50.応接室
職員室のヴィゼル先生を訪ねると、そのまま応接室へと通された。ノックをしてドアを開けると、中で待っていた人物が、音もさせずに立ち上がる。
黒を基調とした、隣国の正装を纏ったその人は……。
「フレ……オルフィズ大公殿下」
私の後ろにはヴィゼル先生も居るので、内心慌てて彼の名を呼び直す。
私が慌てたのに気付いている彼は小さく笑い、ソファを離れて私の前まで来ると、私の手を取っりソファまでエスコートすると、自分の隣に座らせようとするので慌ててしまう。
「エイシェン・オルフィズ、うちの生徒を侍らせるのはやめて貰おうか。コーラル・ユリングス、私の隣へ来なさい」
フレイムを名前で呼び捨てにしたヴィゼル先生に手招かれて、向かいのソファに行こうとすると、腰に太い腕が回り強引に彼の膝の上に座らされ、抱きしめられた。
「エイシェン! いくらお前でも、やって良いことと悪い事ぐらいわかるだろう」
珍しく声を荒らげるヴィゼル先生を、フレイムは完全に無視をする。
「オルフィズたい――」
彼の名を呼びかけた私を、彼の視線が否定する。
あの名で呼んで良いのかしら……? もしかして、ヴィゼル先生とお知り合いなのかしら。
「フレイム? あの、せめて、椅子に座りたいのですけれど」
「俺は君を抱きしめていたい」
甘さを纏った視線でそう言われて、胸がドキドキする。
「で、でも。ヴィゼル先生もいらっしゃいますし。恥ずかしいですし、学園内で秩序を乱すような事はすべきではないと思います」
頬を熱くしながらそう伝えれば、「それならば仕方ない」とソファに下ろされる。私が対面のソファに移動しようとすると、「妥協したのだから、君もこのくらいは許せ」と言って私を隣の席に留める。
「お前は、少しは我が儘が治ったかと思えば、全然進歩がないな」
正面からヴィゼル先生の冷たい視線がフレイムに突き刺さる。
「馬鹿をいえ。他のことは我慢してるんだ、コーラルのことは大目に見てくれ」
気安い口調の二人の様子に、ソファに小さく座りながら首を傾げる。
そんな私に気付いたヴィゼル先生が、この学園の同級生だったのだと教えてくれた。
「まぁ、そうだったんですか。今でも仲がいいんですね」
「いや、そうでもない」
「利害関係のみですよ」
即答された二人の答えの軽妙さに、仲が良いのだろうなと察する。
「それで、お前の要望通りコーラルを連れてきたぞ。なにか用があったのだろう? さっさと済ませて帰れ」
隣国の大公殿下に対して随分と砕けた言い方だけれど、当のフレイムはなんとも思っていないらしく彼に言い返す。
「じゃぁさっさと出て行ってくれ。恋人同士の語らいに無粋だろうが」
「恋人同士だと? 寝言は寝て言え。それに二人きりになんてできるわけがないだろう。生徒を守ることも、教師の使命だ」
頑として動かないヴィゼル先生と少しの間にらみ合ったフレイムだけれど、すぐに諦めたように肩を竦めた。
「仕方あるまい。居てもいいが、聞いたことは他言無用だ、そこで黙って置物になってろ」
むっとした顔のヴィゼル先生に、フレイムは冷たく言い放ち。それ以上用は無いとばかりに私の方を向いた。
「君の父君と話をしてきた」
あまりにフレイムがヴィゼル先生をぞんざいにするのを気にしていた私だったけれど、フレイムの言葉に目を瞬かせた。
「お父様と?」
頷く彼に、その行動の早さに驚いた。
目を丸くする私に、彼は視線で優しく微笑む。
「あの花のことも理解していただいて、保護することにも同意いただいた。彼と相談して明日にでも、この街を出ていただく事になっている。場所は明かせないが、悪いようにはしないから安心してくれ」
彼の真摯な表情と声に、それが信じるに値することである事を確信して、胸が熱くなる。
「オルフィズ様、なんて言ったらいいか。本当に、ありがとうございます」
