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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
96/117

Shootout

『ホテル・ユニヴァース』の回廊を駆け抜けるギーネ・アルテミスだが、真横をマスケットの鉛弾がうなりを上げて飛んでいった。

 思っていたよりも、腕がいい。敵戦力の脅威度を上方修正しながら、ギーネは小さく舌打ちした。


 両面を内壁に挟まれた廊下は光源に乏しく、薄暗い為に視界は良くない。

 にも拘らず、野生動物を思わせる速さで疾走しているギーネの位置をハンターたちは容易く把握し、当たりやすい腹や足を的確を狙ってくる。加えて、ティアマット人たちの射撃技術も、事前の想定よりは随分と狙いが正確であった。

 幼少から軍事教練を受けている帝國騎士や貴族、狩猟を趣味生業としている帝國人に比べれば明確に劣るけれども、命中精度が優れているとは到底、言い難い鉄パイプ製マスケット銃を使いながら、100メートル12、3秒の速度で左右にぶれながら移動するギーネの至近に当ててくるのは正直、脅威と言っていい。


 ギーネも伊達にティアマットで暮らしてはいない。他のハンターたちとの情報交換で彼らの懐事情もおおよそは把握している。大抵のハンターにとって黒色火薬も馬鹿にならない値段の筈だ。にも拘らず、十七発中三発が至近弾。これは非常に面白くない。碌に練習できないだろうハンター崩れにしては遠慮なくぶっ放す上、少なくとも下手ではない。当たりやすい図体をギーネの進路を予測してぶっ放してくるあたり、人間大の標的を撃ちなれている印象も受けた。


 機械装置による補助ではない。五感が研ぎ澄まされている、特に視力と聴力。とギーネは当たりをつけた。

 危険に満ちた荒廃世界の生活が、彼ら彼女らに生きる為の鋭い感覚を与えたのだろうか。

 ハンター崩れで此れである。賞金首や正規軍、レンジャーたちともなれば、どれほど手強いだろうか。


「ああ、もう!あっぶな!」

 廊下を曲がる為に減速したギーネの頭ギリギリの壁に鉛玉がぶち当たって、埃をまき散らした。幸いなことに射撃の精度はさほどではない。予想していたよりは上だが、想定内に収まっている。今のところは連携も取れてないし、ギーネの維持する移動速度と移動経路が挟撃を許していない。が、連中、かなり場慣れしている。躱しにくいタイミングで銃撃が襲ってくるのが辛い。例えば、ギーネが物陰から射線に飛び出しても、慌ててがく引き※で撃ったりはしてこない。狙いやすい位置に腰を据えて、ギーネが躱しにくい状況まで待ってから狙いすまして銃弾を放ってくる。


※がく引き。トリガーを一気に引くこと。

 引き金を引くという小さな動作でも、一気にやると銃口がずれて狙いを外しやすい。

 僅かな銃口のずれによっても、目標が遠距離であれば、銃弾は大きく目標を逸れてしまう。

 大日本帝国軍の教本でトリガーの引き方を「暗夜に霜が降るごとく」と形容している一文があるが、トリガーを引くというごく小さな動作でも、無駄に力むと銃口が動いてしまう為に、寒い夜に霜が生えるがごとく、ゆっくりと引くことが推奨されていた。


 隠れる場所が少なく、進路を予想しやすい直線通路などで、まさに肉体がトップスピードに乗り切った瞬間。言い換えれば、進路の変更をしずらい状況で一斉射撃が襲ってくる。

 見通しの悪い薄暗い廊下でこの様であった。現有戦力では、開けた場所で迎え撃つのは、悪手かも知れない。


(ええいっ!微妙にタイミングをずらして銃弾放ってくるので、躱す挙動も一度では終わらないですぞ)

 故に追撃を振り切れない。当初、想定したケースだが好ましくない状況だった。

 今、ギーネは、それなりに本気で敵に背を向けて、退却していた。

 こまめに遮蔽を取ったり、途中の部屋に飛び込んで弾を躱さないとならない。

 直線でトップスピードに加速して振り切ろうにも、銃弾を躱せない可能性が高くなる。

 

