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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
90/117

とある冬の日 午後

「年端もいかない少女がカニバリズムに耽溺するとは……世も末だ」

 腸詰咥えたイエローは、野良猫もかくやという素早さで食堂から駆け去った。

花飾りの少女にまんまと逃げられたレーゼは、眉根を抑えながら精々、深刻そうな口ぶりで世の道徳の荒廃を嘆いてみる。

「町の中に人食い人種が出没してるんだけど、やはり保安官に知らせるべきだろうか?どう思う?リーダー」

 振り向いて、真面目な顔でシャルに尋ねてきたので

「そうだね。自業自得だと思うよ」

 手元のメモ帳で何やら計算しながら、シャルは心底どうでも良さそうにおざなりに返答する。


「……レーゼ、意外と性格悪い」

 ガレットを胃の腑に収めたサラが、机の上に頭を寝そべらせながらレーゼを眺めた。

「そりゃあ君たちの仲間だからなぁ」

「……解せぬ」

 呟きつつ、サラが欠伸を噛み殺してる。


「……昔、子供の頃だけど」とメモ帳を閉じたシャルが、過去を懐かしむように遠い目をして言葉を続けた。

「近所に住んでた従兄が、檻の中のゾンビを相手に似たような遊びして、指食いちぎられたのを思い出したよ」

「ああ、よくいるね。酔っぱらった勢いで捕まえたゾンビからかって噛まれる奴」

 他人事のように肩を竦めて呟いたレーゼを、傍らのサラがすごく何か言いたげにじっと眺めた。


「子供向けの学校で、習性や恐ろしさを生徒たちに教える為に飼われてるゾンビだったんだけどね」

 シャルが最後に見た時の従兄は、うーうー唸りながら校庭の檻の中を二匹で彷徨ってた。

 我が従兄ながら、今、思い出しても恐ろしく馬鹿な奴だった。と思い出す。

 今まで生きてて、あれほどの馬鹿には他に出会ったことがないほどだ。

「君は意外と馬鹿だな、レーゼ」

 微かに笑ってそう揶揄いつつ、早々に人生を自爆で棒に振った従兄とレーゼでは、似ても似つかないとシャルも腹の底では承知している。

 多少、敵や状況を侮る癖があるレーゼだが、しかし、その分、巨大アリや七眼犬など危険なミュータントの群れに遭遇してもけして雰囲気に呑まれず、冷静さを損なわない。

 時に傲慢な性質を見せながらも、同時に如何な危険な状況でも勇敢さと果断さを発揮してくれる。

 人の性質の長所と短所は、表裏一体なのかも知れない。


 もしかしたら。と、ポーチから取り出した絆創膏に膏薬を塗り、レーゼの指に張り付けながら、シャルはなんとなく思った。

 従兄がもう少し慎重な性格で、己を高める努力をしていたら、レーゼと似たような形質を獲得できたのだろうか。

「お葬式の時に親御さん。なんとも言い難いやるせなさそうな表情をしていたのをなんでか思い出した」

「言っても、わたしは親と話したことなんて一度もないからなぁ。父親に至っては分からないし」

 胸元のロケットを左手でもてあそびながらけらけらと笑っているレーゼに、シャルは肩を竦めながら釘を刺した。

「あまり油断したり、侮らないで欲しいね。私は出来れば、仲間を失いたくないんだ」

 


