10 一瞬の平坦 2
相手はすぐに我に返った。「ああごめん、ここがね」胸を軽くたたく。
「ちょいと持病があって、急に息が詰まることがあるんだ」
別に苦しげではなかったが、カケルは一応聞いてみた。
「だいじょうぶですか」
「ああ、もう平気だよ」先ほどのように楽しそうに笑っている。
「ところでさ……一人で出ようと思ったのかい? ご家族に話は?」
「まだしてません、友だちと共同で住もうかと思ってるんですが」
「共同で? 友だちができたの? ここで」
なぜか竹中にはすんなりと語ってしまう。
「はあ……女の子の」
竹中の眉が、今度は悪戯っぽくはね上がった。
「ははあ。素敵じゃないか。同棲だね」
「いえ……」カケルは急に照れくさくなって下を向いた。ドウセイ、という言い方に時代めいたものを感じながら、すゞの顔がちらりと目の前を横切り、ついニヤついてしまう。
「ここから近いの?」
「はい、歩いて十五分はかかりません、駅の近くです」先回りしてこんなことを言う。
「家族がどこかに落ち着くまで毎日様子は見に来るつもりですが、いずれ結婚しようかな、と」
「それはいいことだね」
竹中は何度もいいことだね、と繰り返し、カケルの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「また住所を教えてくれ、結婚しても別にいなくなるわけじゃなし。ボクも何かとまだ手伝ってほしいこともあるし、御家族のところにもちょくちょく顔をみせてやってくれよ」
「そのつもりです」妙に鼻息荒く、カケルは顔を上げて答えた。
今までも時おり、頼まれると竹中の補佐をすることがあった。地区への配布物受け渡しを手伝ったり、代表者会議に同行したり、それほど負担の大きな仕事ではなかったし、誰かに頼られている、という安ど感があってカケルはいつも喜んで彼の手助けをしていた。
彼の頼みごとを聞いてささやかな期待に応える、それが何故なのか、家族に頼まれた仕事を引き受けるのよりもずっと張り合いがあってやる気が出る。
カケルが張り切って答える様子を面白そうに見ていた竹中が、急にあらたまった口調になった。
「ところでさ、今日の夕方時間空くかな、一時間くらいだけど」
「だいじょうぶだと思いますが、何か」聞いてみると事務局へ代理で出かけて書類を受け取ってほしいとのことで
「いいですよ」
そう答えると竹中はほっとしたように笑みを浮かべた。
父がどんないきさつで彼と友人になったのかそう言えばカケルは聞いていなかったが、生真面目ながらも穏やかで柔軟なイメージが、カタブツの父にもやはりどこか心地よかったのかも知れない、とふと思う。
カケルたちは元々二区の住民ではなかったのだが、彼ら大所帯を、どういうツテか分らないが竹中はさっさと二区からの避難民として登録してくれた。
そして手続きがすんなりと済んでから間もなく、体育館後ろ片隅に物資の段ボールがうず高く積まれていたのを
「ちょうどここ片付けようと思ってたんだ、カケルくん、手伝って、それとお兄ちゃんも」
とてきぱきと指示を出し、一家族がゆうに割りこめるだけのスペースを作ってくれたのだった。
パーテーションに用いる段ボール一式、ニコニコしながら手配してきて言った。
「これ、モニター募集中だって、よかったら使ってみてまたアンケートに答えてよ」
とにかく、彼らに全然押しつけがましいことを言わないのが気遣いに溢れていた。
あまり人をほめない恵でさえ、ふと「竹中さんがついていてくれたら安心ね」と漏らしたことがあった。
ありがとう、ではまた夕方頼んだよ、四時過ぎに電話するから、そしたらボクの『うち』まで来てくれ、じゃあね、とたて続けにしゃべってから竹中はうれしそうに手を振ってまた体育館に入っていった。
竹中の『うち』は、分かりやすい場所、ステージのすぐ前にあった。もともと独りものだし慎み深い性格なのか居住スペースは一般的な独り暮らしよりもさらに狭い。それでも「どうせ夜、寝に帰るだけだからね」と笑っている。
チャンスさえあれば他人より有利な場所に眠り、他人より少しでも多く食糧を得たい、そんな人たちが明日よりも今日という状態で無数にひしめいている中で、やはり彼のような人間はかなり特殊とも言えた。
あまり欲のないカケルですら、竹中の域にはとうてい達することができない。
「つうか、どうして無表情になるのかが気になるな」
すゞと散々絡み合ってから、カケルはふと、そうつぶやいた。
「なーにが? ムヒョウジョウ? なに?」
ふざけた口調でさらにからんでくるすゞを押しのけるようにしてカケルは笑う。
「カンケーねえよ、別にさ」
どこかで、関係しているのかも知れない、と思った時胸が妙にざわついて、カケルは不安を紛らわせるためにまた、すゞに抱きついた。
今は。
今は、考えたくない。




