22 お前の愛は侵略行為
大崩壊以前、東海岸の全域に網の目のように張り巡らされた幹線道路や市街地の街路の大半は、いまや完全にその機能を喪失していた。
倒壊した建物が灰色の瓦礫の山となって道を塞ぎ、各所で橋梁やトンネルが半ばから崩落し、道沿いの廃墟には変異生物が巣食って通りがかる者を人間、ミュータントを問わず餌食にしている。
寸断された道路が、例え一部なりとも使用に耐える状態であったとしても、油断は禁物であった。人間を敵視するミュータントの哨戒に遭遇して肉片にされたり、貪欲なバンデットたちに襲撃されて奴隷に落とされるのも、またティアマットの日常茶飯事の光景であるからだ。
巨大蟻と人喰いアメーバの追撃を逃れたギーネとアーネイ、そして『小太り』に『カウボーイハット』は、変異生物の群れが巣食うドライブインから一目散に離れてからも逃走の足を緩めず、其の侭、小走りで三十分ほどの距離にある旧住宅街の廃屋へと転がり込んでいた。
怪物から逃れる為に必死に駆けずり回った直後、さらに三十分の持久走。強行軍に次ぐ強行軍に汗だくになった『小太り』は、息も絶え絶えで廃屋の床に転がっていた。
「……疲れ……た……」
「……そんな大きな荷物を持っていれば無理も在りませんね」
言いながらアーネイは、中身が半ばほどの小さなペットボトルを手渡した。
「水です」
「……ありがてえ」
受け取った『小太り』だが、まだ水を飲む元気もないようで、目を閉じたまま体を休めている。
「アーネイ。私も喉が渇きました」
窓際に立ちながら外の景色を眺めていたギーネが、さしてへばった様子もないのに水筒を求めてきた。
「なんです?自分の、もう全部飲んでしまったのですか?」
「奮戦したギーネさんは、喉を潤す権利もあると思いますのだよ?」
「……仕方ないなあ」
ぶちぶち言いながら、アーネイは腰のポーチから予備のペットボトルを取り出した。
「シャトー・ブリュエの赤を所望しますぞ。できれば912年物がいいです」
起きたまま寝言をほざいている主君に手渡す。
「そんなもん在りますか。ほら、ホテルで買った安い水です」
「ちぇ。仕方ない」
貰ったものに文句をつけながら、濁った水に口をつけるギーネ。受け取ったペットボトルを貪るように飲んでいく。
「あっ、こら。私の分残しておいてくださいよ」
「アーネイとの間接キスに夢中になってしまいました。愛ゆえです。許されよ。げふぅ」
「うわ、三分の二も飲みやがった。信じられない」
渋い表情で首を振ってから、アーネイはそんな事もあろうかと買っておいたもう一本のペットボトルを取り出して、喉へと流し込んだ。
「あれ?アーネイ。その水、透明で高価なミネラルウォーターに見えるのですが?」
「……んー?なんのことかなあ?目の錯覚に違いありませんね」
すっとぼけたアーネイは、置いて行かれた迷子の子供のように心もとない表情を浮かべて手元に握りしめたペットボトルを見つめている主君を他所に『カウボーイハット』へと視線を移した。
「其方は大丈夫ですか?」
汗だくな相棒の隣に座り込んだ『カウボーイハット』だが、足の怪我はギーネによって手当てされていた。
ズボンは赤く染まっているが、近づいても鉄錆の匂いが鼻を突くほどでもない。強行軍を経た後も、出血は問題ない量に抑えられている。
手当てといっても消毒薬をぶっ掛けて包帯を巻いただけだが、廃墟で受ける手当てに贅沢を言うつもりもない。
不満が在るとすれば、唯一つ。逃げ込んだ先が、廃墟ともいえない残骸寸前の建築物であることくらいか。
大穴の開いた天井の彼方には、雲の少ない青空が広がっている。
廃屋の壁に寄りかかって身を休めながら、自身と相棒を救出した二人組に鋭い視線を向けて『カウボーイハット』は口を開いた。
「ああ、なんとかな……お陰さまで助かった」
窓際に佇んでいたギーネが、鷹揚に肯きつつ嗜めるような口調で忠告した。
「行商人のようですが、それにしても命知らずな人たちですね。
旅人ならば、最近、人喰いアメーバが増えていることくらいは耳にしてるでしょうに」
『カウボーイハット』は、渋い表情を隠すように唾つき帽子を目深に被りなおした。
「いんや。知らなかったなぁ」
「……付近一帯。人喰いアメーバに加えて巨大蟻までうろついています。
今も襲ってくるかも知れません。私たちなら、長居したいとは思いませんね」
