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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 すりんぐ編 B面
50/117

24 野望の終焉

「いきなり血を吐くから、びっくりしました」

「……誰の責だと思っているのですか?」

 胃の辺りを擦りながら、アーネイが呻いている。

「それについては反省していますのだ。天才たるギーネさんの構想を理解するのは、凡人であるアーネイの精神には余りにも負担が大きかったのですね」

 帝國語で『世界征服計画 その1』と記された書類などを手に持ちながら、哀しげにフッと微笑んでいるギーネ・アルテミス。アーネイは、ちょっと腹を立てた。


「ところでなんです?その書類?そこはかとなく、嫌な予感がするのですが……」

「ふふん。我が構想を具体的に形にした計画書なのだ」

 けっして日常の仕事に活用することはないが、ギーネ・アルテミスは、生来の高速思考と補助頭脳の思考抽出技術によって、常人では考えられない速度で書類を作成する特技を持っていた。

 普段から活用しないのは、脳に負担が大きいからだとギーネは言っているが、その癖、ゲームの攻略だの、怠けつつ仕事の効率を上げる為の方法を考えるのには気楽に使うため、アーネイは言い訳ではないかと疑っている。

 さぼる為に全身全霊で努力するなど感心できないが、主君に言わせると、文明とは最小の努力で最大の成果を獲得する為の効率化の過程そのものであり、己の行いは即ち人間の本質であり、人類の歴史を体現しているのだと力説された。

 ならば、きっと、人類の歴史そのものが碌でもないのだなあ、とアーネイは人間そのものに失望せざるを得ない。


「……ちょっと拝見してよろしいですか?」

「協力してくれる気になりましたか!

 くふふっ、勿論ですとも!ただし中身は、ギーネさんとアーネイの秘密ですぞ」

 手渡された書類の一ページ目を捲る。其処には予定表と記され、以下のような文が綴られていた。


 5年 ギーネさんの軍団を百人に増やす。 A級ハンターに昇格

 10年 ギーネさんの軍団を千人に増やす。 SSS級ハンターになる。

 20年 ギーネさんの軍団を一万人に増やす。 捲土重来して故国を奪還

 30年 ギーネさんの軍団を十万に増やす。アルトリウス帝國の第一人者になる

 40年 ギーネさんの軍団を百万に増やす。大陸征服して、アルテミス朝惑星帝國建国

 50年 惑星ティアマットとアスガルドを征服して二重惑星帝國の皇帝になる 

 100年 ギーネさんの軍団を一億に増やす。恒星系征服

 ~中略~

 1000年 ギーネさん銀河帝国の支配者に。

     歴史上の英雄Pルパティーン皇帝やZォーダー大帝を越える

 10000年 宇宙を征服。


「どうです。完璧な計画ですのだ。お后はアーネイ。アテナは宰相にしてやろう。

 最終的には、太陽系くらいのベッドに美女を一京人集めてハーレムを作るのだ」

 夢が広がりますぞー。ぬけぬけとのたまうギーネを眺めてから、アーネイは主君が妄想を書き綴っている紙切れを真っ二つに破った。

「あああ!なにをするのだ!」

 まだ記憶の宮殿にも保存していない。慌てて止めようとするギーネ・アルテミス。

「アホな小学生の妄想ですか!こんなもの。こんなもの。てい!」

 力を込めてびりびりに切り裂いてしまう。


 二枚目以降に、恐るべき生態兵器群を製造する為の理論や化学式、各種の数字統計に数式、軍団の編成、基本戦略と侵攻計画、プラントや工場、発電所の再建計画、資源発掘や資金源構築の方法など具体的な構想が記されているとは露知らず、アーネイの手によって、ギーネ・アルテミスの野望は此処に砕け散った。

 帝國最高の頭脳の持ち主が霊感に打たれたままに組み上げた完璧な計画は、その実行の前に脆くも崩れ去ってしまったのだ。


「……ううう……酷いのだ……理不尽なのだ。

 謀反ですぞ、下克上ですぞ」

 ばらばらに破られた書類をかき集めては、繋ぎ合せているギーネ・アルテミス。さめざめと泣きつつ抗議してくる主君を片隅に放置したまま、アーネイは腕時計で時刻を確認していた。


