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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
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とある冬の日 正午

 いずれ必ずや、あのクレープを食べなければならぬ。

  断固として決意するサラであったが、それはそれとしてガレットは悪い味ではなかった。

  僅かに舌先にピリピリする不快な味を覚えなくもないが、化学物質の汚染はティアマット原産の食べ物全般に言える馴染みの風味で、特に生地が傷んでいる訳でもない。

  無論、他人種に比較して汚染に対する高い耐性を示すティアマット人でも、汚染が平気なわけでもない。奇形児の出生率はどうしても増加するし、きっと寿命も縮まっているのだろうが、他に食べられるものがなければ仕方ないのだ。

  土地に拠っては、一帯の大地が汚染されて、まともな食べ物が滅多に手に入らないことすらあるのだが、その点、農業に適した土地が多分に残されている点で【町】は恵まれていた。

  兎に角、サラは貴重な甘味を味わいながら、傍らで談笑している二人の仲間に視線をくれる。


  非力で体が小さいというのは、特に野蛮な土地では単純に生存競争で不利となる。

 サラの故郷は、辺境に孤立した小さなコロニーの一つであった。

  人類社会の大部分と隔絶した状況に置かれた、しかし、ティアマットでは割とありふれた閉塞感溢れるコロニーで、幼き日のサラは、幾度となく強者や多勢に食べ物を奪われ、踏み躙られてきた。

 サラに限ったことではない。食べ物の乏しい土地では、力ない者は多くを奪われる。

  子供たちの間にも例外はなかった。体の大きな者は容赦なく拳を振るい、小さな者は騙し、僅かな食べ物を奪い、掠めようとする。


  弱肉強食の世界で、生きる為なら何でもする人々の姿を間近にまざまざと見せられるうちに、サラのうちで何かが少しずつ摩耗していった。それは魂と呼ばれるものかも知れないし、感情かも知れなかったが、兎に角、サラが無法めいたコロニーで生き延びることが出来たのは、ひとえに祖父に助けられたからでもあった。

 ただでさえ乏しい収穫から、やせっぽっちの小さな孫に食べ物を分け与える祖父は、皮と骨だけの木乃伊みたいになりながらいつも笑っていた。

  祖父の下手糞なハーモニカの音色に耳を傾けながら、肉親が命を削って自身を救っているのだという事は、幼いサラにも理解できた。


  村を囲む壁の外は巨大昆虫彷徨う凶暴極まる生態系。共同体内部では弱肉強食の容赦ない生存競争と騙し合い。

  巨大昆虫や人から隠れて、防壁の外に広がる茫漠たる漆黒の砂漠を眺めながら、サラはただ生きる為だけに生きてきた。

  外の凶暴な生態系に立ち向かおうにも、銃弾をも弾く巨大蠍の群れ相手では分も悪く、分厚いが劣化した見掛け倒しのコンクリート防壁に守られながら、コロニーの住人たちは痩せた土壌からとれる芋や地下に生息する小動物や昆虫を命綱に細々と命を繋いでいた。


  外に出かければ、蟲に命を奪われ、内で過ごせば、人間に狙われる。人のうちに潜む獣性と相反する人間性の両方をまざまざを見せつけられる日々だった。

  自然と人間の悪意の双方が降りかかるコロニーの生活はそこそこ過酷な代物だった。

  容赦なく淘汰されていく同世代の子供たちの中で、一定の年齢まで生き残ったのは、生まれた赤子の半数にも満たず、生存者の中にサラが含まれていたのは、幼少期だけとはいえ、祖父の保護があったからだろう。

  感謝するべきなのだろうか。幼い日に尊く感じられた気持ちさえも、今は摩耗してよく思い出せなくなっていた。


 ある日の朝、血まみれになった祖父の死体が肥溜めに浮かび、祖父と二人で切り開いた廃墟ビルの谷間の小さな畑が叔父の持ち物となって、サラは何かを諦めた。

 かつて二人で見つけた空き地に作り上げた畑で、叔父一家に奴隷のように扱われながら、楽しかった思い出も屈辱と苦痛に塗りつぶされていく。

  理不尽かつねじくれていると理解しながらも、祖父を怨むことさえあった。

  人として扱ってくれる相手がいなければいないで、諦めがついてもっと早く楽になれたかもしれないし、いっそ獣になれたかもしれないと思わないでもないのだ。

  心のうちで貴重なのだと信じていたものまでもが色褪せて価値を失い、崩れ始めた頃、外から流れ着いたのだろう。余所者を防壁の近くで見つけた。


  身振り手振りを交えた交渉の末、コロニーや周囲の危険な生物の情報。そして銀のハーモニカと引き換えに、外の世界の地図と僅かな食料を入手したサラは、そのまま故郷の村を飛び出した。


