箸を持てい。余は日本文化の黒帯なるぞ。
前回の話。補筆してたら、ちょっと長くなったので分割した。
新しい話と思ってがっかりした読者はすまん。
今日中には、もう一話更新する。
しばらく歩き回った帝國人たちは、やがて食べ物や飲み物を売ってる露店が多い市場の一角に足を踏み入れた。
雑踏の正面には、巨大な昆虫を梁からぶら下げている青い屋根の肉屋があって、疎らに客が入っている。
食肉店の隣には、蛇のように大きな植物の蔓や見た事のない極彩色の果実を並べた屋台があって、灰色の食用茸を焼いている香ばしい香りが漂ってきた。
異世界産の缶詰や包装紙に包まれた菓子が綺麗に並んでいる大きな店の奥では、食料や医薬品の入った段ボールが幾つも積まれているのが表通りからも見えたが、人道支援物資が横流しされたものだろう。
そうした木箱には、アルファルファやガスランと言った繁栄している惑星世界の国連マークが印刷されているのを亡命貴族の鋭い視力は捉えていた。
現地人職員が横流ししたのだろうな。推測するギーネであったが、そうした援助物資とて別に国連が出した物ではない。
援助物資を出してる大国の国旗の上に、我が物顔に国連マークのシールを張り付けて組織の権威を高めるのに利用としていたりする。
実際に血税を使って支援物資を送った国の名前など、現地では誰も知らず、国連職員も物資を横流ししたり、支援の見返りに私腹を肥やしているのだから、泥棒の上前を跳ねるようなものだとくすくす笑う。
路傍に茣蓙を敷いただけの粗末な露店には痩せた老人が座り込んでおり、何を売っているのか。
老人の背後に大きな木箱が積み上げられていた。
よく見てみれば、藁を敷いた木箱の中に鶏が数羽。動き回っている。
「お、鶏ですよ。お嬢さま」とアーネイ。
「うむ。今日はチキンステーキと決めましたぞ」
ギーネの言葉を耳にした老人が顔色を変えた。
「おい、あんまり変な目でこの子らを見るな」
「ハンター用紙幣でも、キャラバン用の金貨でも、支払えますよ?」
「駄目だ。あっちいけ。卵は売るが鶏は売り物じゃない」
老人の剣幕からすると、取り付くしまもなさそうだ。
きっと彼にとっては、生計を立てる大事な財産なのだろう。
「残念ですな」
頭を振ったギーネは、其の儘、適当に歩き廻って市場の品揃えを流し見ることにした。
所狭しと屋台や露店が張りだしている狭い通路を抜けると、もう少し先にベンチが幾つかおかれ、焚火が焚かれている小さな広場が広がっていた。
帽子を床に置いて、巧みにギターを弾いている若い男。
帽子には小銭が放り込まれている。
弾き語りを取り囲んで湯気を立てる安酒を飲んでいる一団の傍ら。痩せた土壌でも育つ茸や芋を具としたスープをかき込んでいる肉体労働者たちの横で、痩せこけた浮浪児が涎を垂らして大人たちを見つめていた。
安価な食べ物を売ってる屋台では、棚やテーブルに怪しげな肉に奇形の魚。麦の粥やパンなどが所狭しと並べられている。
比較的、大きな仮設建築の奥。チョコレートの大箱が神聖な像を祀るかのように安置されているのに気付いたギーネだが、ソウドオフ・ショットガンを抱えた大男が門番の如く立ちはだかり、近くに近寄ってくる子供たちを胡散臭そうに睨み付けていた。
「……流通網自体は、ゲートのある北のガルディア(大陸)からノエル辺境まで細々と繋がっている。
ただ、高性能兵器や高度技術は、望み薄ですね。
近隣世界も、母星を喪失しつつある数億の難民に危ない玩具を持たせる気はないでしょう。
不拡散条約があっても不思議はない。
となると、輸入品にはさして期待は出来そうにない」
ベンチに座って音楽を聞きながら、廃棄世界の猥雑な光景を眺めていたギーネに、ぷらぷらと歩き廻っていたアーネイが近づいてきた。
「お嬢さまは、なにを食べます?」
「ふむ。高貴なる我が舌と胃を満足させられるような店があるとも思えぬが」
なんか高貴な宮廷貴族っぽく、ギーネは袖で口元を隠して眉をひそめてみた。
