Wind-Grove-Fire-Mountain 風林火山
文明崩壊前に旧市役所があったビルには、現在、ハンターギルドの支部が置かれていた。
【町】中心の市街地からやや外れた下町と市民区画の境界に位置している中層ビルは、立地的には商工地区や市民区画から、流れ者が滞在する下町まで万遍なくアクセスが可能で、人手を集める際に利便性の高い外縁地区まで通りが繋がっている。
護衛の傭兵や貴重品の探索者を探す商工業者から、資材や工具を求める職人や技術者。
医薬組成物のレシピを求める医者に、古い資料を求める学者もいれば、ミュータントの剥製から恐るべきクリーチャーの生け捕りを求める好事家、蒐集家まで、利用する客層は幅広い。
登録者も、上は盗賊団を狙うような賞金狙いの武装集団や、虎やライオンよりも危険な変異獣を狙う凄腕の狩人に始まって、下は廃墟を漁って木材やゴム、鉄屑を拾ってくるスカベンジャーにその日暮らしで汲々としている虫狩りまで揃っている。
旅の行商人や流れの技術者などが、道の情報を売買する為に訪れることも少なくない。
だが、その日、ギルドの受付に現れた一団は、利用者でもなければ登録者でもなく、旅行者にも見えなかった。
ハンターギルド職員のエリナ・ヴィーボックは、ギルドの上司から呼び出しを受けた。
椅子と机が一そろいおかれただけの殺風景な部屋が上司。
正確には上司の上司のそのまた上司をであるボードマンの執務室であった。
戸棚には、契約書や名簿が乱雑に積まれている。
「町の案内ですか?」
普段は話すこともない上役を前にしたエリナは、緊張を隠しきれず、やや戸惑って問い返した。
「そうだ。客人の監視を兼ねてな」
ボードマンが肯きながらそう告げた。
ボードマンは【町】におかれたギルド副支部長の一人である。
平凡な一職員であるエリナは、最高幹部の急な呼び出しに緊張を隠しきれず、戦々恐々としていた。
以前、ボードマンの不興を買った職員は、外回りに廻されている。
探索者に同行してのオブザーバー任務、殉職率年8%を上回る素敵な仕事だ。
前線の兵士もビックリなブラック消耗率である。
ガラスのひび割れた窓からは、支部に隣り合わせの野原を見下ろすことができた。
子供たちが放置された廃車に乗っかり、木剣やBB銃を振り回して遊んでいる。 ボードマン副支部長はなにを口にするでもなく、窓際に佇んで外の風景を眺めていた。
生殺与奪を握る権力者が不気味に沈黙を守っている間、待ち続けるエリナの喉は、緊張でカラカラになった。
思惑が読み取れないのが不気味でならない。
子供たちの遊び回る光景を眺めながら、ボードマン副支部長は机の上を指でリズミカルに叩いていたが、やがて顔だけエリナに向けて尋ねてきた。
「プロメテウス。知っているかね?」
眼鏡越しでもはっきりと分かる鋭い視線。
「……名前だけは。義勇兵の集団だと記憶していましたが」
眼鏡を上げつつ解答したエリナに、支部の全職員たちから恐れられている副支部長が肯いた。
「そう。義勇兵だ。だが、連中は単なる義勇兵ではない。一兵団ですらない。
強力な組織だ。高度に訓練された兵士と強力な武装を抱えている上、町ひとつを丸ごと拠点としている。
おまけにその町ベレスには、崩壊前のテクノロジーが色濃く残されているそうだ」
酷く苛立たしげな副支部長の声。
此処は無難に相槌を打っておこうか、それとも余計な口を聞かない方がいいか。
迷ったエリナだが、お腹が痛くなってきたので、もっともらしく肯きながら、今の心境を率直に表す言葉を吐いてみた。
「……厄介ですね」
ボードマンがエリナに射抜くように鋭い目を向けた。
掌に脂汗が滲み出てたが、適切な解答だったらしく、副支部長は肯いている。
「そう、厄介な連中だ。だが、正面切って追い出す訳にもいかない。
連中の大義は、人を惹きつける。何処にでもシンパが蔓延っている。
既に町の上層部が入れると決めてしまった。市長と議会の決定には逆らえん」
副支部長がやり場のない怒りで帯電しているようにエリナには感じられた。
脳裏には、何故か、年老いた両親、そして弟たちの顔が走馬灯のように浮かんでは消えていった。
「……プロメテウスは、外部の風評を過剰に気に掛ける。
それが時に、足枷になるとしてもな。
【町】中で滅多な事はするまいが、目は光らせておけ。
暴力沙汰は起こさないにしても、技術者などが引き抜かれてはつまらん」
もっともらしい表情を作ったエリナは、ストレスで唸りを上げつつある大腸を抑えるべく腹筋に力を入れた。自然と背筋が伸びる。
強力な外部勢力の使者を、あくまで友好的に振る舞いながらも掣肘しなければならない。
厄介な仕事だった。出来る事なら、回避したい。
そもそも、何故、自分に廻って来るのだろう?
