喧嘩は他所でやれなのだ
眼窩に指を突っ込んで目潰しを仕掛け、膝に蹴りを叩き込み、金的を容赦なく蹴りあげる。
スラム仕込みの喧嘩テクニックと貧困のどん底から這い上がる過程で培われた獰猛さ。そして何より人間離れした敏捷さと天性の闘争心が、雷鳴党の青年を荒れ狂う暴力の化身へと変えていた。
「どうした、どうしたぁ!黒影党ってのは腑抜けの集まりかぁ!?」
高揚感と活力が全身に満ち溢れており、今の自分を無敵とさえ錯覚させる荒々しい覇気のままに高言するも、黒影党の面々は忌々しげに睨み付けるのみだった。
真っ先に襲い掛かった黒影党の数名が、地面で無様に呻いている。と、青年に声を掛けられた黒ジャケットの愚連隊たちが怯んだように後退る中、黒影党の人壁が割れて壮年の男が一人、前に進み出てきた。
「……やるじゃないか。若いの。是非、俺とも遊んでくれよ」
言いながら、のそりと前方から現れた壮年の男は、一言で言うなら厚かった。 大木のように太い猪首、腕は鋼鉄を束ねたように逞しく、軍用ブーツを履いた下半身はしっかりと腰を据えて大地を踏みしめている。
肩幅には厚みがあり、胸も分厚く、脚は丸太のようだ。
そこらへんのミュータントであれば、素手で仕留められるのではないか。そう思わせる風格が花崗岩じみた相貌に宿っている。
「おもしれぇ」と、雷鳴党を率いる青年が獰猛に犬歯を剥き出した。
肉と肉がぶつかり合う重たい音が響き渡る中、近くにある狭い路地では、巻き込まれた形になる無辜の帝國人たちがうんざりしたように抗争の様子を窺っていた。
「どうでもいいから、いい加減終わりにして欲しいのだ」
「胸糞悪いし、両方くたばっても一向にかまいませんがね」
失神している鶏屋の老人の頬を濡れたハンケチで拭いてやりつつぼやいている主君に、残り少ない帝国製の煙草を味わうようにして吸っているアーネイが相槌を打った。
「……うぅ」
亡命貴族のハンカチに撫でられていた爺さんが身じろぎした。
「おうっ、爺さんが目を覚ましましたぞ。アーネイ」
「……うう、頭がいてぇ。なにが合ったんだ」
呻きながら上半身を起こした卵屋の爺さんだが、頭痛に襲われたのか。思い切り顔を顰めている。
「愚連隊どもの抗争に巻き込まれて、叩きのめされたんですよ。おぼえてませんか」
「おれの鶏は……鶏は何処だ。畜生。財布も見当たらねえ」
売り上げや財布を入れてあった肩掛け鞄が無くなっている。
辺りを見回した爺さんは、顔を歪めて介抱した恩人たちを睨んできた。
「睨みなさんな。取ってたら、介抱なんかしてませんよ。
あんたの喉を一突きだ。今なら、死体はそこら中に転がってますからね」
物陰から路地の外の様子を窺いつつ物騒な冗談を口にしたアーネイに、ギーネが貴族らしく上品にくすくすと笑った。
起き上がった爺さんだが、ひと言呻くと再び地べたにへたり込んでしまった。
苦しげに息をしている爺さんに、蟲の少女が心配そうに傍に寄り添った。
「ああ、もう。急に飛び起きるから、立ちくらみを起こすんです。
卒倒しないよう、もう少し横になっていなさい」
親切な言葉を掛けるギーネだが、卵屋の老人。全財産の入った財布を無くした為に、激しい不安に苛まれている様子だった。顔色は蒼白になっており、とても落ち着いて寝てられる気分ではないように見える。
自分を心配そうに見つめている人影に気付くと、それが助けようとしてトラブルに巻き込まれた少女と思い出したのか。老人は、罵るように吐き捨てた。
「お前さんはっ……くそっ、とんだ疫病神だな」
瞳が暗く沈んだだけで、少女は特に何の反応も見せなかった。
心無い言葉を投げかけられるのに慣れているのかも知れない。
口を挟んだのは、やり取りを聞いていたギーネであった。
「貴方の行動に感銘を受けたから、介抱しました。
無駄なことをしたと思わせないで欲しいですな」
老人は口ごもり、それから羞恥に顔を伏せた。
「やあ、全くその通りだ。すまん。お嬢さん。
悪いのは、全て暴れていた暴漢だ」
老人は帽子を脱いで少女に向き直り、深々と頭を下げた。
「お前さんには全く非がないのに当たってしまったよ。
財産を無くしたのに気付いて、動揺してしまったのだ。
この老骨を許してくれると有り難い」
目を丸くした少女が、ぎこちなく、だが、嬉しそうに肯いた。
一方のアーネイ。物陰からそっと覗き込むようにして抗争の様子を窺っている。
「うーむ……一向に収まる気配が見えてきませんね。
それにしても、向こうで殺し合ってる愚連隊ども。片方は黒影党のようですが」
アーネイの微かな呟きを受けて、ギーネが首を傾げる。
「黒影党?連中。確か、ハンターの徒党ではありませんでしたか?
