07 砂の個人
受付を辞した一行は、今度は獲物の清算窓口へと向かった。
「11クレジットです。お確かめ下さい」
眼鏡をかけたギルドの女性職員が笑顔で安っぽい紙幣を差し出すと、アーネイが手早く確認してから肯いた。
「確かに」
レオは、少しだけ意外そうに眉を上げた。
「ほう。I級ハンターでか」
ハンターとしては階梯の低いギーネとアーネイだが、腕自体は悪くないようだとレオは見てとった。
「1日でそれだけ稼げるのは、Hランクでもそうはいないぜ」
率直な称賛を含んだ言葉に、アーネイが笑って問い返した。
「レオは、かなり高そうですね」
「いんや、俺もHランクだよ。まあ鼠や野犬を狩ってればなれるさ」
自身のタグを見せながら、そう言ったレオは付け加えた。
「G級ライセンスがあると便利なんだがな。中々に取れない」
「なに。今日は運がよかったのだ。この幸運が続くといいのだが」
胸を張って自慢げに嘯くギーネに、それなりに親しく接しているらしい。ギルド職員が追従を述べた。
「いや、大したものですよ。お二人は」
「ああ。運に恵まれた程度で、I級が稼げる金額じゃない」
ハンターとしての相場を知っているレオだから、名ばかりのI級ハンターに稼げる金額なんて、2、3クレジットでも上等な類だと知っている。
ろくな装備を持ってない女二人組で10クレジット以上稼げるなら、それは大したものであった。
「ふっふっふ、おだてても何にも出ませんぞ」
煽てられたギーネ。言葉とは裏腹に調子に乗って鼻高々な様子だった。
「あら、残念」とギルド職員が露骨に落胆してみせると。
「まあ、お酒の一杯くらいなら奢ってあげてもいいのだ」
「本当ですか?」
アーネイも苦笑を浮かべて、嬉しそうなギルド職員に提案した。
「では、後で飲みに行きます?」
薄暗い室内の壁際に立てられているロッカーから、手槍を取り出したカインは、装備を纏めた背嚢を背負い、最後にもう一度だけ室内を見回した。
……大丈夫だ。手ほどきは受けてきたんだ。
肘や膝につけた強化プラスチック製のプロテクターの具合を確かめる為に、二、三度屈伸を繰り返して大きく肯いた。
「よし、準備は万端。問題なし」
不安を押し殺すように唇を噛んでから背中を向けたカインに、寝台で膝をメルを抱えて座っていたリサが呼びかけた。
「何処に行く気?」
「仕事」
言葉少なにカインが呟いた。
「仕事って……ハンターの真似事?」
「マギーみたいには行かないだろうけどさ。色々と教えてもらったからな」
言いながら振り返ったカインだが、笑顔は微かに硬く強張っていた。
微かに怯えを読み取ったリサは、頭を振った。
「だけど……あんたまで母さんみたいに帰ってこなかったらと思うと」
「でも、なんとかして稼がないといけないだろ」
「……あたしがッ。あたしが行くよ」
実際、リサのほうが腕がよかった。
しかし、カインは首を振るう。
「……お前は、家の事を頼むよ。
あと、メルの面倒を見てくれ。俺じゃ無理だ」
泣きつかれて膝に抱きついて眠っているメルを見て、リサは唇を噛んで俯いた。
「……なんとかなるよ。大丈夫。
行ってくる。沢山、獲ってくるから!期待して待っててくれ!」
唇を噛んだリサは、色々な言葉や気持ちを飲み込んで強張ったながらも笑みを返した。
「そっか。うん、なら頑張ってください!」
明るい声で返したリサの言葉に、カインは笑ったようだった。
そしてカインが家を出て、扉が閉まる音が聞こえてきた時、不安に堪えきれなくなったリサは、寝台に座ったまま、抱え込んだ膝の間に顔を埋めて静かに嗚咽した。
どれくらい、黄昏ていただろうか。
……メルが不安になる。しっかりしろ。私が一番の年長なのだから。
気持ちを落ち着かせたリサは顔を上げる。
「この家、こんなに広かったんだ。家賃をどうしよう。引っ越そうかな。」
呟いた瞬間、乱暴に扉を開く音がした。
思わず顔を上げたリサの直ぐ近く。複数の足音がどかどかと鳴り響いた。
目を覚ましたメルが、脅えたようにリサを見つめてきた。
とっさにリサは妹をベッドと壁の隙間に押し込むと、毛布を掛けた。
「動いちゃ駄目」
囁いた直後、立ち上がったリサの視線の先。
遠慮呵責なしに部屋に入り込んできたのは、見知らぬ痩せた老婆だった。