  何とかなるとも思わなかった。多分、野垂れ死ぬだろうと思いつつも、コロニーにはうんざりしていた。

  人間性を保つことが日々、困難になりつつあった故郷に見切りをつけて手近な【町】へと流れ着いてみれば、似たような境遇の連中が有り触れていた。ティアマットには、やはり救いはないらしい。

  兎に角も、物心ついた頃には、四六時中に死を意識するほどの暴力に晒されていた所以だろうか。

  危険な土地に生きるティアマット人の平均に比しても、サラは嘘と危険の匂いを嗅ぎ分けることが出来た。

 それとなく周囲を観察して、四六時中に気を抜くことがない。

  他者を警戒するのがサラにとっての自然な状態であった。生まれた環境が培った天性の都市斥候だが、しかし、曠野ではその能力も十人並といったところだろう。

  他所の部族やら軍隊には、先人から経験知やら、積み上げたノウハウを引き継いだり、教材を元に効率的に訓練された斥候もいるだろう。そうした者たちのうちには己を上回る能力の持ち主がいても不思議はないし、高度な機械やら、人海戦術でも、ある程度は能力の代替も効くのだ。


  未だ出会ったことはないが、世界の何処かには、己を上回ってより感覚の鋭い上手い都市斥候もいるかも知れない。朧気に理解しつつも、同時にティアマット人の平均からしても、危機感知センサーの鋭さだけは、それなりに高い水準にあると自負しているサラだが、しかし、自身に欠けている部分が多いこともはっきりと自覚している。

 シャルとレーゼは、サラよりも教養に恵まれている。ポストアポカリプスな世界で、どうやって学んだのか。地理や医学について会話を交していることがあった。

  特にシャルロット。薬物や建築の知識。果ては化学式に数式、音楽、芸術、文学まで広範な範囲で深い造形を誇っている。

  時々、レーゼがシャルをお嬢さまと皮肉るが、しかし、実際のところ、サラからすると原子記号を空で言えるレーゼも大概だ。二人の会話が高尚過ぎてついていけない時がある。

  惑星ティアマットでは、知識は飾りではなく、生きる力に直結している。

  二人の受けた教育に、いささか羨望の念を覚えることがある。大半の人間は、保有する精神エネルギーにそれほどの違いはないだろうが、普段から警戒に少なからぬリソースを割いているサラは、他の分野ではレーゼやシャルに比して劣っているか、疎かになっているに違いない。


  生来、寡黙なサラだが、幸いというべきか。他者には孤立した集落の出と知られている為、端的な単語で会話しても奇矯な目で見られることは少なかった。

  一から話し方を覚えなおす為、確実に覚えた正確な言葉だけを使う同類の辺境人は少なくない。

  辺境から出てきた者には、珍しくもない口調なのだが、正直、仲間たちとの教養の差にコンプレックスを覚える時もあった。

 これが町の人間の平均値なのか。それともレーゼとシャルはかなり賢い部類なのか。

  教養に欠けている上、地頭の出来が良いとは言えないサラは、実のところ、勉強しようにも方法も分からぬ。頭の悪さが露呈しないように必死な日々であった。

 いや、露呈してもハブるような仲間ではなかろうが、やはり出来れば足を引っ張りたくはない。

  一方ではレーゼも、シャルも、自分たちが持っていない鋭い感覚をサラが自然と備えていることには早々に気づいていたし、本でも読めば誰でも覚えられる知識と違って、早々、代替の効かない腕利きの斥候であるサラに抜けられると困ると考えていた。


