力を求めて
「次の任地はここからそう遠くないから、仕事次第ではすぐに来ることができるかも」
――見送りの時、セリスは俺へ向けそう言った。
昼食後、彼女は足早に屋敷を去ることになった。こちらは「わかった」と短く答え、セリスは手を振りつつ屋敷を離れた。
その後ろ姿を見ながら、考える……俺が学んでいる剣術や魔法は基礎的なものでしかない。けれど、そんな俺でも明瞭にわかる――再会する度に、彼女は強くなっている。
最近では異名の『蒼き女神』が帝国内どころか他国でも定着したらしく、様々な場所で異名が取り沙汰されるようになった。もっとも本人は困惑している。女神という呼称に「本物の女神様に申し訳ない」と言っていた。
ただ俺自身は、異名通りだと考えている……共に戦う騎士や勇者は間近で彼女の成長を実感していることだろう。彼らにとっては頼もしく、それでいてさらに神々しさが増しているように感じるかもしれない。
一方で、俺は……彼女が遠い存在になっているのだと、感じている。いや、元々そんなに距離は近くなかったのかもしれない。婚約者という関係からルディン領を訪れてはいるけれど、それは果たして彼女が望んでやっていることなのだろうか?
真意を尋ねようとしたことは何度もあったが、俺は結局訊くことができなかった……何故、と自問自答した時、俺には何もないからだと思った。
ただ政治的に決められた婚約関係。俺にはそれしかない……だからこそ考えてしまう。彼女と対等になるのはどうしたらいいのか。
まだ執政には携われず、そもそも辺境の領主と彼女とでは釣り合うわけがない。だから領主という立場以外で、何か彼女と対等になれるものがないか……考え続けた結果、一つの結論に達した。
――セリスと共に戦える力。成長していく彼女に並び立てる実力。だから俺はいつしかこう思うようになった……力が欲しい、と。
例えばの話、セリスから「婚約を解消してほしい」と言われれば、おとなしく引き下がるつもりだった。何より優先すべきは彼女の考えであり、俺の考えなど二の次であるのは当然である。
国が正式に婚約を解消する、ということになっても俺は「わかりました」と受け入れるつもりではあった……俺が求めているのは、彼女のパートナーとして候補に上がること。現状では、幼少の頃よりただ決められた関係性しかないため、その状況を打開したかった。
可能であればセリスが婚姻を結ぶ相手として、その候補になれれば……力を得ることで対等になれば、世間的にも現在の関係性が認められるのでは。そんな考えから日々、願うようになった……力を得たいと。
だが、どれだけ剣を振ろうとも彼女に追いつくことなどできはしない。俺が剣を振り魔法を学び、日に一歩ずつ強くなるとすれば、彼女は一度の魔物討伐で百歩も千歩も強くなるだろう。結局、魔物との交戦経験だってロクにない俺には対等の力なんて不可能な話だった。
でも、それでも――頭の片隅で、俺は願い夢想する。彼女と肩を並べて魔物と戦うような光景を……それが可能な物があるとすれば――
「エルク様」
ふいに名が呼ばれた。見ると目の前に侍女がいた。執務室で考え事をしていたのだが、侍女が入ってきたことも気付かなかった。
「すみません、ノックをしても反応がなかったので……」
「あ、うん。大丈夫。どうしたんだ?」
こちらが問い掛けると侍女は少し戸惑った表情を見せつつ、
「ラドル公爵がお見えです」
「え?」
思わず聞き返した。その名は現在の皇帝陛下――その弟君であり、セリスの叔父にあたる人物の名だ。
彼はセリスの婚約者である俺に目を掛けてくれる存在である……他の皇族はほとんど来ることはないのだが、公爵だけは例外的に度々足を運んでくる。ただ、いつもは事前に連絡が来ていたが。
「約束はしていないんだけど……」
「はい、私も伺っていなかったので確認をしたら、連絡はしていないがそれでも会いに来たと」
……今日は忙しい日だな、と内心で思った。午前中にセリスがやってきて、午後にはラドル公爵が。二人が鉢合わせするようなことは一度もないが、もし時間がずれていたらどうなっていたのか。
俺は二人の関係性そのものはあまりよく知らない……公爵も「こうして顔を合わせることはあまり話さないでくれ」と言っていたので、俺もセリスとの会話で喋ったことはないのだが……。
ともあれ、来たのであれば迎えなければならない。
「お茶の準備を」
「わかりました」
侍女は応じ、部屋を出る。俺は一呼吸置いた後に、ゆっくりと立ち上がった。
屋敷内を歩き、玄関へ辿り着く。そこに、黒い貴族服を着た白髪混じりの男性が立っていた。
精悍な顔つきに加え、背筋が伸ばされたその男性は、相対するだけで俺も自然と背筋が伸びる……右手には革製の鞄を持っており、俺が近づくと公爵は笑みを浮かべた。
「すまないね、突然」
「いえ、大丈夫です……客室へご案内します」
俺が先導する形で歩き出す。程なくして辿り着いた客室で向かい合うようにソファに座り、侍女がお茶を運んできた。
その間に彼は鞄の中を漁り始める。侍女がカップをテーブルに置き退出した後、彼もまたテーブルに包みを一つ置いた。
「今回訪れたのは、君に是非見てもらいたい物があってね」
「はあ……」
「――エルク君は以前私に言っていたね? 領主として責務を果たすために日々努力はしている。その中で力が欲しいと」
その言葉に、俺は首肯した――幾度となく領地を訪れる公爵に、俺は過去力を求めていることを語ったことがある。ただし、セリスと対等な存在になりたいという願いはさすがに語っていない。表向きの理由として「領主として、魔物を追い返せるくらいの力は欲しい」と伝えてあった。その点についても事実ではあるので、嘘は言っていない。
とはいえ、公爵がその言葉を信じたかどうかはわからない……いや、俺の内心など見破っているだろうと聞かなくともわかる。時折、公爵の黒い瞳が俺を鋭く射抜く時がある。きっと、俺の内心など全て察しているに違いない。
「君はこの領地を守る責務がある。力を求めているのも理解できる……が、領主という立場になったために魔法学園へ入学ができず、剣を訓練しようにも良き指導者に出会うこともできなかった……そして君自身も武については凡庸だと語っていたな?」
「はい」
俺は即座に答える――そもそも、剣と魔法に才能がない。それは紛れもない事実。
「ならばと、私は考えた末に、魔法の道具を用いれば良いという風に考えた」
「魔法の道具……ですか」
「道具の力によって魔力面をカバーする。魔力を増やせばやれることも増える」
「……そう、ですね」
俺は頷いた。すると公爵は笑みを浮かべ、
「今日は君に良い物を持ってきたのだ。扱えるかは道具が君のことを認めるか否かであるが、試してみる価値はある」
そう言いながら公爵はテーブルに置いた包みを取った。そこにあったのは、占い師が用いるような水晶球のような物。ただ色が漆黒で、一目見たとき不気味に思えた。
そうした俺の視線に気付いたのだろう――公爵は、俺と球体を交互に見ながら、説明を始めた。




