30 もっと光を
「それにしても此処のラーメンは美味いですぞ!」
湯気の立ったスープを飲み込みながら、今日も偉そうにギーネは批評していた。
「ありがとよ。スープパスタだけどな」
どうでも良さげな店主の訂正の言葉も、耳に入っているやら、いないやら。
「私がティアマットの大君主となった暁には、今の臥薪嘗胆の日々を忘れぬよう、毎月17日をラーメンの日と制定しますのだ」
「……臥薪嘗胆?」
聞き間違えたかとアーネイが尋ね直すも、ギーネは堂々と言い張った。
「そうですとも!
辛く苦しい試練の日々をニーチェ的超人のごとき忍耐力で耐え忍んでいるのですぞ!」
主君と行動を共にしているアーネイにとっても、目から鱗であった。
日々を満喫しているようにしか見えないギーネ・アルテミスだが、本人が言い張るのなら、臥薪嘗胆しているのだろう。多分。きっと。メイビー。
深く考えるのを止めたアーネイは、それよりも聞き捨てならない単語について問いただしてみた。
「……それにしても、ティアマットの大君主ですか。
お嬢さまはユーモアがおありですね。勿論、冗談でございましょう?」
訊ねたアーネイの語尾は、本人だけが自覚できる程度に僅かに上擦っていた。
「本気ですとも」
亡命貴族が胸を張って断言する。
だと思ったよ、畜生めが。赤毛の帝國騎士が無念の表情で天を仰いだ。
「そもそも君臣制とは、為政者と民衆の絆と互いへの情誼と信頼によって立つ制度ですのだ。
ご恩と奉公、庇護と奉仕の契約関係といっても突き詰めれば、そこにあるのは人と人の心の繋がりです」
ギーネの言葉は、尤もにも聞こえてくる。あながち正論かも知れない。
人は時として、心という形のないものを軽視しがちであるけれども、統治や契約において積み重ねてきた信頼というファクターが与える影響はけして侮れない。
「アーネイに限っては、特別にギーネさんと体でも繋がっても宜しいのですぞ?」
「遠慮しておきます。で?」
「……つれないのだ」
咳払いした亡命貴族が話を続ける。
「一握りの共和主義者たちは、君臣制を専制政治などと呼んで蔑んでいますが、人心をないがしろにして、如何して領民が領主を奉じるでしょうか?」
特に民衆に高い判断能力や知識が備わっている国家であれば、尚更であろう。そしてアルトリウス帝國では、臣民の大半が貴族階級と殆ど遜色のない高等教育を受けていた。
政府と民衆の間に信頼関係が介在することによって、困難な情勢下でも叛乱やサボタージュが避けられることもあれば、信頼の薄いが為、国民が反体制派勢力のデマやプロパガンダに踊らされ、体制が転覆する事例も珍しくない。
アルトリウス帝國は専制君主制であり、国家主権は一握りの血族が握っているが、アーネイの知る限り、大半の大貴族たちは信頼の構築や説明、対話の重要性について弁えていたように思えた。
基本的に農業に向いていないアスガルドの痩せた土壌では、人口が抑制されがちで、帝國諸領邦の大半が比較的に小規模なこと。そして常に外部からの脅威に晒されていることも関係あるかも知れないが、伯爵領や子爵領、男爵領、さらには士族などが治める群小の領土は、大半の人口が数百から十万未満であり、統治層が民衆の訴えに耳を傾けることが可能で、いずれも大過なくされている。
一方、数十万から百万以上の人口を抱える12氏族の直轄領及び帝國本土では事情がやや異なっており、議会や公聴会、人工知能の政策提議、インターネットなどでの投票、官僚制が君主の統治を補助していた。
いずれにしても、高度に発達した技術と、臣民への長期間の高等教育が君主制を支えていることに違いはなく、同じ君主制であっても、外様貴族の領土や属領の王国などとは識字率から国民所得と貯蓄、資産の流動性、平均寿命、価値観から権利まで内実は全く異なっている。
とはいえ、帝國に腐敗や汚職が全くない訳でもない。アーネイも下級とはいえ士族であり、アルテミス侯爵家累代の家臣であるから、これは色眼鏡がかかっている見方かも知れない。
「多数決制を至高にして唯一の体制などと妄信した挙句、リガルテの走狗に成り下がった共和派など、君臣が強固な絆で結ばれた帝國軍の敵ではありませんぞ!」
家臣の視線の先、次元世界の掃き溜めにある場末の食堂で、国を失った亡命貴族が拳を振りつつ、気炎を上げている。
「大神オーディンも照覧ある!正義は我らにこそありますのだ。
例え、売国奴共の卑劣な工作によって一時は苦境に陥ろうとも、最終的な勝利の行方はおのずと明らかですぞ!帝國万歳!」
