第17章 山菜マスター
体が満身創痍のため、力仕事から除外された私、田中太郎は、今冬の枯れた山道を、ゾンビのように歩きながら、
食べられる獲物――つまり山菜を探していた。
別に感染したわけではないぞ。
ただ体が痛すぎて、関節が思うように動かず、結果として「それっぽい歩き方」になっているだけだ。
もしこの場所に生存者がいたなら、逃げられるか、あるいは「感染者と誤認」されて駆除対象として襲われるかもしれない。
だが今の俺は、獲物を見つけても、駆除対象にされても、全速力で走ることすらできない。
逃げることも、戦うこともできない。
ただの全身打撲の男だ。
この世界では、一番弱い部類に入る自信しかない。
佐藤曰く、冬でも山菜やキノコは取れるらしい。
ノビル、ふきのとう、せり。
名前だけ聞けば知っているが、それを野山で見分けられるかと言われると話は別だ。
佐藤の実家にあった山菜・キノコ図鑑を渡されたが、正直なところ、写真と実物が一致する自信はない。
それでも、ある程度の場所は教えてもらった。
だからまずは、そこに向かう。
村の近くの山の中を、慎重に歩く。
……お、これは……たぶん、せりに似ている。
正解かどうかは分からないが、一応持っていく。
他にも怪しげなキノコを見つけたが、
これは流石にやめておいた。
キノコの毒は、種類も症状も幅が広い。
しかも今の世界では、「ちょっと具合が悪くなったから救急車呼んで」などできない。
少しの毒でも命取りだ。
病院も、解毒剤も、この世界にはもう存在していないのだから。
少し移動し、川沿いを歩く。
この辺りには、ふきのとうがあるらしい。
……あった。
これは、ふきのとうっぽい。
図鑑と何度も見比べながら確認する。
かなりの数が生えているが、
佐藤から「全部取るな」と言われていた。
二人で食べる分だけ採る。
全部取らずに残すことで、来年、また収穫できるらしい。
……田舎で生きる知識ってすごいな、と感心する。
自然と共生するとは、こういう「取りすぎない」「荒らしすぎない」という行動や判断なのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると――
ザッ、ザッ。
地面を踏みしめる音。
佐藤は、この付近にはいない。
……奴らか?
音の方向を振り返り、周囲を探る。
ここは村の中だ。
入口と出口は塞いだ。
だが――自然領域から入ってくるルートは塞いでいない。
というより、広大なこの土地の中で、森や山からのルートを塞ぎ切ることなど不可能だ。
俺たちが塞いだのは、あくまで人工的に作られたいわゆる舗装された道だけだ。
これまで自然領域に感染者が入らないのは「仮説」だった。
だが佐藤の経験と、俺の放浪経験が重なり、それはほぼ確証に近いものになった。
――とはいえ、それも経験則に過ぎない。
例外は、必ず存在する。
まずい。
今の状態で奴らに出会したら、正直逃げられない。
戦うしかない――。
俺は川辺に落ちていた、手頃な石を二つ掴む。
投げて撃退できるとは思っていない。
だが、何も持たないよりはマシだ。
音が近づく。
川沿いの坂の上か……。
見上げる。
そこにいたのは――
――鹿。
立派な角を持つ雄鹿だった。
悠然とした歩き方。
夕日に照らされ、その姿はどこか神々しい。
一瞬、『もののけ姫』のシシガミ様が頭をよぎる。
こちらを見るが、特に興味は示さない。
人間がいなくなってしばらく経ち、人間を脅威として認識しなくなったのかもしれない。
そういえば、感染者は人間以外を襲わない。
犬や猫、猿や鹿。
目の前にいても、興味を示さない。
音に反応して走ってきて、それが人間でなければ、
何事もなかったかのように省エネモードに戻る。
理由は分からない。
色々な機関が研究する前に、世界が終わったからだ。
ただ、何かしらの理由はあるはずで、その理由は、この世界を変える可能性すら秘めている。
もしかしたら、どこかの研究機関が、まだ研究を続けているかもしれない。
ここに来るまでの田舎道でも、猿や鹿にはよく出会った。
今は冬だが、夏には一度、熊も見た。
人類のフィールドが消えた世界は、同時に、彼らの世界でもある。
もしかしたら、この感染は、増えすぎ、地球を壊しすぎた人間への代償なのかもしれない。
鹿はゆっくりと踵を返し、山へ帰っていった。
また会えるといいな、と思う。
狩って食べるつもりはない。
まず狩れないし、捌く知識もない。
……だが、生きるために必要になったら。
その時は、その時に考える。
そろそろ日が傾いてきたな。
ホームに戻ろう。
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しばらく歩き、村の中心に戻ると、佐藤が外の湧水の所で魚を捌いていた。
「山菜は取れたか?」
俺は籠を下ろし、見せる。
「ふきのとうは、やっぱりあったか。昔、あの場所でよく取ってたんだ」
そう言ってから、籠を覗き――
「……これは毒セリだな」
と取ってきたせりを省く。
え?