  友情は感じているが、互いに用心ぶかく、手探りに人格や能力を探り合っている段階でもあった。

  今のところ、互いに利用価値を見出してはいるので関係は長く続くかもしれないし、あっさりと破局して別れることになるかも知れない。

 サラは、レーゼとシャルを気に入っているが、レーゼとシャルがどう思っているか本当のところでは分からない。

  今のところ、対等の立場で分配の条件も悪くないが、お互いに変わりとなる人材がいない訳でもないのだ。

  愉快な友人は容易く作れても、気を許せる仲間は、早々出来るものではない。


 それでも、三人で過ごすのは、ひどく居心地がよかった。安らぎを覚える。

  辺境出身でどちらかと言えば人間関係の構築が不得手なサラだが、レーゼとシャルに関しては、気のいい連中だと気に入っていた。チビの辺境人のことも対等に扱ってくれる。

 だから、よほどでなければ、しばらくは此の侭、共に行動していたいと思っていたのだ。


  将来、袂を分かるかも知れないし、或いは、終生の友になりえるかも知れない。

  若者たちの未来は、未だ定まっていないが、ガレットを齧っているこの瞬間、サラは生きててよかったと数年ぶりに幸福を感じていた。



 レーゼと対面の席に付いたイエローは、目を皿のようにしてテーブルの上を見つめていた。

 二人の目の前には、ブリキ製の皿に盛られた腸詰ヴルストが置かれている。

 懐に余裕があるとき、レーゼはたまの贅沢として好物の腸詰を注文する。

 ドレスの少女の食い入るような視線は、ブルストを摘まんだレーゼの指先を追っていた。

 腸詰が噛み千切られると同時に、パリッと弾ける音が響いて肉汁が飛び散った。

【町】の地下で飼育されている豚が原材料だが、味は悪くない。

 眼前の食事風景を、イエローは口元から涎を垂らして見つめていた。


 イエローの視線に気づいたレーゼは、にやりと笑みを浮かべた。意地悪そうな笑みだった。

 ヴルストにフォークに刺し、少しだけイエローに近づける。

 イエローの目の前に近づき、無意識のうちに口を半開きにした少女の目前。

 ひゅいとフォークを引っこめると、レーゼは自身の口元に運び、ヴルストを噛み千切った。

 もきゅもきゅと音を立てて飲み込み、ビールを口元に運んで一気に胃の腑へと流し込む。

 砂麦製のビールは苦みが強すぎる上に、生ぬるかった。

 よく冷えた方がレーゼの好みだが、それでもビールに違いはない。

 ふ、と満足そうなため息を漏らしたレーゼが、押し寄せる幸福感に肩を震わせた。

 涙目になっているイエローの頭頂部で、ふるふるとコサージュが揺れているのを見て、愉快そうに鳶色の瞳を細めた。


「意地悪いなー、レーゼは」

 リーダーであるシャルの嗜めるような言葉に、レーゼは肩を竦めた。

「うん?心外だね。イエローちゃんは、かなり稼いでいるじゃないか」

 確かにイエローも、成果だけを見ればギルドにそれなりの代物を持ち込んでいる。

 古い空き缶やら薬莢、食べられそうな虫や小動物は勿論、時にゾンビや変異獣彷徨う市街や地下鉄にまで遠征するのだろう。金属部品にケーブルの類、衣服類、古い本などを持ち帰ってくることもある。

 結果として、獲物が重なることも少なくない。

 目をつけていた廃墟や狩場を先に漁られたことも二度や三度では効かない。


 戦利品の質量だけ見れば、シャルたちの三人と同じか、それ以上に持ち帰っているかも知れないイエローだったが、この仕事上のライバルはソロ活動で、しかも、哀しいかな。致命的な程に世間慣れしておらず、もの知らずだった。

 商品の大体の相場も知らず、口下手で交渉の技能にも欠けている為、せっかくの戦利品も買い叩かれることが常である。反対に必需品を購入する際も随分と割高にならざるを得ない。少女一人と見くびって、吹っ掛ける売り手も少なくないようだ。安目に揃えた食材で人数分を作るなど節約も出来ない。そして何より、安全の確保にも金が掛かるのだ。


 結果として、稼ぎは悪くないのに、年がら年中、金欠状態に陥っているイエローであった。

 そうした事情を知っているだろうに、いや、だからこそか。縄張りを散々に荒らしながら、その癖、戦利品を安売りして市場の商人たちにいいように利用されている無知なイエローの姿が、同じハンターの端くれとしてレーゼには色々と腹立たしかった。


「……どうしたの?」

 意地悪く聞きながら、二本目のヴルストをイエローの目の前に今度は指でぶらさげるように持っていき、喉を鳴らした花飾りの少女の前で、ひょいと素早く自分の口元に運んで、ぱくりと飲み込んだ。

「……Schadenfreude (他人の不幸は蜜の味)だね」

 指に就いた脂をぺろりと舐めとったレーゼは、気の毒なイエローを揶揄うことを止めようとしない。

 厭らしく笑いながら、最後のヴルストをイエローの目の前で、少しだけ揺らしてから、口元に運ぼうとして……がぶりと指ごと噛みつかれた。

「んあー!」


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