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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その3 ギーネ ティアマットの地で戦うですぞ 前篇
26/117

ACT 25 凱旋

「……ごめんなさい、本当にごめんなさぁあ……」

 妙齢の女性としては、気まずい醜態を晒してしまったセシルだが、気にしたような素振りもなくティナを慰めている。

「……いや、いいんだ。大丈夫。気にしないで」

 

「ああ、うー。御免……御免なさいー。セシルー」

 すすり泣いているティナの肌からは、後に引かない程度に蚯蚓腫れや打撲の痕跡が見て取れた。

 如何なる目に合わされたのだろう。

 胸のうちに荒れ狂う憤激を押し殺すようにセシルは拳を震わせていたが、少なくない努力を払って無理にも穏やかな笑顔を浮かべると、泣きべそかいているティナの頭を撫でてやった。

「脅える必要はない。恐かったのだろう?もう大丈夫だから」

 優しい笑顔を浮かべて、謝り続けるティナの耳元にそっと手を伸ばしたセシルだが、何かに気づいて瞳を鋭く細めた。

「これ……は」

 少女の耳朶に、番号を振ったプラスチックのタグが打ちつけられていた。

 巨大なホチキスの針で乱暴に縫い止められ、化膿止めの茶色い膏薬がおざなりに塗られていた。

 

 一方で、地面に転がる人攫いたちの死体を調べていたギーネだが、悪漢の一人が腰から吊るしている奇妙な道具に気づいて首を傾げていた。

「……なんですか?このでかいホチキスのお化けみたいなのは?」

「見てそのままだよ」

 自身の耳に触れながら、セシルが激情に耐えかねたか。震える声で説明してくれた。

「タグだ。奴隷を管理する為のタグを、掴まえた人の耳に付ける為のものさ。

 まるで、家畜みたいにね」

 表情を強張らせつつ吐き捨てたセシルの言葉に、ティナが急に脅えを浮かび上げた。

「奴隷商人に……パチン、パチンって……うわああああ」

 上擦った声で叫びながら、虚ろな目になったティナは自分の髪の毛を掻き毟ろうとする。

「わ、わたしは奴隷だって。タグを刻んだ以上、もう、所有物で一生奴隷だって。

 逃げられない。何処に行っても、誰も助けない!掴まったら、殺されるって!だから……」

 ティナは、薬物まで併用して痛めつけられながら、脅し文句をずっと耳元に繰り返されていた。

 人攫いに吹き込まれた恐ろしい脅迫と残酷な仕打ちは、狭い範囲で育ってきて世の中の仕組みを知らない少女の心を砕いて、狂わせるに充分な力を持っていた。

「大丈夫、大丈夫だ!そんなのは嘘っぱちだ!君はまだ奴隷になってない。間に合った!

 売られてもいないし、持ち主もいない。周囲の人々に突き出されたりしない!」

 ティナの顔を覗き込むと、セシルは勇気付けようと力強い言葉で言い切った。

「そして世の中には優しい人も大勢いる。君だって知っているだろう?

 わたしも、そしてアルテミスやフェリクスだって君を助けに来たじゃあないか」

 

 憧れのハンターの真っ直ぐに見つめながらの激励の言葉と優しい眼差しに、少しだけ落ち着きを取り戻したティナだが、やはり不安そうに震えていた。

 セシルは抱きしめて耳元で囁いた。

「そんな傷なんて、何でもない。普通に生きられるよ」

「でも、他の人たちは……蔑むかも。逃亡奴隷だって思って、捕まえて売ろうとするかも」

 脅えているティナに、一瞬だけ躊躇してからセシルは豊かな金髪をかき上げた。

「……ほら、ね」

 セシルが己の耳に掛かっていた髪の毛をかきあげると、歪な傷跡が刻まれた耳朶があらわとなった。

 信じられない物を目の当たりにして、ティナは大きく息を飲んだ。

「こんなものはなんでもない。

 自分は自由なのだと心に決めている限り、誰も他人を隷属なんかさせっこ出来ないんだ」

 

 ホチキスを手の上で弄びながら、抱き合っているセシルとティナを眺めていたギーネは、やり取りに一言も口を挟まなかった。ティアマット世界の慣習や世俗については、若いティナよりもずっと疎いからという理由が大きかった。

 

 人攫いに拉致されたら、その時点で人権を剥奪されるのかな?

