Chapter2-6 一夜の出来事(1)
それが起こったのは深夜。動物や虫たちも声を潜めるくらい、深い闇の支配する時間だった。
「何があった?」
最近開発した【接近感知】という無意識下でも発動する魔法。それに諜報部隊の一人が引っかかった。オレはベッドより身を起こし、彼の潜んでいる天井裏へ問う。
諜報の者はひらりと天井から舞い降り、目前で跪いた。それから、慇懃な態度で報告を始める。
「夜分遅くに失礼いたします。領都に複数の所属不明の賊が侵入いたしました。総数は二十。そのうちの十五は侵入直後に仕留めましたが、残り五は依然交戦中です」
「賊にしては数が多いな。仕留めた輩より情報は得られたか?」
普段の暗殺者等ならば、多くても片手で数えられる人数だ。それに、オレの鍛え上げた部下たちが瞬殺できる程度でしかなかった。少し――いいや、だいぶキナ臭い案件だな。だからこそ、こうして夜分にも関わらず報告に上がったんだろうけども。
「いえ、全員、捕縛直後に自爆魔法で自害されてしまいました。死体の一片も残らず……申しわけございません」
「ケガ人は?」
「戦闘時に軽傷を負った者が数名。被害は軽微です」
「それなら謝罪は不要だよ。自爆魔法までこさえるなんて、相手はかなり手練れのプロだ。そんな連中の大半を倒したキミらを褒めることはあれど、非難する言われはない」
並みの相手であれば、せいぜい服毒による自害が良いところ。自爆してまで死体を残さないのは相当の訳アリと踏んで良い。
「交戦中の相手から、何か判断できないか?」
仕留めた方が無理なら、今も生きている方から情報は得られないだろうか。
そう尋ねると、彼はしばし悩んでから口を開いた。
「私の所感になりますが、近接戦闘よりも魔法戦闘を得手としている雰囲気がありました。魔法行使が通常よりも妙というか……そうですね、些かシオン殿に似ておりました」
「――なに?」
諜報員の情報を聞いたオレは、即座に探知術を展開した。直後、部屋の天井が爆ぜた。
「曲者!?」
実に優秀な人材だ。諜報員は驚愕する間もなく、即座にオレを護衛できる立ち位置に滑り込む。
本来なら賛辞の言葉でも送るんだけど、今は時間が惜しかった。探知術には、予想通りの最悪な状況が引っかかる。
「チッ」
一刻の猶予もない。オレは部下に何の説明もなく、【位相連結】を開いた。そして、間髪入れずにゲートの先へ飛び込む。
次の瞬間、視界いっぱいに爆炎が広がった。
本当に紙一重のタイミングだった。目前には大規模な爆発、背後には大ケガを負うシオンを抱えたカロン。まさに、最愛の妹と家族に等しい部下の命が散らされる瀬戸際だったんだ。
この展開を予想していたオレは、冷静に対処する。オレとカロンたちを包むように【位相隠し】を発動し、その身を完全に隠蔽した。【異相世界】の未完成版とでも言うべきか。周囲は白い空間に塗り潰され、オレたち三人は世界より隔離された。
あの規模の攻撃だと、おそらくカロンの私室は吹っ飛んでいるだろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
背後に振り返り、改めてカロンとシオンを確認する。
まずは後者、こちらは際どい状態だ。敵の一撃を食らってしまったらしく、命に差し障ると一目で判別できるほどの大ケガを負っている。具体的には、背中に三本の深い斬傷が刻まれていた。心臓一歩手前といった感じか。
前者の方は体こそ無傷だけど、精神的にはギリギリだった。大泣きをしながらシオンに縋りついている。ごめんなさいと何度も呟いている様子からして、この重傷はカロンを庇った結果なんだろう。
カロンは光魔法でシオンを癒そうとしているが、魔法はイメージ――精神と強く結びついている。動揺の激しい彼女では、上手く魔法が発動しなかった。もたもたしている間にも、シオンの命の灯火は弱まっていき、それを受けて余計に焦る。悪循環だった。
もっと凄惨な現場を、カロンは目にしてきたはずだ。ビャクダイ領での内乱しかり、教会の手伝いの時だって重症の急患はいた。