「さて、そろそろ出発しましょう」

 部屋に戻ってきたアーネイに声を掛けられた『煙草屋』は、どこか途方に暮れつつも肯いた。

 ハンターたちが、なにやら激しく口論していたのは、隣室にいても聞こえてきた。

 見れば、赤毛は口元から血を流しているし、銀髪は破られた紙切れを後生大事に手に持ちながら、むっつりと塞ぎこんでいる。

 一体何が在ったのか。もしかして、自分たちを見捨てるか否かの口論で意見が割れたのかも知れない。

「あー……おう。しかし、いいのか?」

 多少の不安を覚えながら立ち上がった『煙草屋』は、肩を落としたギーネを見据えつつアーネイに訊ねた。


『ううう……一番肝心なところが何処かいっちゃったのだ。

 バックアップを取っておけば。ですが、諦めませんぞ。

 この計画が完成した時。その時こそ、ギーネさんがこの惑星の支配者に……』

 早くも精神的な再建を果たしつつあるギーネの物騒の呟きを耳にして、アーネイは溜息を洩らした。

「いいんですよ。『この程度では、絶対に懲りたりしないのですから』」


「おい、起きろ……出発だ」

 横になったまま『服屋』は動こうとしなかった。

 不審に思った『煙草屋』が歩み寄ると、何時の間にか軽い寝息を立てている。

「おい、置いていかれたくないなら起きろ!」

 声を張り上げると、『服屋』は慌てて起き上がってきた。

「おう……うっかり寝ちまったい。それにしても、耳元で怒鳴ることはねえだろうに。

 もっと優しく起こしてくれよ」

「気色の悪いことを言うな。俺は、お前のお袋さんじゃねえぞ」


 一行が外に出た頃には、太陽はやや西の方に傾いていた。

 旧住宅街は、なだらかな平野部を見下ろす高台のほぼ中腹に位置している。

 微かに『町』の防壁が見える平野に視線を向けて『煙草屋』は目を細めた。

「本当に二時間で『町』につけるのかな。

 夜の曠野を突っ切るのだけは、御免願いたいところだが……」

 危険な土地を突っ切るよりは、時間が掛かっても安全な経路を遠回りした方がいい。

 よほどに腕利きのハンターや、熟練の旅人を除けば、それが普通のティアマット人の判断であった。


「今日中には『町』につけますよ」

 自信満々なギーネに対して、ついつい顔を顰めてしまう。

 腕が立つのは、この目で直接、確かめている。

 勿論、心強いには違いないが、それでも廃墟に踏み込むとなると躊躇を覚えるのだ。

 例え、ハンターたちが怪物を撃退できる腕前を持っているからといって『煙草屋』や『服屋』が無傷で済むとは限らない。


 変異生物や野犬の群れを撃退できる『力量』と、危機を回避できるだけの『慎重さ』。

 案内人としてどちらが望ましいかといえば、後者であった。

 勿論、両方を兼ね備えているならば言うことはない。


「其れほど気が進みませんか?」

 顰め面の『煙草屋』にアーネイが訊ねた。

「ああ。情けなく思うかも知れないが、正直、ビビッている。

 だが、勿論、乗り込むとも」

 気合を入れなおすように、『煙草屋』は帽子をかぶり直した。

 見るからに肝の太そうな外見にも関わらず、怯みを隠そうともしない。


 微かに瞳を細めたアーネイは、小さく肯いてから歩き出した。

『煙草屋』が取り立てて、臆病という訳ではない。

 常人を遥かに上回る身体能力を持つギーネやアーネイとて、迂闊に『廃墟』を歩き回れば生きては帰れる保証は無い。むしろ、恐れを知らない人間こそ危ういだろう。

 一般人から見た『廃墟』とは、それほどまでに危険に満ちた環境だった。


 ばつが悪そうな『煙草屋』が、咳払いしてからアーネイの隣に並んだ。