 逃亡奴隷を捕まえて突き出す?他者の財産権がそれなりに尊重されているということか?

 しかし、財産権と人権の間でどうやって折り合いをつけている?

 誰もが奴隷に転落する可能性があっては、世界はもっと荒んでいてもおかしくはない。

 弱肉強食があらわな世界では在るが、一定の秩序は維持していたいだろうに。

 ふむ。自治体に登録のある町の住人は奴隷に出来ず、それ以外の自由民が掴まって売られた場合、いずこかの時点で奴隷に転落するなどの仕組みなのかな?

 あくまで現状の伝聞から組み立てた推測に過ぎないが、もし仮定が正しければ……そうなると、市民権は思っていたよりも遥かに大きな価値を持っていることになる。

 ……確かG級ハンターだったかな。身分証代わりになると言われたが。

 ギルドに正式に登録され、大きな町に入るにも通行料が免除、減免されると言っていた。

 なっておく価値はあるかも知れない。

 調べておいた方が良さそうだな。アーネイにも相談してみよう。

 セシルの胸に顔を埋めながら慟哭しているティナに哀れみの視線を投げかけた後、弄んでいた悪趣味なホチキスのお化けを放り投げてギーネは立ち上がった。

 

 古代ローマ帝国では、奴隷の耳に切れ込みを入れることで、自由人と見分けたと言われているが。

 見せたい物ではないだろうに……セシルさんは、ほんまに菩薩やでぇ。

 ちょっと感動したギーネだが、気は進まないでも口を挟まなければならなかった。

「セシル、あまりのんびりしている暇はありませんぞ。

 ここに居たのは、奴隷商人どもの末端に過ぎないのだ。

 恐らくは本隊に逃げ込む筈です。敵の増援が来る前に……」

 振り返ったセシルが、真剣な表情で肯きながら、

「うん。アルテミスの言うとおりだ。もし……」

 ギーネは、思い切り顔を背けた。

「……うっわ、ゲロくっさ!こっち向いて喋らないでください」

 セシルは無言で、ギーネを平手打ちした。

 

「……いきなりビンタしてくるとは、乱暴な奴なのだ」

 セシルから距離を取ったギーネは、真っ赤に染まった左頬を撫でながらぶちぶちと文句を言っていた。

 臭いといわれたセシルは、水筒の水でうがいをしていた。

 水筒の水で口を濯いでから、地面に吐き捨てて袖で口元を拭う。

「済まなかった……だけど、アルテミスだって酷いぞ」

「はあ?人攫いの魔の手から哀れな少女を救うべく尽力した英雄に対して、酷い奴とか本気で言ってるのですか?」

セシルは渋い顔になって言い淀んだ。

「……それは」

「暴力を振るった上に雑言とか、苛めにしてもちょっと意味が分からないレベルですぞ」

「悪かった……悪かったよ」

 口ではセシルはギーネに勝てないらしい。詰まった後に必要もない謝罪をしている。

「暴力だけではなく言葉の暴力でも、私の心は傷つきましたぞ。

誠意を見せて欲しいですね。誠意を。具体的にはその可愛い口で、ひりひり痛む私の頬を舐めて欲しいですなぁ」

調子に乗って下衆顔でほざいているギーネが、追いつめられたセシルへと迫っていた。

「そんなこと……女同士で」

頬が痛いですぞーとかほざいていた亡命貴族は、上目使いにセシルの顔を覗きこんだ。

「囚われの女の子を助ける為に戦った騎士さまに、ご褒美の口づけの一つくらい上げても罰は当たらないと思うのですよ」


 ティナは本気で涙目になっているし、時間も過ぎていくので、それまで周囲を警戒しつつ手負いの保安官の容態を見ていたアーネイが、見かねて口を挟んできた。

「お嬢様、セクハラもそれくらいで。今は時間がありません」

「……アーネイ!あと一歩なんで邪魔しないでください」

「セシルの良心の呵責と弱気に付け込んで、頬にキスしてもらって、そしたらお返しですって自分もキスして、なし崩しに気安くちゅっちゅ出来る関係に持ち込んじゃうのだ大作戦ですか?」

