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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
73/117

我々は、監視されているのだ

「監視されています」

「ほう?」

 主君ギーネ・アルテミスがさり気なく告げた言葉を耳にして、地球時代の小説に目を通していたアーネイ・フェリクスが面白そうに声を洩らした。


 帝國人主従が保安官事務所の留置場から釈放されて、ティアマト時間で1週間。

 地球時間では8日が、経過していた。

 ホテル<ナズグル>正面2階に位置する屋外テラスにて、ギーネとアーネイは優雅に紅茶などを嗜んでいる。

 保守点検の技術も機材もノウハウも失われてしまった崩壊世界の辺境都市。最後の補修から200年以上も経過しているホテルの壁や床は、経年劣化によって所々が崩れ落ち、タイルも剥き出しになった下地が目立ちながらも、歳月の重みに耐えぬいた建造物特有の荘厳な威厳を漂わせていた。

 荘厳な墓標のような高層建築が、諸所を飾る優美な曲線を特徴としたロココ様式の装飾と融け合って、幻想的な絵画を思わせる一種の奇怪な美を醸し出していた。


 往時の煌びやかさは失われながらも、其処には一つの美の極致があるようにギーネには感じられた。

 それに、テラスから見える市街の景観までもが失われた訳でもない。

 滅びに向かいつつある世界で、失われた過去と閉ざされた未来に想いを馳せながら、亡命貴族ギーネ・アルテミスは静かに微笑んでいる。


「……通りの曲がり角にある喫茶店。

 青地に白のストライプなビニール屋根の下。分かります?」

 手元の本。地球時代の鯨獲りを題材にした物語で、魔物めいた巨鯨に挑む船長の執念と生きざまがいたくお気に入りだった……に目を落としたまま、アーネイは唇の端だけをキュッと吊り上げた。

「共和主義者共の追手ですか?それとも先日、揉めた地元の愚連隊で?」

 視線を動かさず、アーネイは囁くように質問を返した。

 危険が迫っているにも拘らず、どこか楽しげでさえある家臣の声に耳を傾けながら、ギーネ・アルテミスは、白い陶磁製カップを目の前に掲げてみせた。

「後者ですな。向かいのビルの物陰。ほら、あのおデブちゃんですぞ。紺のジャケット。」

「……ふむ」

 真正面を向いたまま、アーネイは考え込むようにそっと己の顎を撫でた。

 実際には撫でる振りをして、指先に摘まんだ携帯端末の一部。大豆ほどの生体式端末眼で標的のいる一帯を捕捉し、網膜に映像を展開させている。


 ホテル<ナズグル>2Fのテラスは、街路に面している。

 ホテルの向かい及び両隣は、今にも崩れそうな鼠色のコンクリート建築物が立ち並んでいた。

 遠来からは狙撃し難い。加えて、眼下の通りを一望できる見通しの良さも、ギーネとアーネイが【ナズグル】のテラスを気に入っている理由の一つでもある。

 斜め前の建物に侵入しての狙撃や建物ごとの爆殺、航空機械やドローンの投入など、殺そうと思えば幾らでも手はあるが、狙撃という比較的お手軽な方法を僅かでも防ぎやすいのは悪くない立地だった。


「ベンチで、ホットドッグをパクついている?なるほど、見覚えがあります」

 先日、ギーネとアーネイが無実の罪で留置場にぶち込まれた際、煽ってきた愚連隊の一人に違いない。

 記憶を確認した赤毛の帝國騎士が微かに肯いてみせた。


「そう、あの出っ張った下腹は、ちょっと忘れられませんのだ。

 醜いのだ。だらしねえのだ」

 よっぽど印象が強かったのか。言葉を繰り返しながら、好物の紅茶に唇を近づけるギーネ・アルテミス。

 味わってから、それが最後の一口だったことに気付いて、眉をしかめた。

 最後にもう一滴零れ落ちてこないか、逆さにしたティーカップの下でぱかんと大口開いていて待っていたが、ようやくいくら頑張っても奇跡は起きないと気づいたらしい。哀しげにカップの白い底をじっと眺める。

「……帝國産の紅茶が飲みたいです。

 アスガルドにいた頃、アテナの奴がくれた属州テランの紅茶は美味しかったなぁ。

 奴めは料理は全然拙い癖に、紅茶を入れるのだけは一流だったのだ」

 ぼやく主君に肩をすくめるアーネイ。

「アスガルドを離れる際、最後に聞いたニュースに拠りますと、テランの独立運動は激化しているそうで。

 帝國のテラン駐屯軍も、苦戦を強いられているとのこと。

 例によって、共和国や連邦が裏で手を引いているのでしょうが……」

「……そうなると、戻っても、入手できるかどうかさえ分かりませんなぁ」


 机に顎を乗っけてぼやいたギーネ。ティーカップの縁に指を滑らせてから、陶磁器を爪先で軽く弾くと、高く澄んだ音が響き渡った。

 捲土重来したら、一番にとっておきの紅茶を飲みますのだ。

 故郷に思いを馳せつつ、今日も叶わぬだろう妄想を浮かべて亡命貴族は微笑んだ。

 大事に仕舞いこんでいたアシュレイ地方の最高級品・完全真空パック入りの紅茶など、とうの昔に、館に踏み込んだ野蛮な共和派将兵によって食後のお茶に供されてしまっているとは知る由もない。


