当の持ち主の確認が出来るようになっている。
ちなみにギルドへの預金残高も「~より多いか?」と念じる事で簡易的に残高を確認出来るようになっており、これによってカードによる信用取引が可能となっていた。そして、先日、ギルドに口座を作るときに登録したカードの持ち主固有の魔力パターンによってのみ、詳細な金額が確認出来るようになっていたのだが、その残高が銀貨十五枚と少し……。
残高をこうして確認出来るのは確かに便利なのかもしれないが、それが少々疎ましく感じられても仕方ないという状態ではあったのだろう。
──魔力の枯渇さえある程度調整できれば……。
魔力の枯渇そのものも強い目眩や頭痛を感じさせる事もあって辛いことは辛いのだが、実際の所は体力の消耗の方が問題の本質には近かったのだろう。
日頃、日常的にふらふらになるまで仕事に打ち込んでいたが、それでも自分なりにぎりぎり無理がこない限界点を見極めながら働いていた。……まわりはどう言うか分からないが、本人にしてみれば、そう思っているし、そのつもりだった。
無論、予定外の急患の治療などで、あっさり限界を超えてぶっ倒れてしまう事も多々あったし、それが翌日以降に尾を引く形で無理をする原因になったりもしていたのだろうし、その無理した分を翌日以降の微調整によって解消できる前に次の予定外の急患が入ったりして、結果的に無理に無理を重ねるという悪循環にはまってしまっていたという自覚については、まあ、多少はあったにせよ……。
──本当の問題の本質は、この私の“面倒臭い”性格ですか。
クロウいわく、自分は「面倒臭くて」「生真面目な」性格をしているらしい。……アーノルドにそのことを話したら大笑されながらも同意していたから、おそらくは周囲も同じ評価なのだろう。つまり、この面倒くさい性格……。適度に手を抜いて微調整することすら出来ない、このぶきっちょで生真面目で融通の効かないクソが付くほど大真面目で面倒臭ぇ難儀な性格(アーノルド談)が、この事態を招いた本当の原因ということになるのだろうが……。
──やはり冒険者は口の悪い者が多いようです。……ただ、評価そのものはさほど的外れでもないのでしょうから……。やはり、私の性格上、今のやり方に改める以外にいい方法は思い浮かびませんね……。かといって、このままではジリ貧ですし……。
ハァと、タメ息をついて。ふと視線を花壇に向けた先には見覚えのある姿があった。
「今日は大人しくしているのですね」
「司祭様」
治療師の仕事もなく、冒険者としても働かない完全なオフの日を作ったクロスは教会の庭のベンチで心と体を休めていたのだが、そんなクロスに司祭が声をかけてきた。
「隣に座っても良いですか?」
「……どうぞ」
最初の印象がキツかったせいもあってか、クロスは上司にあたる司祭のことを密かに苦手にしていた。そして、それは向こうも同じだったのかもしれない。こうして二人で座っていても、お互いに顔を向ける事もなく、なんとなく間に一人分の隙間をあけて座っている。
そんな微妙に距離感のある二人の視線の先では、親の治療についてきたのか、数人の子供たちが歓声を上げて遊んでいる姿があった。
「……子供は良いですね。無邪気で……。純粋で……」
何かあったのだろうか。そうチラリと横目でベンチに腰掛けている司祭に視線を向けるクロスの目には、庭をぼんやりと眺めている司祭の姿があって。その年齢の分からない青年の顔には、わずかに望郷の念らしきものが見えていた。
「司祭様は……」
「はい?」
「司祭様は、ここは長いのですか?」
「そうですね。……もう五十年くらいにはなるでしょうか」
クロスロードの東区にあるヘレネ教会は、教会の管理を任されている司祭が亜人の男……。黒エルフの司祭エルクが管理しているという、他ではなかなか見られないちょっと珍しい教会として知られていた。
人間と亜人の人口比が七対三と、他の街と比べてもかなり亜人が数多く暮らしている王都ならではの教会としてクロスに紹介状を書いてくれた司祭も教えてくれていたのだが、あるいは亜人の中でも特に忌避されやすい魔族の血が色濃く混じっているクロスが、新しい環境で肩身の狭さを感じないようにと多少なりとも配慮してくれた結果だったのかもしれない。
