とある冬の日 午前
ホールの奥。回廊への出入り口脇には、変異牛の糞に藁などを混ぜ合わせた燃料がうず高く積まれていた。
上から潰した円盤状の乾燥燃料は、意外と強い火力を持っていて、安定して長時間燃え続ける為、暖をとるにも料理を作るにも適していた。煙は多く出すものの、木材や貴重な精製油を節約することが出来るので、ティアマットではかなり裕福な都市民でも、天然由来の燃料を使用している土地は多い。
植物繊維を多く含む家畜の糞は、古代地球世界でもインドやアフリカ、アラビア半島、中央アジア一帯など放牧に親しんだ文化圏で長く使われてきた伝統的燃料なのだが、異世界人の中にはカルチャーショックを受ける者も少なくない。
荒廃世界のこうした生活様式を見て、高度文明惑星からの来訪者……例えば、あのギーネやアーネイなどは、どう感じるだろう。
最近、色々と師事を仰いでいる異界人たちの反応に思いを馳せつつ、シャルは混沌とした大ホールから抜け出した。
薄暗い廊下に出た途端、サラが大きくくしゃみをした。
外との気温差に沸いてきた生欠伸を強引に噛み殺しつつ、シャルは足を速めた。
日暮れが迫ってきたのか。窓から差し込む光も衰えてきている。
天に流れる雲の海が、燃えるような黄金と揺らめく紫に染まっていく。
後にしたホールで大勢の人々が囁きあい、身じろぎする気配が、背後から踏み込んだ無人の廊下へと絶えず響いて、白昼夢から迷い出たような奇妙な名残を感じさせた。
実際の人数以上に感じられたのは狭い箇所に犇めいていたからか、壁に影が踊っているからか。
静寂に包まれた薄暗い廊下を、白いと息を漏らしながら歩き続ける。三人の足音だけが反響している。 と、ほどなく、なんとなく見覚えのある廊下へと出ることができた。
「遠回りしすぎたかな、不親切だよ」
沈黙していると静寂に飲まれそうな気がして、敢えてぼやいてみる。
今の時間帯なら、食堂へと行けば誰かしら顔見知りを見つけられるだろう。
其処から先は記憶に残った備品や壁の落書きを頼りに、大食堂へ続く方角へと道のりを辿った。
大食堂へと到着すると、広大な食堂の内部には、やはり大勢の人間がこれも怠け者っぽい雰囲気を漂わせながら、思い思いに寝そべったり、椅子にくつろいで歓談に興じていた。
ギルドの食堂は、安価でそれなりの量と味の食事を提供している。
食堂に隣接した大部屋などは、床に毛布が敷かれ、古びたカーテンや毛皮、衝立などで仕切られており、冬ごもりの為に貸し出されたのだろうか。此方の空間は、それなりの代金を取られるかも知れないが、快適そうに見えた。流されるラジオやレコードを背景に談笑している家族もいれば、備え付けのテレビで崩壊前や外世界の映画に見入ってる若者たち。演奏されるギターを囲んで静かに聞き入っている一団もいる。
少なくとも、先だって訪れたホールよりは穏やかな空気が流れ、清潔で過ごしやすそうに見える。
ティアマットの冬は厳しい。かつて数百億の人口を誇ったティアマットの衰退過程を振り返れば、大崩壊の破壊そのものよりも、その後の流通機構とエネルギー供給の遮断の方がこの惑星に多くの死者を出したことに間違いはないだろう。
現状、事態はより悪化しているとも言える。
冬は食べ物が乏しくなる。死者が出ることも少なくない。
流通も存在しない。生産に必要なエネルギーも確保できず、肥料も使い果たした。
高度な工業製品は、部品一つ作るにも土台となりえる広範な科学と技術の土台が必要とされる。
自然エネルギーを活用しようにも、空はつねに分厚い雲に覆われ、大型の風車や太陽電池の生産も難しい。
世界は中世に逆戻りしつつあった。そして、かつて人々を暗黒時代より引き揚げた膨大な天然資源はすでに蕩尽され尽くされている。
黄昏に包まれた惑星ティアマットは、静かに死を迎えつつあるのだろうか。稚拙な農業技術と危険を伴う狩りで狭い範囲から搔き集めた食べ物を貯めこみ、屋内でひたすらに寒さに耐え忍ぶ暗鬱な季節。希望は見えず、自ら命を絶つものも少なくない。
窓こそ存在しないが、大食堂は天井から吊り下げられた光源が室内を隈なく照らしていた。
一説には、一万年後でも作動しているなどと言われる半導体樹脂の照明は、無人となった死都の繁華街などでも、そこだけを往時のように照らしていることもある。
明かりの下だからだろうか。屯している人々の身形は、先刻の音楽ホールに比べれば、多少は整っているように見えた。
先刻、ホールで遭遇した連中は、体にぼろ布を巻き付け、或いは所々がほつれた衣服らしき残骸を何枚も身に着けているだけの、まるで廃墟民のような酷い形の主も少なからずいたが、此方に屯っているのは曲がりなりにも上着とズボン、外套などをきっちり着込んだ人物が多かった。
(例え、その衣服がよれよれで、袖口が擦り切れていてもいたとしてもだ)
冬眠の動物のように無気力に寝転がる者もいるが、顔を突き合わせて何やら話し合ってる様子の一団に、カードやサイコロを使っての遊技に興じている者たちもいて、時折、笑い声も響いてくる。
良くも悪くも生き方にゆとりを持っているのだろう。
見たところ、ハンターや暇を持て余してる感じの庶民などが多い印象を覚えた。
シャルたちの見知った顔も幾らかは見かけることができた。同業のハンターや物資を漁るスカベンジャー、虫取り人に自由労働者、牧人と職人に幾らかの工場労働者。
対して農民の姿は殆ど見なかった。農業従事者は、大抵が纏まって農業コロニーに暮らしているからだ。
ティアマットは何処でもそうだろうけれども、特に大地が汚染されたノエル東海岸では、農業に利用できる土地はほんの一握りでしかない。
まるで中世初期の欧州世界のように、一握りの土地から生み出される穀物が人口を支えていた。
暗黒の森に包まれた中世で人々が森を切り開いて世界を広げていったのに対して汚染は年々、拡大して、残された土地を徐々に蝕んでいるという違いはあったけれども、閉ざされつつある世界で人々は今日も変わらず、殺し合ったり、憎み合ったり、愛し合ったり、助け合ったりしていた。
(あー『イエロー』見っけた。
あっちでチェッカーしてるのは『ギイ爺さん』と『バンダナ』か)
知った顔見つけた為か、へにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべたシャルは、顔見知りのハンターたちが固まっている一画へと近づいていった。
イエローやバンダナなどは、知人のハンターだった。あだ名だけで本名は知らない。
ただ適当に与太話をかわすだけの仲でしかなく、向こうもシャルの名前さえ覚えてないかも知れないが
(特に親しい訳でもないけど、やっぱりホッとする)ので、ミルク粥を口に運んでいるイエローに話しかける。
イエローは少女だ。黄色いドレスの残骸を纏い、常に黄色い花飾りをつけているのでイエローと呼ばれている。
黄色い花飾りは、イエロー曰く『かあちゃん』らしい。形見だろうか?