 お腹が空いた。お腹が空いた。お腹が空いた。

 それが、先刻からクーンが頭の中で繰り返している唯一の言葉だった。

 もう3日、ろくに食べ物を口にしていない。

 3日前に捕まえた水蛇を焼いて仲間たちと分けたのが最後のまともな食事で、それ以降は小さな虫を具に水草と塩のスープを口にしただけだった。

 あんまりにもひもじいので、お腹の皮が背中にくっつきそうだ。


 昔、記録映画で異世界にいるホームレスたちの境遇を見たことが在った。

 映像の中の彼らは、夢みたいに凄くいい暮らしをしていた。

 あれは、それらしく作った架空の夢物語に過ぎないのは、クーンにも分かってる。

 町中にまだ食べられる料理が捨てられてる世界があるなんて、いくらなんでも現実にはあり得ない。 

 だけど、もし、生まれ変われることが適うなら、一度でいいからあんな風に暮らしてみたい。


 そもそも【町】では残飯は滅多に出ない。食べきれない食料は供されないし、余ったら次回の為に取っておかれるのが当たり前だった。

 何らかの事情で人の口に適さない食事であっても、大抵、家畜の餌か畑の肥料にされる。

 映画の中のホームレスたちは、暖かで安全な下水道に棲んでいたけど、実際に下水道に住み着くなら、眠る時も鉄パイプやナイフは手元から離せない。

 なぜなら、東海岸の広大な領域に張り巡らされた地下水路や地下鉄網には、人を喰う変異鼠や獣型ミュータント、食人嗜好のトンネル部族が這いずり回っていて、自警団や保安官は無登録の住人が目の前で喰われていようとも、決して助けてはくれないのだから。


 午後に入ってからは、身を切るような冷たい風が【町】の大通りを吹き荒れていた。

 ポンチョに似た鼠色の襤褸布を纏った三人の少女たちは、勢いを増す風に耐えながら、疲れた足を引きずって大通りから狭い街路へと入り込んだ。


 街路を吹き抜ける内陸からの風は、凍てつくように冷たかった。

 狭い路地裏に三人で身を寄せ合って襤褸布ポンチョに包まっても、体温は容赦なく奪われていく。

 最後尾を歩いていたソフィが背を丸めて苦しげに咳き込んでいた。

 2、3か月ほど前に知り合って以来、行動を供にしている少女だったが、数日ほど前から徐々に咳が酷くなり、止まらなくなってきている。

 集落が武装放浪者の一団に奪われて滅びる前、ソフィは優しい両親に囲まれて、のんびりと生きてきたらしい。箱入りだった彼女には、冷え込んで湿気も強い巨大水路での生業は酷なのだろうか。

 翠色の目は苦しげに歪み、口元を抑えた掌からは僅かに朱色の雫が滴り落ちている。


「大丈夫?」

 ドリスが声を掛けながら、纏っていたボロボロな自分のマントを外してソフィに掛けてやった。

暫くして咳が収まったソフィが、呼吸を整えながら青白い顔色に微笑みを浮かべた。

「……ご免なさい。もう大丈夫」

マントを返したソフィが気丈そうな声で礼を述べると、汗を拭い立ち上がった。

飢餓感と寒さ以上に、慣れない【町】での生活が強いストレスとなっているのか。

ふくよかだったソフィの頬は痩せこけ、出会った頃とは別人のようだった。

「……一度、ギルドに行こう。あそこは少し暖かいし、食べ物もなにか安く売ってるかも」

 クーンの言葉に、ドリスとソフィが頷いた。


(……冬が近づいてきて、採取できる葉菜や小動物の類も減ってきている)

 いずれも平凡な農民であったクーンたちは、真っ当な仕事につけるだけのコネなど持たず、売り込めるような技能や知識も有してはいない。

 【町】で生き抜いてきたクーンや、ドリスは別にして、ソフィは今でさえ、自分の食い扶持を稼ぐのに一杯一杯であった。

 本格的な冬が訪れれば、遠からず行き詰まるだろう。

 どうすればいいのか。微かな焦燥感に苛まれながらも、クーンは俯き加減にただ足を動かした。

 今でさえ、ギリギリなのだ。なのに、クーンはどこか危機感が薄かった。

 獣人型ミュータントの襲撃に家と家族を失って以降、全ての出来事がまるで夢を見ているかのように他人事に感じられてしまうのだ。

 

(……自分でも嫌になるな。どこかで人生を諦めてしまっているのだろうか)

