Globeだぞ。Crepeじゃないぞ。
市民居住区でもかなり中心に位置しているホテル<ナズグル>の裏口は、中央公園通りに面している。
かつてティアマットが富み栄えていた時代に住人の憩いの場であった市民公園には、壊れた遊具が転がっており、日中は鍛錬や情報交換を行うハンターたちが屯し、夜間には上空からのミュータントの襲撃に備えて民兵が待機しつつ、ドラム缶でタイヤを燃やしている。
灼けた鉄板の上に、薄く引き延ばされた小麦粉のタネがパテによって見事な円形に広がった。
ほんのりと焦げた小麦粉の食欲をそそる香ばしい匂いが一面に香り立つ。
「ほわぁ」
閑散とした公園の広場で営業している屋台の前で、ハンターのサラは足を止めた。
仲間たちに向かって振り向くと、まるで大発見をしたかのように興奮した声でチームリーダーに呼びかける。
「リーダー。クレープが美味しそう!」
リーダーのシャルロットが深々と肯いた。
「そうだね。一枚4クレジットなんて、きっと食べても味が分からないんじゃないかな」
シャルの返答が理解できないと言った風情で、サラは繰り返した。
「クレープが美味しそう!」
「繰り返さないでもいいよ」
「クレープがとても美味しそう!」
「修飾語を付け足さなくてもいいよ」
壊れたレコードのようになったサラを前にして、シャルは両掌を前に出しながら首を横に振っている。
解せぬ、と言いたげに首を傾げるサラに、シャルは説明を試みた。
「サラ。ここで問題です。
私たちは、朝の狩りで蟹虫を6匹捕まえました。
これは一匹0.6クレジットで売却できます。
帰りに4クレジットのクレープを買うとしたら、さて、残りは幾らになるでしょう」
サラが肯いた。理解してくれたらしい。
シャルがそう思った時、この小娘は自信満々に答えを口にした。
「美味しさはプライスレス」
こいつ、なに考えてんのかな?と、シャルは訝しげな視線でサラを見つめる。
そんなにバカではないと思っていたサラだが、何も考えてなさそうなつぶらな瞳でシャルを見上げていた。
「……倹約して共同で装備を買う資金にするって、先日、話し合ったよね?
高くて買えないから一つずつ買うって」
シャルの言葉を受けて、サラが屋台を指さした。
「うん、みなでクレープを買うと言った。丁度、そこで売ってる」
「買うのは、クレープじゃない。グローブだ」
「そうだっけ。メモ帳を見せてくれる?」
シャルは手帳を手渡した。Globeと書いてある。
じっと見つめたサラが、手帳を返してきた。
「リーダー。記憶違い。クレープって書いてある」
文字が強引に書き直されて、Crepeに書き換えてあった。
輸入品の小麦を使ったクレープ。1枚4クレジット也。
購入するだけなら可能と言えば可能であるが、一日の稼ぎが軽く吹っ飛ぶ値段である。
正気の沙汰ではない。値段からして、市民権を保有する富裕層向けの嗜好品であろう。
居住権は愚か、滞在許可や住民登録さえ持ってない流れ者のであるシャルやサラが軽々しく口に出来る食べ物ではなかった。
だいたい、半クレジットも払えば、市が安く専売している砂麦を腹が裂けるほどたらふく食べられるのだ。砂麦なんぞ口にするのは御免だと言うのなら、虫肉や芋だって買える。4クレジットあれば2~3日は喰い繋げるだろう。
奇妙に優しい表情を浮かべたシャルが、サラに尋ねてみた。
「サラ。手先を保護するグローブと、一時の欲望で消えてしまうクレープ。
どっちの方が大事だと思う?」
「クレープの方が美味しい」
自信満々の笑顔で薄い胸を張るサラを見て、シャルは軽く拳を握ってから仲間の横隔膜に叩き込んでみた。
「げふっ!いたい!なぜ?」
脇腹を手で抑えながら悶えているサラに、シャルが哀しげな顔を向けた。
「殴る方も痛いんだよ?」
「……なんという暴君の理屈!」
「ほんとだって。主に手が痛い」
「いや、その答えはおかしい」
「おかしいのはお前だ」
「なんで、そこまでクレープに拘るのさ」
シャルが眉を潜めて尋ねると、これまで我関せずと雲梯で懸垂していたレーゼが運動の手を休めた。
漫才を繰り広げている仲間たちに振り返って、事情を説明してくれる。
「こないだ、ギルドでお姫さまが食べてた。
で、それを見てから、そいつ。ずっとクレープ、クレープって」
「……クリームがたっぷりで苺とチョコが乗っていて、ナッツがちりばめられていて」
どうやら思い返したらしく、サラはうっとりとした表情を浮かべていた。
表情は恋する乙女であったが、口の端から垂れる涎で色々と台無しだった。
「ああ、一度でいいからクレープ食べたい。食べれたら、もう、人生で思い残すことはない」
「……それほどか」
しかし、ギルド食堂のクレープは、1枚12クレジットであった。
狂った金額だが、富裕な市民やギルドの幹部職員には好評らしい。
裕福な隊商の頭目などが食べている姿をシャルも2、3度は見かけているが、しかし、彼らにしても贅沢であることに変わりはなく、よく味わって食べるのが普通だった。
「あの人たちと私たちじゃあ、腕が違うよ。お菓子一つに12クレジットは出せません」
ぴしゃりと言われて引きさがるかと思いきや、サラは諦めが悪かった。
「6匹中、4匹を私が見つけた」
「でも、仕留めたのは一匹だけだよね」
元々、滅多に不満を口にしないサラが奇妙な。
違和感を覚えつつも、シャルは要望を却下する。
小柄なサラは、鋭い目と観察力に優れているが、体力には欠けていた。
彼女にとってもシャルやレーゼと組むメリットは大きいはずだが、なぜか不満が溜まっているようだ。
「……我慢は何時まで?」
「うん?」
サラの意外な言葉にシャルが目を瞬いた。
「また、蟹虫の塩焼きと芋スープ?」
「ついこないだまで砂麦の粥さえ口に出来ないで、虫や水草を食べて飢えを凌いでいたのに贅沢だなぁ」
シャルがたしなめるが、サラの頬が膨らんでいる。ある種の栗鼠のようだ。
「私たち、誰がいつ死ぬか分からない。
単純に、装備を整えれば収入が上がるの?」
運が悪ければ狩人はあっさりと死ぬ。
どれほど用心深く振る舞おうが、考え抜こうが、死神が気まぐれを起こせばすべてが一瞬で終わる。
シャルも、サラも、レーゼも、死を意識しない日はない。そんな人生を過ごしていた。
「グローブ一つで怪我を防げるかも知れない。
生存率は、少しでも上げるべきだよ」
強弁したシャルの声は、やや掠れていた。
「グローブで?生存率が上がる?