そういった事情のせいもあってか、亜人の司祭が管理している教会の治療院には、やはり亜人の治療師が他の治療院と比べても数多く在籍しており、その種族的特徴である高い魔力と豊富な魔力量を誇るエルク司祭を頂点とした亜人の治療師集団の活躍のお陰もあってか、冒険者が大怪我をした場合には、まず最初に運び込まれる場所として、その名を知られていた。
「どこからいらしたんですか?」
「北の森……。東方出身の貴方に言っても少々分かりにくいかも知れませんが、大陸北部に広がる“大森林”の奥にある黒エルフの集落ですよ」
クロスロードは大陸の南部、沿岸部にほど近い場所に位置する街だった。西のウェストエンド港から伸びている沿岸部の貿易路と、東のイーストレイク湖へとつながる沿岸部の貿易路が交差している場所であり、そこから北方へと向かって伸びている街道を通り、大陸中央の荒野を突っ切った先に広がる雄大な自然……。古来より“大森林”と呼ばれている大陸の北部を覆い尽くす雄大な森の中にあるのだろう、黒エルフ達の集落がエルクの出身地だった。
「なぜ、クロスロードに?」
「なぜでしょうね。……大した理由はなかった気もしますし、単に自分の力を試してみたかったのではないかという気もしています。……あとは、森の入口に季節ごとに訪れていた馴染みの行商人から聞いていた大都会での生活というものに少々憧れていた部分もあったのかもしれません。……まあ、我ながら若かったという事なのかもしれませんね」
果たして、それは何年前の話なのであろうか。この街で既に五十年近く暮らしているというのなら、最低でもそれくらい昔の出来事なのであろうし、その頃に若いなりに既に自分の腕に自信があったというエルクの実年齢は、低めに見積もっても七十を軽く超えているということになるのだろうが……。
それはエルクだけの特殊事情という訳でもなく、亜人は人間と比べて寿命が長い者が多いせいもあったのだろう、その成長速度は人間よりも遅い場合が多く、揃いも揃って実年齢と見た目が比例しない者が多かった。どうみても十歳を少しだけ超えているようにしか見えない小柄なお子様体型なクロスだったが、その実年齢は十八歳と、亜人の場合には中身は外見の倍といった例が多かったのだ。
──そういえば、クロウは何歳なのでしょうか。
何となく自分と同じくらいなのではないかと思い込んでいたが、わざわざギルドカードで年齢など確認したことはなかったし、そもそもクロウが亜人なのかどうかすら知る者が居ないという有様であったので、そんなことを考えたこともなかったのかもしれない。
「あの頃に子供だった仲間たちは、健やかに過ごせているのでしょうか」
その言葉でおおよその事情を察したクロスである。
噂に伝え聞く限りでは、エルフ達のシキタリにおいて、里をまとめる長の許可なしに故郷に背を向けた者は『追放者』扱いとなり、再び里に帰る事は原則として許されないのだとか……。
何十年も故郷に帰っていない風なエルクの言葉を聞く限りにおいて、何か事情なり何なりがあって故郷に帰られなくなっているらしいことは察する事が出来ていたのだろう。
「会えるといいですね」
「……そうですね」
同じ教会組織の中での出来事とはいえ、珍しい亜人の司祭が管理する教会の逸話と、その活躍っぷりは、遠くイーストレイクにまで……。大陸の東端にまで届いていたのだ。いつか、エルクの名が故郷があるという大陸の北にまで……。大森林に住んでいる黒エルフ達の耳に届く日も来るのではないか。そう思えても不思議でもなかったかもしれない。
あるいは、エルクと同郷の黒エルフが、いつの日かクロスロードに冒険者としてやってくる日があれば、ここで治療を受ける事もあるのかもしれない。それは決して可能性のない話ではなく、だからこそ希望足りえる願望でもあったのだから。
「……貴方がここに来て、そろそろ一月ですか」
これまでのやりとりによるものか、顔に僅かに笑みを浮かべながら、エルクは静かに言葉を投げかけていた。それは問いかけのようでありながら問いかけでなく、単なる確認にしては、いささか遠回りし過ぎた話の振り方と言えた。
