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首なし騎士に姫は微笑む

 川面に映る月の船が星の海を穏やかに泳いでいる。


 エルランド東部に流れる名も無き小川は常の静けさを取り戻しつつあった。


 デュラハンの見下ろす視線の先、四十八回の斬撃によりその身を切り刻まれた海神の腕が最期の時を迎えたのだ。

 既に賢者ロインに招かれた際の威容は無く、赤子の腕程度まで縮んだそれに首無しの騎士は容赦も手加減もしなかった。

 躊躇無く振るわれる漆黒の大鎌がぴょこぴょこ動く小さき腕の手首を切り飛ばす。


 パンッ――……


 その一撃がトドメとなった。

 神威を誇示する最低限の力を失った海神の腕は、朝日を望むことなく飛沫となり散る。

 月明かりに水の欠片が輝きそして消えていく。


「…………」


 これまで刈り取ってきた獲物やその副菜とは異なる正真正銘の難敵。

 だが宿怨たるマナンの神威を討滅したデュラハンの胸の内は複雑であった。

 六千年来の仇――はとこの子ぐらい遠戚――を倒した歓喜はある。

 しかしそれ以上に己への憤り――デュラハンが勝ったのではなく相手が仕手をしくじっただけ、そんな思いもあった。


 もし賢者が最初にルダーナの神威ではなくマナンの神威を願っていたら。

 もし海神の腕と戦っている最中に賢者の雷が飛んできたら。

 もし津波に呑まれたとき落とし穴が無ければ。


 ”刈り取り”を邪魔する害虫――これは人間を見下している訳ではなく獲物を狙う追手への職務上当然のもの――という認識は変わらない。


 だが同時に、


 不意打ちを受けながら賢者を救った赤と黒、二頭の猟犬。

 賢者が体勢を立て直すまでの時間を命を賭けて稼いだ戦士。

 深手を負いながらも最後の最後で足を掬いかけた賢者ロイン。


 英雄の兆が彼らにはあった。


 世界という織物を紡ぐ運命という糸が一本ずれていればデュラハンは敗れ、ルフェイは死に、任務は失敗していただろう。

 使ったことなどない舌の味蕾に苦味が広がる錯覚。


 ――これほどの首級を無為に失うとは惜しいことをした。


 デュラハンはどんな強者であっても根幹には、主への供物として評価する傾向がある。

 故に戦士たちが喜ぶことはない判っているが首なし騎士としての賛辞を送る。


「戦士たちよ。”刈り取り”であれば貴様たちを主に捧げるため、終わりなき常闇の世へ招いただろう」


「いやいや、それは普通に拷問じゃないかな騎士殿…………被虐が趣味かと思ってたら意外に加虐嗜好だね」


「誰が被虐趣味だ!」


 厳かに大鎌を天へ捧げ――首なし騎士業界における戦死者への敬礼――静かに浸っていた闘争の余韻、それを悪言にてぶち壊された首なし騎士が背後を振り返り怒りを示した。

 だが怒られた当人、深窓の令嬢ルフェイ=モルガーナは、死と破壊が撒き散らされた戦場をデュラハンに向かって歩みを進めながら平然とのたまう。


「騎士殿だよ騎士殿。自覚がないのかい? 私に弄られていつも快感に震えてるじゃないか」


「怒りを堪えてるんだっ!!」


「なのに加虐嗜好まであるなんて……まさか! 女と男で性癖が違うのかい騎士殿!」


「聞けよ俺の話を! そしてなんで嬉しそうなんだ小娘!」


「騎士殿の反応が面白いからだよ。決まってるじゃないか」


 月光を浴びたルフェイは楚々とした姿に、だが妖しい笑みを浮かべている。

 遊ばれている――戦いの昂揚とは異なる兜の飾り房が燃えるような憤怒が首なし騎士を襲った。


 ――今この瞬間、この小娘の首級を刈り取れたらどれほどいいか!!


 ”刈り取り”の獲物である、という任務を忘れそうになるデュラハン。

 顔に傷がつくので殴ることすらできないし、多分貧弱な小娘が死ぬ。

 あの世の騎士にとって直情的に顔面を殴り飛ばしたいと思えた相手はルフェイが初であった。

 まあ、任務中に接触した人間は話す間もなく首を刎ねるので仕方はないといえば仕方がないのだが。


「しかし酷いものだね」


 デュラハンを軽く弄って怒らせたルフェイは、泥に塗れ転がる斬殺された戦士の亡骸や津波に叩き潰された荷馬などを眺めて柳眉を寄せる。

 見た目だけなら己を暗殺しに来た刺客の死さえ嘆き悲しむ心優しき乙女だ。

 心ある騎士ならその憂いを払おうと命を捧げることを誓うだろう。

 だがデュラハンは知っている。

 自身の親の首級にさえ興味や慈悲を示さない小娘が模範的人間の精神をしているわけがない。


「修行中の賢者を連れ戻し馬や猟犬まで……どれほどの財が無駄になったことやら。ウーザーもこれを知ったら残り少ない頭髪が更に減るだろうね」


 死者を蹴りつけ尊厳を踏みにじるような悪言を吐くかと思いきや意外や意外違った。

 しかしその言葉は別の意味で酷い。

 デュラハンも人間社会の価値観を詳しく知らないが、少なくとも命を即座に財産へ変換しないことぐらいは知っている。

 そのような人をもの――首級として数え取り扱う考えはあの世の使者に近い。

 王族や領主などの貴人でも己を殺そうとした相手には負の感情を向ける。

 小娘の場合は親の首級や親の仇、更には己の命にさえ無頓着。


 騎士らしい戦いの直後だからか、デュラハンはより深く獲物の品質について思考を巡らせてしまった。


 ――否、無頓着ならば財などという価値を認める言葉は出てこない。ならば……


 それは表面の行動だけを観察するだけではなく、無礼な態度に憤るだけでもない、理解できないと認めた上での行動。


「小娘……貴様」


「なにかね? 騎士殿」


「貴様、人の情が無いのか?」


 言ってからあの世の使者がこの世の小娘に問うべきことではない、と気がつく。

 第一この小娘の感情――心の変動を首なし騎士は何度も何度も観ている。


「なんだい酷いな騎士殿、私と何日一緒にいるんだい」


 ルフェイもおかしなことを聞かれたと言いたげに琥珀の目を見開き唇を薄っすらと嘲笑の形に変える。


 笑い。


 それはとて分かりやすい感情の発露。

 獲物の質を再確認したかっただけだ、そんな返事をデュラハンが告げる前にルフェイは続けた。


「この素晴らしい喜びをくれたのは騎士殿じゃないか」


「ああ、この俺がくれて…………ん? なんだと?」


 同意しかけたデュラハンの目に映るのは、左手の薬指”死の宣告”が刻まれたそこを楽しげに撫で微笑むモルガーナの琥珀姫。


 ただし目は笑っていない。


 首なし騎士はとてつもなく深い落とし穴を踏み抜いた。

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