 意外と頭を使ってくる。絶えず廻り込もうとしてくるが、ギーネの機動力と速度がそれを許さない。

 が、何より厄介なのが『上手い』のだ。

 射撃の精度は大したことがない。銃とは由来、単純な構造をしている。

 突き詰めれば、銃身に火薬と弾さえあればよい。原始的な銃なら、知識さえあれば幼稚園児にも自作できる。

 マスケットと呼ぶのもおこがましい鉄パイプに黒色火薬詰めた代物でも、殺傷力だけは十分にあろうが、精度は工業製品や職人の品と比べるべくもない。

 が、そんな代物でも、呼吸を読んでくる手練の射手たちが用いれば、途端に厄介な凶器となってプレッシャーを与えてくる。

 連中は、間合いを上手くとってくる。恐らくは近接戦闘における帝國軍人の暴威を熟知しているのだろう。

 ギーネの反撃を許さない距離を上手く保って、いやなタイミングで仕掛けてくる。

 二度や三度の殺し合いで身に付く上手さではない。ギーネ・アルテミスの肌にまとわりついてくるような重苦しい圧迫感は、確かに一流に近いプロのそれだった。


 廊下の途中、本が詰まった小棚を遮蔽物に滑り込んだが、再びギーネの頭上の壁に数発の鉛玉が着弾。

 舞い上がった埃が口に入って、帝國貴族は咳き込んだ。

「ごっほっ!許さないですぞ!帝國開闢の名門たるギーネさんにこのような屈辱と恐怖を与えるとは! 

 お前たち全員、もう泣いても謝っても許さないのだ」

 強がっても現実、追われているのはギーネである。

 が、ハンターたちも建物の構造と現状を熟知しているギーネに中々に追いつけない。

 踊り場を蹴るようにして階段を駆け上り、壁の壊れた部屋から隣りの部屋へと飛び込み、中央棟と西棟を繋ぐ構造体へと漸くにたどり着いた。


「髪の毛に埃が。もう!うう、頭洗いたいよぅ」

 曇天の下。露天の渡り廊下を駆け抜ける途中。銃弾躱す為の遮蔽に手近な花壇の物陰に滑り込むと、呼吸を整えながら頭を掻きむしった。


「後ろに廻り込めるか?退路を封じるんだ!」

「足が速い!」

「何時までもは逃げきれん!追い詰めているぞ!」

 高揚感が肉体に力を与えているのか。ハンターたちは息切れもしていない。

 廊下を幾つも駆け抜け、十階以上の階段を昇り降りし、シーツが無造作に転がった回廊を殺到してくる。

 さしものギーネも、渡り廊下で息を整えているのに、ハンターたちはまだ叫ぶ余裕もあるようだ。

「連中の体力!どうなってるのよ!」

 誰に抗議しているのか。空中に向かって叫ぶギーネ・アルテミス。だが、文句を言っても始まらない。

「ええい!ティアマット人の心肺機能は化け物か!

 まあいい。身体能力の差が戦力の決定的差ではないことを……ひあああ!」


 咄嗟にギーネが走り出すと、ががん!と鋭い銃声と共に花壇の一角が砕け散った。

 渡り廊下を狙える位置。斜め対面の中央の窓から、フードの狙撃手がマスケットの銃口を帝國貴族へと向けていた。


(連携に挟撃?廻り込んでの狙撃?無線もないのに仲間の動きに呼応しやがって!本当はあるのか?

 それにしても、練度が高すぎる!どうなってるのよ!)


 いや、違う。たった一人、あのフードが仲間の動きを先取りして読んで、それに合わせて連携しているのだ。つまりギーネの取るであろう進路を予測してきた。

 熟練の狩人に追われる狐さんの気分である。ああ、もう!やり辛い!こんこーん!