「なっ、何故、それを……はっ!」

 思わず口走ったギーネの言葉に、セシルの瞳がすうっと細められた。

 向けられる冷たい眼差しに、狼狽したギーネが焦りの表情を見せる。

「なんですか?その冷たい瞳は?まさか、フラグが砕けたとでも言うのか」

「逃がした奴が、他の奴隷商人の元へと駆け込むのは確実です。

 近場に他の小部隊やアジトが在るとも限りませんし、商品を奪還する為に新手を繰り出してくるかもしれません」

 言い切ったアーネイは場を取り仕切りつつ、人攫いに捕まっていたティナに鋭い視線を向けた。

「ティナ、他に掴まっている人はいますか?」

「そうだ。それが聞きたかった」セシルもうなずいた。

 呆気に取られた少女だったが、気丈にもハッと肯いて人攫いのアジトへと駆け出した。

「う、うん。何人か掴まっているよー。女の人が多いけど、子供もいたー」

 

 建物に踏み込んですぐ右の廊下に、ご丁寧にも奴隷小屋と書かれた扉があった。

 ティナは此処に閉じ込められていたらしい。

 数人の半裸の女性たちが、頑丈な扉の部屋に監禁されていた。

「みんなー!家に戻れるよー」

 飛び込んできたティナの呼びかけに、座り込んでいた女性たちは初めは呆然とし、ついで驚き戸惑いながらも、全員が喜びを露にして立ち上がった。

「……セシルが。本当に来たのか」

「嘘じゃなかったの」

 

 三人のハンターと一人の子供は、奴隷商人の持っていた鍵で、部屋を開けて捕まっていた女性や若干の男性、子供を次々と解き放っていった。

 捕まっていた人々は、全部で十人近くいた。衰弱している人もいたのは、捕まっていた期間が長かったからだろう。

「ティナァァ!」

「ロブー!」

 

 再開を果たした少年少女が固く抱き合って泣いて喜んでいるのを尻目に、ギーネは捕まっていた人々に尋ねて廻っていた。

「さて、他に捕虜は?この部屋で最後ですか?」

 人々は互いの顔を見合わせつつ、首を横に振ったり、途方に暮れている。

「……多分ー」

 少女のやや自信なさそうな応えを聞いて、ギーネは人差し指を軽く噛んで呟いた。

「潮時かな」

 

「一通り見て廻りましたが、他に人がいる様子は在りません」

 保安官に肩を貸しながらのアーネイの報告に、ギーネが肯いた。

 廊下を走り回っていたセシルは、息を切らしつつ首を横に振っている。

「待って。建物のどこかに、或いは近くの別の建物に、まだ捕まっている人がいるかも」

「口惜しいですが、我々にゆっくり探す暇はありません。

 怪我人もいますし、この人たちを町に送り届けなければならない。

 万が一ということも在ります。敵の増援が来る前に引きましょう」

 現状で確実に当てにできる戦力は、セシルとギーネ、アーネイの三名だけである。

 解放された人々は、抜け目なく奴隷商人の武器を奪っていたが、しかし、衰弱が激しかったり、武器に慣れていない者もいた。

 先刻の奴隷商人たちは、奇襲を仕掛けて混乱しているところを突くことが出来た。

 武装した奴隷商人の集団が、今度は油断もなく、真正面から攻めてきたら、或いは撤退中に襲ってきたら、そう考えるとさすがのセシルにも怖気が走る。

 アーネイの言の正しさを認めて、セシルは苦い表情で肯いてから建物を後にする。

「さあ、みな。自由への帰還ですぞ!凱旋です!」

 集団の先頭に立ったギーネが、背後を振り返って宣言した。

 

 

 

 町に帰り着いた一行だったが、それからが大変だった。

 二日間を彼方此方と走り回って、実際には疲労困憊の極にあったセシルは、ホテルの自室に戻った途端、ぶっ倒れるようにして眠ってしまったし、解放された人々を連れて、取り敢えずはギルドへ向かったギーネとアーネイは、事情聴取に長時間を拘束されて、一から十まで事態を説明する羽目に陥った。

 

 家族や友人と再会した虜囚たちの悲喜交々が町の彼方此方で展開され、ギルドでは一番偉いらしい支部長とやらが出てきて、ギーネやアーネイに同じ説明を何度も求めるしで、紆余曲折が在った後、夜が明けた。