「ところで、あんたたちは異界からの移民だな……違うか?」

 アーネイとギーネは、視線を合わせた。帝國語も喋っているし、隠す心算もない。

「ええ。それが何か?異界人だと信用なりませんか?」

「……よほどの凄腕でも、廃墟に踏み込む時は緊張を覚えるものさ。

 それがあんたたちには廃墟に対する忌避感も、軽い緊張も見られない」


 帽子のつばを指で下げて表情を隠しつつ、『煙草屋』は痩せた頬に皮肉っぽい苦笑を刻んでいた。

「聞き分けのない餓鬼共を寝かしつけるのに、母親たちは廃墟の化け物を出汁にする。

 ティアマットに生まれ育った奴には、深層意識に刷り込まれているのさ。

 廃墟は恐いところだってな」



「変異生物とは一戦も交えませんよ。やり過ごしてみせます。

 私たちも、プロだと証明する心算ですから」

 アーネイの言葉を聞いて『煙草屋』は口の端をさらに吊り上げた。

「そいつは心強いな」

「ふふ。アルトリウス帝國の勇敢なる貴族にとって、この世に恐れるものなど何一つありません」

 怪物に追いかけられて思わず餡子が洩れちゃった過去など、既に忘却の彼方に消え去ったのか。アーネイの横で主君のギーネも薄い胸を張って大言壮語を吐いていた。


「ああ……おいらも廃墟を進むのはなあ、気が進まない。

 さっきの建物で夜が明けるのを待って、曠野を突っ切った方が良くないか?」

『煙草屋』の十歩ほど前方。背嚢を背負った『服屋』がぶつくさと文句を垂れている。

「いや、どうせなら、隣の建物の方が綺麗だ。どうせなら、あちらで休めばよかった」


「ああ、それは俺も思った。

 予め、避難先としてこの建物に目星をつけていたのかな。

 逃げ込むまでの手際はよかったが、もう少しましな建物を選んで欲しかったぜ」

『煙草屋』が相槌を打った。

 先刻の家屋。天井は崩れかけ、床も所々、穴が空き、壁には染みが浮かんでいる。

 よく言っても、廃屋寸前。悪く言えば、百年前の住居の残骸といったところだった。

 疑問に思った『煙草屋』は、怪訝そうな眼差しを二人組の女ハンターに向けた。


 赤毛のアーネイが視線を『服屋』に返してきた。二人の疑問に応えたのは、屋内にいた間、ずっと窓辺に佇んで外の景色を眺めていたギーネの方だ。

「あの家は住宅地でも高台に位置しています。

 幹線道路を中心に、四方を見下ろせる場所ですから、虫やその他が近づいてくれば」

「ああ……すぐに分るという訳か。見張りも兼ねていたと」と『煙草屋』は合点した。

 幹線道路を見下ろせる箇所の廃屋を選んだのは、偶然ではなかったようだ。

 ガラスの割れた窓から、しきりに外の様子を窺っていたのは、そういうことだったか。


 立ち止まった『煙草屋』は、遠目に出てきた家へと振り返った。

 言われてみれば、外の景色を一望できる位置と改めて気づかされる。

「……なぁる。すまねえ。素人考えだった。

 逃げ込む時には気づかなかった」

「此れで人間相手だと、逆に見張り易い場所に避難すると見つかり易くなったりします」

 補足するアーネイに、文句を言ってた『服屋』も大いに納得して肯いた。

 見た目は年若いが、この二人組はハンターとして知恵も随分と身につけている。

「……此処の廃墟は、其処まで危険度が高い訳でもない。

 よし。あんた達についていけば、何とかなりそうだな」


 坂道をゆっくりと歩いている最中、アーネイは時折、逃げてきたドライブインの方角を振り返った。

「……連中が追ってくる様子は在りませんね」

 赤毛の呟きに銀髪の主君が含み笑いしだした。

「ふっふっ、きっと、わたしに恐れをなしたのですぞ。