 狙われにくい筈の休息ポイントで狙撃を受けたことにギーネは悪態をついた。

 とは言え、休息ポイントは狙える位置が限定されている。敵の出現パターンは予想できたので、回避はそれほど難しくなかった。


「……また躱したか」

 まぐれではない。小さく舌打ちしたフードの狙撃手の視線の先、ギーネは姿勢を低くしたまま、走り出した。

 標的の姿を見送ったフードの狙撃手は、身をひるがえして廊下を駆けだした。


「来るなぁ!やだぁ!死にとうない!余は死にとうないぃい!」

 一方、見苦しく泣き喚きながら渡り廊下を逃げ惑うギーネ・アルテミス。西棟へと続く扉へ駆け込んでいった。


 次いで、中空の渡り廊下を越えたハンターたちも、次々と西棟の8階へなだれ込んでいく。

「追え!追え!」

「逃げ道は塞いだぞ!GO!GO!GO!」

「上へ追いつめてる。他の階段も探して封鎖しろ!人数廻せ!」

 ハンターたちの鋭い追撃は、ギーネに反撃を許さない。

 今のところ、幾らか余裕をもって距離を保っているが、一発でもまともに喰らうと拙いことには変わらない。背中から絶えず圧迫感が感じられた。逃げるのは余裕だが、だからと言って、迂闊に立ち止まったりすると仕留められそうな怖さがある。


 予定では、要所要所で敵戦力を削る筈でしたけど、それが出来ませんのだ。

「たまには、もっと楽な相手と戦いたいのだ」

 ぼやいているギーネとて、敵を甘く見ていたつもりはない。

 此の連携と追いつめる巧さからして、恐らく、何度も人狩り(マンハント)を経験して来たのだろう。

 それでもなんか、毎回毎回、強敵と戦う羽目に陥っているのは気のせいなのだろうか?


『ホテル・ユニヴァース』には、複数個所の崩落が存在している。ちょっとした断崖。崩落した廊下でえいやと飛翔して、忍者みたいに格好いい姿勢で着地したギーネだが、戦術を誤ったかもしれない、と舌打ちした。

