07 新しい恋人 2
「俺より先に店出てたのは知らなかったけど、男がいただろ? 彼も狼なのか?」
「ははぁぁ?」サンダルをカタカタと鳴らして、少女が笑う。
「見てたんだね、店に入ったのは。でもさ、なんだか、カケルさあ、もう恋人みたいなこと言ってるぅ」
「何だそりゃあ」
カケルは呆けたようにそうつぶやいて彼女の笑いこける姿を見ていた。
「おかしいね、カケル、ふふふ」
「別に」急に早く帰りたくなって、カケルは手に提げた包みを持ち上げる。
「それよか、急ぐんで。じゃあな」
「待ってよ、まだ」
「急ぐんだよ、悪いね」
「アタシはすゞ」
急に真顔になってすゞが言った。
「石川県珠洲市のすず。でもふつうはひらがなで書いてね。でさ、書く時には『す』の後、『く』の反対向きに点々を入れてね」
はあ? そんなん書かねえよ、どこに書くんだ、心のダイアリーにか? カケル、心の中で突っ込んだ。
すゞは身をよじるようにぴっちり腰に張り付いているホットパンツのポケットから小さな平たいケースを出し、中から薄いカードを出した。ピンクの上質紙を名刺に作ったもののようだった。それをカケルの手に無理やり握らせる。
彼は懐中電灯をちらっと紙面に向ける。可愛らしい体裁だが、ワープロで打ったもののようだ。
「アタシに逢いたくなったらいつでもここに連絡して。でさ、質問には答えるけどさっきの人も狼だよ、」カケルは一瞬びくんと身体が反応した、が、すゞはお構いなしに続ける。
「でもあの人は流れ者だって、初めて見たし、もうすぐここから出て行くって、それに」
カケルの手首を軽く上から握った。
「匂いが合わなくて、今夜は諦めた、したらちょうどぴったりの匂いのヒトが来たからびっくりだよ」
「ちょ、ちょっと待てよ何」
誘惑されている、と遅まきながら気づき、カケルはあたふたと手を振り回す。
まるで、イブに初めて音楽室でキスされた時のようだ、全然成長していないではないか、この中年男、とっつぁん坊や、老けたぼっちヤロウめ、カケルの内部の第三者委員会がはやし立てる。
「ま、待てよキミ」
「すゞだよ、だから」すゞがもたれかかってくる。「ここでもいいの? じゃあ」
しっかりひっかけていたはずの唐揚げの包みが情けない音を立てて地面に落ち、ちょうどそこを踏んでしまう。ずるりと滑って、カケルは焦って態勢を立て直す。
「すゞ、さん、あのさ」
近くで見ると、狼というより滑らかな身体の線と身のこなしがどこか
「人魚……?」
そうだ、海の中での出逢いのようだ。どこかで見た感じだと思ったが、昔みた映画に出てきた可憐なマーメイドに似ている。彼女が更に迫り、息が苦しくなった。腰がずしんと熱く重みを増した。
もしかしたら、彼女は、凄く好みかもしれない。急激な心境の変化に自分でもついて行けていない。息が上がる。と、そこに
ケータイが震えた。2人の動きが止まる。
「ごめん」カケルのケータイが発光して震えていた。何と言うこと、またもや、メグからだ。
「悪いけど、今夜は帰るわ」電話は鳴らしっ放しにしたまま、すゞにそう伝えると、うん、と言って案外あっさりすゞは離れた。両腕をぶんぶんと前後に振っている。
「急ぐんだよね、今夜は」
「まあね」
カケルは一応包みを拾い上げて、中を確認もせずに少しだけ揺すって形を整え、片手を軽く上げて彼女の脇をすり抜けた。
「じゃあ、またねー」
こだわりもなく、すゞは明るく言って手を振る。
少し離れてから、カケルは我慢できなくなってふり向いた。すゞはまだ見送っているようだった。今度は匂いで分かった。カケル、訊いてみる。
「さっきさ」
「うん?」
「『それとも一緒に来る?』の『それとも』、の前は何て言ったんだ?」
「ああ? あれね『ここでする?』って聞いたんだよー」
あまりにもあっけらかんと大きな声でそう言うと、すゞはぶんぶんと手を振った。
「でもまた今度でいいからねー」
真っ赤になったのを見られないように、カケルはずんずんと大股で(しかし、やや内股気味で)仮のねぐらへと帰っていった。ひしゃげた包みをむやみやたら振り回しながら。
身体のほてりも少し醒めた頃、ようやく避難先の小学校についた。
正門近く、残っていた大きな街灯の下でカケルは包みを検めた。
焼き鳥の串が入っていたのをすっかり忘れていた。袋が下で破れ、尖った串が飛びだし、更に念には念を入れてその先からタレが滴り落ちている。
唐揚げも形が残っていなかった。
はあ、とため息をついてカケルは校庭にあったダストボックスにその包みをそのまま突っ込んだ。
ラブがいれば、洗ってからくれてやるんだけどな。ふと思い出して、カケルは星ひとつない暗い空を見上げる。
ケータイがまた震えて、先ほどの不在着信にも応えていなかったのを思い出す。
メグはカンカンだろう、もう目と鼻の先にいるだろう激怒り姉の顔を思い浮かべ、なぜか可笑しくなる。
ダメな時にはどんどん駄目になっていくなあ、俺。そう思って更に可笑しくなった。
酔いは完全にさめたようだ、それでも身体の芯に、何となくぬくもりが残っている。カケルは胸ポケットの名刺を上からそっと押さえて、はあ、と息を吐いてから体育館に戻っていった。