……なぜ、こんなところで抗争してるのだ」
悲鳴やら雄叫びやらに呆れたように肩を竦めつつ、亡命貴族も曲がり角まで進んで抗争見物に加わった。
「もう片方は、雷鳴党とか言ってましたな。何者なのだろう?」
何気なく口にしたギーネの疑問。
応えたのは、やはり家臣のアーネイだった。
「どちらも大手の徒党で、相当数のハンター崩れを抱えています」
住み着いてから一年も経ってないのに、帝國騎士はもうある程度、町の事情に通じているようだった。
感心したような主君の視線を他所に、殴り合いを見物しつつアーネイは知ってる事情を二言、三言説明した。
「セシルの奴からの又聞きですが、連中。市場の利権を巡って対立してるとか」
【町】でも腕利きと呼ばれる知己ハンターの名を上げたアーネイに、ギーネが首を捻った。
「……ハンターの徒党が、市場の利権を巡って対立?どういうことです?」
「外来の隊商や富裕層相手に町中で開かれる公式のマーケットと違って、町外れの青空市の客層には、流れ者やら廃墟生活者やらも少なくありません」
又聞きした記憶を掘り起こしながら、帝國騎士は町の情勢を説明する。
「青空市場の顧客となる層は、一般に酷く貧しいので【町】の交易を取り仕切る大手商会からすれば旨味も少なく、また、自然と揉め事も多くなります。
で、面倒を嫌って人数のいるハンター【徒党】の幾つかにある程度、権限を委譲した上で、青空市の治安維持や区画の割り振りを委託しているらしいんですが……どうにも利権を巡って小競り合いを繰り返しているようで」
アーネイの説明が進むにつれ、亡命貴族は不機嫌そうな表情になり、吐き捨てるように言った。
「揉め事を防ぐ代わりに、自分で暴力沙汰を起こしていたら世話ないのだ」
「揉め事を防ぐのも、連中の役目……の筈なんですがね」とアーネイも首を傾げた。
町の市民たちはどう考えているのだろうか。
無辜の民衆を巻き込んでまで抗争を行うなど、その権利とやらも剥奪されて不思議はない。
それとも【商会】にとっては、青空市場の利用者など、顧客に含まれないのかもしれない。
愚連隊に対するものか。苛立ちも露わに舌打ちするギーネ。
「要するに愚連隊。暴力団の縄張り争いですか。
巻き込まれる方はたまったものでは在りませんぞ」
主君の物言いに帝國騎士は皮肉っぽく口元を歪めた。
今の自分たちとて、社会的に見れば、愚連隊の遠縁くらいには胡散臭い存在にまで零落れているのだが勿論、口にはしなかった。
殴る、殴る、蹴り、殴る。
牽制として左のジャブ、ジャブ。流れるように右のストレートに繋げる。さらに前蹴り。
電光石火とでもいうべきか。
青年の素早い動きから連続して叩き込まれる打撃に、壮年の男はほとんど反応できなかった。
ひゅー、滅多打ちだぜ!