ただの職員だ。誰かに押し付けられないかな。
「ですが、なぜ?ハンター組合の職員が随行を?これは役所の仕事だと思うのですが」
「勿論、役所からも人員が来る。
が、ハンターギルドは、一応、全国的な普遍性を有する組織と見做されている。
中立的で強力な組織の人員を立ちあわせれば、無茶はすまいと、そう言う目論見もある」
「ああ、でも、地元の私。本部……」
ハンター・ギルドは<協会本部>と各地の<支部>に別れている。
実体上はどうあれ、表面上は<協会>が各地の支部を統括する形となっている。
少なくとも、ギルドの採用試験で覚えた規則には、そう記されていたはずだ。
そして【町】のように大きな支部には、しばしば地方を統括する為に人員が派遣されてくることもあった。
謂わば、エリートだろう。もう一人の副支部長は、協会からの出向者であった。
対するボードマン副支部長やエリナは<町>で生まれ育った地元採用枠であった。
ギルドが見張ってるぞと教えたいなら、(ろくに顔も見たことの無い親戚のコネで)地元採用の自分よりも、本部から派遣されてきた職員に任せればいいんじゃないですか。つっかえつっかえ言いかけて、向けられた副支部長の視線の恐ろしさに言葉が止まった。
余りの恐ろしさに、何故か、変な笑いの衝動が込み上げてきた。
口元の引き攣った笑みを隠そうと慌てて掌を口元に当てる。
だが、目が笑ってるような気がしてならなかった。
「……いえ、なるほど。了解しました」
なるほどとは、よく分かってなくても、上司の意を理解していますよと示す万能の言葉である。
もっとも使い過ぎると効果が薄れる。
早く終わってくれと思いながら適当な返答をしたのに、何故か副支部長がひどく満足げに笑った。
不思議の国のなんたらのチシャ猫を思わせる、口元に亀裂が入ったような恐ろしい笑みだった。
「出向してきた連中はほとんど飼い殺しにしているが、それでも本部のエージェントとプロメテウスの接触は望ましくない。出来るだけ接触させるな」
止めてくれ。【本部】と【支部】の関係に考えを巡らせて応えた訳じゃない。
今さらに、失敗したと気づいたエリナだが、ボードマンの眼は不気味に光っていた。
エリナの脳裏に、地雷を踏み抜いたイメージが浮かんだ。
「市民や技術者の引き抜きはしないと、一応は公文書を差し出して来たがな。
約束を破ったとしても此方には連中に報復する力なんぞ殆どない。
……果たしてどの程度に信を置いていいものやら」
背中を向けたボードマンが右手を振った。
レオナは一礼して部屋から退出すると、出た足で其の儘、トイレへと駆け込んだ。
ゾンビ渦の発生、ミュータントの襲来、徘徊する異形の獣共、狂った戦闘機械群。
進行する砂漠化と汚染領域の拡大。
満ちて、溢れて、零れ落ちそうなほどの災厄が、今日も惑星全土に荒れ狂ってティアマットを蝕み、人類の存続を脅かしている。
むしろ、人類がいまだに存続しているのが不思議に思えてくるような凶暴な生態系の中、滞在している【町】でさえ、一年後には滅びていたとしても不思議はない。
非常事態に退避できるよう、帝國人主従は、町中と郊外に複数のセーフハウスを構築済みであった。
また混雑時にも短時間で災害エリアを脱出できるよう、町中に避難経路を設定してある。
何時でもホテルを脱出できるよう荷物も纏めてあった。
例え、【町】の存続が危ぶまれるようなミュータントの襲撃が起ころうとも、ギーネとアーネイは高確率で生き残るに違いない。
無論、ティアマットは非常に危険な世界だ。