 見上げれば、崩れかけた建物を縫うように急な坂道に階段が設けられていた。

 一度に一人しか歩けないほど狭く、手摺りも存在しない階段は勾配もきつく、足元のモルタルにも所々亀裂が走っている。

 古い戦闘の痕跡なのだろうか。『ゾンビ防衛地点 G-7』と掠れた赤ペンキで記された壁には、幾つもの弾痕が刻まれていた。

 冷たい大気に白く染まる息を吐いて階段を登り切れば、人の背丈よりやや高い程度の小さなトンネルの入り口がぽっかりと口を開いていた。


 トンネルに足を踏み入れると、人の肩幅よりやや広い程度の狭い通路が右側に折れるように続いていた。

 入ってすぐ左側のトンネルの壁には、ドアノブに鎖が駆けられた厳重な扉。

 薄暗い空間に佇んでいても、向こう側からは息を殺した人の気配が伝わってくる。

 奇怪なトンネルだった。かつての地下街の一部か。

 或いは、崩れた上層に一部通路が埋まった大規模建築物なのかもしれない。

 天井の電灯が明滅している狭い路地を進めば、両脇に鉄製の扉が幾つも並んでいる中、六畳間程度の空間で構成された小さな店舗がぽつぽつと点在していた。

 店舗には、鉄格子の小さな窓が明り取りとなってる場所もあれば、電灯が生きて弱弱しく辺りを照らしてる場所もあって、

 道中、得体のしれない肉や屑野菜の煮込みの入った大きな鍋が直火の上で湯気を立てており、漂ってくる匂いにクーンたちの胃の腑が音を立てて鳴った。

 干したネズミや茸が並び、無足の豚が金属のケージの中を蛇のように這いずっている傍らで、床に座った地元民らしき人々が刺激臭の強い煙草を吹かしていた。

 芋やスイカから作られたアルコール分に炭酸水を混ぜた飲料を飲んでいる男たちが、カードやサイコロで遊びながら、金属皿に入った芋虫の炒め物を口に運んでいたが、

 近づいてくる余所者に気づくと、通り過ぎる三人を警戒するように薄暗い店舗の中からじっと白い目で見つめてきた。

 

 トンネルを通り、途中の部屋に入ると大きな窓が開いている。そこを乗り越えれば、ギルド会館に面する大通りがすぐ目の前の筈であった。



食堂の片隅。煤けたコンクリートの床の上で火が焚かれていた。

天井は大きく崩れているので熱がこもる心配もない。

文明的な世界の住人であれば思わず目を疑うような光景も、文明と野蛮の入り混じったティアマットではさほど珍しいものではない。

町中でさえミュータントに襲われる危険性は皆無ではないのだ。

『人が真に安心できるのは死んだ後だけ』などと揶揄される土地柄で、屋内でやっと気を抜くことが許されるのが、ティアマット人の一般的な生活であった。


火を囲んで談笑している人々の影法師が壁に揺れている。

古来より、人は火を囲んできた。

輪となって暖を取っている人々に混じって、ギター弾きが哀愁漂う往年のゲーム音楽を奏でている。

周囲の人々は、比較的に生活にゆとりのある層なのだろう。床に置かれた楽士の帽子には、貨幣や弾薬、飴玉や食料チケットといった崩壊世界の通貨が幾ばくか投げ込まれていた。

音楽に耳を傾けながら、木箱に座ったサラは食後のお茶を啜っている。

人造の甘味料と着色料でそれらしく味付けした人造の紅茶だが、安価で口当たりも悪くないので最近、好んで口にしている。


ため息をつきつつ幸福な余韻に浸っていると、傍らで食事を取っていたシャルロットが「……あ、外れだ」と小さく呟いた。

「ん?」

「このポトフ、缶詰の味だ。

 地元産は、茸と芋だけ。安い食材で嵩増ししてるんだな」

顔をしかめてるリーダーをまじまじと見つめて、サラは呆れたように肩を竦めた。

「……なんか贅沢なこと言ってる。最近まで粥が主食」

「逆です。偶の贅沢だから、外れに厳しくなるんだよ」とシャル。


 崩壊前の軍用飯盒に盛ったポトフの具をフォークで突きながら、変な文句を口にする。

「これが毎日、いい食事にお金を使える人なら一回くらい外れでも笑って許せるだろうけど、貧乏人にとって偶のご馳走が外れだと許せないんだよ」

 最近のリーダーは、ちょっと帝国人に言ってることが似てきたと思いながら、サラはふんふんと頷いてみた。

「んんー、素直にアルテミスさんにお勧めされた食堂でチキンステーキ行っておけばよかった」

 ため息交じりのシャルの言葉に、壁に積まれた土嚢に寄り掛かったレーゼが首を傾げた。

「お勧め?お姫さまの?