 たとえ蟻んこやアメーバでも、我が武勇と叡智は分るようです」

 主君の寝言はスルーして、アーネイは顎に指を当てて考え込んだ。

「……巨大昆虫の習性はよく知りませんが、下手したら二キロどころか、十キロ離れても余裕で追跡してきそうな気がしますよ」

 何気なく赤毛の洩らした言葉に、銀髪は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

「嫌なことを言いますね……多分、獲物に執着する習性はないと思いますが」


 巨大蟻の嗅覚がどれほど発達しているのかについては、諸説入り乱れている。

 少なくないハンターや旅人が巨大蟻からの逃走に成功しているのだから、底なしの執念を燃やして追跡してくるような生き物ではないのだろう。多分、きっと。




 普段であれば瓦礫の山を飛び越え、聳える建築物の屋上を走り抜け、一直線に市街地を横断するルートを使用するギーネたちだが、今は行商人たちが同行している。


 ところどころが瓦礫に塞がれ、路傍には身の毛もよだつような異形の骸が転がり、まるで迷宮のように変わり果てたかつての市街地の街路は、近隣を狩場とする二人のハンターにとっても大半が未踏地であったに違いないが、それでも脳内で地域の全体像を凡そ把握している為か、ほとんど迷うことなく黙々と突き進んでいる。


 時には、崩れかけたビルの内部を我が物顔で通り抜け、時に家屋の軒先を横切り、路上を徘徊している人影を遠目に確認した際には、建物の陰から陰へと巧みに隠れながら、やり過ごす手際の良さを傍目から見れば、なるほど、若いが熟練のハンターに相違ないと、行商人たちもしきりと感心して、黙って先導するハンターたちの背中を追いかける。


 案内人としての技能に対して、いまや全般の信頼を置きつつあったから、どちらも無駄口を叩かない。荒い息遣いだけが微かに響き渡っていた。


 曠野にも、お化け鼠や巨大蟻、八つ足狼といった凶暴な変異生物が徘徊しているが、市街地とて安全な訳ではない。

 先刻、襲撃を受けたドライブインのように大型の物件が丸ごと変異生物の巣窟となっている事も在れば、物資を求めてか。

 敢えて廃墟へと乗り込んでいる命知らずも少なくない。


 特に商業地区や工業地帯の跡地、或いは都心部のエリアなど、かつての文明が残した有用な遺物が眠っていそうな地域では、武装したバンデットや何らかの使命を帯びて探索中の傭兵たち。獲物を求めるハンターにガラクタを漁るスカベンジャー、安住の地を求めるティアマット人やミュータントなど。時には、武装した集団同士が市街地で遭遇し、戦利品や縄張りを巡って路上で激しい銃撃戦に発展することも珍しくない。


 例え、ハンターやスカベンジャーであっても、獲物を独占しようとする同業者と小競り合いになることもあるし、排他的な廃墟居住者の縄張りに入ってしまうことも在った。


 今、通り過ぎているのは、平凡な地方都市。それも歓楽街や住宅地の跡地であったが、それでもスカベンジャーが使える物品を漁っていたのか。或いは、哀れな犠牲者を求める好戦的なミュータントの斥候だったのか。ギーネたちは、一度ならず徘徊する人影を遠目に確認している。



 廃墟を進む中、何処からともなく響いてくる不気味な呻きや物音、遠目に見える人影など、気になることは多々在ったが、それだけに神経を割いている場合ではない。

 傷が痛むのだろう。足を負傷した『煙草屋』は歯を食い縛っているが、額に汗を吹き出しているし、巨大蟻や人食いアメーバから駆け回って逃げていた『服屋』も、困憊しているのか。少しずつ一行から遅れがちになっていた。