「むむむ。身を潜めて、遠距離から一人一人始末した方が良かったも知れませんぞ」

 今からでは、戦い方を切り替えることは出来ない。不可能ではないが難しい。


 足もかなり速い。なにより体力に満ちている。背後に迫る足音が反響して、幾らか恐怖を掻き立てる。

 ギーネは勇敢ではあるが、恐怖を楽しむ人種ではなかった。

「一時的な転身なのだ。明日の勝利の為に涙を呑んだのだ」

 自分に言い訳しながらも、逃げ惑うしかない現状の情けなさに思わず涙が出てきちゃう。

 だって封建貴族だもん。


 ホテル西棟の中央に位置する螺旋階段に追い詰められたギーネ・アルテミス。

「止めるのだ!この悪漢ども。

 アーネイ?!アーネイ?!何処に行ったのだ?今すぐギーネさんを助けろぉ!早くしろぉ!」

 逆ギレっぽく見苦しく喚きながら、螺旋階段を必死の表情で駆け登るギーネ・アルテミス。

 時々、転がっている椅子やらシーツやらを投げつけてくる。

 追いすがろうとハンターたちも必死で駆けるが、追いつけそうで追いつけない。


「悪運が強いな」

「……くっそ」

 一方のハンターたちだが、逃げ惑うだけの獲物を中々に仕留めきれずに苛立ちを募らせていた。

 幾度となく仕留める好機に恵まれながら、その度にギーネは遮蔽物や曲がり角に救われている。

 ここぞ!という狙いやすい位置に限ってそうした遮蔽物や曲がり角が配置してあるのだ。


 ついにハンターの一人がわき腹を抑えて立ち止まった。

「……足が速い」

「……くそっ、今日は奇妙に喉が渇く」

 毒づく元気もなくなったのか、ハンターたちがぜえぜえと息を凝らし、螺旋階段で歩調を緩めて見上げると、ギーネが上の階段から顔を出していた。

 コップの飲料をストローで飲みながら、首を傾げた不思議そうな表情で言い放った。

「今すぐ余を追いかけるのを止めたら、許してやらないこともないですだよ?」


「ひゃあ!」

 怒れるハンターの一人が銃を構えようとするも、素振りだけで察知したのか。慌てて顔を引っこめる。

「ふざけやがって」

「……くそっ、何階昇った?」

「向こうで八階で……こちらで3階か、4階昇ってから、廊下を曲がって2階降りて。螺旋階段を……」

「……がんばれ。あと少しだ」

「上へ逃げやがった。もう逃げ道は無いぜ」

 散々に引きずり回されて、ハンターたちもようやく足に疲れが出てきたらしい。さして仲がいい訳でもなかった連中が、互いを励まし合って止まりそうになる足を進めていた。

「確か十四階だったな。上へ上へと追いつめている」

「『オウル』が追い付いてこないぞ」

「膝が……笑ってる。お姉ちゃん、もう歩けな……」


 西棟中央の螺旋階段14階。ギーネが逃げ込んだ両開きの扉を開けて、ハンターたちが内部へとなだれ込んだ。 

 扉を潜り抜けた瞬間、フォコンの喉が急速に乾いた。痛みを覚えるほどだった。

 声が出ない。苛立ちに顔を歪めるとそれだけで痛みを振り払おうとするかのように首を振った


 扉を開けた先には、左右にドアが連なった長い長い廊下が広がっていた。

 回廊の長さは60メートルほどか。長く薄暗い廊下の果てにギーネ・アルテミスが走って逃げている姿が見えた。直立歩行したペンギンを思わせるふざけた姿勢で、古びたシーツや衣服が幾枚も転がった廊下の上を飛ぶように駆けていた。

 おちょくっているのか。追いかけようとして、かび臭い臭いに思わず足を止めた。


 螺旋階段を登って14階へと続く扉を開けたハンター崩れは、十名。側面からギーネを追っていた『オウル』だけが、未だ追い付いていない。


 シーツの上を凄い速度で飛ぶように走り抜けたギーネだが、辿り着いたのは長い廊下の終着点。

 壁に囲まれた廊下の果ての袋小路だった。階段の前に格子のシャッターが下りてるのを目にしたギーネ・アルテミスが、格子を掴んで一生懸命に揺さぶっている。

 罠が仕掛けてあるなら此処だとフォコンは考えた。が、いったいどんな罠を仕掛ければ、此の戦力差で逆転できるのかとも思う。強力な銃器があるなら、使うべき局面は幾らでもあった。

 格子を力づくで破ろうと力んでいる馬鹿の姿に、罠は無いと踏んで歩き出した。


「やっと追い詰めた」

「……お終いだ」

 ハンターたちが銃を構えて前進を始めると、取り乱したギーネ・アルテミス。

 何処から取り出したのか。WW2で使われていたM40モデルのレプリカヘルメットを被り、何故か、大慌てで目の前に土嚢とブロック塀を積み上げに掛かった。

 が、どうみても意味がない。間に合うはずがない。そもそも数が足りない。枕くらいの大きさの代物を十やそこら積み上げたところで何になるのか。簡単に乗り越えられる。


 接近してくるハンターたちを目にして、ギーネが声を張り上げた。

「警告しますのだ!貴殿たちはアルテミス領に不法侵入しているのだ!今すぐ撤退するのだ!

 さもないと仮借ない軍事的措置を取りますぞ!無慈悲な鉄槌が下されますのだ!」


 帝國貴族の無様錯乱具合に、ハンターたちも思わず失笑する。

「おもしれえ奴だな」

「こうなっちまうと、少し哀れだな」

「まあ、貴族なんて自分一人じゃなにもできねえからな」

「殺すのがちょっと惜しくなったぜ。まあ殺すけどな!」

隠れている心算なのか、廊下の真ん中にうつ伏せに寝そべったギーネが、喚き散らした。

「此れは最終的警告ですのだ。勝算の無い軍事的冒険を試みて、ギーネさんの寛容と忍耐を試してはならないのだ!恐ろしい結果になりますぞ?それとそこの共和主義者!貴族に対する悪意に満ちた誹謗中傷はやめるのだ!謝罪と訂正を要求しますのだ!」