壁に寄りかかりつつ肩を竦めたアーネイが、ちらりとギーネに目配せをした。
今のところは大丈夫だと肯いてから、ギーネは再び外の景色を眺め始める。
「ここの辺りは、久しぶりに訪れたし、前に来た時はあんな怪物共の影も形もなかった。
先日、泊まった集落でも、そんな話は出なかった」
『カウボーイハット』の拳銃はシリンダーに直接、装薬と弾頭を詰めるパーカッション形式だが、金属製薬莢も使用することが出来た。
老人の家から持ち出した36口径弾を装填しつつ『カウボーイハット』はやや途方に暮れた様子で首を振った。
金属製の弾丸は貴重品だが、いつ何時、再び怪物が襲ってこないとも限らない状況で出し惜しみするつもりはない。全ては命あっての物種であった。
装填し終わった『カウボーイハット』が掌で回転式弾倉を銃身に填め込むのを、幾分か警戒の入り混じった視線で眺めつつ、アーネイが用心深そうな口調で提案した。
「取りあえず、そこで倒れている人が動けるようになったら、此処を離れましょう。
目的地が『町』なら送っていきますが……どうしますか?」
見ず知らずの相手である上、ティアマットは人心までもが荒廃している。
助けた相手とは言え、確かに出方の分からない恐さはあった。
『カウボーイハット』の拳銃が自分たちに向けられるのを警戒している。
それとなく心情を察した『カウボーイハット』は、少し考え込んでから頷いた。
「そりゃあ、ありがたい。ここから『町』まで半日は掛かるからな。
道連れが多いなら、心強いな」
油断のない眼差しを向けてくるアーネイに『カウボーイハット』は精々、友好的に見えるよう強張った笑顔を向けながら言った。
実際のところ、出来るだけ真っ当に生きたいとも思っているのだ。少なくとも恩を仇で返す人間ではない心算だ。
それに弱肉強食の厳しい崩壊世界では、今日を生き延びる為に肉体を強化改造している人間も少なくない。損得勘定からみても、拳銃で殺しきれるか分からない相手との殺し合いは御免であった。
崩れた壁の向こう側には、旧高速道路の半壊した高架橋が聳えている。
その彼方に『町』は位置していた。
高速道路から『町』まで、直線距離にすれば凡そ5キロもないだろう。
しかし、その間には、通行困難な旧市街地の廃墟が広がっており、大きく迂回せざるを得ない。
『カウボーイハット』は装填し終わった拳銃をホルスターへと仕舞い込んだ。怪物の襲撃に備えていただけで、あんた達に敵意はないと表明する心算もあったが、無言のうちに伝わっただろうか。
「夜の曠野を歩くのは危険だし、どこかで夜を明かすことになると思うが……
あんたたちがハンターなら、途中で休める場所に心当たりはあるか?」
やや不安を抱きながらの『カウボーイハット』の発言に、アーネイはあっさりと言い返した。
「その点については大丈夫。
私たちについて来れば、町まで二時間でたどり着けますよ」
「……おいおい、まさか旧市街地を横断する心算か?」
正気を疑うような眼差しを『カウボーイハット』に向けられて、応えたのはギーネの方であった。
「おう、私は廃墟には詳しいんだ」
突然、三下のチンピラっぽい発音で言い張った。
ティアマット語を学ぶ際に、帝國とティアマットの両方で放送されたアニメや映画を視聴して『大体、覚えた』のでギーネの会話には、時折、変な言い回しが混じったりする。
『カウボーイハット』は、物凄く胡散臭そうな眼差しでギーネ・アルテミスを見つめている。
ティアマットの無人都市において、未知のルートの探索には常に危険が付き纏っている。
建物や区域全体が、動く者はなんでも餌にする変異生物の縄張りとなっていることもあるし、人類に対して敵意を抱くミュータント種族の警邏隊と出くわす可能性もある。
例え、僅か百メートルの道路でも、物影や路地に罠や怪物が巣食っていないとは言い切れない。
だから、旅慣れた者たちは、大抵、自分なりの見知った経路を持っていたし、廃墟の都市部では見知らぬ道を進むのを好まない。
廃都市のマッピングは命がけの行為であり、ハンターやスカベンジャーであっても、良く見知った地域を除けば、早々に奥まで踏み込んだりはしない。
廃都市の見知らぬ区画を迂闊に動き回ることは、極めて危険な行為であり、よほどの腕利きや熟練者でなければ、基本的に見知った地区の廃墟を漁るるだけで、早々に奥まで踏み込みはしないのだ。
