Chapter3-2 護衛任務(5)
「何が、ニナの心境を変えたんだ?」
「それは……」
僅かに躊躇いを見せるニナだったが、ゆっくり息を吐いて言葉を紡いだ。
「カロライン……さまの影響だと思う、たぶん」
「カロ……ライン嬢の、か」
「うん」
いざ聞いてみれば、『嗚呼、なるほど』と深く納得できる答えだった。
今回の任務中、隙さえあれば会話を交わしていたんだ。ニナに影響を与えるとしたら、カロンの他に選択肢はないだろう。
最初は、ニナが貴族であるカロンと仲良くできるのか、何か粗相でも起こさないか不安だった。ニナの奴隷落ちした原因や彼女の妹の物語を鑑みると、どうしても貴族へ私怨を抱いていると考えてしまうから。
だが、まったくの杞憂だった。主にカロンが押しまくる形だったけど、ニナは満更ではなさそうだったので、彼女も同年の同性と話せたのが嬉しかったのかもしれない。
一時はカロンの行動に驚きもしたが、結果的には上手く回って良かった。カロンに新しい友だちが出来たのはもちろんのこと、ニナにオレ以外の気を許せる相手が出来たのは素晴らしい進歩だ。
オレが満足したと首を縦に振っていると、ニナが半眼を向けてきた。
「一つ訂正しておきたい」
「何をだ?」
「アタシ、別に貴族を恨んでない」
「はい?」
何気ない流れで突然の暴露がされた。オレは口をポカーンと開けて呆けてしまう。
それを受けて、ニナは脱力した。
「前々からそんな気はしてたけど、やっぱり勘違いしてたか」
「えっ、マジで恨んでないのか?」
貴族同士の利権争いに巻き込まれて奴隷落ちして、あそこまでズタボロにされたのに? 最悪、死んでいたかもしれないのに?
その辺りを問うと、彼女は頷いた。
「アタシを殴った奴隷商人をぶっ飛ばしたい気持ちはあるけど、その怒りが貴族たちにまでは向かない。所詮はハーネウス家が政争に負けただけだし」
「割り切りすぎじゃないか?」
「そう? 貴族の子どもなんて、こんなものだと思う」
いやいやいやいや。オレ、そこまで達観できないぞ!? どんな教育を受けたら、そんな超越した思考回路を持てるんだ。驚きの連続で、少し頭が痛くなってきた。
オレはかなり致命的な勘違いをしていたようだった。ニナの妹が苛烈な復讐心に取りつかれていたため、てっきり彼女も同じなのだと思い込んでいたんだ。双子とはいえ、似ているのは容姿だけみたいだ。
オレが動揺しているのを察してか、ニナは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「まぁ、アタシが変なのは理解してる。境遇からして、普通じゃなかった」
「どういうことだ?」
彼女より漏れ出る陰鬱な空気。その尋常ではない気配に、オレは思わず問うてしまう。
普段のオレなら、ここまで不躾に踏み込まなかっただろう。おそらく、未だ思考が混乱していたんだと思われる。
そして、ニナもいつも通りではなかった。慣れない雑談に興じたせいか、通常よりも口が軽くなっていた。
そこから語られたのは、ニナの子爵令嬢時代の記憶。ゲームでは語られなかった――ヒロインも知り得なかったハーネウス家の闇だった。
簡潔に表すと、ニナは両親や使用人から冷遇されていた。物心がついて数年は普通に育てられていたが、妹に魔法の才能があり、自分にはまったく才能がないと判明すると、途端に待遇が悪くなったんだという。
「基本的には自室で軟禁生活。食事が運ばれてこないなんてザラだった」
身の回りの品が妹のお下がりなのは当たり前。身の回りのことも、全部自分でこなしていた。
唯一、妹だけは、ニナと普通に接してくれたらしい。少し要領の悪い彼女は、姉の境遇をイマイチ理解できていなかったようで、いつも笑顔で部屋を訪ねてきていたとか。
「ニナ……」
予想外のニナの過去に、オレは二の句が継げなかった。
ゲームでのヒロインはニナを慕う発言しかしていなかったため、彼女が冷遇されていたなんて夢にも思わなかった。
確かに、そこまで徹底して放置されていたのなら、ニナの反応も納得できる。好きの対義語は無関心だとはよく言ったもので、彼女は貴族に対して何の感慨も抱いていないんだ。
ニナは首を横に振る。
「同情は不要。アタシは今の生活が気に入ってる。貴族時代には知れなかった刺激がたくさんあるし、シスにも出会えた。カロライン……さまみたいな人もいるんだって知れた」
何より、と彼女は続ける。
「生きる術を学べるのは、特に嬉しい。強くなってるって実感できるのが幸せ。もう二度と、アタシは何もできずに負けないって証明してみせる」
そう語るニナの瞳は、爛々と輝いていた。訓練時にも見る、あの生気溢れる眼差しだった。
嗚呼、そういうことか。
オレは得心する。
彼女が抱いていたのは怒りや恨みではない。純粋な闘争心と生存本能なんだ。内乱を経て、如何に己が無力かと覚えたニナは、同じことを繰り返さないように全力を費やしているんだ。二度と理不尽に屈したくないと足掻いているんだ。
実に獣人らしい動機だった。同時に、なんて純粋な子なんだろうとも思う。今までの境遇を経て、よくぞ曲がらずに育ってこられたと感心した。
オレは確信する。それほどまでに心が強いのなら、きっと理不尽をねじ伏せられる力を手にできる。
だから、力を込めて断言した。
「お前は強くなるよ、ニナ」
「そう? 妹よりも?」
「当然さ。何なら、世界で五指に入れる」
「それはオーバーすぎる」
冗談だと考えたのか、ニナは肩を竦めた。
とんでもない。オレの知識と師匠の入れ知恵があれば、世界の頂はすぐ見える。
「大袈裟なんかじゃないさ。オレの教えを実践すれば、必ず高みに到達できる。……どうする?」
「言うまでもない」
試す風な問いに、ニナは即答した。本当に頂点へ立てるのなら、目指さないわけがないと答える。
良い目をしている。
こんな煌めく瞳を持つ少女なら、この先に待つ死の運命も乗り越えられるはずだ。オレの助力はあれど、自力で運命を打破しそうな信頼があった。
焚火が闇夜を仄かに照らす深夜、オレたちは語る。未来に得られる強さについてを。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。