 追い詰めた獲物をなぶるようにハンターたちは、一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 さんざ、苛立たせてくれた獲物との追いかけっこがやっと終わっただけに、あっさりと片をつけるよりも、じわじわと追いつめてやろうという気分になっている。

「如何なおそろしい事態が襲来しようとも、責任は挙げて不法侵入者である貴殿らに期するところでありますのだぞ?ただちに我がギーネさんランドから撤退しない場合、わが軍は容赦ない軍事的措置を取り、報復の雷が無慈悲な鉄槌となって賊徒どもを粉砕するのだぞ?」

 土嚢とコンクリート製ブロックの低い壁から、頭だけを出したギーネ・アルテミスが無意味な警告を発し続けていた。

「こ、これが最後の警告なのだ。今すぐ武装解除して降伏するなら、大いなる慈悲で命だけは助けてやりますのだ!さもないと、恐ろしいことになりますぞ!」


「へえ、どんな恐ろしいことになるのか、見せてもらいたいねえ」

 巨大な盾とメイスを握った『始末屋』が笑いながら足を踏み出した瞬間、その爪先が床に敷かれたシーツへと沈み込んだ。

「……え?」

 口元に嘲りを張り付けた表情のまま、シーツを巻き込んだ『始末屋』の逞しい肉体が、魔法のように床に飲み込まれて消えた。


 他のハンターたちは呆気にとられた。

 『始末屋』がシーツに飲み込まれて、後に残るのは恐怖に引き攣ったような伸びた絶叫。それも2、3秒で消えた。

「落とし穴?!」

 フォコンは、手近なシーツを掴んで引っ張った。一瞬で理解する。

 フォコンの一歩手前。回廊が、5メートル。いや、それ以上の長さに渡って完全に床が崩落していた。

 此れでは迂闊に進めない。こんな長さを奴は飛び越してのけたのか!?

 シーツは、偽装されたブービートラップ。こんな間抜けな手に引っかかるとは!

 枝。細い枝と糸が格子状に張り巡らされ、その上にシーツを被せられていた為に気が付かなかった。

 単純だが、手の込んだ罠。下階も複数階に渡って完全に崩壊している。ホテルの西棟を外観から観察すれば、まるで巨大な生物の爪痕のように菱形に削れているのが分かっただろう。


「無事か!?『始末屋』」

 歯噛みしつつ叫んだフォコンが下を覗き込む。20m近い底に転落した『始末屋』が転がっていた。

 うめき声を上げつつ、手を振っている様子からすると、取りあえず命は取り留めたようだ。

 が、次の瞬間、苦痛に唸っていた『始末屋』が恐怖に引き攣った悲鳴を上げた。

 壊れた人形のように歪な姿勢で倒れている『始末屋』の周囲で、ふらふらと揺れるように近寄ってくる幾つもの黒い人影。ゾンビ(ウォーカー)たちだった。

 叩きつけられ、床の上で悶えている『始末屋』に、下層を徘徊しているゾンビたちが歩み寄っていく光景が見える。

「ひっ!いやだ!来るなっ!来るなぁ!」

 恐怖に濁った絶叫が響き渡った。

 フォコンは、目を逸らすことも出来ない。声も出ない。喉が腫れあがったように強烈な痛みを覚えた。


 ギーネ・アルテミスが松明を片手に立ち上がった。

 フォコンの喉から痛みが消えた。代わりに耳の奥でキィーンと唸るような強い耳鳴りがしていた。

 猛烈な怒りが湧いてくる。ぶち殺す。簡単には進めない。シーツを剥がして、穴のないところを探して進む必要があるが、それでも大した時間を稼げると思うな。

 そう決めて睨みつけたフォコンの耳に、アナウンスが聞こえてきた。

 『火災の発生を確認しました。14階を一時閉鎖いたします』

 全員の背後で、鉄製の防壁が壁からせり出してくる。

 重そうな鉄製の防壁がゆっくりとした動きで、廊下を封鎖する。

「なんだこりゃ?」

 誰かが呟いた。防壁には、非常口がついている。何の意味もない。


 と、壁が閉じた瞬間に、フォコンから喉の痛みが消えさった。耳鳴りも消えた。

「……なんだったんだ」

 なんのつもりだ?自分の逃げ道を塞いでどうするつもりだ?