頭目同士の対決の場を取り巻いている雷鳴党の1人が興奮を抑えきれぬ様子で叫んでいる。
それでも壮年の男は体を動かして打点を外し、時折、放ってくる反撃の拳は中々の鋭さで、負けはないとしても青年とて油断はできない相手であった。
殴る、殴る、体重を乗せた打撃に耐えつつも、体の芯まで響くような重たい音に、指物タフネスを誇る壮年の男も、呻きを上げて後退した。やや喘いでいるが、瞳に宿る闘志はまだ衰えていない。
「ふっ、どうした。どうした?爺さん。血塗れだぜ」
軽口を叩く青年を、荒い息を吐きながら壮年の男は睨みつけた。
「なに、此処からだ。お前こそ、息が上がってきてるんじゃねえか?」
「いいのかい。降参するなら今のうちだぜ?」
余裕を見せて言い放つ青年だが、実際のところ、手加減する気など微塵もない。
黒影党の頭目は生かしておけない。容赦なく葬り去る。
万人の目の前で力と冷酷さを示し、青空市での雷鳴党の勢力を確固たるものにするのだ。
襲い掛かる寸前、青年は歯をむき出して猛悪な笑みを浮かべた。
時折、油断なく後方にいる老人とフードの少女を鋭い目つきで眺めていたアーネイが、瞳を細めて、そっと主君に囁いた。
「お、そろそろ決着がつきそうですよ。年寄りの方が勝ちそうですね」
「年寄りの方。滅多打ちにされていますぞ?」
「打点をずらしているので、大して効いていません。
派手に出血しているように見えて、少々のかすり傷だけです。
それに気力が充溢し、腰を落としてる様子から、何かを狙っていますね」
「あばよ、爺さん!まあまあ楽しめたぜ」
勝利を確信した青年。止めを刺そうと大ぶりの一撃を放った。瞬間、これまでの鈍重な動作からは考えられないほど早く壮年の男が踏み込んだ。伸ばされた両手が毒蛇のように青年の右腕に絡みつくと、其の儘、背負い投げの要領で地面へと叩きつける。
勢いよく地面に叩きつけられた強烈な衝撃に、雷鳴党の青年も思わず肺の中の息を吐き出して、流石に一瞬だけ動きを止めた。
胸に切り裂かれるような鋭い痛み。かなりの衝撃だが、スラム育ちの青年は、苦痛を無視するすべを知っている。動きを止めたのもほん一瞬だけ。
上手く決まった背負い投げも、強靭な肉体を持つ青年相手では、僅かな瞬間、硬直させるだけの効果しか持ちえなかった。
すぐに立ち上がろうと足に力を入れる、が、黒影党の男には、その一瞬の隙だけで十分だったのだろう。
瞬間、その首に太い腕が絡んでくるのを、雷鳴党の青年は本能的に首の間に手を入れて辛くも防いだ。
「くっく、へし折ってやろうと思ったが中々どうして……いい反応だ」
青年には、先刻までのような軽口を叩く余裕はない。首の気道が締められるのを必死になって防いでいる。
「無駄だ……こうまで決まったら逃げられんぜ」
「大将ぉー!」
青年が優位だった間は手出しを控えていた雷鳴党の面々が、不利になった大将を救い出そうと飛び出して次の瞬間、空気を吐くような音と共に一番前の雷鳴党が針鼠になっていた。
黒影党の手に構えられているのは十数本のクロスボウ。真っ先に飛び出した者は地面に蹲って苦悶の呻きを上げており、残りの雷鳴党の構成員は怖気づいて足を止めた。
「ひ、卑怯者がぁ」
「飛び道具だと……畜生」
黒影党の面々はせせら笑いを浮かべてクロスボウを構えた。
「大人しくしてろ。今日からは俺たちの下で使ってやる。
が、まあ、悪いようにはしねえよ」
機先を制しての一斉射撃と呼びかけに闘志が萎えたのか。顔を見合わせてあと退っていく雷鳴党の手下たちを目にし、青年が顔を歪めた。
「……悪いが坊や。お前だけは生かしておけねえ」
耳元での壮年の男の囁きと共に、締め上げる力がますます強くなっていき、青年の視界が真っ赤に染まっていく。
「まあ、けじめって奴だ。あばよ。中々、強かったぜ」
青年が雄たけびを上げた。全身が瘧のように震えている。死力を尽くして立ち上がると、背中に向かって思い切り飛んだ。
巨躯を誇る2人の体重が、後方の柱にぶつかって激しく軋んだ音を立てた。
「無駄だ。無駄ぁ」
壮年の男は、歯を剥き出しに笑っていた。途方もなく頑強な肉体の持ち主であり、木造の柱にぶつけられようとも微塵も揺るがない。
それでも青年は諦めない。幾度なく体当たりを続ける。
度重なる衝撃に耐えかねたのか。木製の柱に亀裂が入り、支えられていた二階建ての建物がゆっくりと傾き始めて。
「あ、拙い」
覗いているアーネイとギーネは慌てて顔を引っ込めた。
「……貴様!」
壮年の男が慌てて拘束を解き、飛び退ると同時に青年は大きく息を吸い、瞬間、二階建ての酒場が彼らの頭上へと崩れ落ちてきた。