 廃墟を進む一行の先頭を切っているギーネは、先刻とは打って変わって無駄口を叩かない。

 神経を集中しているのか。張り詰めた表情をしたまま、時折、立ち止まっては遠方の様子を窺ったり、一行を物影に待たせて一人で偵察しては、音もなく戻ってくる。


 息を乱している『服屋』にアーネイが近寄った。

「荷物を持とうか?」

「いや、大丈夫です」

 荷物を抱えながら、『服屋』は慌てて飛びのいた。

「おい。そんなに露骨に拒絶するな」

 顔を顰めた『煙草屋』が相棒を見咎めて、囁くような声で窘めてきた。

「な、なんだよ?」

「正確には、拒んでもいいが疑っているのを余り態度に出すな。

 そちらの姐さんたちが気を悪くする」

「お、おう?」

 小声で囁いていた『煙草屋』だが、生憎とギーネにも聞こえていた。

「そうですぞ、そもそも私たちが助けなかったら……」


『煙草屋』がばつが悪そうに頭を掻き、『服屋』も肯いた。

「ああ。今頃、命は無かった」

『服屋』の傍らで『煙草屋』が低く言葉を続けた。

「それに、あんたらが悪党だったら、とっくに身ぐるみ剥がされている。

 この人たちは信用して大丈夫だ」

 廃墟のビルに視線を投げかけていたギーネが、軽く肩を竦めた。

「よく分かりません。牽制かな?それとも本当に信頼しているのか。

 当人たちを目の前にして淡々と呟くあたり、肝は太いのでしょうね。この人」


 防壁に囲まれた町中であっても、とても良好とは言いがたい東海岸の治安であるが、門から外に一歩出ればそこは不毛の曠野。

 人間と変異生物とを問わず、日々、容赦のない生存競争が繰り広げられている弱肉強食の無法地帯であった。


 盗みであろうと殺人であろうと、『文明地』の『外』で起きたことは、いかな『悪行』を為そうが、証人がいなければ『罪』とはならず、咎められることもない。

 さして親しくない者と同行した旅人が、荷を盗まれる事なども日常茶飯事であった。

 それでも曠野を行く時は、一人より二人、二人より三人の方が心強い。

 二人の行商人は、ハンターたちと微妙に距離を保ちつつ、しかし、怪物が来襲すれば連携を取り易いような立ち位置を苦心して保とうとしていた。


 ギーネたちに命を救われたにも拘らず、同行している行商人たちは微かな警戒心を捨てていない。それは、けして悪いことではない。

 だが露に警戒し過ぎれば、さすがに気分は良くなかった。


 ギーネから見るに、ティアマット人にとってこの種の慎重さや距離の取り方は、第二の天性に思えた。

 生き残る為に習い性となっているのだろう。廃墟と化した地表をてくてくと歩きながら、命の恩人に対してさえ警戒をしなければ生き残れないほどに、ティアマットの人心は荒廃しており、また環境もそれほどに厳しいのだなあと、ギーネも悟らざるを得なかった。


 心の片隅で憮然としつつも、周囲への警戒はお座なりにならぬよう、通りすがりの廃墟へと視線を走らせている。

 高熱にさらされて歪に捻じれ曲がった向き出しの鉄骨が、天を怨む骸の拳のように空へと突き上げられていた。

 ……『大崩壊』が壊したのは、けして目に見えるものだけではない。

 人々の心に傷も、また深く刻み込まれて、今も癒えずに膿んでいるのだろう。


「……すまねえ。助けてもらったのに。そんな心算はなかったんだが」

 何やら言い訳を呟いている『服屋』に対して、アーネイは淡々と言葉を返している。

「いいえ、気にしてませんよ。赤の他人を信用しすぎるのは、良くありません。

 特に此処はティアマットですからね」

 やや皮肉っぽい響きが含まれていたアーネイの言葉だが、突き放すほどの冷淡さは込められていない。

「……すまん。自分で断っておいてなんだが、やはり荷物を持ってもらえるか?

