第16章 防御柵の完成
佐藤と共に、防御柵へ向かう。
雨は完全には止んでおり、空気の中に湿り気だけが残り、土と木の匂いが強くなっている。
強い雨が洗い流したあと特有の、少し澄んだ匂いだ。
「柵の製作中、何事もなかったのか?」
そう佐藤に聞くと、彼は少し考えてから答えた。
「ああ。奴らは出てこなかった。
もしかしたら、この付近には、もういない可能性もあるな」
確かに、その可能性はある。
初日の夜、村に現れた感染者は三体だった。
その三体は出口側へ移動していったはずだ。
夜だったため服装までは確認できず、警備員の服かどうかも分からなかった。
もしあの時、服装まで見えていれば、前に遭遇した感染者と同一個体だと断定できただろう。
だが、見えなかったものは仕方がない。
仮に、軽トラクラッシュの際に下敷きにした二体が、あの三体のうちの二体だったとすれば、残り一体は、どこかにいる計算になる。
ただし、それが「必ず生きている」とは限らない。
これまでの放浪中、自分でマンホールに落ちて動かなくなる感染者や、壊れた橋から転落していく感染者を何度も見てきた。
奴らは、周囲を正確に認識する能力が著しく低い。
目で段差や障害物を認識できていないのだろう。
よく、木や壁に正面からぶつかっているのを見かける。
基本は音と匂いに反応して動いているだけだ。
だから山道では、ガードレールの切れ目から崖下へ落ち、そのまま死んでいる可能性も十分ある。
……だが。
「いないかもしれない」という期待は、そのまま油断につながる。
そもそも、あの三体と、今回倒した二体が、同じ個体群である保証はない。
感染者は基本的に群れる。
音や匂いにつられて移動はするが、移動先で獲物を捉えられなかった場合、基本的に“元いた場所”へ戻る傾向がある。
元いた場所――つまり、感染した地点だ。
三体が同時に現れたということは、少なくとも三体は同じ場所に集まっていたはずだ。
そんなことを考えているうちに、防御柵の出口側に到着した。
――――――
「……おお」
思わず声が出た。
片側が空いていた場所に、二トントラックが据えられ、道を完全に塞いでいる。
その車体に沿うように、足場板を二枚重ねにした柵が組まれていた。
元々は軽トラ二台分の幅だったため、一台が二トントラックになったことで、少し斜めで不格好な形になっている。
だが、それでも――完全に塞がれている。
「これで、村へ続く出口はふさげたな」
思わずそう口にすると、佐藤が頷いた。
「一旦は侵入を防げる。最悪でも、時間は稼げるはずだ」
そう言ったあと、少し間を置いて続ける。
「あ、あと……仕掛けも作った」
「仕掛け?」
「あれを見てくれ」
佐藤が指差した先には、柵から垂れ下がる一本のロープ。
「軽く引っ張ってみてくれ」
言われた通りに引くと、カラン、コロン、と乾いた音が崖側から響いた。
吊るされた木の棒が揺れている。
さらに佐藤は言う。
「崖ギリギリの所に、匂いのついた布も仕込んである」
音で注意を引き、匂いで崖側へ誘導する。
「最後はこれだ」
渡されたのは、爆竹とライター。
「猿や猪よけに使ってたやつだ。崖下に投げれば、奴らは一直線だ」
……佐藤君、君は天才かね?
正直、かなり完成度が高い仕掛けだ。
ただ一つ言わせてくれ。
もちろん俺も似たような仕掛けは考えていたからね。
もちろん柵だけで終わらせるつもりなんてなかったからね。
俺の中の「実は俺もやれるんですけど?」という変なプライドが、こちらをチラ見し始めている気がする……。
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「入り口側にも設置すれば、かなり対策になるな」
佐藤は頷く。
ただし――前提条件がある。
「気づかれないこと、だな」
俺がそう言うと、佐藤も静かに同意した。
感染者は、一度“獲物”と認識すると変わる。
音や匂いよりも、獲物そのものを最優先で追う。
その時の動きは、「普段はほぼ見えてないくせに、急に視力10.0になるんじゃないか」と思うほど正確だ。
もしかしたら、普段は省エネで視界をオフにしていて、獲物をロックオンした瞬間だけオンになるのかもしれない。
……もちろん、完全に憶測だ。確証はない。
だからこそ重要なのは、最初から獲物として認識させないこと。
――この辺に、なんかいそうだな。
その程度に留める。
そして「こっちだよ」と、別の方向を指し示してやることで、勝手に自滅していくように仕向ける。
柵は針金で隙間なく固定され、外から中は見えない。
その代わり、中から外も見えない。
そこで太めの錐で覗き穴を数か所開けた。
普段は木屑で塞ぎ、必要な時だけ中から確認できる。
これで、防御柵は一旦完成だ。
次は索敵用の櫓。
高さ二メートルの柵ができたことで、入り口・出口につながる県道が見えなくなった。
高い場所から周囲を確認できる索敵台が必要になる。
だが、本格的な建築は不要だ。
足場板の倉庫に残っていた三メートルほどの脚立を使い、それを足場板で連結すれば簡易索敵台になる。
乗ると、お股がヒュッとなる。
安定性は正直ない。
だが、早めに奴らの来訪に気づける方が重要だ。
入り口側と出口側、両方に設置して、今日の作業は終了。
心なしか、体の痛みも引いた気がした。
……気のせいだった。
少し走ろうとして、即座に諦める。
「まだ無理だな」
佐藤が笑う。
「今、十四時くらいか」
佐藤が言う。
「提案なんだが、家を一箇所にまとめないか?物資も集めて」
確かに合理的だ。
だが俺は首を振った。
「二箇所、できれば三箇所にしよう。急襲された時の逃げ場は、多い方がいい」
佐藤は少し考えてから頷いた。
「確かに」
最近、佐藤ばかり活躍している気がする。
俺だって一年、一人で生き延びてきたんだからね。
こういう意見は、放浪の先輩としてちゃんと言っていかねばならない。
また変なプライドがチラ見している……気がする。
気ではなく、しているんだが……。
ただ……今は満身創痍の足手まといだ。悲しい。
ただ満身創痍だからこそ、佐藤の優しさや凄さに気づけたのだろう。
そしてこの怪我がなく、体調が万全だったなら、
そもそも関わることすらせず、
佐藤がこの村に来た時点で場所を放棄していた可能性が高い。
縁というのは、つくづくタイミングだなと思う。
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「じゃあ、まずはメインホームを決めよう」
そう言った瞬間。
「了解。俺は暗くなるまで資材運びと補強を進める。
田中さんは休んでてくれ」
「いや、俺も――」
動こうとして、体が拒否する。
痛い。
普通に痛い。
「だろ?」
佐藤は苦笑した。
とほほ……。
「もし暇なら、山菜でも取りに行くか?
近くで取れる場所がある」
佐藤からの提案。
そして俺は、山菜マスターへの第一歩を踏み出すことになる。