「はいはい」
どうでも良さそうに肯いていたアーネイだが、その手にはいつの間にか、何かを抱えていた。
「ん、なんです。それ?」
目を止めたギーネが尋ねると、笑みを浮かべて手を掲げた。
「そこの露店で珍しいものを見つけましてね」
帝國騎士が主君に見せたのは、白いポリスチレン樹脂の容器をしたインスタント食品であった。
「カップ麺?」首を傾げるギーネ。
「ラーメンです。お嬢さまご希望の和中折衷ですね」
まごう事なきカップラーメンである。
「帝國にいた頃は良く食べていたものです」
懐かしそうに言うアーネイに、ギーネは鼻を鳴らした。
「ラーメンって言っても、インスタントではないですか」
「いいじゃないですか。久しぶりだなあ」
嬉しそうなアーネイだが、ギーネにはちょっと気になることが。
「うむむ、それ幾らでしたか?」
「3クレジットです」
「なんですと?」仰天した声を上げる亡命貴族。
「インスタントラーメンひとつに、3クレジットって。
意味が分からん値段ですぞ。そこら辺の店でラーメン2杯は食べられるじゃないですか」
輸入品の値段は高くつくのが相場であるとは言え、意味不明な値段であった。
「認定外ハンターの2日分くらいの稼ぎですぞ。
帝國なら、1時間のアルバイトで8つは買えるのだ」
相場はあっても定価は存在しないティアマットの青空市場。
欲しくて買った商品に、主君とは言え文句をつけられる筋合いはない。
「アーネイはカップ麺好きですな。こんなもののどこがいいのですかね。
高貴なる私は、こんな貧乏人向けインスタント食品はどうも口に合いませんぞ。
胃が貧民アレルギー起こしたら、困りますからな」
やれやれと首を振っているギーネ・アルテミスに、アーネイが舌打ちした。
「喧嘩売ってるんですかね?
本気でそう思ってるんなら、帝國語じゃなくてティアマット語で言いなさいよ。
周囲の連中に袋叩きにされますから」
「やれやれ。ティアマットは民度が低いですからなぁ」
アングロサクソンの如く傲慢な言動をかましているギーネ。
その癖、本当は気になるのか。
アーネイの手にしたカップ麺をちらちらと食い入るように見つめている。
本当は、ギーネ・アルテミスはジャンクフードが大好物なのだ。
祖国にいた頃は、夜中にこそこそ、一人でインスタントラーメンで啜っていたのも、アーネイは勿論、知っている。
アーネイは、頭を振ると大きくため息を吐いてみせた。
「折角、お嬢さまが喜ぶと思って買ってきたんですが……」
「……え?」
「分かりました。これは私が食べます」
目を見開いたギーネの前で、肩を落としたアーネイはとぼとぼとお湯を沸かしている薬缶へと向かった。
「お嬢さまは自分でお好きなものを買ってきてください」
力なく呟いたアーネイの袖を握ったギーネは、力一杯に家臣を引き止めた。
「ま、待つのだ。
だっ、誰も食べないなんて言ってないでしょう」
必死過ぎる形相をして、ギーネがこくこくと肯いている。
「し、仕方ない。食べてあげますのだ」
精一杯さりげなさを装って言うギーネの頬は、緩んでいた。
「無理をしなくてもいいんですよ?」
「してませんぞ」
サービスで沸騰した湯を入れて貰い、アーネイは鼻歌交じりで時間を測り始める。
主君のギーネがそわそわしている。
「偶に無性に食べたくなりますよね。へっへ、分かります。
侯国失陥以来だから、多分、2年ぶりですよ」
「愚かですね。アーネイ。
その無性に食べたくなる感覚、じつは化学調味料の中毒症状なんですぞ」
誰も得しないトリビアを披露する主君に嫌な顔をしつつ、手元の腕時計で3分経ったことを確認したアーネイ。
「ほぉぉ。ま、まぁ、安っぽいジャンクフードなど、高貴なるギーネさんの舌には合いませんが、アーネイが持ってきたのなら、食べて差し上げますのだ」
口の端から、僅かに涎を垂らしつつ、食べようとギーネが手を伸ばしたところで、忠臣のギーネが待ったをかけた。