ラジオ放送からは、連日のように何処かしらで居留地が滅びたとか、ミュータントに包囲されているなどと言ったニュースが流れてくる。
想定を遥かに超えるような災厄が降りかかって、ギーネたちの野望も命もあっさり潰える未来が訪れるかも知れない。それでも生き延びる為に、恐怖を抱えながら能う限りの人事を尽くすしかない。
煤けた絨毯の敷かれた廊下をまっすぐに進むと、二人はロビー前の貸金庫室へと入った。
貸金庫を開けると、中には緊急時に備えて預けてあった資金と武装、脱出用ルートの構築に用いた街路図などが詰め込まれていた。
「万が一の備えが活きることになりましたな」
「くふふっ。戦国時代日本の名将・武田信玄の格言に曰く、備えあれば嬉しいな」
「なるほど」
博識の誉れも高く古代地球の故事を語ったギーネに、アーネイも賞賛を惜しまない。
遺跡漁りで貯め込んだ現地通貨の札束を取り出すと、輪ゴムに纏めて幾つかに分けてあった束を、ギーネとアーネイは手筈通りに半分ずつ手に取った。
緑のギルド紙幣の束の一つはポケットに入れ、一つは靴底などに仕舞い込み、他所の土地でも使える中央銀行発行の高額紙幣は纏めてビニールに包み込んでから、下着の下に入れて容易く奪われないように隠す。
「ん……アーネイ、見ないでください」
自分の胸に紙幣を当てつつ、頬を紅潮させて熱いと息を洩らす帝國貴族。
「見やしませんよ、さっさと入れちゃいなさいよ」
「あっ……ふぅ。狭くて入らないです。入れるの……手伝ってください」
息を荒げるポンコツ主君を無視して、投擲も可能なダガーナイフを三本、アーネイは手に取った。
脇の下と腰のベルト、ブーツへと差し込んでから、ギーネに視線を転じた。
「……狭くて、ねぇ」
ブラジャーとの間がスカスカな主君の胸部装甲を眺めて、思わず嘲弄の笑みを浮かべてしまう。
「なっ、なんです?何が言いたいんですか?」
胡乱げな家臣の視線に取り乱したギーネの胸から、ずるりと乳バンドが零れ落ちた。
「……哀れな。見栄を張ってCカップなんか買うから、そんなザマになる」
「……っ!これ以上の辱めなど……くっ、殺せ!」
郊外のデパート跡で入手した黒い配色の大型バックパックに貴重品と現金、食料を手早く詰め終わった二人は、支払いを済ませるべく足早にホテルの受付へと向かった。
二人が通り過ぎたロビーのソファでは、若干二十歳の娘さんハンターが酒瓶を抱えながら丸まって、ひっくひっくと泣いていた。
「……まるで童のようだ」
僅かに瞳を揺らした帝國騎士に、ギーネが一瞬だけ強く目を閉じてから呟いた。
「……仕方ないのだ。在り方が違うのですから」
「惜しいですね。信頼できる人間は滅多にいません。特にこんな世界では……セシリアはその数少ない人間の一人です」
主君が意地を張ってるだけなら諫めただろうアーネイだが、生まれ育った価値観だけはどうしようもない。
名誉に対する感覚の違いは大きく、かつ生き死にの稼業に従事するハンターとして同業者である。
互いに致命の技を持つのが特に拙い、ちょっとした行き違いが命取りになりかねない。
吹けば飛ぶように人の命が軽く扱われるティアマットにて戦奴として生まれ育ったセシリアと、数多の種族が覇権を争う戦乱のアスガルドで、生まれながらの軍事貴族として教育を受け、戦役を生き延びてきたギーネ・アルテミス。
確かに距離を取った方がいいだろうな。とアーネイは思った。
友誼を結ぶには互いに覚悟が必要な相手だ、中途半端な気持ちで付き合うべきではない。