それなのに、こうも混乱してしまっている原因は、命の危機に瀕しているのがシオンだからだと思われる。自分に近しい者が死にかける状況に、彼女は慣れていなかった。心構えができていなかった。ゆえに、今の精神状態に陥っている。
これはオレの責任だな。しょっちゅう危険に身を投じているものの、いつも無事に帰ってくるため、心のどこかで『身内は危機に瀕しない』なんて幻想を抱いてしまっていたんだろう。もっと言い聞かせておくべきだった。
とはいえ、悔やんでも時間は戻らない。今は自分にできることをこなさなければいけない。
「カロン」
「お、お兄さま?」
オレはカロンの前に膝を突き、目を合わせる。
カロンは、オレの存在にも気づかないほど混乱していたようで、目を丸くしていた。だが、その停滞も一瞬である。すぐに、彼女の心は激しく揺れ始める。
「お、おお兄さま、シオンが、シオンが……」
紅い瞳にたっぷりの涙を溜め込み、声を震わせるカロン。
オレはそんな彼女の両肩を掴み、ゆっくりと諭した。
「落ち着くんだ、カロン。まずはシオンを治療しよう。キミの魔法なら、それができる」
「だ、ダメなのです、お兄さま。わ、わ私、全然魔法が発動できなくて……このようなこと初めてで……い、急がないとシオンが死んでしまうのに」
しかし、彼女は力なく首を横に振る。無力感を吐露するだけだった。
カロンにバレないよう、静かに奥歯を噛みしめる。ここまでカロンの心を追い詰め、シオンを害した敵への怒り――ひいては、それらを未然に防げなかった自身への怒りが沸々と湧いてくる。
ただ、それを発露させる時は、今ではない。今は、初めての挫折を味わうカロンを、いち早く立ち直らせなければならなかった。
本当なら、じっくり優しく諭してやりたい。でも、そこまでの猶予は存在しないんだ。シオンの命が危ういのもそうだし、現在展開中の【異相世界】は未完成ゆえに数分も保てない。腰を据えて話せるのは、この機会を逃せば相当先になってしまう。
オレは心を鬼にして、カロンを見据える。
力強いオレの眼差しを受け、彼女はビクッと肩を震わせた。
「カロン、深呼吸だ」
「お、お兄さま?」
「深呼吸だ」
「でも……」
「深呼吸をするんだ。ほら、吸って」
「……」
頑ななオレの態度に、カロンは観念する。困惑しながらも、おもむろに息を吸い始めた。
「上手く呼吸しようなんて考えなくていい。自分に可能な範囲で息を吸って、吐いていけ」
ぎこちなく呼吸を繰り返す彼女。
ただ、次第にその固さは解れていった。同時に、顔に浮かんでいた悲痛さも弱まっていく。
深呼吸の効果――というだけではない。それはキッカケにすぎず、実は【平静】を発動していた。
何で最初から使わなかったかといえば、あれほど混乱しているカロンに付与しても、程なくして元に戻ってしまうと判断したから。
オレの精神魔法は一時的な効力しかなく、当人の精神状態によって効果時間が左右されるんだ。短い戦闘中ならともかく、今回は精神魔法単体では頼りにならなかった。
だからこそ、言葉で諭し、深呼吸で肉体の緊張を解した。お陰で、十全に【平静】は働いたみたいだった。
「じゃあ、シオンに魔法を」
「は、はい」
「大丈夫。ゆっくり手順通りやればいい」
オレの言葉に頷き、カロンはシオンへ手をかざす。それから、「【快癒】」の文言と共に、柔らかい光が周囲を満たした。
間違いなく、カロンの魔法は発動した。本調子とは言い難いかもしれないが、それは大きな一歩だった。
一分ほど経ち、光が収まる。シオンのケガは、キレイさっぱり消えていた。彼女の危機は去ったんだ。
それを認めたカロンは、再び涙を流し始める。
「ううぅぅぅ、良かったです。本当に……本当に……」
シオンの無事を確認し、緊張の糸が解けてしまったようだ。ほろほろと泣き続ける。
かくいうオレも、少し肩の力が抜けた。オレだってシオンを心配していたんだ、慌てふためく余裕がなかったというだけで。
そして、ちょうど良いタイミングで【異相世界】が崩壊する。ガラスが割れた風な音が響き、周りは元の風景に戻っていく。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。