「夕刻までには防壁の中に帰還できます。夕飯は『町』でとれますよ」
乱れた髪をゴムに後ろで束ねながら、淡々とした口調で言い切ったアーネイに秘められた静かな自信に、正気を疑うような眼差しを向けていた『カウボーイハット』も思わず息を飲んだ。
「……この辺は散々、歩き回りました。
のんびり歩いても、二時間で帰還できるルートを知っています」
暢気そうな口調で窓際にいるギーネが口を挟んできた。
「だがなあ、姐さん。自分だけは大丈夫。
そう思って廃墟で死んだ奴だって、世の中には星の数ほどいるんだぜ」
『カウボーイハット』の苦い口調にも、ギーネは動じた様子を見せなかった。
「危険な生物が何処に巣食っているか。避けるべき箇所や、抜け道も知っています。
まあ、此処に留まりたいのなら、ご勝手に。無理には誘いません」
静かな自身に裏打ちされた冷静な言葉を聞いて『カウボーイハット』も決断する。
「いや……そいつが本当ならありがたい。ついて行かせて貰う。
この足だ。あまり長くは歩きたくないからな」
負傷した足をぽんぽんと掌で叩きながら、『カウボーイハット』は、苦笑を浮かべた。
に、しても……
やはり廃屋の壁に寄りかかって身を休めながら『カウボーイハット』は改めて自分と相棒を救出した二人組の女を観察してみる。
年若い二人で装備は軽装。だが、救出の際は水際立った手腕を見せ付けられた。
立ち振る舞いとて、熟練したハンターに勝るとも劣らない。
……何者なんだろうな。
「……あんたらは何者だ?見たところ『町』のハンターのようだが……」
窓辺に腰掛けていたギーネが、偉そうに胸を張ってあっさりと素性を明かした。
「知る人ぞ知る新進気鋭のハンター、ギーネ・アルテミスとは私のことですぞ」
「……すまんが知らない」
「一山幾らのIランクですしね」とアーネイ。
「……ハ、ハンターになってまだ半年経ってないし。
ほ、本当はAクラスが務まる実力が在るけど、面倒くさいからIクラスなだけだし」
ぷるぷる震えながら、強がりを言っているギーネ・アルテミス。
「で、あんたは?」
部屋の反対側、それとなく『小太り』『カウボーイハット』を見張れる位置を維持して、壁に寄りかかっているアーネイに水を向けてみる。
「……ああ、わたしはアーネイ・フェリクスと申します。
其方のギーネに仕えているもの。短い間ですが、よろしく」
片手を振って挨拶するアーネイとギーネの身なりや所作は、『カウボーイハット』の知る何種類かの人種に分類するには奇妙な点が多すぎた。
町育ちでも、荒野の連中でもない。無論、放浪者にも見えない。
……良いところのお嬢さんと身内。最初は、そう思った。
ハンターに憧れて実家を飛び出す、間抜けな町のボンボンも珍しくはない。
良質な武装を整えたり、経験豊富なロートルを雇ってハンターごっこに興じるのはよく聞く話だが……
何かが違う。装備は貧弱で、軽口を叩いている癖、油断は微塵も感じられない。
微妙な帝國訛り。それに二人は、場慣れした雰囲気を漂わせていた。
『カウボーイハット』は中々の観察眼と鋭い感性の持ち主であったが、目の前の二人組の正体を当てることは出来なかった。
ギーネも、アーネイも、ティアマットとは全くの異文化であるアルトリウスの高等教育を修了しており、辺土を防衛する貴族の一員として、古の忍者や特殊部隊のように、単独や少人数でも危険地域で行動できる訓練と経験を積んでいる。
二人の素性を察知するには、余程の知識や想像力がなければ足りないだろう。
それでも、ギーネとアーネイが帝國人らしいことは見当がついた。
表面上は友好的に振舞いつつ、怪物から救助してみた相手に対しても油断していないこともそれとなく見て取っている。
特にアーネイ。『カウボーイハット』たちから長時間、目を離すことがない。五秒ないし、十秒ごとにそれとなく鋭い視線を向けてくる。
不審な動きをしていないか、センサーを張り巡らせているようだ。
『カウボーイハット』の肌をぴりぴりした緊張感が刺激してくる。
「そんな恐い顔をしなさんな。
此れでも感謝してるし、恩人に対して妙な真似をする心算は毛頭ないよ」
ぬけぬけと言うも、アーネイは口元を吊り上げるように微笑んだだけだった。
「信用してくれ、俺は正直者で通っているんだ」
今度は、鼻で笑われた。