 でも、あの人。この間、変な腐った豆を旨そうに食べていたぞ?Natoとか言うの」

「……あれは恐ろしい……すごい臭い。地獄の釜の蓋が開いた」

 サラも顔を顰める。

 口を揃えての発言に、シャルも不安を覚えたのか。ため息を漏らした。

「……うーん、そうなのか。貴族だから口が肥えてると思ったんだけど怪しいな。

 たまの御馳走で二回外すと痛いけど、知り合いも少ないし、どうしたものやら」

 ティアマットには頭のおかしい人間も少なくない為、迂闊に知り合いを増やせない。

 治安の崩壊した世界では、自分のことを知る人間が増えると、それだけで危険に巻き込まれる可能性も増してしまうのだ。


「迂闊に悪人と知り合うと、こちらの情報も漏れる訳だし……ふわぁ」

どうでもいい話をくっちゃべっているうちに眠気が沸き上がったのか。シャルは大きく欠伸をした。

「疲れがたまっていたんだろうね。連日の鍛錬と狩りで」

 一人立ち上がったレーゼが、ナイフを研ぎながら笑った。

「今日一日くらいは休んでもいいんじゃないかな。此処に泊まっちゃう?」


「そうもいかないよう。贅沢しちゃったから、稼がないと。

 今朝の稼ぎが吹っ飛んだし。またしばらくは砂粥と砂パン。そして虫肉です」

 生命の危険を伴う狩りに半日従事しても、稼げるのは2~3信用単位クレジットで、たった一度まともな食事取れば、吹いて飛んでしまう程度の金額でしかない。


 ひどい境遇だと、遠く離れた故郷で市民として暮らしていた頃のかつての自分なら思ったかもしれない。が、それでもシャルと仲間たちは【町】の最下層からは抜け出しつつあった。今は、それで十分だった。


 色褪せた服に乏しい全財産を入れたずだ袋を背負い、希望だけを胸に毎日、幾人もの流れ者や難民、浮浪者が【町】へと流れ込んでくるが、真っ当な生活を手に入れる者は、そのうち十人に一人も満たないのではないか。

 なんの技能も持たず、伝手もなく、都市での振舞い方も知らない移民たちは、大概が5年もしないうちに無法の曠野や迷宮のように入り組んだ地下水路で命を散らし、運よく生き残った者は、どうなるのか。

【町】の路地には、時折、死体が転がっている。それも答えの一つだった。


【町】に農作物を供給している近隣の農場施設は、経営している農場主(或いは管理人かも知れないが、町の制度をそこまでは知らない)によって、まるで労働環境が違うらしく、外れを引いた場合、それは過酷なものだと囁かれていた。

 悪評漂う農場から時折【町】に連れてこられる農場労働者たちの姿は、まるでくたびれきった老人のようで、中には攫ってきた人に奴隷労働させている場合もあるとの噂を耳にしたことがあった。


 だから、シャル自身も、きっと最後はスラムにへばりつく無宿者になるか、不具の廃狩人となって路傍を彷徨う末路を辿るのだろうと薄々、予想していた。


 或いは、娼婦になる?土地の顔役たちが安全を保障した店舗や縄張りで、それなりに可愛くて上手い娘たちと、数枚の貨幣で楽しめるのに?

 処女で、下手糞で、餓えて切羽詰まった娘たちを、慣れぬ路地裏で買う男がいるだろうか?


 だけど、なんの気まぐれか。元軍属らしい帝国人たちが手を差し伸べてきた。

 そして、シャルロットも仲間たちも生き残っている。そして、その日暮らしの虫狩り人とは言え、とりあえずは生活していけるだけの目途がついて、多分、1年後にはもっとましな生活を送れているだろう。

 下には下がいるし、上には上がいる。ティアマットの貧困層は、底なしに悲惨でもあるが、奈落の穴すれすれを歩いている今のシャルたちは自分たちのことで手一杯だもあった。


 ギーネやアーネイ、それにセシルなどとは違う。凡人であるシャルロットには、他人に手を差し伸べる余力など皆無であった。敢えてそんな真似をしても精々、共倒れするしかないことを誰よりもシャル自身が認識していたし、レーゼもサラも十分に承知している筈だ。