物思いに耽っていたアーネイを他所に、ギーネが熱弁を終了した。
「はい、帝國万歳……お嬢さま。ちょっと鼻水垂れてますよ?ほら、ハンケチ」
「んー、ちーん」
冷えた外気と暖かいラーメンの湯気との気温差に、ちょっと油断して緩んでしまったらしい。
ご高説を垂れ終わった君主の鼻の下を丁寧に拭いてやったアーネイが溜息を洩らした。
「まあ、その叛徒共にしてやられた私たちが言っても、現状、何の説得力もありませんね」
遠い異界の果てでなにを言おうが、まさしく負け犬の遠吠えである。
そして、負け犬についていく私は、さしずめ金魚の糞か。
いや、せめて犬の尻尾にしておこう。
やや後ろ向きな思考をしている犬の尻尾だが、しかし、此の負け犬本体は、不屈の頑固者でもあった。
「ふふ、今は我が世の春を謳歌し、奢っているがいい、叛徒どもよ。
ギーネさんの逆襲の時は、そのうち、多分、始まるといいなあと思わなくも無い」
演説ぶって気が済んだらしいギーネが、ふっふっと不気味な含み笑いをしているのを他所に、アーネイは遠い目をして失われた祖国に思いを馳せている。
一口に君主制や封建制といっても、内情は時代や地域によって様々である。
実質的な税率が二割、一部天領では税率一割の統治を行い、二百年の安定と平和を享受して庶民文化が花開いた徳川幕府も封建国家であるが、他方では税率が八割を越え、農奴に生まれた時点で人生終了な封建国家も歴史上には数多存在していた。
ロマノフ朝ロシアでは、人口の四割を占める農奴が貴族の私有財産として売買され、近代化の為の資金を獲得する為の飢餓輸出で、農民は自身が作った小麦を口にすることすら出来なかった。
革命に至るまでには複数の要因が絡み合い、また領民の生活の向上に心砕いた貴族も僅かながらにいたとは言え、生活苦に喘ぐ民衆を他所に貴族が贅沢三昧であれば、それは革命も起きるだろうし、怨み骨髄で貴族もぶっ殺されるだろう。
アルトリウスで暴れている『叛乱軍』。自称『革命軍』には、リガルテを初めとする複数の国々からの義勇兵が参加してきていた。
外国の有力新聞などは、『専制政治に対する民衆の正義の戦い』などと無責任に煽ってくれているが、お陰で社会に行き場のない青年やら、ただ暴れたいだけの戦争マニアなどが際限なく流れ込んでくる為、当事者であるアーネイなどからすると腹立たしい限りであった。
自国で昇華すべき不安定要素となる層とエネルギーを、都合のいい外国にぶつけているだけではないか。
叛乱軍との戦闘の後、こうした外国出身の義勇兵捕虜などを尋問すると、何故か、アルトリウスの民衆を貴族に抑圧され、搾取されている哀れな犠牲者だと思い込んでいる節が見られたが、帝國の税制は累進課税で、高所得者ほど税率が高くなる。
一般庶民の場合、税率は二割半を切っている。公共料金を含めても、三割を越えない。
入手できる資源に限りが有り、また、各地のコロニーごとの防衛を主眼においている帝國においては、領邦ごとの地産地消、自給自足が経済の根幹を成しているため、経済の大幅な成長は見込めないが、物価も長期に渡って安定しているし、一般市民と軍役義務のある士族の平均年収を比べると前者が上回っていたりもする。
税率が5割を越えているリガルテ人の捕虜などは、此れを聞かされると大抵は絶句し、更には出鱈目だと決め付けてくる純粋な青年もいたし、血統による支配そのものが間違っていると反論してくる雄弁家もいた。
『遅れた封建制』に隷属させられている筈のアルトリウスの民衆が、PCや携帯端末を持ち、『進んだ共和制』の国民である自分たちよりも、文化的にも物質的にも豊かな生活を教授している光景を目にして、衝撃を受けた青年も少なくないようだった。
つまるところ、問題は経済に帰結している。国内産業の保護政策を取っている帝國をブロック経済と非難している自由経済諸国が、帝國市場を開かせる為に不安定化工作を行っているに過ぎないと、見做している帝國人は少なくない。
アーネイは、血統による支配を正しいとは思ってない。が、間違っているとも考えていない。
極論してしまえば、そもそも統治の良し悪しを決めるのは結果であって過程ではなく、ましてや善悪や道徳ではないと思っている。
支配者が個人レベルでの善悪や道徳を省みなくても、統治における善悪や道徳を重んじてくれるなら、民衆からすれば、統治者の個人レベルでの行状など、よほどに羽目を外さなければ些細な問題でしかない。