……ボンボンじゃない。纏ってる気配は、熟練のハンターに近いものだ。
その心算はないが敵に廻したり、出し抜くなら相当に手強い相手になるだろう。
素性なんて分かる訳ないか。知る必要もない。
俺たちを殺して荷物を奪うつもりなら、とっくにやってるだろう。
命が助かったし、助けてくれた連中もそれなりに信用は出来そうだ。
それで充分だと『カウボーイハット』は己を納得させた。
精々、紳士的に見えるよう微笑みかけて『カウボーイハット』も自己紹介することにした。
「……俺は『煙草屋』だ、そいつは『服屋』」
「煙草屋?」
「……ああ。今さら、見せても強盗に豹変することもないだろう」
敢えて言いながら『カウボーイハット』がポンチョを開いた、と、毛布の裏側にはプラスチックケースに入れたバラのタバコやらパックやら、カートン。そして瓶詰めの葉っぱまでがぶら下がっていた。
「……なるほど。タバコ屋だ」とアーネイが肯いた。
「おう。それで、そっちは『服屋』だ」
「いい加減、起きろ」
いわれた『小太り』、もとい『服屋』が身を起こしたが、相当に億劫な様子を見せている。
持久力に欠ける『服屋』にとっては、怪物からの逃避行と一連の持久走は応えたらしい。
「……もう少し休ませてくれ」
情けない声で呻くと、再び床に倒れこんでしまった。
吐息を洩らしたカウボーイハットの『煙草屋』も、神経をかなり削られていたのだろう。
身を休めるように壁に寄りかかった。本当は無駄話もするべきではないかも知れない。
移動に備え、少しでも体力を回復させておきたい。
窓の傍に立っているギーネが、腰につけていた袋を外した。
「……動けるようになったら、此処もすぐに引き払った方がいいでしょう」
軽く首を傾げたアーネイが、主君に視線で問いかけた。
「……袋の重さからすると、残りの弾数は38発。
スナフキンも砕け散ってしまいましたし。此れでもう一戦するのは不安が残ります」
「……砂付近?」と忘れたのか、首を傾げているアーネイ。
「私を守って散っていったバットの名前です。貴方の同僚ですぞ。後で供養しよう。
町に戻ったら、二代目スナフキンを探さなければ」
「おい、私はバットと同格ですか?」
「あなたの上官が戦死したのに何て言い草ですか!見損ないましたぞ、アーネイ」
「……この野郎」
暢気に馬鹿話している二人に『煙草屋』はため息を洩らした。
「……スリングショットか。
それにしても、そんな玩具でよくあの化け物共を足止め出来たもんだな」
舐めた口を効かれたのか、賞賛されたのか。判断がつかなかったギーネは、取り合えず保留すると『煙草屋』の手元の銃を眺めた。
「……貴方の銃だって人のことを言えないでしょう。
M1851ネイビー……そんな骨董品をぶらさげて、人の武器を玩具だなんて。
まあ、玩具ですけど」
セルフ突っ込みしつつ、ギーネはため息を洩らした。
「しかし、設計思想は古いとは言え、弾の威力は後のグロックやベレッタにも劣らない筈ですが……蟻にはさして効かなかったようですね」
「働き蟻は兎も角、兵隊蟻はこゆるぎもしなかったな」
「……どんだけ頑丈なんですか」
「そう言えば、噂で耳にしたんですが、廃墟の奥には巨大蟻を喰う怪獣みたいな大アリクイが……」
「止めて。聞きたくない」
『煙草屋』は急に黙り込んでいた。
武器を貶されて気を悪くしたのかと思ったが、目つきは意外に穏やかだった。
手元の愛銃に目を落として、奇妙な沈黙の後に名称を繰り返した。
「M1851ネイビー……M1851ネイビーか。
俺にとっては手に入る範囲で、こいつが最高に使い易くていい銃だった」
「……設計自体は古いとは言え、当時の傑作銃です。製造は1851年……」
「拳銃弾が弾かれたのを見た時、我が目を疑いました。
あんなのがうろうろしているとは、さすがにティアマット。魔境ですね」
ギーネが得意げに薀蓄を語ろうとしたので、聞きたくないアーネイが愚痴を返して遮った。
「……弾薬が粗悪品だからなあ。装薬も質が悪いし、時々、量も少ない。
ジャンク屋で売ってるような弾だと、人は殺せても怪物には通用しない」
『煙草屋』の話からすると、粗製乱造されている安い弾薬は目分量の手作業で製造されているのだろうか。
「……そんな話、聞きとうなかった」
内心、銃が欲しかったアーネイは、げんなりした表情になって空を仰いだ。