プロテクターやら、防弾チョッキやら身に着けても、帰ってこなかったハンターは山ほどいる」
「……だから、なに?なにが言いたいの?」
サラからすれば、シャルの計画は無駄な努力に見えるのだろうか。
気難しげにシャルが片目を瞑った。
抗議を続けるサラだが、どうやら単純にクレープが食べたくて駄々をこねてる訳ではないらしい。
「リーダーは、もっと上を狙ってる。違う?
でも、私は今のままで充分。難しい仕事に挑戦する必要なんてない」
「ずっと蟹虫を獲り続けるつもり?見つからない日もあるし、怪我だってするかも知れない。
どんなに慎重に振る舞っても、危険が在ることに変わりがないなら……」
「危険に踏み込む必要はない。今の侭でも、生きていける。
時々、ちょっとした贅沢もできる」
サラの眼差しは、重く暗く澱んでいる。
真正面から受け止めたシャルロットは、自分も似たような目つきになっているだろうと、なんとなく思った。
傍らから、くつくつと笑い声が響いてきた。
レーゼだ。
錆びかけたジャングルジムに寄り掛かり、腹を抑えておかしそうに笑っていた。
「なにがおかしいのさ。レーゼ」
やや険悪な口調でシャルが睨み付けるも、噛みつかれたレーゼは涼しい顔で肩を竦める。
「互いに、主導権を握ろうとしてるのがね。
いや、悪い事じゃない。2人とも先の事を考えているんだから。
チームの在り方は、よく話し合って決めるべきだしね」
言いながら、レーゼは笑うのを止めようとしない。
皮肉っぽい冷笑を浮かべたまま、シャルとサラを見比べている。
「それにしても、人間って言うのは不思議なもんだ。
この間まで、水路をさ迷い歩いては水草や虫で腹を満たしていた人間が、菓子を喰えないことに不満を洩らし、弟を養う為に身売りをするかと悩んでいた姉が、装備を買う為の金が溜まらないと仲間を詰るのだから」
「詰っては……ないよ」
きまり悪くなって、シャルは口籠った。
共に過ごした時間は信頼を重ね、理解を深めた。が、同時に幾ばくかの不協和音も生じている。
チームを解消するほどではない、とシャルは思っていたが、そうでもないのだろうか。
ハンターにとって狩りは生きる為の稼業に過ぎない。徒党を組むのは、それがソロ活動よりも効率的だからであって、家族や親友、恋人など特に親しい訳でもなければ、あっさりとチームが解散することも珍しくないのだ。
議論に水を差されたシャルは、サラを見つめた。
サラもシャルを注視していた。サラの瞳には、冷ややかな光が浮かんでいた。
決別して構わないと考えているのか。
チームを組むのは、獣が生き残る為に群れをつくるのに似ている。効率的に狩りが出来るから組むのであって、美味い餌が貰えないのなら群れに所属する意味はない。シャルがサラを切る可能性があるし、サラもシャルを見限る可能性が在る。
サラは、離れるだろうか。それとも条件次第で留まるだろうか。ここでサラが離脱したとして、代わりが見つかるだろうか。
荒野や廃墟では、一人のミスは、容易く全員の死に繋がることもある。迂闊な奴を仲間に入れる訳にはいかない。
サラは、けして悪いメンバーではない。かつて帝國貴族がシャルに対して告げた、仲間に要求する最低限の資質。慎重さと冷静さを兼ね備えている。それは、レーゼもそうだし、シャルも可能な限りにそうあろうと努力していた。
忠告を受けての獲物を持っての素振りも様になって来ているし、帝國人たちの鍛錬を見て勝手に見習った柔軟体操と走り込みも日々、欠かすことはない。
シャルは思考を切り替えることにした。
片目を瞑ったまま、サラを凝視するように見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「信用できる人間は滅多にいないよね……お互いに」
サラは今のところ、人格的にも能力的にも水準以上だった。決して貪欲ではないし、努力家だ。今の今まで、取り分に不満を漏らしたこともない。
やや寡黙で体力には劣る面はあるが、思慮深い性格と観察眼の鋭さは、シャルやレーゼに足りない部分を補ってもいる。
「……喉が疲れた」
サラも呟いた。和解のシグナルだろうか。シャルロットは、肯きながら妥協することにした。
「お腹も空いたね……ギルドの食堂に行こう」
此のチームとて、利害の共有で集まっただけに過ぎない。
仲間の考えを意識しなければ、何時分解しても不思議ではなかった。
何時までも未熟なままでは、ティアマットで生き延びることは難しいだろう。