 集団を誘導して閉じ込めるつもりか?自分一人脱出できる経路を用意している?

 他にも雷鳴党は来ている。一時的に無力化しても、なんの意味もない。

 いや、時間稼ぎに大人数足止めして、今のうちに脱出するつもりか。

 当惑し、思惑を計るハンターたちの視線の先、寝ころんだギーネが鉄製ヘルメットの位置を調節していた。。

 WW2ドイツ軍兵士のヘルメットに似たM40に加えて、鉄製のマスクとゴーグルをつけると、スリングショットを取り出してハンターたち目掛けて無造作に撃った。


「いてえ!」

 一人が叫び、残りのハンターたちがマスケットを撃ち返した。

 が、当たらない。火薬が時化る以外に、マスケット銃のもう一つの弱点。マスケット銃の命中精度においてよく言われる言葉で『相手の白目が見える距離で撃て』と言うものがある。

 ギーネの周囲で床が弾けた。微動だにせず、亡命貴族は、スリングショットで反撃を継続する。


「……撃ち合いか……その玩具で俺たちと勝負する気か」

 フォコンは、思わず笑いだした。

「……上等だ!追いかけっこには飽き飽きしていたぜ」

「ちっ、当たらないぜ!くそ!」

 舌打ちし、罵りながらも、ハンターたちは冷静にカルカで次弾を装填する。

 スリングショットを構えた帝國貴族は、矢継ぎ早に鋼製のボールベアリングを撃ち続ける。


「ぎゃ!」

 ハンターの一人が顔面を抑えて飛び上がった。

 スリングショットの有効射程はおよそ50メートル。


土嚢を盾にしたギーネは、うつ伏せの体勢を維持しつづけながら反撃していた。

一見、無防備に見えるが、前面投影面積は極めて小さい。肩や手足は土嚢で守られていた。

積み重ねた土嚢の僅かな隙間から撃ち続けている。

 有効打を与えられるのは、50メートル先の鉄ヘルメットを被った顔面であった。


 それでも、マスケットで当てられない距離ではない。その筈だが、マスケットを持ち込んだハンターの一人は利き腕の指を抑え、もう一人は目から血を流して喚いていた。


 ギーネは土嚢に隠れては、鏡を使って、敵の銃口の射角と装填速度、発砲のタイミングを把握していた。

 ハンターたちの銃口の向けていない土嚢の左右から飛び出しては、スリングを発射。

 スリングショットで50メートルは、腕のいい射手なら掌程度の標的に確実に当てられる距離でもある。ギーネ・アルテミスの視力と筋力、肉体制御と飛び道具の才能からすれば、目を閉じていても当てることが出来た。加えてギーネの暗視能力にとって、薄暗さは障害にならないのか。ハンターたちの動きを完全に掌握している。


スリングショットが、マスケットに対して優る点があるとすれば、それは一重に発射速度だろう。

18世紀から19世紀初頭にかけて、訓練されたフランス銃士が1分間に3発程度を発射し、当時の欧州世界で最高に訓練されたイギリス軍レッドコートで1分間に4発の発射を可能としていた。

 おおよそ15秒間に1発。英国兵4人であれば、4秒に一発であるが、ギーネが懸念していた装填装置の改造は特に施していないようで、ハンターたちの装填速度は英国兵に劣っておよそ20秒に一発。