君命であっても盲従するつもりはないが、同時に主君の意志と気持ちを蔑ろにすることも出来ない。
幼馴染が決めたことであれば、その意志と気持ちを尊重するのがアーネイなりの忠誠心の在り方だった。
どちらが悪い訳ではないが、残念な結末に落ち着いた。
世の中に幾らでも転がってる話ではある。
気分は良くないが、仲間との別れも、大事な人の死も、今まで幾度となく経験してきた。
セシリアを哀れと想い、惜しいと考えたが、アーネイが足を止めることはなかった。
ホテルの受付に赴いた二人は、枕元のロッカーの鍵を返却して、受付にいたオーナーの少女に引き払うことを告げた。
「チェックアウトを」
「7クレジット」
支払いの際、カウンター越しにオーナーの少女がやや咎めるような視線をギーネ・アルテミスへと向けていた。
非難の視線に気づいた帝國貴族は、しかし、町の有力市民相手にも拘らず、冷たい表情を浮かべると、何も弁解せずにただ傲然と胸をそびやかしていた。
帝國貴族のうちには、誤解を受けても敢えて解こうとはしない人物が少なからず存在している。
それが苛烈なほどの誇り高さから来るのか、はたまた天邪鬼な性質なのか。
アーネイにも分らないが、高位貴族では比較的に穏やかなギーネ・アルテミスでさえ、その形質をしばしば露わにする。
戦乱の続く惑星アスガルドでは、国際政治による協調などなんの意味も持たない期間が長らく続いてきた。絶滅戦争が当たり前の母星において、帝國はただ一国。異次元からの侵攻を退け続けてきた。
他国を当てに出来ず、時に言葉も通じぬ、意志の疎通さえ困難な異星起源体との遭遇とそれに続く文字通りの生存競争。
8つもの巨大な次元門を内包する惑星アスガルドにおいては、様々な異種族が混合しており、人類に対する見方も様々だ。
美味なる餌、利用すべき資源、逆らう権利を持たぬ思い上がった奴隷、興味深いデーターを貯め込んだ脳味噌、収穫すべき知的生命、飼いならすべき家畜、真の教えを知らぬ哀れな異教徒、住みやすそうな新しい肉体、機械化していない未熟な段階の未開人、脳にチップを埋め込んでいない未コントロールの野生人類、醜い肌や容姿をした劣等種、邪悪な慣習を持つ根絶やしにすべき種族、虫けら、独善的、神の土地を不法に占有する蛮族、非生命体。
邪悪と言い、駆除の対象と断じて襲来してくる異種族相手の闘争において、窮地に追い込まれようとも意地を貫き、ただ一人でも戦い抜くことのできない貴族など生き残ることは出来なかった。
お嬢さまの態度が、敵を作ることにならなければいいが……否、いずれ必ず敵意を買うだろう。
人間とは、生まれ落ちた土地や文化に立脚する生き物だ。
生まれついての誇り高さが、異国の地においては、危険を招く時が来るやもしれない。
帝國貴族の宿痾か。アーネイは危惧せざるを得なかった。
「む、なにか言いたげな気配を感じましたぞ」
支払いを済ませたギーネ・アルテミスが、何かを考え込んでいたアーネイに問いかけた。
「ギーネさんの決定になにか不満でも?」
冷ややかな口調ではなかった。単純に疑問に思ったのだろう。
「別に?私はお嬢さまの忠実なる家臣ですよ?主君の判断に一々異議を唱えたりはしませんとも」
やや疑わしげに家臣を凝視していたギーネだが、ふんと顔を背けた。
「……忠実ですか。まあ、いいです。行きますよ」
ホテルの正面入り口から出た二人は、横合いの街路から此方を監視していた愚連隊のメンバーが慌てて立ち上がったのを確認してから、ゆっくりと砂塵の舞う路地へ踏み出していった。