「しかし、監視には、気づきませんでした。何時からです?」と赤毛の騎士が尋ねる。

「3分14秒前。此方を監視しているとの確証を得るまで、さらに42秒。

 その間に我々を視認した回数が4回。偶然では有りません。馬鹿でも気づきます」

 全く気づかなかったアーネイは、僅かに苦笑を浮かべつつ主君をじっと見つめた。

「……この距離でよく気づきましたね?」


 帝國人主従から監視者までの距離は、目測でおよそ30メートル。

 街路の曲がり角にある喫茶店軒先のベンチに陣取っており、他にも、数人の客が利用している。

 人口が激減した崩壊世界といえども、人波途切れぬ市街地だ。

 主君であるギーネが、外見とは裏腹にけして警戒を怠ることがない人物だと、長年の付き合いで熟知しているアーネイだが、それでもやはり感嘆を禁じ得ない。


「予め、この場所への監視に適した位置を割り出しておきました。

 後は条件を満たして一定時間を居座る人間を警戒するよう定期的に視線でチェックすれば……

 この程度の警戒に引っ掛かるのは……所詮、愚連隊と言う事でしょう」

 事もなげに説明して帝國貴族は肩をすくめた。手を振りつつ、その視線を町の彼方に広がる無人の荒野へと走らせた。


 と、言うことは、お嬢さま。

 起きている時は、常時、警戒を怠っていないと言うことか。

 帝國騎士が、微かに目を細めた。

 尋常ではないな。気を抜けない土地なのは確かだが……果たして、心休まる瞬間はこの人にあるのだろうか。

 幼馴染であるギーネに憐れみを覚えつつ、アーネイは気持ちを切り替えて確認した。

「時間の問題だったとは言え、我々の宿泊場所が連中に割れましたと言うことですね」

 で、どうする、と言外に尋ねかける。

「二人連れでやって来て、此方を確認後に一人がこの場を離れました。

 恐らく仲間と連絡を取る為でしょう。

 ……惑星ティアマットでは、電話も無線も貴重品ですからね」

 廃墟だけがどこまでも広がる終末の世界を見つめながら、怠け者の猫みたいにでろんとテーブルに突っ伏したギーネ。

 応じたアーネイは、テーブルの上に置かれた武器。原始的ながらも信頼のおけるブレードに視線を落とし、ついで淡い曇天の空模様を見上げた。

「……かつては、あの空に至った世界ですからね。

 星に届く船を築き上げながら、切り裂かれた文明。

 一部地域は、鉄器時代まで後退してしまってるようですが……一体、何があったのか」


 惑星世界によっては、一千万都市の全域を電子的な監視網が覆っている文明もあれば、全人民が思考や感情に至るまでまで生態チップでモニターされ、或いは制御されている土地もある。

 監視ドローンやネットが世界を覆っている星。レンジや電灯、玩具に至るまで意識を持たせた社会。挙句には、本来の造物主である人間すら含め、全ての意識が一つのマザーコンピューターの元に統合されてしまった、幾つかの本末転倒な高度文明世界。


 パラノイア的社会を恐れるあまり、逆にネットや機械による監視を忌避し、コンピューターの使用や開発にまで制限を掛けてしまう文明も存在している。

 技術開発の規制された、安定と引き換えに進化の速度を緩めた社会。

 完成した閉じた世界に籠って平和と幸福に微睡んでいるうち、やがて終わりなき競争で発達した技術を持って押し寄せてきた近隣世界へと呑み込まれることも侭あり、また、生み出した技術を制御しきれずに混乱の果てに滅びた世界もあった。


 今も広大な次元世界の彼方此方で戦争と紛争は絶えず勃発しており、しかし皮肉なことだが、資源が涸れはて、怪物が徘徊する惑星ティアマットは、ひとえに無価値であるが故、生存競争の興亡とは無縁でいられるのだ。惑星規模でテクノロジーが衰退した為に、惑星間を繋いでいる情報ネットワークの監視の目からも外れている。


 ティアマットには高度に管理された戸籍はない。識別IDも割り振られない。生体チップを埋め込まれることもない。亡命者や逃亡者にとっては、格好の避難場所となってる新天地ではあるのだが、同時にテクノロジーの恩恵は受けられず、高度文明の産物を持ちこんだとしても修理や補充が甚だ困難だという側面があった。


 帝國人主従も、幾らかの機械類を身に着けてはいるが、機材もいずれ摩耗し、壊れる日がやってくるだろう。

 ティアマットに住む人類は、老若男女の区別なく異常進化した汚染獣や凶暴な変異種族に脅かされ、その数を減らし続けている。

 廃棄世界に逃げ込むと言うのは、ある意味、逃げ場のない奈落の底に投げ込まれたに等しい状況なのだろう。


「……知っていますか、アーネイ。次元世界の一部には、惑星ティアマットに赴いた以上、死んだも同然と見做す向きもあるそうですぞ」

「ですが、我々はまだ此処に生きています」

 何処か悪戯っぽい笑みを浮かべた主君の囁きに、力強い口調でそう返すと、アーネイは口の端をキュッと吊り上げた。

「そう、我々はまだ生きている。そして奴ら……我らが敵、忌々しい共和主義者共が我らを死んだものと見做すのであれば、その愚かさのツケは自身の死を持って償うことになるでしょう」

 肉食獣を思わせる獰猛な微笑みを浮かべたまま、帝國騎士は絶対の確信を持って主君に断言した。



2016/11/15 73話 74話 更新

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