「ああ、いい家だね」
部屋の中を見回して、満足そうに肯いている後ろで、少年が飛び跳ねながら嬉しそうに叫んだ。
「母ちゃん!今日から此処が俺たちの家になるんだね!」
続いて現れた鈍重そうな顔つきの大男が冷蔵庫に近寄り、無言で中身を物色し始めた。
「だ、誰?」
リサは立ち上がり、見知らぬ親子に向かって鋭い声で問いかけた。
スラムにも一応の法秩序は存在している。
自治会員立会いの下、このアパートの部屋は一年間自分たちに済む権利がある筈だ。
契約書もあるし、大家だってそこまで業突く張りではない。
自分に万が一のことが起こっても子供たちが路頭に迷うことが無いように、マギーは出来る限りの手筈を整えておいた。
だが、目の前の男女からは、無軌道で歪な気配が漂ってきていた。
他人の権利など、己の都合だけで笑って踏み躙るどす黒い邪さを隠そうともしない。
生存本能がリサの脳裏で最大限の警鐘を鳴らしている。
「いえ、いえ。此処の大人が死んだと聞いてね」
本人は愛想のいい心算だろうか。
醜悪な作り笑いを顔に張り付かせながら、老婆がリサに微笑みかけてきた。
「子供だけで暮らしているなんて、大人として放っておくわけにもいかないだろ。
今日から、あたし達が面倒を見てやるよ」
一方的で余りに自分勝手な宣言に、しかし、リサは恐怖よりも怒りを覚えた。
ニコニコと不気味に微笑んでいる女に危険を感じ取って、低い姿勢で身構える。
「あんた達、誰。出て行って。人を呼ぶ……」
クロスボウを仕舞ってあるロッカーに視線を走らせながら、其処まで言った瞬間。
横合いから体重の乗った重たい拳が飛んできて、少女をしたたかに打ちのめした。
「大人に向かって!その口の聞き方はなんだァ!」
奇襲で殴りかかってきたのは、大男だった。
激怒に顔を真っ赤に染めて、それまでの寡黙さが嘘のようにヒステリックに叫びながら、死んでも構わないといった風情で少女を押さえ込み、顔面に拳の叩きつけ続ける。
鈍重そうな太い唇に涎を垂らして殴りかかってくる狂人の拳はかなり強烈で、リサには体を捻ってダメージを逃がすのがやっとだった。
「反抗的!反抗的だな!おい!此れは、しつけてやらないとな」
「そうだよ。これから一緒に暮らすんだ。躾けは最初が肝心だからね」
老婆は不気味に微笑み、一家の息子は少女の肢体に欲望むき出しの視線を向けている。
「あまりやりすぎないでくれよ、親父ぃ。売り物にならなくなるぜ」
「ひひ。稼げそうだぜ。肉が付いてる。」
「悪くない家だねぇ。でも、ちょっと陰気すぎるねぇ。模様替えしないとね」
口々に勝手なことを言いながら、一家は我が物顔で部屋を物色し始めた。
老婆が汚い手で壁紙や持ち物にペタペタと触れるのを見て、リサは叫びそうになった。
指を咥えながら、意地の悪そうなへらへらとした笑みを浮かべていた一家の若者が頬骨を粉砕され、絶叫しながら床に転げまわったのは、次の瞬間であった。
息子の絶叫に慌てふためいて振り返った老婆は、扉の前にまたしても見知らぬ老人がたたずんでいるのを見て、驚きに目を剥いた。
「誰だい!」
ベレー帽を老人は杖を片手に、誰何も応えず無言で強盗一味の老婆を睨みつけている。
息子の顔の左半分が血に染まっているのを見て、強盗の老婆は甲高い悲鳴を上げた。
「なんて酷いことを!暴力を振るうなんて!あたし達はこの娘の親代わりだよ!面倒を見てやろうって……」
相手を混乱させるように喚きつつ、懐から素早くピストルを引き抜こうとした強盗の老婆だったが、相手の方が一枚、上手だった。
老人の手にした杖が蛇のようにさっと伸びると、強盗の老婆の手の甲を強く打った。
片手を砕かれ、絶叫した不法侵入の老婆は拳銃を取り落とした。
暴発した拳銃弾が天井を削った。其の侭、間合いをつめた老人によって顔面に杖を叩き込まれると、痩せた老婆は藁のように吹っ飛んで壁に叩きつけた。
乗っ取りを企んだ強盗老婆の鼻が爆ぜた石榴のようになる。骨が完全に砕けていた。
「あ、あんたぁああ!あんた!助けて!暴漢だよぉぉ!強盗だよぉお!強姦魔だよぉ!」
発音が乱れて正確な言葉にはならなかったが、聞く者には兎に角、そう聞こえた。
「よせやい、おれぁ、其処まで趣味は悪くないぜ。気色の悪い婆さんだ」