リガルテの共和主義者たちが自身の国で身分制を否定するのは勝手だが、他人の国に来て都合のいい政権を立てようと主義主張を押し付けてきた時点で、いかなイデオロギーであろうと既に教条的な原理主義に堕しており、侵略の大義名分でしかないのだ。
そもそも、リガルテ人が思う『専制政治に隷属させられている哀れな民衆』なんて、帝國天領にも、譜代諸侯の領内にも殆ど存在していない。
帝國諸侯の統治している領邦の臣民は、道徳や自然権の概念が高度に発達し、政策や統治形態に関して膨大な討論と試行錯誤がなされた地球系移民の末裔であり、国民と貴族はほぼ同水準の高等教育を受け、年長者は数百年の人生経験を有しているということを、知らされていないのか、敢えて無視しているのか。一般的なリガルテ人義勇兵はほとんど理解しているようには見えなかった。
貴族には貴族の義務が課されるし、義務を果たさなければ領民及び家臣団たちに見放され、放逐されることも慣習法で初期のうちに確立されている。
解任された領主の実例が殆どないのは、アーネイから見ると君主に対する教育と事前の慎重な選定の結果。つまり洗練された伝統の賜物なのだが、リガルテ人などから見ると、貴族が絶対の権力を握っており、帝國における民衆の抵抗権が形骸に過ぎないからに他ならないらしい。
大抵の人は、見たい物しか見ないし、聞きたい言葉しか聞かない。
善良で有能な君主による千年の幸福な統治などは、革命軍の教義からすると存在自体を許せない、吐き気を催す邪悪な妄想の産物らしい。
不老不死の支配者になろうとしている主君のギーネ・アルテミスや、エリスサール・アテナなど、共和主義者からみれば、定めし大魔王の眷属であろう。
アルトリアンを『進んだリガルテ人が善導してやらねばならない哀れで無知蒙昧な隷属主義者たち』と見做しているリガルテ人の共和主義者たちに、帝國の実情を幾ら説明したところで徒労に終わるに違いない。
だから、アーネイは、捕虜となった義勇兵と会話は重ねても、理解しようとは思わない。
そもそも、捕虜となった外国人義勇兵たちは、正規の戦争捕虜として扱われることはない。
海賊や空賊などと同じく、重犯罪者収容所で死ぬまで厳しい労働に従事する人生が待っている。
運が良ければ数年のうちに第三勢力を仲介としての捕虜交換で祖国の土を踏める者もいるかも知れないし、地元の異性、或いは同性と結婚して帝國に溶け込む一握りの者もいるかも知れないが、殆どの者は収容所で最後を迎えることとなる。不正規戦に自らの意思で参加したのだ。哀れだが己の選択の結果だろう。
リガルテの前身となった王国が、どのような政治を行っていたのかは帝國では知られていない。
捕虜にしたリガルテ人の青年たちが口々に語るには『王国の圧制によって貧困に喘ぐ民衆を勇敢な革命軍が救ってくれた』らしいが、どうにも学校で刷り込まれた言葉を其の侭、語っているようにしかアーネイには聞こえなかった。
旧体制を打倒して建てられた新政権というのは、前政権を悪く言うのがお約束であるから、王国が本当に腐敗と苛斂誅求の果てに倒れたのか。それともフランス革命時のルイ十六世のように実際には善良、かつ、それなりの構想を有しており、民衆の為の政治を行おうとしていたが、力及ばず盛り上がった革命思想に打倒されたのか。それはアーネイには分からなかった。
機会があればリガルテを訪れ、革命の発端や経緯、往時の証言、階層ごとの所得や栄養状態、物流や税制、経済構造などの残された資料を調べてみたいと思ったアーネイだが、人生とは思いも拠らぬことが起きるもので、どうやら遠いティアマットの地に骨を埋めることになりそうである。
……おまけに、何処に行こうとも、戦いからは逃れられないか。
色々としてみたいことは在ったが、一人になったギーネを放って置く訳にはいかない。
そして、いつかは、戦って死ぬだろう。其れも悪くない。
皮肉っぽく笑ってから、アーネイは何時ものように慫慂として運命を受け入れている。
諦念ではない。明確な自身の意思で選択した生き方であった。
あるがままの宿命を受け入れて、全霊で生きるのが、些か時代遅れなアーネイの人生観で、しかし、祖先から受け継いだその覚悟も、忠誠心も、自主自立を理想とするリガルテ人から言わせれば、蒙昧な隷属主義に過ぎないのだろうか。
だったら、自分は旧弊な封建制度の支持者のままでも良いとアーネイは思うのだ。