「似てるから間違えやすい。まあ仕方ない。
明日、俺も一緒に行こう」
……山の民アシタカ佐藤、さすがである。
俺一人だったら、かなりの確率で毒に当たっていた。
正直、佐藤がいなくても山菜は取りに行っていただろうし、毒だと気づかず、普通に食べていただろう……。
知識は、今この世界で生きるための武器だ。
何も考えなければ、真っ先に死んでいく。
佐藤の存在が、本当にありがたく感じる。
「そういえば、その魚ってどうやって食べるんだ?」
川魚は生で食うと危険だ。
寄生虫がかなり多い。
そして川の寄生虫は、本当に死ぬこともある危険なものだ。
「塩があるし、一旦干物にして、雨の日に家の中で焼くしかないな」
確かに、雨の日は匂いも音も立ちにくい。
だが、焼き魚の匂いは強烈だ。
奴らは必ず嗅ぎつけるだろう。
佐藤が俺の考えを察したように口を開く。
「生きるためには、今後そういうことも必要だろ?
それに、柵を作ったんだ。奴らが来ても対応できるか、試す意味もある」
確かにそうだ。
そして、焼き魚を焼く日に来ると分かっていれば、対策もできる。
そもそも拠点を作るというのは、見つからないためじゃない。
見つかっても、生き残るためだ。
「じゃあ……山菜も天ぷらにしたいな」
いいなと佐藤も同調する。
久々に、食に対する欲が湧いた。
この一年、レーションとか乾パンばかりだった。
味を楽しむ余裕なんてなかった。
食事は本来安らぎの中で取るものだが、今の世界になってからは一番危険な行為だ。
匂いが奴らを引き寄せる。
山菜の天ぷら。
焼き魚に塩。
それだけで、十分なご馳走だ。
いや、久々に食べたら昇天する自信がある。
よだれが出てきた。
はよ雨こい。
「よし、油と塩を探しに行こう」
「もう運び入れてあるぞ」
佐藤が指差した先は、メインホームになる家だった。
佐藤さん、さすがっす。
ここを中心に、今後、避難経路、第一・第二避難所を作る。
そして――畑や用水路も稼働させ、本格的に拠点としていく。
え、トイレ……?
それは山の中ですると気持ちいいですよ。
家の中のトイレは水道が止まっているので流れないし、どうしようもない。
そして、山の中でする最大の理由もある。
別に俺が変態なわけではないぞ。
放浪中、山の中で用を足したことは何度もあるが、その最中や直後に、奴らに襲われたことは一度もなかった。
それがなぜか――理由までは分からないが、推測はできる。
人間の匂いが、土や草木、獣の匂いに混ざって薄まるのだ。
奴らは嗅覚が鋭いが、「人間の匂い」として明確に認識できないと反応しない。
近くをうろうろはするが、それはまだ認識仕切っていない。
ただ、特に自然に存在しない匂いには、異常なほど敏感だ。
それは音も同じだ。
雨音や強風に紛れれば、人間の気配は薄まる。
だが、自然音以外の音には強烈に反応する。
つまり、排泄の匂いというのは、自然の匂いの中に溶け込めば、奴らには判別できないレベルまで希薄になる、ということだろう。
だから、トイレは山の中。
安全で、合理的で、ついでに気持ちいい。
これも、生き残るために身につけたサバイバル術だ。
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「明日は晴れるかもしれない。畑を見に行こう」
俺は佐藤に提案する。
「ああ、それが俺の本職だしな。」
佐藤はサムズアップして笑った。
本格的なスローライフへの挑戦が、ここから始まった。