 

 翌日の惑星時間の正午。町の広場には、事の次第を聞きつけた町の住人たちが大勢、集まっていた。その数は、百や二百では効かない。

 自由民や放浪者、旅人などを捕らえては、他者へと売り飛ばしてきた違法な奴隷商人から、哀れな被害者たちを救い出した勇敢なハンターを一目見よう。祝福しようと皆で集まってきているのだった。

 設置された大きな木製の壇上で、ギルド支部長だという頭の禿げ上がった老人が笑顔で肯いており、町長らしき恰幅のいい男性が、見事な手柄を上げたハンターへと両手を広げて歩み寄っていった。

 

 町長が町の住人たちに一部始終を説明してから、英雄となったハンターを皆へ紹介した。

「町の治安に貢献したハンターを紹介しましょう!D級ハンターのセシリアさんです!盛大な拍手を!」

 疎らな拍手や口笛、歓声が沸いている中、

「……あれえ?」

 ギーネは首を傾げつつ、表彰台の下からセシルたちを見上げていた。

「なんだ?これ?たまげたなあ」

 不思議に思った亡命貴族は、隣に立っている家臣に訊ねてみることにした。

「アーネイ。アーネイ。旧市街に人攫いがいると睨んだのは私ですよね?」

「はい、お嬢さま」

 アーネイの返答に肯いたギーネ。続いて二つ目の質問を行った。

「実際に、人攫い共のアジトを突き止めたのも私ですよね?」

「はい、お嬢さま」

 ギーネは考え込むように額に指を当てて、俯いている。

「乗り込んで、悪漢の半分以上を倒したのも私たちですよね?」

「はい、お嬢さま」

 

「おい、どうなってるのよ?これ?ちょっと責任者呼びなさい!」

 小さく叫んだギーネに対して、壇上のセシルは申し訳なさそうな表情をしつつも視線を逸らせた。

 救出された拉致被害者たちが悉くセシルが助けに来たのだと勘違いしてしまったのもあって、伝聞の結果、ギーネとアーネイの立場は、なんかセシルを手伝ったらしいハンターその1、その2に落ち着いてしまった。

「最後にちょっとやって来ただけで、いいとこ取りですか?やっ、野郎!」

「落ち着いてください。お嬢さま」

 荒ぶるギーネをアーネイは切々と宥めている。

 

「……解せぬ。これはなんかの間違いなのだ」

 首を傾げていたギーネが、いいことを思いついたと掌を拳でポンと打った。

「よっしゃ、真のヒーローであるギーネさんも表彰台に昇ったろ」

「お嬢さま、お気を確かに」

「いやいや、わたしは正気ですぞ?

 サプライズや。真打登場やな。みな、わいを歓迎するに違いないで?」

「もう、いい。お嬢さま!もう頑張らなくていいです」

 アーネイに抱きしめられたギーネは、ポロポロと泣きながら叫びだした。

「ううう、あんまりだぁ~~~!!」

 

 金一封(本当にはした金)の後、子供に花束(これはティアマットでは高級品)を贈呈されたセシルが壇上から降りてきた。

 足早に近寄ってきて謝ろうと口を開くが、ギーネは泣きながら逃げ出した。

「お前なんか大ッきらいだあ!!」

 

「あ、お嬢さま」

 声を掛けたアーネイだが、主君を追いかけはせずに、その場に留まったままセシルに視線を向けた。

 セシルは、申し訳なさそうな顔を向けてアーネイに謝った。

「……町長にも説明したんだけどさ」

「分かってますよ」

 二人が話し込んでいると、町長が歩み寄ってきた。

「やあ、セシルさん。今後ともよろしくお願いしますよ?

 出来れば、たまには自警団に入ってもらえませんか?