廃墟生まれなのだろうか。イエローは言葉遣いも覚束ない上、兎角、食べ方が汚かった。
行儀もクソもない。ナイフもフォークも箸も使わず、手づかみで掴んで食べる。
まるで動物のような食べ方で、そこだけは流石に不快感を覚える。
正直言えばシャルは内心、幾らかイエローを見下していた。が、嫌っている訳でもない。
人は、生まれを越えられない。誰もが制約の中で生きていると考えている。
イエローは、恐らく孤立した廃墟の集落か、荒野の部族の出なのだろう。
或いは、遺棄されたコロニーの僅かな生き残りか、地面の下に張り巡らされた地下世界出身かも知れない。生まれ育ったのが、行儀など気にしてられないほどに食糧事情が厳しい土地やも知れない。
目の前に立ったシャルに気づいたイエローは、屈託のない。というより、むしろ何も考えてなさそうな笑みをにまーっと浮かべて、小犬のようにシャルを見上げている。
「イエロー。元気?」
「いひっ!げんきぃ」
奇妙な叫びを漏らして、コクコクと肯いてくる。
イエローは、言葉遣いが覚束ない。が、だからと言って知恵が足りないとも限らないし、思考力が低い訳でもない。
そもそも、愚か者は廃墟で長くは生き残れない。
イエローは、幼少時から廃墟で生き延びてきた。
幾度となく遺構に潜っては、売れそうな代物やら食べられる虫や小動物を持ち帰ってきている。
私より頭がいいとは限らないが、少なくともバカではない。とシャルは思っている。
イエローなりに頭を使っていることは間違いない。
多分、幾つかの分野ではシャルより狡猾で、有能なのだろう。熟知した縄張りにおいては、間違いなくシャルよりも強い。
レーゼも、サラも、ある意味、シャルロットと同類だ。文明の残った町や村で生まれ育ち、ある程度の教育を受け、ものの考え方や捉え方がよく似ている。
だからこそ組んだ。人格も、それなりに信用できる。用心深いし、運動能力も低くはない。が、逆に言えば、それだけだ。
三人寄れば文殊の知恵とも言うが、賢愚の個体差はあっても発想に異質さは生じない。
対するイエローは、全く突拍子もない行動や戦術を採ってくる未知の恐さがあった。
一度だけ見たが、狩りの時、地面に穴を掘って潜っていた。
意表を突かれた。状況によってはシャルたち3人を簡単に仕留めることも出来るのではないか。
そんな恐さも心のどこかにあって、侮る気にはなれないのだ。
「ほら、汚れてるよ」
「んふー」
口元にこびりついている粥を見たシャルが、イエローの口元を予備のハンカチで拭いてやる。
体格は小柄で痩せている。年齢は10歳くらいだろうか。
栄養状態は良くなさそうだから、本当はもっと年上かも知れない。
「いひー」
口元を大人しく吹かれたイエローは、嬉しそうに奇声を漏らしてから、再び、手づかみでミルク粥を食べ始める。
苦笑したシャルは、テーブルを一瞥すると食堂の窓口に立っている不愛想な中年女に問いかけた。
「おばちゃん、そば粉のガレットはある?」
「1クレジット」
懐にそれくらいの余裕は、シャルロットにもあった。
「蜂蜜掛けてくれる?」
「1クレジットと20だよ」
「はい」
緑の紙幣を一枚と崩壊前の少額コインを幾つか差出し、そば粉のガレットを受け取ると仲間へと手渡した。
「ほら。お望みのデザートだよ」
「違う。これ、クレープ違う」
ふるふると首を横に振るサラ。
シャルロットは、菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべて肯いている。
「お代わりもいいぞ」
「うー。クレープ」
「いらないなら、私がもらうけど」
ため息を漏らしたシャルが立ち上がると、ガレットを抱いたまま慌てて飛び退ったサラは、仕方なしに口へと運ぶ。
望みのものと違っても、やはり甘味は嬉しいのか。
はふぅと幸せそうなため息を漏らして、一口一口齧っていく。
注文したヴルストを肴にビールを啜っていたレーゼが、その光景を見てくつくつと笑った。
「今の関係が気に入ってたからね。よかった。よかった」