 だから、顔見知りが困窮していようとも、見て見ぬ振りをすると決めている。



「塩が3クレジット!?冗談でしょう!?」

 ひどく不満げな抗議の強い声が、ギルド大食堂の一角で響き渡った。

 ほんの一瞬、周囲で雑談や囁きが止まり、すぐに元通りのざわめきが取り戻された。

 シャルはけだるげに、誰かの叫び声が発せられた大食堂の入り口付近を見渡した。

「水路巡りだからって足元見すぎだよ!」

 床に毛布を敷いた行商人の集う一角、そこで若い娘が何やら興奮した様子で叫んでいる。


 ギルドで場所を借りている行商人たちは、商品の値段がやや割高となる代わりに誤魔化しなどは比較的に少ない。(あくまで比較的にであって、いかさまを働く商人がいない訳ではない。当然に用心は必要だ。法秩序の弱い土地では、迂闊に他者を信用してはならない)

 叫んでいる女の個人的事情はどうでもよかったが、行商人相手のもめ事は見物する価値はあるかな、と少し興味を覚えたので、シャルロットは身を乗り出した。

 もし行商人が何らかの誤魔化しを働いてのもめ事なら、やり口を目にしておくことは損にはならないだろう。


「駆け引きはしないよ。いやなら、他所で買いな」

 塩を売ってるらしき商人がけんもほろろの口調で抗議を切り捨てた。

「相場は、2クレジットと40でしょう。いくらなんでもぼりすぎよ」

 抗議する女の服装を値踏みするように眺めつつ、塩商人が肩を竦めた。

「冬の前は、万事値上がりするんだよ。

 そんなことも知らんってことは、よそ者か。まあ、見ればわかるが」

「だって。先月は」

「先月の方が安いっていうなら、先月のうちに買っておくべきだったな。

 買わないなら、他所へ行ってくれ」

どうにも客の分が悪いようだ。娘は何か言いたげに口をもごもごさせ、しかし、結局は、言葉を飲み込んで頷いた。

「分かった……半ポンドちょうだい」

「半ポンドだと、1クレジット80になる。

 1ポンドで3クレジット20。半ポンドでいいんだね?」

確認を取ってから、商人が塩を小分けにして原始的な秤にかける。


余談ではあるが、ティアマットでは度量衡としてポンドやフィートが復活している。

精密機器はおろか、工業製品までも廃れ、正確な計測そのものが必要とされなくなってきた崩壊世界では、元々、生活に根差して誕生したポンドや腕の長さからおおよそが分かりやすいフィートの方が、センチやグラムよりも人々にとって使いやすかったのかも知れない。

機械式の電気重量計なども殆どの居留地や集落で見かけられなくなり、代わりに中世のような錘を使った天秤式重量計が彼方此方で見られている。


 地球よりも重力が僅かに大きいティアマットでは、同じ塩1ポンドを購入しても、体積はおよそ96%に減ってしまう。

 1地球ポンドは1ティアマットポンドであるが、地球で製造された1ポンドの錘をティアマットに持ち込むと、電気重量計では1.04ティアマットポンドに変化するのだ。

 その為にティアマットでは、態々、地球重力1G下で約960グラムの錘を製造して、それを1ティアマットポンドの錘として計測に用いている。

 1.04キロの錘を1ティアマットポンドに制定せず、一々、錘を作り替えているのは、主に輸入した機械に関する無用の混乱を避ける為であった。

 例えば、他所の惑星世界から1G下で10tの積載能力を持つ航空機を輸入した場合、ティアマットでは積載能力が実質9600キロ(地球キロ)に低下するのだが、ティアマット・キロが0.96地球キロであれば其の儘、10ティアマット・㌧を積載できるとすぐに判断できる。

 無論、次元世界によっては、航空機などは大気の層の厚さや組成なども絡むし、異なる基準を採用している場合もあるが、取りあえず共通規格として地球標準重力でスペックを表示してある次元世界の機械は、比較的、安易にティアマットで運用することが可能なのであった。


 一連の駆け引きを眺めていたシャルの傍らに、レーゼが寄りかかってきた。

「あー、今さら慌ててる連中がいるよ」

恐らくは水路巡りを生業としているのであろう三人組に、レーゼは醒めた視線を向けている。

物価を纏めたメモを閉じて、シャルも肩を竦める。

「冬前に物資が値上がりするとか、小さな居留地とは色々と勝手が違うね」

奇しくも自分たちと同じ3人組の若い娘だが、特に同情らしいものを見せることもない。

ティアマット社会の下層民は精神的に余裕がなく荒廃しているが、指をさして間抜けと笑わない分だけ、まだ慎み深いと言えるだろう。


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