 このままじゃ、おれっちが足手纏いになっちまう」

「まあ、いいでしょう」

 後ろでがさがさと荷物を受け渡す気配がしたが、ギーネは何も言わなかった。



 不気味に静まり返った住宅街の町並みを黙々と歩くうち、恐らくは、かつての住人の成れの果てだろう。哀れなゾンビたちの不気味な呻き声が聞こえてきた。


 黙ってギーネたちの背中を追いかける行商人たちだが、ゾンビたちの低く重苦しい呻きが大きくなってくるにつれ、落ち着かない様子を見せ始めた。

 哀れなゾンビたちが屯っているであろう箇所へ、段々と近づくにつれ、足取りも鈍ってきている。

「お、おい」小太りの『服屋』が喉を鳴らして問いかける。

「公園を通り抜けます。数匹のゾンビがうろついていますが、のろのろ歩く(ウォーカー)タイプですから、走れば充分に振り切れます。心の準備はいいですね?」

 有無を言わさず、公園へと入り込み、茂みや建物の傍へと近づかずに歩道を突っ切っていく。

 途中、一匹だけ寄ってきたゾンビは、アーネイの下からの蹴りが顎ごと頭蓋を粉砕した。

 吹っ飛んだゾンビの体がブロック塀へと叩きつけられるのを見て、行商人たちは息をのんだ。

「今です、走って。左に曲がって一気に抜けますよ」

 タイミングを見計らっての合図で駆け抜けると、のろまなゾンビが彷徨う大きな公園をあっさりと通り抜けて、一行は公園を挟んで反対側にある街路へと足を踏み入れた。

 ギーネたちは、言うだけのことは在った。

 地理を熟知し、指示も簡素だが的確で、追随しているだけで傷一つ負うこともない。


「あそこに見えるアパートの横の階段を昇ります。

 傍らにある路地の暗がりには、蟹虫が生息しています。近づかないように

 基本的には夜行性の生物ですから、昼の間は縄張りに入らなければ大丈夫。

 ただし、出来るだけ静かに素早く移動して」


 苦しげに喘いでいる煙草屋は、包帯の上に血が滲んできている。

『服屋』も、ふうふうと辛そうに追いかけてきている。行商人だけあって、本来はかなりの健脚の持ち主だが、廃墟と化したティアマットの市街地で見知らぬ道を往来するのは、かなりの神経を削ってくれる。

 行く手を塞ぐ瓦礫の山を、ひょいひょい飛び越えるられる運動能力のハンター二人組と違って、どうしても遅れがちになってしまう。


「もうじき大通りに出ます。そうしたら、廃墟から脱出できますよ」

 そう告げて振り返ったギーネだが、行商人たちをみて歩みを緩めた。

 鼻腔の奥に微かな血の香りを嗅ぎ取ると、じろじろと『煙草屋』の脹脛に巻かれた包帯を眺めた。

「……ですが、その前に休憩を取りましょう」

 途中、ビルや瓦礫に囲まれた路地裏の小さな空間を見つけた一行は、足を止めて小休止を取ることにした。小太りの体格をした『服屋』と足を負傷している『煙草屋』だが、疲労した様子は見られない。

「何故、休む?」

 先を急ぐべきだと考えた『煙草屋』は、顔を顰めつつ、壁際に座り込んでいるギーネに抗議した。

「ここから先、廃墟から出るまで、足を止められる場所がありません」

 はやくも大の字になっている『服屋』を横目に見ながら、ギーネは『煙草屋』にそう告げた。



 挟撃を受けた場合、逃げ道が存在しない地形ではあったが、積みあがった瓦礫は、同時に周囲や上方からの視界も遮ってくれる。

 周囲に敵影のないことは、斥候に出たアーネイが確認済みだった。偵察及び隠蔽の技能で帝國人たちを大きく上回る相手が偶さか、近くに存在してでもなければ、襲撃を受ける恐れは限りなく低い。