「もう、慣れましたか?」
ここでの仕事について聞いているのだろうか。それとも冒険者と兼業している件について聞かれているのだろうか。その問いの真意が分かりにくかったせいか、クロスは即答出来ずに苦笑を浮かべるに留めていた。
「……分かりにくい聞き方だったですかね?」
「いえ。……ただ、どのように答えたら良いか思案していました。……そうですね。まだ、丁度いい塩梅というものが見えていない気がします」
少し考える素振りを見せながら、どうにかこうにか答えて。
「塩梅ですか」
「兼業というのは初めての体験ですので……。これまでとは勝手が違いますから、色々と戸惑ってばかり居る所です」
これまでのように治療師として全力を尽くせば良いだけなら話は簡単なのだが、ここで生きていくためには、食費を何らかの形で用立てる必要があり、そういった部分で副業を持つことが必要になっていた。……そこまでは良かったし、これはこれで見聞を広げる意味でも良い経験になっているのだろうと、自分にとってもきっとプラスになるだろうと感じていたのだが、問題は、どの程度の力の振り分け方をすれば良いのか、それが今ひとつ分かっていないということだったのだろう。
これまでのように何も考えずに治療師の仕事に全力を注いだ結果がこの惨状なので、そういった適度に力を振り分ける事のできるバランス感覚とでもいう物が自分の中で欠如しているという事を薄々とクロスも感じ始めていたのかもしれない。
「治療師としての誇りの問題でもありますし、人様の命を預かる仕事でもありますので、この仕事で手を抜いて良い部分など何処にもないと感じてしまうのです」
そうハァとタメ息をつくクロスに、エルクは少し考えて答えていた。
「私には、その事が悪いとは思えないのですが、何か問題でもあるのですか?」
「冒険者として働くためには魔力が必要になるのです」
「それは道理ですね。治療師として冒険者と肩を並べて活動するのなら、仲間をサポートするためにも治療魔法は欠かせないでしょうから……」
「しかし、前日の仕事のために魔力が枯渇してしまっているのです」
それは単に治療師として働くスケジュールが詰まりすぎているのが問題だったのかもしれないが、教区を移動してしまったことで現在、無償奉仕期間中なクロスにとっては、それをどうにか出来る妙案は浮かばなかったのかもしれない。
「魔力がなくても出来る仕事はあるでしょう」
教会からも子供たちに読み書きを教える講師の仕事を出しているはず。そう口にしたエルクにクロスも「そういえば……」と今更ながらに思い出していた。
「無償奉仕期間中の修士が魔力の枯渇に苦しむことは珍しくはありません。そういった人達向けの仕事を斡旋するために、教会からギルドに定期的に仕事が依頼されているはずですが……。Fランクの依頼にありませんでしたか?」
確かにギルドの掲示板に講師役を募集していた依頼が貼りだされていた。もっとも、依頼元が教会だった事で、無償奉仕期間中に教会から依頼された仕事をこなしても、それなりの確率で報酬が没収されたりする可能性もあるのではないか。そう疑ってしまったことで、あえて手を出さないでいたのだが……。どうやら、それは杞憂であったらしい。
「まさか、そんな意図があった依頼だったとは……」
最初から『無償奉仕期間中の修士向けな依頼』とでも、ちゃんと書いておいてくれたら良かったのにと考えたクロスであったが、それには何かしら事情らしきものもあったのだろう。
「そうあからさまに書けない理由があるのですよ」
「特別な事情でもあるのですか?」
「はい。……何故だか、分かりますか?」
「……無償奉仕期間中の事は余り公に出来ないということですか?」
確かに、あまり人聞きが良くはなかったのだろうが。
「少し違います。アレは治療師を王都へ集めないためにあるのですが……。それを部外者に余り知られたくなかったのですよ」
良い機会ですから、貴方も学んでおきなさい。
そう口にするエルクの顔には、自戒をこめた苦笑が浮かんでいたのだった。