 貴方のような腕利きが入ってもらえると心強いんですが」

 半志願の当番制である自警団は、それほど危険ではない物の、安月給の上に町長などからいいように雑用を割り振られる仕事であって、メンバーは銃や弓を所持してはいるがあまり腕のよくない町の住人や、食い詰めた三流ハンターばかりであり、到底セシルのような腕利きハンターがやるような仕事ではなかった。

 セシルが首を横に振るうと、町長はさして残念でもなさそうに肯いた。

「残念だ。気が変わったらいつでも言ってくださいよ」

 

 セシルは町長に向き直って、アーネイを紹介した。

「町長。この人はフェリクス。今回の救出劇の立役者の一人です。

 彼女と後二人、ハンターと村の保安官が今回、連中のアジトを突き止めてくれました」

 町長は、ふーんと興味なさそうに肯いている。

「でも、君の手伝い、ちょっとしただけでしょ?」

 アーネイとセシルが渋い表情を見せているが、町長は如何でも良さそうに言葉を続けた。

「そんな有象無象の無名ハンター表彰しても、町の誰も喜ばないと思うよ?

 ここは有名人が奴隷商人から救い出したって方がずっと受けはいいね。

 近隣の町にも知れ渡るし、腕利きハンターな君に対しては、奴隷商人だって報復を躊躇うかも」

 ぬけぬけと抜かしてから、しかし、ハンターたちの渋い表情にニヤリと笑ってから、町長はおのれの存念を説明した。

「それにねえ。その人たちは下位ハンターでしょう?碌な武装も持ってない。

 セシルの手伝い、その1、その2の扱いで名前を出さない方が、彼女たちを奴隷商人の報復から身を守ることにも繋がるんじゃないかな?」

 ギルドの支部長と名乗った老人も、ギーネたちに対してそこら辺の事情は説明したのだが、どうにも亡命帝國貴族は納得いかなかった様子でご機嫌斜めになっていた。

「……気まずいなぁ」

 呟いたセシルに、アーネイは慰めるように言葉を掛けた。

「まあ、お嬢さまも頭では理屈を分かってはいますよ。気持ちが追いつかないだけで」

「そういって貰えると……」

 不安そうなセシルに肯いてから、アーネイは主君を追いかけて歩き出した。

 

 アーネイ自身には、今回の顛末に特に怒りも不満も有りはしなかった。

 元々、名誉や名声を求めるような功名心は薄かったし、主君の身の安全を第一に考えるのが累代の家臣としての習慣でもあったから、これも悪くない結末だと考えていた。

 悪漢を幾人か始末して世の中を綺麗にした上、不幸な人々の幾人かを救い出せた。

 悪くない。うん、悪くない。

 まあ、無名の方が犯罪組織の報復から身を守るには適しているでしょうし。

 派手に名前を売っても、現状では利益がある訳でもなし、狙われたら割に合いません。

 今までの功績もあって、セシルは町の英雄です。

 彼女が殺されたら、自警団や保安官も報復に出るでしょう。

 でも、私たちはそんな風にはいきませんから。

 

 アーネイと別れたセシルは、ホテルに帰ろうと歩き出したが、周囲に声援や声を掛けてくる人々が群がってきて動けなくなってしまった。

 笑顔を返して対応しつつ、ギーネたちのことを考えている。

 気まずい。悪いことをした。こんなことになるとは思わなかった。

 しかし、起きたら英雄になっていて、セシルにとっても不意打ちだったのだ。

 町長に状況を端的に説明されて、確かに一番ましに思えたし、流されてしまったしで。

 ろくに説明する時間がなかったのが、しかし、兎も角も対応が拙かったなあと思わずにはいられない。

 

 町も表彰してくれたものの、報酬は薄い封筒に入ったクレジット紙幣の金一封だけであった。

 助けた人たちも、大半が貧しい自由民に過ぎず、謝礼は期待できない。

 奴隷商人からの戦利品も、急いで逃げ出してきたから奪い損ねている。

 セシルからすれば、完全な持ち出しであった。恐らくギーネたちも同様だろう。

 

 アルテミスはどうだろうか?本気で怒っている顔ではなかったけど。

 拗れるかな。

 やっと人込みを抜けたものの、セシルは途方に暮れて頭を掻いた。

 向こうからすれば、納得はいくまい。

 今はまだ腹立たしさが収まらないだろうし、顔を合わせないのも仕方ない。

 関係を修復するには、些かの時間が必要になるかな。

 しばらくは、用心する必要もあるだろう。人を近付けない方がいいかもしれない。

 もしかしたら、自分は仲間という奴からは無縁な人間なのかも。

 