 鼻を鳴らしたギーネが、愚痴を呟いた。

『それにしても他人を信用するという行為が危険を伴う世界だとはね。

 赤の他人を町まで連れて行くというだけで一苦労ですのだ』

「……不信が蔓延っている土地では、人助けも骨が折れますな」

「どうせ助けるなら、美少女が良かったのだ。そしたらフラグが立ったかも知れません」

 相槌を打ったアーネイに碌でもない一言を返して、軽蔑の眼差しを向けられる。


 それでも、なんのかんのと愚痴りつつも、ギーネたちは行商人たちを見捨てなかった。

 礼金への期待もあったし、生来の気質からか。善行を行うのにも躊躇はないようだ。


 行商人たちに幾らかの注意を払ってはいるが、そこまで過度に警戒している訳でもない。

 ここら辺、行商人たちとて町に着くには自分たちの案内が必要だから裏切らないだろうと踏んでいるし、其れほどの悪人には見えなかったがゆえの判断もあった。


 三十分ほどの小休止の後、一行は足を休めずに廃墟のエリアを突き進んだが、幸い、それ以降は不審な影に遭遇することもなく市街を通り抜けると、やがて唐突に町並みが途切れた。



 市街地を通り抜ければ、目の前には曠野でも比較的安全な『町』に近郊の平野部が広がっていた。

 コンクリートで舗装された街路の先に広がる赤茶けた平野部。ぽつぽつと廃屋が点在した不毛の曠野へと足を踏み入れた瞬間、誰かからともなく、大きくため息をついた。

「……疲れたあ」



 曠野もけして安全ではない。とは言え、敵対的か、友好的かさえとんと分からぬ正体不明の徘徊者たちの目を掻い潜りつつ、足手纏いを引き連れて、脱出しなければならなかった廃墟での隠密行に比べれば、随分と気も楽であった。

 周囲を警戒しつつも、目的地に近づいている安心感もあって、ギーネとアーネイは会話を交える余裕も生じていた。


 町の周囲に張り巡らされた用水路が、赤い大地に縫いこまれた白い糸のように前方に浮かび上がっている。

 ふっと、両肩に伸し掛かっていた重苦しい空気が軽くなったような気がした。


 水路の周囲では、『町』とその周囲に点在する農場、牧場の人々や、水路巡りの男女が蟻のように歩き回っている姿もぼんやりと見てとれる。

 家畜めいた緑の奇妙な爬虫類などを放牧している人々とすれ違うようになり、ようやく一息をついた。

 安全な土地に来たという安心に、誰ともなく、ため息を洩らして、大きく伸びなどする。


 此処までくれば後一歩であった。ギーネとアーネイの拠点であり『煙草屋』と『服屋』にとっても見覚えがある、懐かしい景色。

 ここまでくれば、危険に対する備えを解いても問題ない。


 町の灰色の壁が前方に近づいてくるにつれて、浮き立つ心が赴くままに、足も少しずつ速まって、何時の間にか、足取りも、慎重な歩調から軽い小走りへと変わっていた。

「に……しても、今回は本当にやばかった。もう一度『町』を拝めようとはな」

 素っ気なく呟いてから、苦笑した『煙草屋』は、行く手に聳えるコンクリートの防壁へと向って歩き出した。


「町に着いたら、休めますぞ」

 先頭を歩くギーネが励まし、アーネイが言葉を言葉を続けた。

「謝礼の話もその時に」

「金を取るのか?」と『煙草屋』

「当然です」

「此方も命を張っている以上、ただ働きという訳にもいかないのだ」

「ああ、お前たちはきっちり仕事をしてくれた。払うのに文句はないよ」

 肩を竦めた『煙草屋』も、支払いを拒む心算はなかった。


「謝礼を約束した身で言うのはなんだけどさ」

 後尾を歩いている『服屋』が口を挟んできた。

「礼といっても、荷物の状態を確かめないと。

 下手したら一文無しだよ……俺」

 傷だらけで白い綿がはみ出た背嚢を眺めつつ『煙草屋』は情けない表情で呻いている。

 相棒の肩を叩くと、『煙草屋』は発破を掛けつつ足を速めた。

「金の話は、町に着いてからだな。今は生きて帰れたことを喜ぼう」




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