これでお父様は大丈夫……いえ、待って。
我が家に新しく来ていたメイドの事が頭を過ぎり、背筋がすぅっと冷えた。
「――向こうと通じている者が、父の会社に……」
もしも、そこから話が向こうに伝わっているとしたら。
目の前が暗くなりかけた私の両肩を、彼が掴んで正気に戻す。
「大丈夫だ、そっちも対処してある。勿論、神父もだ。俺がそんなヌルい仕事をすると思うか? 外の事は、俺に任せろ」
見下ろしてきた、自信に満ちあふれた視線に射すくめられる。
自信……それだけじゃ無い威圧感に、身震いし。縋るように、彼の上着の端をそっと掴み。彼の自信に、私も信頼を返す。
彼の瞳を見上げ、視線が絡まったのを確かめてから、ゆっくりと一度だけ瞼を上下させて視線で頷く。
「はい。オルフィズ様にお任せします」
見上げた彼の目の奥が、ゆらりと燃えた気がした。
一瞬後、肩にあった手が背中に回り、抱きしめられた。
「――このまま、連れて帰りたい」
「さっさと、その手を離せ。それ以上、うちの生徒に不埒な事をするようなら、強制的に学園から排除して、二度と入れないようにするぞ」
ヴィゼル先生がそう警告してからゆっくりと魔法の詠唱をはじめたのを見て、フレイムは私を囲っていた腕から力を抜き、私はそそくさとその腕の中から出て少しだけ離れる。
「ほら、これでいいだろう。それで、件の人物は?」
ヴィゼル先生にそう尋ねる彼に、内心首を捻る。
件の人物? 私の他にも誰か呼んでいるのかしら。
一体誰を……。
胸の中がざわざわするのはどうして?
「もうすぐ――ああ、噂をすればだな」
ヴィゼル先生がそう言った途端、応接室のドアがノックされ。応じる声に入ってきたのは、ジャンクルーズ殿下だった。
慌てて立ち上がった私と、ゆっくり立ち上がった二人を見渡した殿下はフレイムに視線を止め、少しだけ表情を強張らせた。
「お久しぶりです、オルフィズ殿」
「ああ。久しいな、ジャンクルーズ殿」
近づいてきた殿下と、表面上は穏やかに握手を交わした二人に、少しホッとする。
つい昨日、殿下にフレイムの母国……オルラング国と戦いになるかもしれない、という話を聞いたばかりだったから。
彼の国と戦いになるとしたら、きっかけは何かしら。
現状、二代前の王女様がオルラング国の王と婚姻してから、国境の争いも無くなり。貿易もつつがなく行われているようだし……。心当たりと言えば、お父様が隣国にて販売していたシロウネ草の薬しかないわね。
体の前で丁寧に重ねた手に力を込めて、動揺を押さえ込んでいた私の手を、フレイムが取って私の注意を自分に向けさせた。
「コーラル。外の事は俺に任せて。君は君の全力を尽くせ――愛してる」
突然の彼の言葉に、一瞬頭が真っ白になり、それから沸騰するように顔が熱くなった。
「な、あ、ふれ、なにを、おっしゃ……っ」
殿下やヴィゼル先生の前で、愛してるだなんて!
その上、触れるだけのキスを唇の上に落として、私を更なる混乱へと落とすと、自然な動作で私を応接室から押し出すと、私の耳元に口を寄せた。
「愛してるよ。コーラルは?」
強請る言葉に、胸が強く脈打ち顔が熱くなる。
至近距離の彼を見上げて、彼にだけ聞こえるように私も言葉を伝える。
「私も、愛して、おります」
嬉しそうに目を細めた彼が、一度強く私を抱きしめてからその手を離した。
「次に会うのは、君の卒業試合だろう。その時まで、お互い、最善を尽くそう」
「はい」
目の前で閉められたドアの前で、少しの間立ち尽くし。それから顔を上げて、応接室に背を向ける。
この中で、我が国の王子と隣国の大公である彼がどんな話をしているのかはわからない。
だけど、彼は全力を尽くすと言ってくれた。
私も、全力を尽くすわ。
私は燃え上がるような決意を胸に、ランを探すべく、寮へと急いだ。