 そんな暗欝な想いに捉われて、思わず爪を噛んだセシルの肩を誰かが掴んだ。

 驚き、慌てて振り返れば、其処にはブレインとエミリー。

 今はハンターを引退した、かつての仲間が二人揃って笑顔を浮かべていた。

「セシル、やったな!ああ、お前は本当にたいした奴だ!」

「凄い!昔から出来る子だと思っていましたけど、やっぱりですね。

 私の目に狂いはなかった!セシルは私が育てた!」

 セシルは目を瞠った。リーダーの死とそれに伴うチームの解散以来、滅多に会うこともなくなっていた二人が向こうから会いに来たことに戸惑っていたのだ。

「だけど、俺たちを頼ってくれてもよかっただろうに……」

「水臭いですね!本当!今でも腕は落ちてないのに!一人で危険を冒して!」

 祝福の言葉をかけてくる旧友たちの顔を眺めて、しばしの間、呆けていたセシルは、やがてはにかむ様な笑みを浮かべた。

 心のつかえが取れたような気がして、照れ臭そうに髪を掻きながら、曖昧に頷いている。 

 笑顔を浮かべて笑い声を弾かせた時に、ここ数年、常に心にへばり付いていた重苦しい感覚が消えているのにセシルは気づいた。

 三人の愉快そうな笑い声が曇った灰色の空に吸い込まれていく。

 酒の力を借りないでも、今日は良く眠れそうな気がした。


 町から数キロも離れた曠野の彼方。

 険しい丘陵の狭間に位置する奥まった場所に、かつては鉄道の駅舎として使われていたコンクリートの建築物はひっそりと佇んでいた。

 灰色の駅舎の奥深く、三番ホームに置かれた椅子に腰掛けている人物の鋭い視線を受けて、その人攫いはカチカチと歯を鳴らしていた。

 

「……で、むざむざと逃げてきたわけか。君は」

 椅子に座りながら布でライフルを磨いている人物は、涼やかな声で笑っていた。

「あのセシルが!セシルとその手下がやってきたんだ!

 俺たちは戦いました。だが、他の連中は皆やられて、歯の立つ相手じゃなかった!」

問答している二人の周囲を数人の男女が取り巻いており、冷たい視線を、或るは憐れむような眼差しを逃げてきた男に注いでいた。

 部下は必死に弁明をしている。だが、椅子の人物。組織の最高幹部であるところの金髪の女性は、冷たい微笑を浮かべて逃げてきた部下を見つめている。

「たかがD級ハンターに尻尾を巻いて、商品を置いて来たわけだな」

 狼のように獰猛な笑みを浮かべ、底冷えする眼差しで部下を睨みつけている。

 

「そうだな……機会を与えてやろう」

 ライフルを手にしたまま、椅子に座っていた女が立ち上がった。

 均整のとれたよく鍛えられた四肢。奴隷商人組織の大幹部である金髪の女は、皮肉なことに奴隷商人のアジトを破壊したハンターとよく似た美しい顔立ちをしていると部下には感じられた。

 だが、その口元には冷酷さが滲み出た歪んだ笑みが張り付いており、瞳には獲物をいたぶる猫のような残酷な輝きが宿っていて、失敗した部下を塵を眺めるように見つめていた。

「機会をやろう。三十秒だ」

 宣告された部下の顔がさっと青ざめた。

「待ってくれ。ボス。本当に!」

 部下の言葉に構わず、女は数字を数え始めた。

「……ひとつ……ふたつ……みっつ……よっつ……」

 飛び上がった人攫いは、慌てふためきながらホームから飛び降りた。

 そのまま彼方に向かって線路を真っ直ぐに走り出した。

「……十一……十二……」

 金髪の女は鼻歌を歌いながら、ライフルに薬莢を一発だけ込めた。

「畜生!畜生ぉお!」

 狙われている人攫いは必死の勢いで、出来るだけ遠ざかろうと駆けに駆けている。

「……二十……二十二……二十三……」

 金髪の女が銃床を肩に当てて、サイドスタンスでライフルを構えた。

 全力疾走を続けた人攫いとは、既に二百メートル以上の距離が離れている。

 線路の彼方にあるトンネルへと、もう少しで逃げ込めるだろう。

「……二十八……二十九……三十」

 金髪の女が引き金を引いた。200メートル以上先の標的の脊髄を正確に射抜いた。

 人攫いが崩れ落ちると、金髪の女は楽しげにハミングしつつ、ライフルを降ろした。

 