小石、木片、釘などを詰めて散弾にすれば、もう少し拡散するだろうが、今の所は撃ってくる気配もなかった。


対するギーネ・アルテミスのスリングショットの発射速度は、2.5秒に1発。

 これをほぼ外さない。強靭な筋力をもって楽々とゴムを引き絞り、発射した玉の9割8分が、40メートルの距離でほぼ狙い通りの場所に当たっている。


 無論、スリングショットの威力は、マスケット銃に比して遥かに劣る。

所詮は、200Km/hにも満たない鉄球。威力も軽い。

厚手の服でも着ていれば、ある程度は威力を殺せてしまう。

故に狙うのは、剥き出しとなった顔面や手の甲。そして武器そのものだった。

マスケットの使い手を執拗に狙っては、次々と手を撃ち抜いていく。


鉄のフライパンを曲げはするが、貫通できない程度の威力。

威力としては、小口径の拳銃にも劣るスリングショットだ。故に、この局面でギーネは弾を変えた。

七発に1発程度の割合で、ランダムに鉄球ではなく、ネジを選択。

 手元の小瓶の液体に浸してから、撃ちだした。

 液体の中身は、弱毒。現地のティアマット荒野蛇から採取した神経に左右する毒の一種であり、筋肉に軽い麻痺を与え、神経回路の伝達を阻害する働きがある。毒としては、極めて弱い代物である。死に至ることはまずない。が、狙撃手の手に刺されば、狙いがぶれる程度の効果は望める。


「手にネジが!くそ!くそ野郎!」

「ふざけやがって!」

 怒号が鳴り響いていたが、距離を詰めることは出来ない。

 幾つものシーツが廊下に転がっている。薄暗い回廊をハンターたちが殺到しようとすれば、ギーネの元に辿り着く前に『始末屋』のようにブービートラップに引っかかる恐れがあった。


 ハンター崩れたちが口々に怒りの叫びをあげるが、ギーネを仕留める決め手に欠けていた。

 とは言え、それはギーネも同様であり、ハンターたちは一方的に攻撃されているとはいえ、一人の死人も出ていない。

 帝國貴族の攻撃は、悪戯にハンターたちを刺激しただけに思えた。この時、雷鳴党に雇われたハンターたちは、もはや微塵の容赦もなくギーネ・アルテミスを殺すつもりであった。


「こんなかすり傷でどうにかなると思ったか?」

「殺す!貴様、殺してやる!」

 男女の叫びに、ギーネは動じない。

「此方は一発当たれば、お前を殺せるぞ!」

 叫んだフォコンもいつの間にか、口数が増えている。冷静に振舞おうとしながらも、心の中に急速に違和感が広がっていく。


確かに、スリングショットに人を殺す威力は殆ど無い。だが、頭部に命中すれば脳震盪を引き起こし、骨に当たればひびを入れる。側頭部であれば昏倒させることもある。

飛んできた鉄球がハンターの腰につけた火薬袋を撃ち抜いた時、周囲に命遮蔽物がないことにフォコンは気づいた。

「奴め。粘るじゃないか」

 苛立ちの入り混じったフォコンの呟きは、ひどく掠れていた。


 だが、こんな攻撃で俺たちを仕留めるとは思っていないだろう。

 決め手に欠ける状況で、奴は何を考えている。

 フォコンは、もはや、ギーネを愚かで無力な獲物とは考えていない。

 その思惑を計ろうと真剣に思考を凝らしている。

 この状況では、俺たちも奴を仕留めるのは難しい。一度、仕切りなおすか?