「待ってください。こんな世界です。
容器は其の儘で、中身だけ入れ替えた偽物と言うことも在ります」
真剣な顔をして訴えるアーネイに、なにを言い出すのかと戸惑いつつギーネは目を瞬いた。
「いや、考えすぎでしょう。」
「連日、市場に顔を出している古参商人ならば、ある程度の信用はありますが、仕入れ元は、他所から訪れた旅の行商人です」
ちなみにティアマット語での信用とは、偽物を売ると顧客に殺されるので騙す地元商人は、そう多くはないという意味である。
「そんなこと言ってたら、なんも食べられないのだ」
「まずはわたしが毒見いたします」
ギーネの目前でカップ麺を手に取ったアーネイ。
はふっはふっと麺を啜り、ずぞーずぞーと最後の一滴までスープを飲み干してから、真剣な表情でギーネに向かって肯いた。
「紛れもない本物です。げぷ、食べても大丈夫です」
ギーネは手渡されたポリスチレン容器の底が見えそうなほどに僅かに残されたスープをじっと見つめ、それからアーネイを見て、再び、一口ほどのスープに視線を落とした。
その時のギーネの顔。
大きく目を見開いていた。信じていた者に裏切られた衝撃と、大切な物が消え失せた驚きに身動きできず、鳩が豆鉄砲で撃たれたような、大人に手ひどい裏切りをされた迷子の子供のような……
「実は、此処にもう一つございます」
アーネイはカップ麺を差し出した。
「ほら、カップ麺ですよ。
半泣きで家臣に殴りかかるほど、大切なカップ麺です」
お湯を入れたカップ麺を眺めつつ、アーネイがくすくすと笑っている。
「それが正真正銘、最後の一つです。
次に食べられるのが何年先になるか分かりません。
よく味わって食べてくださいね」
アーネイを睨みつつ、その言葉にギーネはインスタントラーメンをじっと見つめた。
「うーん。考えてみたら、今食べるのはちょっと勿体ないかも知れません。
取っておけば良かったかも」
勿体ないので写真撮ってる主君の傍ら、アーネイは頬杖をついてまだ笑っていた。
「もう、お湯を入れちゃったんですから、食べてくださいよ?」
「無論です。清貧かつ徳のある聖人君子のギーネさんは、出された食べ物に文句言ったり、粗末に扱ったりはしませんぞ」
「はぁ?なに言ってんですか?こいつ?」
「それにしても、久しぶりです。カップ麺。お箸はどこです?
ギーネさんは日本文化の黒帯なんですよ?箸も使えるんです。」
「箸なんかありませんよ。フォーク使いなさい。北欧人なんだからフォーク」
不満げに唸りながら、ギーネは真鍮製のフォークを取り出した。
「仕方ねえですなー。んー。でも、どうしよう。
すぐに食べてしまったら勿体ないし、昼食としては少し物足りないのだ。むむむ」
しばらく、首を捻っていたギーネ・アルテミス。やがて指をパチンと鳴らした。
「そう、トッピング!トッピングです。
昔の人は、いいこと言いました。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬなのだ。
トッピングが欲しいですなー。さっき、入口で卵を売っていました。
卵焼きを買ってくるのだ」
「はい、はい。買ってきますよ。仰せの侭に」
卵屋の親父を眺めて、アーネイが立ち上がった。
「急いでください。後、1分18秒でタイムリミットです」
「本当言うなら、血の滴るようなお肉がいいです。チャーシュー麺になりますからな」
ギーネは贅沢なことを言った。
「カップ麺スープまで飲んで肉のトッピングとか、デブ一直線ですな」とアーネイ。
財布を手にした家臣の突込みを無視して、ギーネはインスタントラーメンをじっと見つめていた。
「あーあ、女神の化身たるギーネさんがこうやって願ったら、
神話とか伝承みたいに空から肉が振ってこないかなー」
言った途端、横合いから血塗れのおっさんが吹っ飛ばされてきて、テーブルの上のカップ麺を押し潰した。
「ふぁー!?」