「……どうしますか?ボス?」

 部下の問いかけに、金髪の女は手を振って応える。

「いずれ殺そう。だが、今は時期が悪い」

「奴も用心しているし、かきいれ時でもある。

 今は狩りに専念して、船に売る商品を集めた方がいい」

「それでいいのかい?」と蛙面の大女が聞いてきた。

「守る方より襲うほうが常に強い。

 何時でも好きな時に好きな場所で襲えるからだ」

 この答えは部下達を満足させたようだった。 

 金髪の女は踵を返した。階段を昇って自室として使っている駅長室へと向かう。


「……それにしても、セシルか」

 気に掛かるのか、階段を昇りながら、金髪の女が小さく呟いた。

「姉さん、と同じ名前」

 どこか懐かしそうに言ってから、苦笑を浮かべて首を振った。

「まさかな。幾らなんでも、そんな運命の悪戯はあるまい。

 ……血を分けた姉妹で敵味方なんて、神さまはそこまで残酷なことはしないだろうさ」

 

 

 

 

「どいつも、こいつも、セシル!セシル!セシル!

 なぜだ!何故、奴を認めて、このわたしをみとめねえ!」

 町の南門を過ぎ、人通りや人家もまばらになった町外れの道路で、ギーネが吼えていた。

 ギルドに行っても、ハンターたちはセシルを賞賛するものの、ギーネたちの名前は殆ど出てこない。

 偶に知っていても、ああ、うん。手伝ったらしいね。位の扱いであった。

「落ち着きやがれください、お嬢さま」

「あひゃあんッ!」

 家臣に脇腹をくすぐられたギーネが妙な悲鳴を上げながら背を丸めた。

「アーネイにセクハラされました。主君に劣情をもよおすなんて、いけない家臣です。もうお嫁にいけないので、責任をとってくだしあ」

「頬を染めないでください。不気味な。それより、気持ちは落ち着きましたか?」

「んん……アーネイが優しくハグしてくれたら落ち着くかも?」

「女に抱きついて楽しむような嗜好はありませんので」

亡命貴族は脇腹を撫でながら、背を伸ばした。

「うう、碌に礼金も貰えないのはいいとしても、せめて名誉くらいは欲しかったのだ」

 アーネイは、拗ねているギーネを慰めるように肩を優しく叩いた。

「また、チャンスもありますよ」

 お金は兎も角、名誉や名声に対してはある程度の執着を見せる主君だから、しばらくは面倒なことになりそうであった。

「突き放された言動の直後に優しくするなんて、まるで女衒のようなテクニック。

 アーネイに攻略されちゃいそうです」

 頬を染めているギーネに向かって、マッケンジー保安官が声を掛けた。

「……少なくともわしらは感謝しているよ」

「貴方がいなければ、私たちはきっと助からなかった。なんと言っていいか」

 怪我をしている初老の保安官に寄り添っていた娘さんも、肯きながら真摯な表情で礼を述べてきた。

 アジトで助け出した娘さんは、どうやらマッケンジーさんの村の住民だったらしい。

「南にやってきたら、是非にコリン村に立ち寄ってくれ。その時は恩人として歓迎するよ」

 ギーネは、途端に機嫌を直したようであった。

「まあ、いいでしょう。えへっへへ、感謝されるのは悪くない物ですね」

 

「それじゃ、わしらは村に帰る。また、会えるといいのう」

 老マッケンジーの差し出してきた手を握り返して、ギーネとアーネイは肯いた。

「助けられたことはけして忘れないぞ」

 別れ際にそう告げて、保安官と娘さんは曠野の道なき道をしっかりと歩き出した。

 途中、幾度も振り返っては、大きく手を振っていたが、やがて、その姿も徐々に小さくなっていった。

 

 名も上がらず、報酬も得られなかったが、しかし、ギーネは心に満足を覚えていた。

 主君の満更でもなさそうな横顔を眺めて、アーネイも小さく苦笑してから遠ざかっていく二人へと視線を向けた。

 やがて旋風の吹きすさぶ曠野の彼方、二人の姿が地平線に消えるまで、ギーネとアーネイは遠ざかっていく保安官たちを見守っていた。

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