 やっと追い詰めただけに、此処で諦めるのは気に入らない。が、どうにも分が悪かった。


「おい、一旦、退くぞ」

 鉄球が飛んでくる中、立ち上がって仲間に声を掛ける。

 が、背後から舌打ちと共に罵声が返ってきた。

「駄目だ!防火扉が、開かない!」

「なに?」

 扉を開けようと悪戦苦闘していたハンターの一人が、額に汗を拭きださせて振り返った。

「フォコン。これは多分『溶接』されている」


 しばし、フォコンは無言で佇んでいた。

 それから、薄暗い闇の彼方に陣取っている帝國貴族を奇妙な眼差しでじっと見据えた。

「……此処でやるしかないって訳か」

 しばし沈黙してから、口元に不敵な笑みを浮かべた。

「決闘っていう訳だな!いいだろう!かかってこい!」


 マスケットは強力な武器である。命中精度に劣るとは言え、その威力は人を即死させるに足るものであった。

 大口径の弾は、一発当たりの威力で言えば、20世紀、21世紀の軍用ライフルにも匹敵、或いは凌駕している。

頭部に命中すれば、遺伝子強化されたギーネ・アルテミスをも負傷……否、当たり所によっては即死させる可能性もあった。

無論、マスケットにも名手はいる。

日本の戦国時代にも、糸で吊した針を撃ち抜く名手の逸話が残っているくらいだ。

欧州に比して火薬が高価、かつ凝り性の国民性と尚武の気風からマスケットが狙撃重視へ進化した事情はあるにしても、30メートル先の人型はほぼ必中距離であったと言われている。

銃の癖を掴み、狙い定めれば、50メートルを一撃で射抜いてくる者はいるだろう。

撃ち続ければ、ラッキーショットを受ける可能性も在った。

だから、ギーネ・アルテミスは、まず最初に敵の殺害ではなく、戦闘継続力でもなく、その火力投射能力に狙いを絞った。


・標的1の右手中指を損傷。マスケットの装填速度が48秒に低下。

 推測装填時刻38秒後。

・標的2の左腕ひじ関節に命中。無意識のうちに口を半開きにして涙を零した。

 神経系統に痺れが発生と推測。10秒±12秒を無力化。

・標的3の火薬袋を破損。弾き飛ばした。

 標的3の次弾発射までさらに約8秒の猶予が発生。

・標的4のマスケット銃発射2秒前。マスケット銃に命中。銃口を逸らすのに成功。

 次弾装填まで22秒遅延。標的1の発射まで31秒

・標的5の頭蓋に命中。膝から崩れ落ちた。脳震盪と思われる。

 80%の確率で無力化に成功。

・標的8が発砲。射角からして4度ずれている。命中の可能性、ほぼ皆無。

 次の発砲まで34秒。

・こちらの攻撃、現時点で有効命中率94%を維持。残り鉄球数417発。

・優先攻撃順位の変更。標的-3-2-4-1-8

・筋肉の疲労度。問題なし。


 パズルを組み立てるように脳内で計算をしながら、ギーネは戦闘機械のように素早く狂い一つなく攻撃を続けていた。


 指が折れる。一時的に失明する。腕の骨にひびが入る。一つ一つは無視できる軽度の損傷でありながら、ギーネの放つスリングは、一撃ごとに確実にハンターたちの射撃精度を削っていく。


(敵戦力の投射能力喪失まで、およそ380秒。無力化まで1020秒の予定)


 ハンターたちは、ギーネを遥かに上回る火力を有していた。

 命のやり取りになれたハンターの集団相手に近接戦闘を行えば、ギーネも不覚を取るかも知れない。

 曠野や互いに構造を知らない廃墟であれば、ギーネが敗れる結末が訪れても不思議ではないのだ。が、それはifの話でしかない。

 ギーネの想定した戦場。ギーネの誘導した交戦地点に足を踏み入れ、退路も前進も封じられた時点で、彼らの命運は帝國貴族の掌に握られたも同然だった。

 それはギーネにとっては自明の理であり、ハンターたちには未だ理解できない俯瞰図であった。

 やがてハンターたちの火力投射能力が偶然を含めても無視できる程度までに低下してから、帝國貴族は一瞬だけ、瞑目するように目を閉じる。

 既に敵戦力の解析は完全に終了していた。この期に及んで隠し玉はあるまい。そう判断したギーネ・アルテミスは、紐と布で造られた投石器を手に取って立ち上がった。



 先刻までと打って変わって厳しく唇を引き結んだ帝國貴族は、冷たい眼差しでハンターたちを見据えると、鉛の円錐弾を入れた投石器を勢いよく回し始める。

 それは終わりの始まり。一方的な殲滅戦の始まりであった。



11000字の更新やからな。

さぞ沢山、感想くるやろなー

楽しみやなー

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