呟きながら拳銃を拾い上げると、老人は大男に向き直った。
怒りに表情を歪めた大男が唸りながら立ち上がる。
老人は拳銃を構えたが、発砲する前に大男が絶叫してひっくり返った。
その太股には、柄までナイフが突き刺さっていた。
荒い息をつきながら、大男に組み敷かれていた少女が立ち上がった。
老人は、少しだけ見直したように笑った。
「おう、少しは骨があるんだな。まるっきり甘やかされていた訳でもなさそうだ」
笑いながら、倒れている男に拳銃弾を容赦なく叩き込んだ。
乗っ取りを目論んだ一家の長男は両親をおいて逃げ出そうとしたが、老人が杖を投げつけると足を縺れさせてすっ転んだ。
其の侭、馬乗りになった老人が拳を握り締めると、恐怖に絶叫した。
「ひいいい!」
凄まじい殴る蹴るを加える物音が部屋に響き渡る中、鼻血を出している少女は呆然と老人を眺めていた。
ベレー帽の老人は、震えて命乞いしている老婆と鼻血を出している少女を見比べた。
「何やってるんだ?止めを刺すのは、習わなかったのか。まあ、子供には酷かな」
ベレー帽の老人は、泣き喚いている老婆の髪の毛を掴んで喉笛を切り裂いた。
叩きのめされた息子の方は、複雑骨折のまま、家族の死体ともども表通りに放置された。
目を覚まして逃げようが、動けぬままに深夜に地下から這い出た変異虫や大鼠たちに食われようが知ったことではなかった。
「……やれ、やれ。年寄りには酷な労働だぜ。
アルテミスやフェリクスなら、もっと手早くやったんだろうがな、ううむ」
知り合った当初は不仲であった帝國人たちだが、知り合いの老マッケンジー保安官からギーネたちが奴隷商人とやり合って大勢の罪なき人々を助けた顛末を聞いて以来、老人は掌を返していた。
ギイ爺さんにとって奴隷商人は忌々しく思いつつも報復が恐くて、悪く言うだけが精々の目障りな相手だった。
消息を絶った知己も、幾人かは餌食となっていたに違いない。
一味を退治したと聞いて胸の漉くような思いで快哉を叫んで以来、ギイ爺さんの中でギーネたちの評価はストップ高になっている。
「ギイさん」
よろめきながら立ち上がろうとしたリサだが、膝から力が抜けて床にへたり込んだ。
ギイ爺さんは、リサに向き直った。
「ちょいと邪魔するぜ。水道はこれだな」
飄々とした態度で台所に入り込んだ老人。
差し出された濡れハンカチを顔に当てながら、リサは椅子に座り込んだ。
「有り難う……」
気丈に応えるが、流石に体格の違う大男に強かぶちのめされた為、割れるような頭痛にうめき声を洩らしてしまう。
「で、こいつらは何者かね?」
ギイ爺さんの問いかけに、リサは首を横に振るった。
「さあ。多分、乗っ取り屋だと思う」
庇護者を失った子供がいると見るや、残された財産を狙ってやってくるハゲタカのような連中が世に蔓延っていた。
全土で法秩序が崩壊し、さらによそ者や移民が入り混じっている土地では、爆弾のような危険人物や悪夢のような気違いがある日、突然に隣近所の住人となることも珍しくない。
政府や行政、法律は当てにできず、規範や秩序道徳などを守っていては一方通行で不利になり、自分たちの身は武装して自分たちや家族だけで守るしかない。
国民や民族としての連帯感が薄く、或いは破壊されてしまった、俗に言う『砂の個人』としての感性が、文明の崩壊したティアマットの東海岸における通常の感覚であり、当たり前の生き方であった。
忌々しげに舌打ちした爺さんが穏やかに片手で肩を抱くと、鼻血を垂らしながらもリサは安心したようにため息を洩らした。
「わたしは大丈夫だから……だけど、油断した。
これからは戸締りを厳重にしないとね。母さんはもう居ないんだから」
少しだけ感心したように鼻を鳴らして、ギイ老人はリサを見やった。
「まあ、お前さんも頑張ったよ」
毛布の下からもぞもぞと這い出たメルが、顔を出して恐る恐る顔を尋ねてきた。
「お……終わった?」
笑顔を浮かべて手招きしているリサの傍らで、爺さんはベレー帽を傾けて難しい表情で言った。
「さあてね……始まりかも知れんなぁ」
最近、起動時にチェックディスクが頻繁に走って結構、怖い
消えてしまったSSや文章を蘇らせるスタンドとか欲しい




